2015年04月16日(木)

Sat 150323 3島物語 ロードス騎士団 聖バルトロマイ(イタリア冬紀行19・2485回)

テーマ:ブログ
 クマ助という生き物はたいへん欲張りであって、1つの料理を食べながらすでに次の料理を物色し、一度に6冊の書物を同時進行で読み進め、風呂でもトイレでもせっかくだから読書にもふけり、飲み屋では次に何を飲もうかと常にソワソワしている。

 こうして、なかなか「ただ一つのことに集中する」ということができない。先生方から見れば「落ち着きがない」のヒトコトであって、小5の2学期の通信簿には「言動に落ち着きが見られないのが残念です」と書かれてしまった。

 親にしてみれば、「落ち着きのない子の親」と断定されてしまったんだから、その無念を思いやるに、子としてマコトに申し訳ない。しかし欲張りな性格は成長してもそのままであり、そのままならまだいいほうで、どんどん落ち着きから遠ざかっていくのが、クマ助の人生の基本構図であると思えるほどだ。

 落ち着きのない少年は、落ち着きのない青年へ。落ち着きのない青年は、落ち着きのない中年へ。何だかどんどん情けないシロモノになっていくような気がする。
ローマの松
(ローマの松。パラティーノの丘で)

 こんなふうだから、外国を旅行中のクマ助は、いつだって「次はどこに行こうかな」と頭のどこかで真剣に物色を続けている。集中してその国や街を満喫していればいいのに、アテネにいてもリスボンにいても、「次は?」の糸口を虎視眈々と探し続けている。

 今回のローマ滞在中、しかもヴァチカン美術館というローマ観光の白眉の真っ最中に、その糸口をギュッとつかんだのであった。諸君、どこだと思うか、もしクイズ形式で楽しみたければ、ヒントは昨日の記事にある。一度昨日のページに戻って、読み返してくれたまえ。

 ヴァチカン美術館の雑踏と雑談の洪水に驚きながら、クマ助が最も気に入ったのは、「地図の間」であった。ルネサンスのイタリアは、地図でさえ芸術にしてしまう。中でも気に入ったのは、イタリアの島々の地図。昨日掲載した写真は「シチリア」と「サルデーニャ」であった。

 というわけで、以上がヒント。「次の旅は『地中海3島物語』と名づけよう」と決めたわけである。むかしむかし、京都・大阪・神戸を回る「関西3都物語」をツアー業者が企画したことがあったが、ま、それをググッとオシャレにした感じであるね。
ねこ1
(ローマの猫。フォロ・ロマーノ付近で 1)

 「3島物語」には前編と後編を設定。前編がシチリア・サルデーニャ・コルシカ。前2者はイタリア語、コルシカだけフランス語だが、言葉なんか別にかまわない。モーパッサン「女の一生」で、主人公ジャンヌがごく短い幸福を味わったのがコルシカ。コルシカを入れて「西地中海3島物語」を形成する。

 後編は、マルタ・クレタ・キプロスの「東地中海3島物語」。マルタに比較してクレタとキプロスはググッと東に寄っているが、まあいいじゃないか。この3島にロードスを加えれば、ロードス騎士団の活躍をたどる旅にもなる。

 ロードス騎士団は、正式名称「聖ヨハネ騎士団」。11世紀にアマルフィの商人が作った宿屋が原点で、宿泊施設はやがて病院も兼ねるようになり、2000人を収容できる大病院となった。

 エルサレム巡礼に訪れるヒトビトの保護を目的とし、騎士たちも医療行為と医療奉仕に加わった。騎士たちで大病院を支え続けたわけだ。おお、カッコいいじゃないか。
ねこ2
(ローマの猫。フォロ・ロマーノ付近で 2)

 超大国オスマントルコの皇帝は、ロードス騎士団の存在を「喉元に引っかかった骨」に例え、大軍を差し向けて騎士団壊滅をはかる。1480年にはメフメット2世、1522年にはスレイマン大帝。トルコ最盛期を象徴する2人の皇帝に攻撃されても、この騎士団はカンタンには引き下がらない。

 しかし1522年のトルコによる大攻撃は、400艘の大船団、兵士の数は20万。オリエント君主独特の大量兵力を動員して、雲霞のごとく攻めまくる。一方のロードス騎士団は、ニワカに兵士に仕立てただけの者まで含めて、わずかに7000でしかない。

 それでも攻めあぐんだトルコは、ついに大砲を導入。当時の大砲は、爆薬を詰めた弾丸ではなくて、巨大な丸石を大量に打ち込む形式のものであるが、今もなおロードスの病院跡には、この戦いで打ち込まれた500年前の石の砲弾が積み上げられている。

 しかし諸君、いかに敢然と戦いを受けて立ったとしても、孤島の砦で7000 vs 20万では、陥落は時間の問題になる。ついに刀つき&矢折れ、水も兵糧も尽きて島は悲惨な状況に陥る。騎士団はシチリアに撤退、やがてマルタ島に移って、葡萄酒色の東地中海に別れを告げることになった。
ファロ
(フォロ・ロマーノからパラティーノの丘をあおぐ)

 こういう雄々しい戦いの中でも、人間というものの残酷さは常に変わらない。長く続いたヨーロッパとトルコの戦いの中では、捕らえた敵軍の兵を「皮剝ぎの刑」にして見せしめにするような、マコトに猟奇的で恥ずべき行為も発生したという。

 そもそもどうして「人間の皮を剥ぐ」などということを思いつくのか、その発想の根源さえ見当もつかない。システィーナ礼拝堂のミケランジェロ「最後の審判」にも、怒りのジーザスさまの向かって右の足許に、「皮を剥がれた聖バルトロマイ」が描かれている。

 バルトロマイは、イエスの使徒の一人。生皮を剥がれて殉教したので、彼の絵を描く時は、剥がれた生皮か、皮剝用のナイフを絵の中に描き込んで、バルトロマイであることを暗示する決まりになっている。

 ミケランジェロの場合も、剥がれた自分の生皮を手に、怒りのジーザスさまを見上げるバルトロマイを描いた。ギリシャ語ならバルトロマイオス、英語ならバーソロミュー、フランス語ならバルテルミーである。

 生皮を剥いでさらし者にし、激痛に呻きながら1日も2日も生き続ける姿を指差して笑いこけ、最後は海に投げ込むというような恐るべき行為を、人間という生き物は歴史の中で何度も繰り返してきたのである。

 これ以上は猟奇的すぎて書く気になれないが、マニ教を始めたマニとか、ローマ皇帝ヴァレリアヌスも、皮剝の犠牲者。ペルシャのシャプール1世に捕らえられた、3世紀のローマ皇帝である。中国では明の時代になってもなお、「倭冦の首領を皮剝にした」等、この刑の記録がいろいろ残っている。
フォロローマノ
(パラティーノの丘から、フォロ・ロマーノをマクロで把握する)

 こうして諸君、システィーナ礼拝堂で怒れるジーザスの世界に圧倒され、バルトロマイの怒りに涙を誘われつつ、クマ助は様々な思いをかかえながらヴァチカンを後にしたのだった。

 そのあとは、パラティーノの丘を散策。セプティミウス・セヴェルス帝による赤い煉瓦の遺跡に囲まれつつ、ローマ独特の松の樹々の姿を楽しんだ。レスピーギ「ローマの松」はクマ助の大好きな交響詩だが、確かにクラシックの名品に相応しい華麗な松が、どこまでもリズミカルに並んでいる。

 パラティーノの丘の麓が「フォロ・ロマーノ」。諸君、いきなりフォロ・ロマーノに入るんじゃなくて、必ず先にパラティーノの丘からフォロ・ロマーノ全体の光景を眺めることにしたまえ。

 まず全体をマクロに把握して、それからミクロの世界に踏み込んでいくこと。マクロを把握せずにミクロに踏み込めば、ミクロの1つ1つもよく理解できないはずであること。「代ゼミ四天王」の1人として、10年前に声を嗄らして語り続けていた話である。

 残念なことだが、アントキの代ゼミではこの議論はあまりよく理解してもらえなかった。「マクロとかミクロとか、そんなメンドイこと考えてるヒマはありません」というのだったが、少なくとも旅においては諸君、常にマクロの把握に努めるようにしたまえ。

1E(Cd) Ornette Coleman:NEW YORK IS NOW!
2E(Cd) Miles Davis:THE COMPLETE BIRTH OF THE COOL
3E(Cd) Art Blakey:MOANIN’
4E(Cd) Human Soul:LOVE BELLS
5E(Cd) Patricia Barber:NIGHTCLUB
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