2015年03月31日(火)

Thu 150307 庭園の開放感 眺めのいいホテル 小型ダレスの逡巡(イタリア冬紀行4)

テーマ:ブログ
 12月19日、フィレンツェのクマ助は、ピッティ宮・パラティーノ美術館でゆっくり昼を過ごし、午後遅くからは宮殿の背後に広がる広大なボーボリ庭園を散策した。

 美術館の狭い閉鎖空間で、あまりに密度の高い絵画軍団に「これでもか」「これでもか」と責めたてられ、すっかり参ってしまっていたから、庭園の開放的な雰囲気は、冬のヨーロッパ独特の重い曇天を見上げながらではあっても、マコトに嬉しいものであった。

 ガイドブックによれば、ここは「イタリア式庭園の典型」であって、緩く傾斜した階段状の庭園を登っていくと、やがて噴水があり、噴水の足許には大きな池が広がり、さまざまな水鳥が楽しげに群れている。

 こういう庭園に佇んでいると、ふと大徳寺大仙院とか龍安寺とか、日本人ご自慢の小さなお庭のことを思い出す。家永三郎教授によれば「猫の額のような場所」に、山や河を配し、宇宙や永遠をすら象徴しようと試みた庭園である。
庭園
(ピッティ宮、ボーボリ庭園からトスカーナの丘陵を望む)

 本物のネコのヒタイを来る日も来る日も撫で回して暮らしている今井君なんかは、わざわざ京都まで出かけてネコのヒタイに感激する高尚さは持ち合わせていないようである。

 ケモノ並みの下世話な生物としては、やっぱり庭園は広大で開放的で、水鳥が楽しげに遊び、気持ちよく風が吹きわたっているのがいい。特に美術館の閉鎖空間で「これでもか?」を経験した直後は、その傾向が強まるようである。

 さらに上を目指すと、銀器博物館と陶磁器博物館が並ぶ。これまた「これでもか?」タイプ。たいへん狭苦しい小部屋にと、細々とした陶器類などを並べ立てたもので、思わず閉所恐怖症に陥りそうになる。

 そんな所に長く留まるより、庭園の一番上の見晴し台に立ち、なだらかにどこまでもうねっているトスカーナの冬の風景をボンヤリ眺めている方がいい。クリスマス間近、ドイツから東欧にかけては、すっかり雪におおわれている季節だが、さすがトスカーナの丘陵は森林も田園も深い緑におおわれている。
フィレンツェ
(ボーボリ庭園からサンタマリア・デル・フィオーレ聖堂を望む)

 前回のフィレンツェ訪問は2007年であるから、何と7年ぶりということになる。7年とはホントに長い年月であって、幼稚園児は中学生になり、中3生は大学を卒業して、新入社員としてスーツを着込んでいたりする。肩で風を切る勢いだった某予備校は、7年が経過してすっかりうちひしがれている。

 だから7年ぶりの再訪なら、懐かしい様々な場所に「お久しぶり」の挨拶に行かなければならない。中でも「ホテル・ルンガルノ」は、2005年早春の40日の旅で3泊した、マコトに懐かしいホテルである。

 フィレンツェが舞台の映画「眺めのいい部屋」は、世評では文句のつけようのない「名作」ということになっている。今井君にはその良さがよくわからないが、フィレンツェほど「眺めのいい部屋」と「眺めの悪い部屋」が厳然と分かれてしまう街は少ないんじゃないだろうか。

 アルノ河左岸の「ホテル・ルンガルノ」はまさにその典型であって、もしも河に面した部屋をとれれば、窓を開ければ目の前にアルノ河が流れ、ポンテ・ヴェッキオも手に取れるほど近い。

 河向こうにはウフィツィ美術館、その向こうにヴェッキオ宮、さらにサンタマリア・デル・フィオーレ教会。要するにフィレンツェの絵はがきセットを一組、目の前に広げてもらったような光景が広がる。
ルンガルノ
(ホテル・ルンガルノは健在であった)

 一方、廊下を隔てて反対側の部屋になってしまったら、諸君、窓を開けてもそこに広がるのは、お隣の建物の黒ずんだ石壁と、数件の飲食店の調理場から立ちのぼるマゼコゼのニオイぐらいのものである。

 すっかり海千山千のオジサマになった2014年のクマ助なら、「お部屋を代えてくれませんか」とオズオズ申し出ることもできる。しかし2005年、眺めのよくない側を割りふられてしまった今井君は、「反対側の部屋なら、さぞかし楽しいんだろうな」とションボリするばかりだった。

 そういう10年前を思い出しつつ、懐かしのホテル・ルンガルノを見に行った。そんなに規模の大きいホテルではなかったから、「もうなくなっちゃったんじゃないかな」と危惧していたが、おお、あった&あった。それもエントランスを少し改修して、まだまだ元気にやっていた。
ポンテベッキオ
(眺めのいい側なら、ポンテ・ヴェッキオが目の前だ)

 すっかり安心したところで、夕暮れのフィレンツェを散策に出た。何しろ12月19日、冬至間近のヨーロッパであるから、日の暮れるのは言語道断に早い。午後4時を過ぎれば、もうすっかり夜の雰囲気である。

 フィレンツェは革製品の街でもあって、フェラガモの本店もここにある。別にそんなヤンゴトナキ店でなくても、ごく普通の鞄屋さんに「お、こりゃいいな」という鞄がズラリと並んでいたりする。

 今ではダレスバッグの大ファンだが、大学1年から2年の今井君は、何故か鞄を買うのがメンドーで、何と風呂敷包みを片手に大学構内を駆け回っていた。その後しばらくして「風呂敷ブーム」があったような気がするが、その先駆けとなったのは、何を隠そうこのクマ助なのである。

 その後しばらくは「紙袋派」。鞄などという大袈裟なものをブラ下げて歩くのは何だか気恥ずかしくて、A4版の書類の入る100円の紙袋を小脇にかかえて闊歩する時代が続いた。

 河合塾と駿台を掛け持ちし、やがて駿台で特設単科をたくさん任されて、「オレもすっかり人気講師になった」と鼻高々になっていた時代、今井君が愛用していたのがゼロ・ハリバートンの金属製アタッシュケース。デカい弁当箱みたいなのを片手に、意気揚々と毎日お茶の水に通った。

 しかし諸君、その中身はきわめて貧弱だった。当時の駿台テキストは、小さなA5版、せいぜいで50ページの薄っぺらいものばかり。しかも1日6コマが全て同じテキストだったりしたから、使用するページをコピーしてポケットに突っ込めば、手ぶらで校舎に向かっても何の支障もなかった。
ミニダレス
(貯金箱かクスリ箱にピッタリの小型ダレスバッグたち)

 21世紀に入る直前の1999年4月、渋谷のゼニア・ショップで発見したのが、今のダレスバッグ。例の「予想の5倍重たい鞄」である。すでにお付き合いは17年に及び、今や海外旅行にもオトモさせている愛用の鞄であって、今やダレスバッグ以外とのお付き合いは考えられないほどになった。

 そういうクマ助にとって、フィレンツェの街をブラつきながら発見した小型ダレスバッグはマコトに魅力的。滞在中、「買うか」「買わないか」、逡巡に逡巡を重ねることになった。

 まあ、今見てもこれは明らかに女性用であって、デカい中年のクマがこんなのを持って街中を歩き回るわけにはいかない。しかし鞄には、インテリアとしての用途だってあって、例えばオウチの中に散乱しがちなクスリの類いをこの中に入れてまとめておけば、なかなかオシャレなクスリ箱になりそうだ。

 「貯金箱」という使い道もある。最近なかなか出番のない小銭を貯めておくとか、外国旅行のたびに使い残したコインや小額紙幣をこの中に入れて保存するなんてのもいい。時々取り出しては、紙幣のカホリを吸い込み、その国の空気を思い出す。そういう使い道もあるはずだ。

 結論を言えば、クマ助は結局この小型ダレスを買わなかった。値段との折り合いがつかなかったのである。フェラガモのお膝元で革製品を買うには、おサイフに大きな負担がかかる。というか、クスリ箱や貯金箱に5万円も払うんじゃ、バブル期の成金みたいでイヤじゃないか。

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & Berlin:SCRIABIN SYMPHONIES 3/3
2E(Cd) SECRET OF ISTANBUL
3E(Cd) 1453
4E(Cd) Bobby Coldwell:AUGUST MOON
5E(Cd) Bobby Coldwell:CARRY ON
total m35 y353 d15677
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