2015年09月26日(土)

Wed 150902 ミスDJとラジオ講座 レスタックの海とネコ(また夏マルセイユ10)

テーマ:ブログ
 昨日はニュースがいろいろありすぎた。大相撲では大関・照ノ富士がヒザを負傷。下手をすれば日本の国技・大相撲のこれからを左右しそうでさえある。中日ドラゴンズの50歳・山本昌投手は引退を示唆。また一人レジェンドが引退してしまう。

 もちろん川島なお美サンの急死についても、バブル期の日本を象徴するようなタレントさんだったわけだから、冥福をお祈りするとともに、デビュー直後の彼女の素晴らしい活躍について、どうしても一度この場でしっかり振り返っておきたいのである。

 やっぱり何と言っても、文化放送「セイ!ヤング」の後継番組だった「ミスDJ リクエストパレード」である。昭和後期の世代は、ラジオ深夜放送を聞きながら大きくなった人々であるが、セイヤングの放送打ち切りが1981年9月。10月から「ミスDJ」がこれを引き継いだ。
ブルー
(マルセイユからレスタックに向かう。ブルーブラックが美しい)

 セイヤング終了の翌年、TBS「パックインミュージック」も終了。ラジオ深夜放送を聞いて午前3時まで夜更かしする若者の生活パターンは、80年代初期に終わりを告げたのである。

 みのもんたも谷村新司も、「セイヤング」で大きくなった。山本雄二・かぜ耕士・なぎら健壱・吉田照美・よしだたくろうの名前もある。「夜明けが来る前に愛しあおう」「夜明けが来る前に語りあおう」。懐かしいあのオープニングで始まるセイヤングが、終了してしまったショックは大きかった。

 新番組「ミスDJ」のほうは、まさに女子大生ブームの始まりを画するものであって、「成城学園大学1年、千倉真理です!!」「上智大学、長野智子です!!」「青山学院大学3年、川島なお美です!!」というマコトに「キャピキャピ」な始まり方。当時の流行語「キャピキャピ」の元祖だったと言っていい。

 彼女たちも、すっかりお年を召されたわけである。ブームの先頭に立っていた川島なお美サンの訃報は大きな驚きであるが、デビューから30年以上が経過したことを思うと、クマ助なんかも感慨が深い。ご冥福をお祈りするばかりである。
船長
(女性船長。背中がマコトにカッコいい)

 何しろ、「ミスDJ リクエストパレード」である。若い諸君は信じがたいだろうが、30年前の日本には「電話リクエスト」という世界があって、文字通りラジオ局やテレビ局に電話をかけて曲を「リクエスト」したのである。

「もしもし、○○放送サンですか? あのー、西城秀樹の『ジャガー』、お願いします」
「あのー、ラジオ△△ですか? えーっと、オリビア・ニュートンジョンの『フィジカル』、かけてください」

 「電話リクエスト」とはそういう世界であって、そのリクエストの数でヒットしたかどうかを判断する。電話リクエストを略して「電リク」と呼び、「電リクチャート」とか「葉書リクエストチャート」でアイドル人気の浮沈が決まった。

 21世紀の現状から見れば、マコトに温かいアナログ世界であるが、ダウンロード数で人気度を計る21世紀と比較すれば、アイドルに対するファンの燃え上がり方もまた数段上であった。何しろ諸君、電話をかけて見知らぬオペレーターに直接申し出なきゃいけなかったのだ。
黒ネコ君1
(レスタックの高台にて。人なつこい黒ネコ君が寄ってきた)

 なお、「ミスDJ」開始とともに消えていった名物番組があって、それが「旺文社 大学受験ラジオ講座」。パパやママの世代なら誰でも知っている通称「ラ講」である。

 旺文社の創業者 ☞ 赤尾好夫どんが、「大学受験教育の地域格差を、ラジオ放送を通じて解消する」という理念のモト、1952年にスタート。昭和27年のことである。

 放送開始時間は23時30分。高校生が塾や予備校に通う習慣がなかった昭和の時代、23時30分にラジオの前に座るのが、全国の受験生のスタンダードになった。

 しかし諸君、何しろ昔のことだ、電波事情は今とは比較にならないほど悪い。福岡や長崎で文化放送にダイヤルを合わせても、雑音の向こうに聞こえるのは上海のラジオ放送。今井君は秋田で頑張ってみたが、モスクワやハバロフスクから「社会主義革命に参加せよ」のプロパガンダ放送が入った。

 そういう地方学生のために、旺文社は高校単位で録音テープを貸し出したり販売したりした。「聞き逃したラ講を聴ける」という便利さが、やがて21世紀における映像授業の隆盛のキッカケとなったのである。

 しかし「セイヤング」の放送終了とともに、深夜の時間帯のタイムスケジュールが大きく変わる。編成上、23時から24時台のラジオ・ゴールデンタイムに受験世代オンリーの番組がドカンと重たく乗っかっているのは都合が悪い。

 この結果、ラ講は朝5時台へ移動。「追い出された」の感が強い。そこへZ会の台頭があり、予備校の急成長があり、何も朝5時からムクムク起きだしてラジオにかじりつく必要はなくなった。ラ講の受講生はあっという間に激減し、レジェンドはここでもカンタンに消滅したのである。
黒ネコ君2
(レスタックの黒ネコ君、拡大図)

 今日のブログでは、マルセイユ3日目のレスタック訪問について、その詳細を記すつもりであった。しかしこんなにたくさんのニュースが相次いだあとでは、ブルーブラックの美しい地中海の写真を中心に、手短に話を締めくくるしかない。

 今日の写真1枚目をもう1度見てくれたまえ。クマ助が2年連続でマルセイユを訪れ、しかも連日お船で海に乗り出してばかりいたのは、この海の美しさゆえなのである。

 昭和の文豪は、原稿用紙に万年筆で原稿を書いた。だから、彼らが海の美しさや夜明け前の空の色を描く時には、「ブルーブラックのインクを流したようだ」という描写が定番であった。

 明治の作家は毛筆を墨汁に浸して書いたが、昭和の作家の書斎には常にブルーブラックのインク瓶があり、部屋の中にはインクの匂いが満ちていたのである。夏のマルセイユの海はまさにその表現通り、濃厚なブルーブラックの海が水平線まで続いているのである。

 9月に入ってすぐ、海の色の変化に気がついた。澄みきったブルーブラックに少しずつグレーの要素が加わってくるのが9月の海である。8月には雲1つなかった空に、まず切れ切れの白い雲が浮かぶ。千切れ雲は次第に寄り集まって、あれほど熱かった真夏の太陽に薄いカサがかかったりする。

 その雲の量に応じて、ブルーブラックにグレーが混じる。9月の最初の2~3日、海を眺めて寂しい気持ちになるのは、そのグレーのせいである。5日 ☞ 6日 ☞ 7日と9月がどんどん深まるに連れて、グレーの要素がもうどうにもならないほどになり、潮が引くように海岸の人影も少なくなっていく。
レスタック
(レスタック、高台からの風景。20世紀フランス絵画に大きな影響を与えた眺望である)

 8月30日、レスタックの海はまだ透明なブルーブラックであって、人々は夏が終わることに気づかないフリをしている。地元レストランが3軒ほど並んだ海岸通から左に折れ、険しい坂道を10分ほど上がると、かつてセザンヌが散歩し、ジュルジュ・ブラックが愛した高台に出る。

 この小公園からの眺めこそ、20世紀フランス絵画に図りしれぬ影響を与えた眺望なのである。赤い煉瓦の屋根が続き、ブルーブラックの地中海を隔てて、イフ島やフリウリ島の青い島影が浮かんでいる。

 冷たい海の風が高台まで吹き上がってきて、フランスパンとワインで「ランチ」ということにでもすれば、陽の傾くまで3~4時間はおそらくあっという間である。

 足許に、黒ネコが寄って来たりもする。近所の家で飼われているらしく、マコトに人なつこいヤツである。しゃがんで背中を撫でてやると、いくらでもニャゴニャゴいいながら首のあたりをすりつけてくるのであった。

 もう1匹、夢のように見事なヒョウ柄のネコも通りかかった。こちらはまだ小さな子ネコであったが、「もしかしてホンモノのヒョウのコドモかもしれない」というぐらいに見事なヒョウ柄である。

 ただしコイツの方は、東洋のクマ助がおっかない様子。クルマの陰に隠れたまま、もう2度と姿を現そうとしなかった。

1E(Cd) Preston:BACH/ORGAN WORKS②
2E(Cd) Preston:BACH/ORGAN WORKS③
3E(Cd) Preston:BACH/ORGAN WORKS④
4E(Cd) Brian McKnight:BACK AT ONE
5E(Cd) Solti & Chicago:BRAHMS/SYMPHONY No.2
total m10 y1441 d167352
最近の画像つき記事
 もっと見る >>

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。

      Ameba芸能人・有名人ブログ 健全運営のための取り組み