2015年09月30日(水)

Sun 150906 「もしもじま上陸」をついに敢行 監獄島の歴史のこと(また夏マルセイユ13)

テーマ:ブログ
 8月31日、いよいよ船はマルセイユの港を出て、「もしもじま」ことイフ島に向かった。とは言っても、たった20分の航海、そのうち10分強は港の中を徐行するだけなので、外海の航海は7~8分で終わりである。マコトに呆気ない。

 まず断っておくが、クマ助は地名の「イフ」と英語のifを混同なんかしていない。「もしもじま」と呼ぶのはあくまで冗談である。世の中とは恐ろしいところで、「こいつ、フランス語のイフと英語のifが同じだと思ってる♨」「何にも知らないんだな」と怒り心頭に発するヒトがいないとは限らないのである。

 あんまり近いので、かえってなかなか行ってみる気にならない。東京のヒトが東京タワーやスカイツリーに行ったことがないのと、おそらく同じ心理である。以前2回のマルセイユ訪問で、イフ島に上陸するチャンスはいくらでもあったけれども、やっぱり近すぎてホンキになれなかった。

 幼なじみの彼女が素晴らしい女性であったとしても、あまりに身近でアタックする気にならない。小学校以来10年も同じ学校に通っている男子がチョー♡イケメンでも、「だって川村クンでしょ?」と思わず笑ってしまってチャレンジできない。そういうのと同じことである。
イフ島
(イフ島の牢獄は、元々は要塞。Chateau d'Ifという名の城であった)

 今回、マルセイユ訪問3度目にして初めてイフ島への上陸を試みる。初めてのマルセイユは2005年3月上旬のことだった。まだ地中海には真冬の風が吹き荒れて、観光客なんか全く寄せつけない荒んだ雰囲気に満ちていた。

 だって諸君、あの時はフランス全国を吹き荒れたゼネストの真っ最中。マルセイユの街を高校生や大学生の集団が駆け回って、塀やフェンスを蹴り倒すは、太鼓をたたきながらシュプレヒコールを繰り返すやら、「もしもじま上陸作戦」などを敢行する雰囲気ではなかった。

 しかもあの時は、イフ島の位置をすっかり間違えていた。40日間に及んだヨーロッパ旅行の最終盤、疲れきったクマ助がイフ島だと勘違いしていたのは、目の前にそそり立つ聖ニコラの要塞。「ほとんど陸続きじゃないか」「わざわざ船に乗って行くほどの島じゃないな」と、ニタニタうそぶいたものだった。

 2回目は2014年の8月から9月にかけてだったが、今度はマルセイユの港からカシスやラ・シオタまで往復4時間の大航海を企画。イフ島はその航海の冒頭15分ぐらいのところで船の右舷に展開するちっぽけな小島にすぎない。やっぱり「わざわざ上陸する価値はないんじゃないか」ということになってしまった。
鉄格子
(牢獄の鉄格子ごしにだが、夏の地中海の絶景が眺められる)

 というわけで、今回はまさに「3度目の正直」である。ホントにホントに3度目の正直であって、昔のヒトの言葉には間違いがない。もちろん1回目や2回目にウソもイツワリもなかったのだから、「正直」という単語に若干の戸惑いは感じるが、とにかく3回目、ついに「もしもじま上陸作戦」を実行する時が来た。

 船からは、マルセイユの街がマコトによく見える。左舷に聖ニコラ要塞とファロ公園、その向こうの丘の上にはノートルダム大聖堂と大きなキンキラ♡マリアさま。やがて外海に出ると、ブイヤベースの有名店「フォンフォン」のある名勝バロン・デ・ゾフ。2014年の滞在で、連日入り浸ったあたりである。

 船はやがてイフ島を右に見ながら、時計回りに島をグルッと一周して港に入る。このあたりは海流や風の向きがたいへん厄介であって、船の航行もやっぱり難しい。この海流のせいで、泳いでも小舟でも脱獄が困難であり、だからこそ重罪犯を収容する監獄として使用されたのである。

 港とは言っても、50人乗りの船が一艘やっとのことで接岸できる船着き場に過ぎない。海水は美しいコバルト色に澄みきっているが、たえず強風が吹き荒れて、この監獄島の歴史の長さを感じさせる。
眺望
(マルセイユの街まで、泳いでたどり着けそうだ)

 1524年、フランソワ1世がこの島に要塞の建設を指示。うぉ、まずフランスの大物が登場した。すると諸君、ドイツのカール5世が(ということはスペインのカルロス1世でもあるわけだが)、マルセイユ攻撃を計画。イフ島の要塞が早速その威力を発揮する。

 マルセイユとイフ島の間は難しい海流が流れ、常に強風の吹き荒れる海域。日本で言えば、満珠島と干珠島の浮かぶ壇ノ浦みたいなものである。船の操縦をあやまるか、操縦に長けたベテラン船乗りを雇わないと、ヨソモノの海軍は全滅しかねない。

 船団を組んでこの海峡を突破しようとすれば、海流のせいで立ち往生したところを、陸側の要塞と島の要塞から挟み撃ちの砲撃にあう。さすがのカール5世でも、この地形を見ては攻撃を中止せざるを得なかった。

 島からは手に取るように対岸のマルセイユが見渡せる。というか、夏なら泳いでも十分に渡れそうであって、脱獄を企てたものも多かったはず。16世紀から17世紀にかけては宗教戦争の末に捕らえられた人々、18世紀から19世紀は革命に関わる政治犯の人々、多くのヒトが激しい海流にのまれて脱獄に失敗したのである。
牢獄
(広々とした牢獄の内部。暖炉あり、トイレあり、住み心地は悪くなさそうだ。「獄にありては、獄で出来ることをする」が出来そうな高級牢獄である)

 フランスの地中海岸にはこういう監獄島が点在していて、カンヌの町の対岸・レラン諸島には「鉄仮面が捕らえられていた」という監獄もある。鉄仮面については話が長くなるから、諸君のほうでググってくれたまえ。

 鉄仮面の監獄は2007年の夏に訪ねてみたが、あれと比べるとイフ島のほうがいくぶん穏やかであって、窓に取りつけられた黒い鉄格子にも猛々しさがない。「外せば、カンタンに外れそう」というか、投げ槍な感じというか、「意地でも逃がさないぞ」という執念が感じられない。

 その辺も、海流の激しさを考えれば納得がいく。「鉄仮面」の島の周囲はマコトに穏やかな海であって、あんな穏やかな島で鉄格子なんか外されたら、囚人はみんな軽々とカンヌまで泳いじゃう。そこで真っ黒な鉄格子を3重にも4重にも窓に取りつけ、鉄の猛々しさで人を威嚇しようとしたようですらある。

 イフ島の牢獄のほうは、見方によっては「それなりに住みやすそうな感じ」。広々とした空間に、暖炉やトイレも付属して、窓からの眺望も絶景である。青い海の向こうに、はるかなマリアさま。厳重に鍵のかかった分厚い扉さえなければ、住環境は十分に整っている。

 もちろんこういう広々とした牢に入れたのは身分の高い人々であって、「カネなし身分ナシ」な人々は、イヤな虫だらけの暗黒の地下牢に閉じ込められた。ホンの150年前まで、「持つべきものは身分とカネ」という身もフタもない世界だったことを実感する。
パリコミューン
(パリコミューンのリーダー:ガストン・クレミューがここに収監された。7ヶ月後、銃殺刑となる)

 フランス革命のヒーロー ☞ ミラボーも、ここに幽閉されたことがある。同じ頃、マルキ・ド・サドのダンナもここに閉じ込められた。1871年4月、パリ・コミューンの英雄ガストン・クレミューもイフ島に投獄。11月に銃殺刑になっている。

 今はすっかり穏やかなこの島のカフェで、ビールとロゼワインでひと休みしていると、夏の終わりの風が爽やかである。投獄された人々を絶望のの縁に追い込んだ海峡を、頻繁に白い船が走る。

 この要塞&牢獄さえなければ、素晴らしいリゾート島になってもおかしくなかったのである。すぐそばには、イフ島より遥かに大きなフリウリ島が浮かび、180°どちらを向いても風光明媚、ほとんど非の打ちどころがない。

 マルセイユは、古代ローマ時代に商業都市として地中海世界一番の繁栄を誇った。しかしそのマルセイユにとっても、中世から近代は間違いなく暗黒の時代。こんなにキレイな「もしもじま」が、400年にもわたって人々を苦しめ続けたとは、ニワカには信じがたい気がするのであった。

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