2016年03月26日(土)

Wed 160302 突撃ラッパの復活に驚く ベルリンの壁(ドイツ・クリスマス紀行5)

テーマ:ブログ
 長かった「早春シリーズ」も3月23日に終わって、あれから2日間は放心したようにアングリ口を開けて過ごしていた。高校野球を眺めてはまどろみ、お相撲を眺めてはまたまどろみ、すっかり闘争精神を見失って、いつの間にか2日が過ぎた。

 諸君、間もなくワタクシはフランスに旅立つのである。ボルドー・カルカソンヌ・バイヨンヌ。フランス南西部の田舎町を歩き回るには、もっとキチンとフランス語をやっておきたかった。しかしこの2ヶ月、日本国中を歩き回って体力を擦り減らし、とてもフランス語どころじゃなかった。

 せめて3月下旬、仕事が一段落してからの1週間ぐらい、フランス語に没頭すればよかったのだが、闘争心をなくしてボーッと口を開けている状況では、もうどうしようもない。大っきな疲労のカタマリをかかえたまま旅立つしかなさそうである。
ブランデンブルグ門
(12月20日正午前、ベルリン・ブランデンブルグ門にたどり着いた)

 3月26日、北海道新幹線が開業。5年前は九州新幹線、昨年は北陸新幹線。花粉が飛び散りサクラがモクモク咲き出すこの時期は、新幹線開業の晴れやかなニュースが日本を覆い尽くす。マコトにおめでたい。

「乗り鉄」であるらしいワタクシも、本来なら北海道新幹線の開通に有頂天になり、東京駅か函館北斗駅でVサインでも作りながら「はやぶさ」に乗り込んでいなきゃいけないのかもしれない。

 しかし今井クマ蔵は、乗り鉄の中でもむしろ「哀愁派」ないし「懐旧派」に属する。ビュワーン&ビュワーンな新幹線より、青函連絡船や寝台特急を愛するのである。

 しかもその寝台特急は「カシオペア」や「北斗星」ではない。上野駅から10時間以上もかけて、ホーホーのテイで青森にたどり着いた常磐線経由の「ゆうづる」であり、東北本線経由「はくつる」なのである。

 あの頃、青森で降りた乗客は、急ぎ足で青函連絡船に乗り込んだ。やがて左に津軽半島の竜飛岬、右は下北半島。荒涼とした風景に酔いつつ、ここから4時間かけて函館を目指す。もしも札幌が目的地なら、函館からさらに特急「北海」「北斗」で5~6時間かかった。

 東京から札幌まで、乗り換え時間も合わせて20時間。サンパウロやブエノスアイレスまで行けるほどの時間を費やし、ヘトヘトになって札幌のプラットホームに降り立った。マコトに隔世の感があるが、ワタクシはどうもあの時代が懐かしくてタマらない。
クリスマスツリー
(ブランデンブルグ門。巨大クリスマスツリーとともに)

 ま、なかなか闘争精神が戻ってこないので、ボンヤリ口を開けたまま今日もまた高校野球とお相撲を眺めて過ごすことになりそうだ。ただし、うーん、この1~2年、高校野球を眺めつつ違和感を感じることだけは、今日ここに書いておきたいのである。

「違和感とは、何ぞや?」であるが、諸君、旧日本軍の「進軍ラッパ」が、甲子園のスタンドに復活しているのだ。進軍ラッパとは、正式名称「突撃ラッパ」と「速歩行進その1」であるが、興味のある方はブログを読み切り次第、一度ググってくれたまえ。YouTubeでしっかり聞くことができる。

 昭和の時代には、さすがに太平洋戦争の強烈な記憶が残っていて、「突撃ラッパ」も「速歩行進その1」も、応援団の演奏から消えていたが、2015年夏、2016年春、強豪校の応援にどんどん復活しているようだ。

「速歩行進その1」は、昭和の昔は「トテチテタ」と呼んだ。「突撃ラッパ」とともに、徒手空拳の歩兵軍団に突撃を促すラッパであって、「お国のためだ」「命を捨てろ」と命じる合図である。

 ブラバンの指導者たちがすっかり世代交代して、そのへんの事情を全くご存じないのかもしれない。しかし諸君、この種のラッパが甲子園に復活するのは、避けたほうがいいんじゃないか。関係各位の考慮を促したい。
馬さんたち
(ブランデンブルグ門のお馬さんたち、拡大図)

 さてと、今日からワタクシは、12月のドイツ旅行記に戻ろうと思う。思えばすでに2ヶ月間、書きかけの旅行記が放置されたままになっている。12月19日、埼玉県大宮での公開授業のあと、大宮から羽田空港に直接向かった今井クマ助は、翌20日朝、フランクフルト経由でベルリンに到着した。

 フランクフルト悪天候のため、空港職員に導かれてフランクフルト空港内を全力疾走したりしたが、何とか乗り継ぎに間に合って、ベルリンのホテルには朝8時半に到着した。

「You are very early!!」とフロントクラークに苦笑され、「まだチェックインできないから、13時まで待ってほしい」とのことで、ベルリンの街の散策に出たのである。

 詳しくは、右欄「旅行記」から「ドイツ・クリスマス紀行」をクリック。カイザー・ヴィルヘルム教会からツォーロギッシャーガルテン駅を経て、ハウプトバンホフをウロウロした顛末を復習してくれたまえ。
黄色い地下鉄
(ベルリン地下鉄・U55、ブランデンブルグ・トア駅に到着。黄色い車両が印象的だ)

 思えばあれは、11月のパリのテロと、3月のブリュッセルでのテロに挟まれた、ごく短い平穏の日々であった。まだドイツはシリアからの難民受け入れにマコトに積極的であって、ヒトビトも穏やかな笑顔に包まれていた。

 ハウプトバンホフから地下鉄・U55線に乗って2駅、ブランデンブルグ門にたどり着いた。思えば10年前の2005年2月10日、「ヨーロッパ40日の旅」の初日に若きクマ蔵が最初に訪れたのも、ブランデンブルグ門。10年ぶりの再訪である。

 この10年、世界にはますますテロの恐怖が広がり、いつどこで爆弾が破裂してもフシギではないほどになってしまったが、少なくとも12月20日、巨大なクリスマスツリーの飾られたブランデンブルグ門は、これ以上の平和は考えられない穏やかさであった。
壁の跡
(ベルリンの壁の跡)

 ベルリンの壁は、1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設された。1989年11月10日に崩壊。「歓喜の歌」の大合唱の中、コンクリートの壁をツルハシで打ち砕く青年たちの姿を、世界中のヒトビトが熱い涙を拭いながら見つめたものである。

 ベルリンの壁が東西ベルリンを分断していたのは、足掛け29年。マコトに長い年月に渡って東西が分断されていたのであるが、壁が崩壊してからも、すでに25年の月日が経過している。平和の日々が始まってからも、すでに4半世紀が過ぎていたのだ。

 かつて壁が存在していた所には、今も「BERLINER MAUER」の文字の入った線がクッキリと引かれ、人々が壁の悲しい記憶をなくすことはない。

 日本では甲子園に「突撃ラッパ」や「トテチテタ」が響きわたっても誰も気にしないが、さすがにベルリンの悲劇はつい25年前まで続いていたのだ。戦後70年の平和が継続した日本とは、やっぱり事情が違うのである。

1E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 15/18
2E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 16/18
3E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 17/18
4E(Cd) Haydon Trio Eisenstadt:JOSEPH HAYDN:SCOTTISH SONGS 18/18
5E(Cd) Mehta&London:BERLIOZ/SYMPHONIE FANTASTIQUE
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