2015年04月03日(金)

Sun 150310 ポルティコの街 ボローニャ大学 17世紀の解剖学教室で(イタリア冬紀行7)

テーマ:ブログ
 12月20日、フレッチャ・アルジェントでボローニャに到着した時には、街はすでに夕暮れであった。前回ここを訪れたのは2007年5月であったが、さすがにクリスマス直前と5月では街の雰囲気もガラリと違う。

 というか、やっぱりボローニャもこの7年で大きく変わったのである。何よりもまず駅がググッと現代的になった。高速鉄道が頻繁に行き来するようになり、地下に広大な新幹線ホームが出来て、ホンの10年前までのイタリアの混沌は、とりあえず表面的には姿を消している。

 駅を出ると、ボローニャ名物「ポルティコ」がどこまでも続く。豪雪の新潟県には、昔ならどの町にも「雁木」があったが、ボローニャのポルティコは雁木をはるかに頑丈な石造りにして、もっと大規模に街中に張りめぐらせたものである。

 21世紀の青年諸君は「雁木って、なあに?」と首を傾げるかもしれない。そもそも「雁木」と書いて「ガンギ」と読むことさえご存知ない可能性すら考えなければならない。
ポルティコ1
(ポルティコの街 1)

 諸君、温暖化が深刻化して北陸でさえあまり雪が降らなくなってしまう前には、新潟の積雪はしょっちゅう3メートルとか4メートルを超えて、「ヒトビトは2階から出入りしています」というニュースも珍しくなかった。

 そこで、そういうドカ雪があっても困らないように、豪雪地帯のヒトビトは「ガンギ」というものを工夫した。人間の通路を木製の屋根つきアーチで確保して、クルマの道路は雪にすっかりおおわれても、人間はガンギの中を澄ました顔で歩き回っていたのである。

 しかし20世紀終盤から積雪が減ってしまい、そんな心配も工夫も必要なくなった。降ったそばからお湯で雪を融かしてしまう「消雪道路」が一般化したこともあって、懐かしい雁木ストリートも、今や新潟県高田市に部分的に残るぐらいである。

 それに対してボローニャでは、何しろ
① 街全体ほぼ全ての通りをポルティコで覆ってしまった
② ポルティコは極めて頑丈な石造りで、「撤去」など考えられない
というわけで、どこまで行ってもポルティコ&ポルティコ。ポルティコのない通りなんか、ボローニャで見つけることは困難である。

 雨が降っても、ボローニャなら傘なんかいらない。秋田の民謡「秋田音頭」に「秋田の国では雨が降っても唐傘などいらぬ」という一節があるが、その場合は「秋田蕗」という巨大なフキの存在を、フザけて歌にしただけである。フキを傘代わりに「手頃なフキの葉、サラリと差しかけサッサと出ていく」のである。
ポルティコ2
(ポルティコの街 2)

 ボローニャの場合は、そんなのとは全く違う。とにかく道路の右も左もどこまでもポルティコなので、街路で雨に濡れること自体が困難なのだ。「目抜き通りだけだろ?」と思うところだが、諸君、ボローニャの人はそんな中途半端なことはしない。

 目抜き通りから1回折れ、2回折れ、3回折れて、すっかり場末の小径に入っても、まだポルティコは続いている。「絶対に市民を雨なんかに濡らしてなるものか」という意地か根性か執念のようなものを感じる。

 街の中心から徒歩で1時間、「サン・ルーカ大聖堂」のある山の上まで、延々とポルティコが続くのには恐れ入る。石のアーチは、淡いピンク。どこまでもどこまでも、歩く人間が汗まみれになって坂道を登っていっても、ポルティコ君のほうは一向に疲れる様子もなく、山のテッペンまでくっついてくる。

 7年前のクマ助はまだ意地っ張りだったから、「いつかはポルティコが途切れるだろう」とニヤニヤしながら、とうとうサン・ルーカのテッペンまで歩き通した。ついにポルティコが途切れたのは、大聖堂前の広大な芝生の上であった。
大聖堂
(改修工事の完了したドゥオモ)

「道にはポルティコをつけるもの」
「ポルティコがなければ『道』とは呼べない」
「ポルティコのない道、雨が降ると通行人が濡れる道、それは要するに『未完成]ということである」
そういう執念が満ちているのが、ボローニャという街である。

 クリスマス直前の雑踏でごったがえす状況では、さすがにポルティコは鬱陶しい。「もう少し開放的にできなかったのかね?」と思うぐらいの徹底ぶりであるが、さすがボローニャ、こういう日にはクルマの進入を禁止して、車道を人間の占領に任せていた。

 駅から一気に1kmほど目抜き通りを南下すると、旧市街の中心「マッジョーレ広場」に出る。「ドゥオモ」ことサンペトロニオ大聖堂、市庁舎であるコムナーレ宮、ポデスタ館などに囲まれた広場は、すっかりクリスマスムードであった。

 7年前には工事中だったドゥオモも、今や工事完了。7年前、「カバンなら入場OKだが、リュックはダメ」というワケの分からない理屈で入場を拒まれたドゥオモに、7年の年月を経てついに入場の夢を果たした。
アルキジンナージオ
(アルキジンナージオ)

 その先に「アルキジンナージオ宮」がある。Mac君の変換は「ある鬼神ナージオ」。なかなかオシャレな名前の鬼神であって、鬼神ナージオの大活躍で閉じ込められたお姫さまを救い出す物語ぐらい、1つや2つすぐに書けそうな勢いだ。

 アルキジンナージオは、1803年までのボローニャ大学本部である。世界史選択者なら誰でも知っているはずだが、ボローニャ大学は11世紀の創立。ヨーロッパ最古の大学である。

 しかもボローニャは何しろ中世からの「自由都市」。教会が強硬に反対しようと、ちっとも躊躇せずに解剖学の研究が進められ、おそらくヨーロッパ世界初の人体解剖も行われた。

 17世紀建築の解剖学大教室が、アルキジンナージオの中に残されている。正式名称「Tetro Anatomico」。中央に白い解剖台。天井も壁も床も美しい木材で装飾され、3方が階段教室。ヨーロッパ中から集まった俊才たちが、息をのんで授業に熱中した様子がしのばれる。何と、ここは「テアトロ」なのだ。
解剖学教室
(ボローニャ大学、17世紀の解剖学教室)

 残る1面が、教壇である。今井君はその教壇に立って、かつて学生諸君がズラリと優秀そうな顔を並べたはずの階段教室を眺めてみた。するとマコトに不思議なもので、今井君は猛然と授業を始めたくなった。

 もちろん解剖学なんかイロハも知らない愚かなクマに過ぎないが、数百年むかしの教授たちの迫力が、何かのハズミで乗り移るということだってありうるじゃないか。

 いま口を開けば、何も知らないクマ助の口から、滔々と医学の知識が流れ出すんじゃないか。90分かそこらの授業なら、自分にも十分に出来てしまうんじゃないか。そんなフシギな自信が湧き上がってきたのだった。

 ただし思わず口を開きそうになったその瞬間、向こう側の入口から観光客3人が入ってきた。パパとママと高校生ぐらいの女子、そういう家族連れであるが、要するにクマ君はこの3人のおかげで、「すんでのところで救われた」という格好なのであった。

1E(Cd) Lee Ritenour:WES BOUND
2E(Cd) Marc Antoine:MADRID
3E(Cd) Billy Wooten:THE WOODEN GLASS Recorded live
4E(Cd) Michael Davis:MIDNIGHT CROSSING
5E(Cd) Santana:EVOLUTION
total m50 y368 d15692
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