2014年12月29日(月)

Fri 141205 春予定追加 エクスでセザンヌ巡り ゾラとカリソン(夏マルセイユ滞在記6)

テーマ:ブログ
 2015年を間近に控え、1月から3月のスケジュールに若干の追加があった。スケジュールを昨日のブログで公表したばかりであるが、沖縄・関東・東海・福岡で合計6件の追加があったから、昨日の記事上で訂正しておいた。まあ見てみてくれたまえ。

 2月から3月のこの時期は、昔ながらの予備校なら「合格しました」「進路が決まりました」と報告に来る生徒諸君が引きも切らず、講師室はマコトに華やかな雰囲気に包まれた。

 しかし諸君、東進スタイルの予備校となると話は全く違う。講師が今どこで何をしているか、生徒諸君には全く分からない。合格して歓喜に浸りながら講師に感謝を伝えたいヒトも、失敗にうちひしがれて誰かに相談したい一心のヒトも、いったいどこに行ったらいいのか分からない。

 そういうときにも、春スケジュール一覧表を利用してくれたまえ。これ以上詳しいことは、予備校のHPを見ていただくしかないが、とにかく今井君は画面上でだけ動き回る怪しい幻ではなくて、日本中に頻繁に姿を現す物騒なクマである。探せば、必ずどこかにいる。その第1ヒントがスケジュール表なのである。
生家
(エクスアンプロヴァンス、セザンヌの生家)

 さて9月1日、エクスアンプロヴァンスの今井君は、セザンヌ巡りにいそしむことにした。エクスは、何よりもまずセザンヌの町である。セザンヌはこの町で生まれ、パリに出たがどうしてもうまく行かず、やがて故郷エクスに戻って、晩年までエクスのアトリエで絵を描き続けた。

 クマ助はまず「セザンヌの生家」を訪れた。ただし「生家を訪ねる」という行動についてはあまり興味がないので、プラハを訪れて「カフカはここで生まれました」とか、ザルツブルグを散策しながら「モーツァルトが誕生したのはここです」とか、ガイドブックのそういう説明を、普段から若干の嫌悪の目で眺めている。

 「○○が訪れたバー」「△△が常連だったホテル」なんてのも、ガイドブック上には少なくない。そういう情報の特に多いのがヘミングウェイであって、マドリードやイタリア・マッジョーレ湖など、ヨーロッパ中至る所にヘミングウェイ馴染みのレストランやホテルやバーが残っている。

 そりゃ彼ぐらい日々旅にして旅を住処とした作家なら、馴染みのホテルも飲み屋もあっただろうし、すると当然そこで馴染みになった男や女やネコやイヌも多く存在しただろう。しかしハッキリ言えばそれは余計なお世話であって、ガイドブックなんかに掲載されて遥か後世まで伝えられたりしたら、作家も画家もうっかりお酒さえ飲めないじゃないか。
アトリエ
(セザンヌのアトリエ)

 「余計なお世話」の最たるものが「ここで生まれました」である。世界中の観光客が押し寄せ、その生家を眺めて
「おお、意外に小さい家じゃん」
「地味なオウチですな」
「何だ、ごく普通のアパートじゃないか」
などと語り合ったり、紀行文を描いたり、ブログやツイッターで写真が無限に拡散したりする。

 しかし諸君、どんな家で生まれようが、作家や画家本人の責任に帰するところは要するにゼロなのであって、まさか作家や画家がその親のあり方にまで責任を持たなきゃいけないなどということは、ありえないはずだ。

 というわけで、今井君がセザンヌの生家を訪ねたのは、いちおう礼儀の上の行動に過ぎない。「ふーん、ここか♨」という程度であって、セザンヌへの気持ちは生家を見ても全く変わらない。
ヴィクトワール
(セザンヌといえば、やはり「サントヴィクトワール山」である)

 セザンヌは、ゾラと親友だった。「居酒屋」「ナナ」「ジェルミナール」の作家である。クマ助が一番好きなのは19世紀の炭坑町の激動を描いた「ジェルミナール」であるが、ゾラと親友だったセザンヌもまた大好きである。

 中学校でイジメに遭っていたゾラを、勇気を出して救ったのがセザンヌ。親交はそこから始まって、その後40年の長い付き合いになる。エクスアンプロヴァンス大学の法学部に入学して、法律の勉強に馴染めずにションボリしていたセザンヌを励ましたのもゾラ。「パリへ来たまえ。絵の道に進みたまえ」と手紙で強く進め続けた。その手紙の一節に、諸君、10歳代後半の若きクマ助も胸を熱くしたものだ。

「勇気を持ちたまえ。オマエの理想はどうした? もしボクがオマエの立場にいたら、裁判所とアトリエの間をウロウロ右往左往したりはしないぞ。弁護士になるのも結構、画家になるのも結構。けれども、絵の具のシミのついた法服にしがみつくような半端なヤツには、決してなってはならないよ」

 うお、こういう友人がいてくれたらよかったのにねえ。こういうセンセがいてくれたら、ホントによかったのにねえ。その後もゾラは、事あるごとにセザンヌを励ましつづける。素晴らしい友人でござるよ。

 やがてセザンヌは勇気を出してパリへ。次々に展覧会に出品するものの、当時の画壇からは冷酷な批判を浴びつづけるばかり。がっくり肩を落とすションボリセザンヌを、旺盛な筆の力で応援しつづけたのも、やっぱりゾラであった。
並木道
(エクス、プラタナス並木)

 やがてセザンヌはパリに失望。ションボリのションちゃんみたいにションボリして、故郷エクサンプロヴァンスに帰る。彼がアトリエにこもって描いたのは、何と言ってもまず故郷の「サントヴィクトワール山」、故郷に近いレスタックの海の風景、あとはたくさんのリンゴやナシがゴロゴロ転がる静物画である。

 セザンヌが愛し理想としたのは、球と円錐と円柱。カンタンに言えば、自然をまあるく把握し、まあるく表現するのである。それ以上難しいことは、セザンヌの絵をたくさん眺め、それでも分からなければ専門家の書いた伝記でも読んでくんなまし。

 そこで諸君、今井君は丘の上にあるセザンヌのアトリエを訪ねてみた。「生家にはほとんど興味がない」と書いたが、アトリエとなれば話は全く別。日々セザンヌが仕事をしたそのままの空間が残っている。2014年9月の爽やかな風が流れ、外では茶色く染まりかけたプラタナスの葉っぱがカサカサ音をたてて揺れていた。

 彼はこのアトリエで、ゾラの手紙に励まされつつ制作に励み、山とリンゴとナシの絵を丸く&まあるく描き続けて、やがて名声も高まった。親交のほうも、モネ・ピサロ・ルノワールと、まさに錚々たるメンバーに広がったが、あくまで制作はエクスのこのアトリエ。うにゃ、素晴らしいオジサマである。
カリソン
(エクスアンプロヴァンスの銘菓、カリソン)

 ところが諸君、47歳だったか48歳だったか、セザンヌの名声もすっかり定着した頃、ゾラとセザンヌはケンカ♨「どうして2人はケンカしちゃったの?」であるが、それもまた余計なお世話。要するにケンカしたので、仲直りするかどうかも2人のオジサマの勝手である。オジサマ同士って、ツマランことで一生のケンカをすることも少なくないのだ。

 その後のゾラは、どうもその行きすぎた自然主義小説の評判がよろしくない。「ドレフュース事件」に深く関わって、作家としての活動からそれていく。セザンヌも、キュビズムのヒトビトに影響を与えながらも、急速に老いていった。今アトリエに立つと、晩年のセザンヌがションボリ肩を落として椅子にかけている姿が見えるようであった。

 帰り道、アトリエからの坂道を降りながら、クマ助もまた何だかションボリした気分。何のハズミか、エクス伝統のお菓子を購入した。その名を「カリソン」という。店の優しいオバサマがニッコリ笑って、1箱20ユーロのカリソンを手渡してくれた。

 アーモンドとメロンのシロップを混ぜて固め、花びらの形に焼き上げたお菓子である。上に薄くお砂糖がのっかっていたが、甘さはグッと抑えてあって、噛みしめるとメロンのいいカホリがする。

 晩年のセザンヌがボサボサの白髪やヒゲをかきわけかきわけ、眼光鋭くキャンバスを睨みつけながら、こんなお菓子をつまんでムシャムシャやっている姿を、諸君、想像してみたまえ。何だかとてつもなく嬉しくなるじゃないか。

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