2016年01月23日(土)

Wed 151230 10年ぶりのベルリン クマちゃんとエドエモン(ドイツ・クリスマス紀行1)

テーマ:ブログ
 2015年は、ホントによく働いた。公開授業は1年で優に100回を超える。しかし長かった1年も12月19日が仕事納め。埼玉県大宮駅前での公開授業が21時に終わると、ワタクシは大宮から東北新幹線に乗り込み、モノレールに乗り換えて深夜の羽田空港を目指した。

 例年、12月の旅をどこにするか、最後まで迷いに迷う。2007年はニューヨーク、2008年はロンドン、2009年はブダペストとプラハ。2010年のポーランドは、直前に網膜剥離の手術を受け、ニャゴロワの重い腎臓病が発覚したりして、中止になった。

 2011年は、スペイン巡礼の終着点、サンチャゴ・デ・コンポステラ。大聖堂の天井を、巨大な香炉「ボタフメイロ」がケムリを吐きながら何度も何度も往復するのを、口をおっきく開けて眺めていた。

 12年・13年と続けてパリに滞在した後、昨年はフィレンツェ ☞ ローマ ☞ パリの「はとバスコース」。クリスマスのローマ・サンピエトロ寺院で、ローマ法王のお言葉に至近距離で聞き入った。ローマからパリへは夜行寝台列車の旅。なかなか激しい年末であった。
くま1
(ベルリンは、クマの町である 1)

「2015年のクリスマスをどこで過ごすか」については、9月のマルセイユの段階で「ベルリン」と決めかけていたのだが、「久しぶりのスペインもいいな」「真夏の南米で肉ワシワシという手もある」「東ヨーロッパは?」と、クマ助の頭は混乱を極め、ベルリンとハッキリ決めてからもまだ若干の迷いがあった。

 しかし、2005年2月以来、もう10年もベルリンを訪ねていない。ベルリンはマコトに懐かしい街である。2005年2月8日に代々木ゼミナールで最後の授業をした直後、コペンハーゲン経由で到着したベルリン・テーゲル空港の深夜の雪の風景を、ワタクシは今も忘れていない。

 この10年、ベルリンは大きく変わったようである。そもそも10年前は、ベルリンの壁の崩壊からまだ15年、東西分裂時代の面影もまだ色濃く残っていた。

 ベルリン中央駅はまだ影も形もなくて、「ツォーロギッシャーガルテン」という小さな駅が、ドイツ統一前の暗い雰囲気をそのままに、中央駅の役割を押しつけられていた。
くま2
(ベルリンは、クマの町である 2)

 2015年、まさに「面目躍如」な新しいベルリンを見に行きたい。というか、すっかり21世紀的に脱皮を遂げた新しいベルリンの街のあちこちに、懐かしい20世紀の面影を見つけに行きたい。「よし、ベルリンにしよう」と心が完全に決まったのは、9月も末のことであった。

 ベルリンは、クマの町である。ベルリン市の紋章も立ち上がった黒クマをモチーフにしている。「なぜ紋章に黒クマどんが選ばれたか」であるが、「近くにクマが数多く生息していたから」という説の他に、「そもそもベルリンという町の名前がクマに由来するから」という説が有力であった。

 クマは ドイツ語でBär。まあ、英語の「bear」と同じようなもんである。この「Bär」に接尾辞「lin」がくっついて、Bärlin ☞ Berlin と呼ばれるようになった。あくまで俗説だが、俗説にも結構いい味があるものだ。

 しかしこの場合、「接尾辞・linとは何者であるか」の説明が欠かせない。諸君、これは「愛称語尾」なのである。日本語だって、名前の後ろに「ちん」「りん」「こー」「っち」「ごん」をくっつけて、相手への親しみや愛情を表現する。

 ヒロシ君をヒロリン、タケシ君をタケチン、モエカちゃんをモエコーないしモエッチと呼んだりするじゃないか。渋谷にはハチコーがいるし、ゴツい中年男の佐藤課長が、思いもかけず部下のOL諸君から「サトリン」と呼ばれていたりする。

 例えば「今村えりか」ちゃんなら、エリリン、エリコー、エリッチ、エリゴン。「今村」のほうを優先して、イマリン・イマコー・イマゴン・イマッチなど、愛称形はナンボでも作れる。
旗ぐま
(ベルリン市の紋章も黒いクマどんである)

 同じように、ドイツ語でも、「chen」ないし「lein」を語尾にくっつければ愛称形になる。Peterにchen(ヒェン)をくっつけて「ペータヒェン」。Annaにleinをくっつけて「アナライン」。それをちょっと縮めて「アナリン」にすれば、なあんだ、日本語と同じことである。

 そこでクマを表す「Bär」に「lein」をくっつけて「Bärlein」。それをもっと短く、Bärlin。町の名前が「クマチン」「クマリン」「クマコー」「クマッチ」「クマゴン」だなんて、なかなか可愛らしい話じゃないか。

 例え俗説にせよ、「語源学ではキッパリ否定されています」とか、そんな難しい顔をしなくてもいいじゃないか。もし東京だったら、「江戸」に愛称形の語尾がくっついて「エドッチ」「エドリン」「エドコー」「エドゴン」というわけだ。

 おお、いいじゃないか。「エドエモン」「エドザエモン」なんてのも悪くない。「エドノスケ」「エドゴロー」「エドタロー」。いいじゃん&いいじゃん。もしもエドが女性名詞なら「エドミ」「エドヨ」「エドシキブ」「EDO48」。我らがTOKYOにも、全く別の豊かな運命が開けそうだ。
地下鉄ぐま
(地下鉄路線図グマ。アレクサンダープラッツ駅にて)

 ただし「クマチン」とか「クマッチ」とかカワイコぶっていても、ドイツ東部のこの地域は、あの強大な古代ローマ帝国に対してさえ、500年も700年も屈服しなかったマコトにゴツいゲルマン民族の本拠地だ。甘く見てはいけない。

 カエサルが10年かけてガリアを征服、ガリアとゲルマンの間にライン河が立ちふさがった。初代皇帝アウグストゥス以降は、西ローマ帝国滅亡までの450年、大河ラインをはさんでローマとゲルマンのニラミあいが延々と続いた。

 その間、フランク人の砦であるフランクフルト周辺、マインツ・ボン・ケルン・ストラスブール・ニュルンベルグなどは、ローマ側になったかと思えばゲルマン側に戻り、まさに右往左往の年月が続く。
ニベアべあ
(ニベアの店の前にもクマ。通称ニベア・ベア)

 しかし諸君、冷たい湖と沼と河川に囲まれたベルリン地域は、一貫してゲルマンサイド。2代皇帝ティベリウスがラインとドナウをローマ防衛最前線と決めて以来450年、五賢帝トライヤヌスやハドリアヌスも、例えドナウから北上はできても、ベルリン周辺にまで攻め上ることは出来なかった。

 これからワタクシが向かうのは、そういうマコトにゴツい歴史を秘めた地域である。ベルリンの他、ライプツィヒ・ドレスデン・ブレーメン・ハンブルグなど、厳寒のクリスマスに訪れるにはちょっとゴツすぎる地域であるが、ラム酒入りの熱いワインであったまりながら、何とか無事にエドリンに帰還したいのである。

1E(Cd) Kremer:MOZART/VIOLINKONZERTE NOS.2&3
2E(Cd) Wand:BRUCKNER/SYMPHONY No.9
3E(Cd) Four Play:BETWEEN THE SHEETS
4E(Cd) 村治佳織/山下一史&新日本フィル:CONCIERTO DE ARANJUEZ
5E(Cd) Samson François/André Cluytens & Conservatoire National
total m174 y2279 d17590
最近の画像つき記事
 もっと見る >>

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。

      Ameba芸能人・有名人ブログ 健全運営のための取り組み
      芸能ブログニュース