2015年06月05日(金)

Tue 150512 マジメにアマルフィを語る 帰りも赤いバスがいい(ナポリ滞在記28)

テーマ:ブログ
 ネットでもガイドブックでも地図帳でもいいから、ちょっとアマルフィの地図を参照していただきたい。町の規模の小ささに、誰でもビックリするはずだ。

 長靴型のイタリア半島のスネのあたりに、小さく突き刺さったようなソレント半島。その付け根のあたりの谷間に、小さくへばりついた三角形の傾斜地に過ぎない。これが「中世イタリアの4大海洋都市国家」の一角を占めていた町とは、ニワカには信じがたい気持ちになるはずだ。

 他の3都市は、21世紀の今でもまあ「中都市」とは言える規模。ジェノヴァは十分に大都市だし、ピサとヴェネツィアは世界旅行のMust ☞ 人生のMustの地位を保ち続けている。

 それに対してアマルフィは、訪れた人のおそらく9割以上が「あれれ」「こんだけ?」と首を傾げるに違いない。バスなり船なりを降りて、ホンの1時間ウロウロ歩き回れば、町のほとんどを見尽くしてしまえる規模である。
ドゥオモ
(港から徒歩1分、アマルフィのドゥオモ)

 「4大海洋都市」が現れたのは、10世紀ごろのことである。8世紀にイスラムの快進撃が始まり、あっという間に北アフリカ一帯は三日月の旗に埋め尽くされ、イスラムはジブラルタル海峡をわたってスペインの全域を征服した。

 快進撃はピレネー山脈を越え、現フランス・ポワティエの町に迫る。732年、「トゥール・ポワティエの戦い」で、フランク王国がウマイヤ朝軍を撃破、イスラム勢力をピレネーの南に押し戻す。カール・マルテルの重装歩兵軍が楯を壁のように並べた密集隊形を作り、イスラム騎兵隊を押し返した勝利であった。

 しかし諸君、世界史の教科書ではその方面の戦いが強調されるが、地中海の真ん中では相変わらずイスラムが圧倒的に優勢。シチリアは831年から1072年までイスラムが支配する。アマルフィ周辺の南イタリアも、8世紀から10世紀まではイスラムがビザンチン帝国軍を圧倒した。

 この状況を変えたのが、①ノルマン人であり、②4大海洋都市国家である。ノルマン人については、世界史選択ではない諸君も、理系の諸君も、ぜひ一度は詳しく調べてくれたまえ。エルサレム巡礼の騎士40人で始めた南イタリアでの戦いは、たった25年でシチリア奪回にも成功するのである。
内部
(ドゥオモ内部)

 この時代に隆盛を迎えたのがアマルフィ。ピサ・ジェノヴァとローマ法王庁を巻き込んで、11世紀から一気に攻勢に出る。その時代に建築されたのが、アマルフィの港から徒歩1分の広場に立つ美しいドゥオモ。天国に駆け上がるような階段がマコトに印象的である。

 18世紀になってキンキラキンの派手な装飾で改築されたが、中央の青銅の扉は、11世紀中期のコンスタンティノープルで作られたものである。

 11世紀と言えばまだサラセン海賊が跋扈し町を蹂躙し、はるか北方からやってきたノルマン人の活躍が始まった時代であるが、この地域の名目上の支配者は、古代の亡霊のような東ローマ帝国。コンスタンティノープルの威光が微かに残っていたのである。

 ドゥオモの右奥から、13世紀の「天国の回廊」に入ると、「うぉ、こりゃイスラムの影響がバリバリじゃん」な光景が続く。グラナダのアルハンブラ宮殿でも、こういう庭園がどこまでも続く。イベリア半島も南イタリアも、程度の差こそあれ中世1000年の歴史が強烈に香っているのである。
回廊
(アマルフィ、天国の回廊)

 皮肉なことに、「天国の回廊」が完成する頃から、アマルフィの勢力は急速に衰えていく。もちろん
「町の規模が小さすぎた」
「陸の側からのアクセスができず、海からしか町に入れなかった」
「自然災害が続いた」
という物理的な条件もあったのだ。

 しかしより決定的だったのは、「初期イスラムの破竹の勢いが、やがて衰えていった」ということである。地理的に見ても4大都市のうち最も南に位置し、対イスラムの戦いで先頭を切っていたアマルフィ海軍は、やがてその歴史的な役割を終える。

 残ったのは、狭い面積を限界まで切り刻んだ、理解不能なほどに入り組んだ街路である。迷い込んだ海賊を殲滅するにはいいが、町を発展させるのは明らかにマイナスの要因を、自らカンペキに作り上げてしまったことになる。
雲
(ティレニア海の風を受け、岩山は濃霧に覆われている)

 こうして、ほぼ1時間でドゥオモの中身までジックリ見学してしまったクマ助は、4時のバスでナポリに帰ることにした。帰りのバスも、混雑したSITA社を回避。HOP ON HOP OFFのバスは、往路と同様にガラガラの状態であった。

 アマルフィでも、チケットはチケット売り場ではなく、バスの周囲をウロウロしている赤いジャケットのオネーサンに申し出る。すると「チケットはバスの中で買えますよ」とビッグな笑顔で頷かれ、ホッとするとともに、「笑顔が若干ビッグすぎないか?」と不安な気持ちにもなるのである。

 しかしやっぱりSITA社のバスよりもずっとフレンドリーである。SITAの方を観察していると、チケットはバス停脇のBARで購入しなければならないのだが、出発ギリギリでも、意地でもその方針を変えないのである。

 今にも出発しようとしているバスの運転手さんに、「バスの中でオカネを払ってもいいか?」と食い下がるヒトも多い。ところが運転手さんは「ケンもホロロ」であって、「チケットはBARだ!!」「BARで買ってくれ!!」と取りつく島もない。

 あきらめたお客がBARに向かった瞬間、目的地に向かって無慈悲に発車してしまう。そりゃ諸君、山手線みたいに3分に1本やってくる電車なら「無理せず次の電車を」という態度もわかる。しかしこの付近のバス路線は、30分に1本、1時間に1本、そういう頻度の路線なのだ。

 その様子を眺めながら、今井君はHOP ON HOP OFFのバスが大いに気に入った。「HOP ON」「HOP OFF」というコンセプトとは明らかにズレているが、この際コンセプトとのズレなんかどうだっていいのだ。
ポジターノ
(帰り道、夕陽の中のポジターノが美しい。「やっぱりポジターノも訪問すんべ」であって、早速アタマの中で予定表を書き直す)

 このバスでアマルフィからラヴェッロに行けるから、明日もまたアマルフィに来てみようと思う。アマルフィからさらに奥に入り込み、切り立った岩山のテッペン、断崖の町「ラヴェッロ」を目指そうと考えた。

 もちろん、それならばいちいちナポリまで帰る必要はない。中世の修道院から続く名物ホテル「ルナ・コンベント」に宿泊して、地中海の波の音を枕に眠るのも、素晴らしい思ひ出になるだろう。

 しかし諸君、品行方正な今井君は、やっぱりバスに乗ってナポリを目指したのである。ポジターノの絶景を楽しみながらソレントまで40分、ソレントからナポリまで私鉄の電車で70分、ナポリ中央駅から地下鉄モンテサント駅まで20分。途中スーパーでビアと水を買って徒歩25分。なかなかゴージャスな道のりだ、

 こうして合計2時間以上を踏破。懐かしいホテル・ヴェスヴィオに帰り着くと、すでに夜8時に近い。ライトアップされたタマゴ城の姿がマコトに美しいが、このあまりに間近な名所はいったいいつ訪れるのか。「東京タワーに行ったことがありません」という東京人の苦笑を、ふと思い出すクマ助であった。

1E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 2/10
2E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 3/10
3E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 4/10
4E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 5/10
5E(Cd) Barenboim:BEETHOVEN/PIANO SONATAS 6/10
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