2016年04月14日(木)

Mon 160321 地名の直訳 チェックポイント・チャーリー(ドイツ・クリスマス紀行23)

テーマ:ブログ
「固有名詞を訳しちゃう」という人は昔から少なくない。渋谷はビター・バレーであり、姫路はプリンセス・ロードである。鹿児島なんか、バンビ・アイランド。こりゃなかなか可愛いじゃないか。

「ちょっとコワい街」というイメージが染みついちゃってたら、この際思い切ってスーパー直訳な名前に変えてしまうのも悪くない。大阪で「十三」(これで「じゅうそう」と読む)と言えば、オジサマ連だって「おお!!」と唸るぐらいの街。ならば一気に駅名を「サーティーン」にしちゃったらいい。

 阪急電車の厳かな車内アナウンスで「次はサーティーン。サーティーンでございます」と告げられれば、昭和から長く続く伝説やイメージもスパッと切れて、「さぞかし未来志向の街だんべ」とワタクシのような田舎者でも、降りるのがちっともコワくなくなる。

 そもそも十三は、大阪府立きっての名門「北野高校」のお膝元。モト府知事&市長の橋下サンを輩出したほどの名門が、コワいイメージの街にあるというのも困ったもの。「サーティーン」に変えちゃって、一気に22世紀に向かってブワブワ羽ばたいたらいいじゃないか。
シュタットミッテ
(ベルリン地下鉄「シュタットミッテ」駅。「街のど真ん中」が、世界政治のど真ん中になった時期があった)

「鴬谷」というのも、東京都民として「うーん♨」な街である。ズラリと並んだ古式ゆかしいラブホ軍団が、山手線からキレイに見えちゃうのって、大丈夫かい?

 東京オリンピックまであと4年、少なくとも外国からのお客様から見れば、「おや、立派な宿泊施設がこんなにあるじゃありませんか」であって、「民泊なんかに頼る必要はありませんね」という結論につながりかねない。

 昭和の歴史を紐解けば、なぜ「鴬谷」にあれほどズラリと煌々たるネオン街ができてしまったのかハッキリ分かるはずだが、ええい、メンドーだ。どうだろう「ホケキョ・バレー」に改名しちゃえば。ホケキョタウンなんてもいいですな。

 山手線から車窓を眺めていれば、ホケキョバレーのラブホ街の風景はそのまま「日暮里」「西日暮里」まで続く。これで「ニッポリ」と発音するというのだから、いやはや、都会というところは恐ろしい。

 でもですな、そんな難解な駅名を放置すると、やっぱり国際化に乗り遅れる。グローバリゼーションの波に遅れてはいけない。どうだい「サンセットヴィレッジ」ってのは。

 ホケキョバレーからサンセットヴィレッジへ、さらにサンセットヴィレッジ・ウェストへ。まるでニューヨークの街を闊歩しているみたいな、晴れ晴れとした爽快な気分が味わえるじゃないか。
地下鉄
(ドイツ人は黄色が大好き。シュタットミッテ駅に着く地下鉄も黄色一色だ)

「それがドイツ旅行記と何のカンケーがあるんですか?」と尋ねられれば、さすがの今井クマ蔵もハタと困って肩をすくめるしかない。書きはじめた当初は間違いなく何かベルリンとの関連があったのだが、何を隠そう「忘れてしまった♡」のである。

 そこでギュッとアタマをひねってみると、おお、思い出した思い出した。あんまりギュッとひねりすぎると180°グルッと回って前後が反対になりかねないから、「せめて90°」というあたりにとどめておいたのだが、45°ほどひねった所でチャンと思い出した。

 今日の話の本題は、ベルリンのど真ん中「シュタットミッテ」だったのである。ベルリンの銀座と呼んでいいのが、ウンター・デン・リンデン。直訳すれば「菩提樹の下」、森鴎外「舞姫」の中にも登場する。フンボルト大学も、国立オペラ劇場もウンター・デン・リンデンに面している。

 これと直角に交差する大通りが「フリードリッヒ・シュトラーセ」。何しろドイツ人は厳格だから、「直角に交差する」というその直角ぶりには容赦のないものがあって、「うぉ、直角だ!!」と絶叫したくなるほどの直角ぶりだ。
チェックポイント
(チェックポイント・チャーリー。かつて東西ベルリンを分けた国際検問所である)

 昨日写真を掲載した「入場料1€のクリスマス市」は、この交差点から南に向かって、ホンの少し左にそれたあたりにある。200グラムもあるステーキを1枚まるまる挟んだステーキパンを貪り、直径5cm×長さ30cm近い巨大ソーセージを挟んだソーセージパンも貪って、クマ助はもう満腹である。

 満腹でもまだチーズパンも貪らなきゃならないし、満腹すればノドも渇くから、当然のようにラム酒入りのホットワインもグビグビやる。ワイン屋台の前に立ってニヤリと笑い「mit Rum!!」ないし「mit Schuss!!」と呟けば、屋台のオヤジもニヤリと笑い返してラムの量を増やしてくれたりする。

 さて、クリスマス市を出て、フリードリッヒ・シュトラーセに戻り、さらに南下を続けると、地下鉄シュタットミッテ駅が見えてくる。青い看板に大きく「U」の白い文字。シュタット(Stadt)が「街」、mitteが「真ん中」だから、まさにここがベルリンの街の真ん中なのである。

 日本の書店で見かけた「ベルリン旅行会話集」の中に「この電車は街の真ん中を通りますか?」という訳文を見たことがあるが、何のことはない「この電車はシュタットミッテを通りますか?」の間違いである。「銀座を通りますか?」を「シルバーシートを通りますか?」と訳したようなものである。
警告文
(アナタはアメリカ統治区域を出ようとしています。英語・ロシア語・フランス語。ドイツ語表記が一番小さいのが悲劇的である)

 ま、そのことを書こうとしてどこまでも本題からそれていっちゃったのが今日の記事の前半なのである。それちゃったも何も、まだ始まってもいないうちにそれちゃったのだからマヌケであるが、まあ許してくれたまえ。

 せめてもの償いに、このへんから今日の締めくくりまで、少しだけマジメなことを書いておきたい。このシュタットミッテ、かつてグローバルな政治の世界でホントに「ど真ん中」になった日々があったのである。

 1961年10月27日から28日にかけての「ベルリン危機」がそれである。ソ連軍の戦車が実弾を装備してシュタットミッテにズラリと並び、もちろん西側の戦車軍団もこれに対峙して、双方ともニッチもサッチもいかなくなった。まさにこのフリードリッヒ・シュトラーセでのことである。

 ついにはフルシチョフとケネディが登場、懸命な外交交渉を経て、ソ連側の戦車が1台、ホンの数メートル後退。西側もこれに応えて1台が数メートル後退。世界の人々は恐怖におののきながら、何時間もかけて「数メートル後退」のやりとりが続くのをジリジリ見守った。

 その場所に残るのが、「チェックポイント・チャーリー」である。冷戦のさなか、西ベルリンと東ベルリンの間を移動するのには、このチェックポイントを通過しなければならなかった。
コート
(ベルリン危機当時の東西首脳の姿が掲示されていた)

 ベルリンにいくつかあった国境検問所であるが、Aがチェックポイント・アルファ、Bがチェックポイント・ブラボー、Cがチェックポイント・チャーリー。別にチャーリーという人物に由来するわけじゃなくて、ABCを明確にするためにイニシャル的に愛称を用いたわけである。

 設置は第2次世界大戦の直後。冷戦時代を通じて存在し、ベルリンの壁崩壊後に廃止された。かつてはベルリン観光の目玉であったが、いまや「地球の歩き方」なんかでも小さな写真が1枚掲載されているのみ。MUSTな扱いからは程遠い。21世紀もすでに6分の1が過ぎた。冷戦もすっかり遠くなったのである。

 近くには、ベルリン危機当時の東西首脳の写真が掲示されている。10月も末のこと、ベルリンはさぞかし冷え込んでいただろう。西側の首脳も、ソ連のお偉方も、マコトに分厚いコートを着込んでいる。

 その首脳たちのコートが、2016年12月の今井君のコートとソックリなのである。いやはや、参った&参った。確かにワタクシのコートは、今から30年近く前に手に入れた時代物。1988年、ベルリンの壁崩壊の直前に、春日部のロビンソンデパートで購入した。

 その「ロビンソン」も、今や存在しない。世の中の流れは、マコトに速いものである。

1E(Cd) Michael Davis:MIDNIGHT CROSSING
2E(Cd) Sheila E. & The E-Train:HEAVEN
3E(Cd) Tower of Power:URBAN RENEWAL
4E(Cd) Tuck & Patti:CHOCOLATE MOMENT
5E(Cd) 村田陽一 & Solid Brass:WHAT’S BOP
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