2014年09月17日(水)

Sun 140824 予定通りタイトル変更 底抜けの正体 抑制と努力(おらんだ先生訪問記35)

テーマ:ブログ
 おや、旅行記のタイトルが何の前触れもなく変わっちゃったぞ。昨日まで「おらんだサトン事件帖」だったのに、突如として「おらんだ先生訪問記」になっている。「こりゃいったいどうしたんじゃ?」である。ところが諸君、これはこの旅行記を書きはじめた当初から決めていた既定路線なのだ。
 途中までは大昔のテレビ時代劇「おらんだ左近事件帖」をもじり、ダジャレのように「おらんだサトン事件帖」にしておく。「サトン」とは、今井君の外見がいかにもサトイモ風であることを自虐的に示唆したものである。いやはや、マルセイユの2週間で、サトイモはこんがり健康に日焼けしてしまい、ほとんど「焦がしサトイモ、出来あがり」というアリサマだ。
 で、「おらんだサトン」の中で何度も繰り返して「オランダは江戸時代以来ずっと日本の先生だった」と指摘する。その指摘が十分に浸透した頃を見計らって、いきなり「おらんだ先生訪問記」に切り替え、読者の興味を一気に引きつける。そういう作戦である。
 シーボルト先生やオランダ医学に限ったことではない。自転車のこと、チーズのこと、狭い国土を目いっぱい活用した生き方のこと、「国際法の父」とたくさんの国際機関のこと。現代に至るまで、オランダはやっぱり日本の先生のままである。
キンデルダイク
(キンデルダイクに向かう)

 ヒトビトの笑顔もいい。冬の厳しい北方の国民だから、南ヨーロッパ人の枕詞みたいな「底抜けに明るい」という形容はさすがに無理だが、抑制のきいたハニカミがちの笑顔は、今井君のテイストにピッタリだ。
 そもそも「底抜けに明るい南欧の人たち」と言う時、「ホントに底抜けに明るいの?」「明るさの底が抜けるって、どういうこと?」という疑問を感じざるを得ない。
 「底抜け」とは、単なる無責任であったり、マナーをキチンとわきまえないだけのことだったりするんじゃないか。順番を守らず、列は常に乱れてダンゴ状になり、激しい怒りに身を委ねるヒトも目立ち、ナアナアでゴマかそうとするヒトも多い。
 南欧を旅していて感ずるのは、むしろ不機嫌なヒトの多さである。手を上げて呼んでもウェイターは来ない。気づいても来ない。今は働きたくないから、来ない。そういうことも稀ではない。
 言葉がうまく通じなかったり、その他何か気に入らないことがあれば、目いっぱい表情を歪めて「チッ」と舌打ちをする。ムカつくからであって、その舌打ちの音で相手を傷つけようが、別にどうでもかまわない。
 何らかの妨害を受ければ、当然のように大袈裟なポーズで肩をすくめる。渋滞にはまれば、遠慮会釈なくクラクションを鳴らす。鳴らすためにあるんだから、躊躇なく鳴らす。「鳴らすためにあるのに、何で鳴らさないでガマンするの?」である。
 電車だろうがバスだろうが、ケータイはそこいら中で鳴り響き、老いも若きも構わずケータイに向かって大声で怒鳴りはじめる。「ケータイは喋るためにある。何で喋っちゃイケナイの?」であって、迷惑そうな顔をすれば「そのほうがオカシイ」と肩をすくめられる。
 どこの国かは特定しないが、実際に南欧に滞在して町歩きを続けると、以上のような経験で衝撃を受けることがある。「底抜けに明るい」とは、もっと正確に言えば「感情の表現にタガをハメない」ということのようである。
今日の猫
(キンデルダイクのネコ助)

 もちろん今井君は、そういう南欧人も好きである。公開授業90分がほぼ全て爆笑の連続で占められることでも分かるように、今井君は南欧型であって、普段の生活でも感情表現にタガがはまっていない。言いたいことは言うし、言い方が激しすぎて呆れられたりする。だから南欧人には親近感があり、まさに「仲間」と言っていいぐらいだ。
 しかし諸君、仲間と先生は違う。仲間を師匠にすることは出来ない。オランダを先生と呼び、今日からタイトルを「おらんだ先生訪問記」と変えるのは、オランダの人々の抑制の利いた優しい笑顔に、学ぶべきことがたくさんあると感じるからである。
 アムステルダム滞在中、クラクションがプープー鳴りひびくのを聞いたことは一度もなかった。人々は穏やかな笑顔で話しあい、外国人には分かりやすい英語で語りかけ、こちらの言うことが分からなくても、肩をすくめたり舌打ちで応えたりしない。
 美術館でもキップ売り場でも、列は乱れない。キューケンホフ、ゴッホ美術館、いろいろな場所で長蛇の列を見たが、決してダンゴの押し合いへし合いにならず、人々は行儀よく&我慢強く順番を待ちつづける。
 ウェイターは常にとんでくるし、その表情はサービス精神に満ちていて、働くことを楽しんでいる。「ステーキ、オカワリください」みたいな非常識な注文をしても、すぐに笑顔で受け入れられる。
風車1
(キンデルダイク風車群 1)

 おそらくオランダ人は美食家ではないが、今そこにある旨い物を黙々と平らげていく。悠然とチーズを運び、笑顔でチューリップやバラを育て、土地が足りなければ干拓で増やし、その軟弱な地盤にめげずに、家々は肩を寄せあって互いに互いを支えあう。
 そして「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」と、豪胆な笑顔でキッパリ言ってのける。干潟、泥炭地、海辺の湿地。恵まれない土地と戦い、やがてこれを農地や牧草地に変え、人口230万の首都まで作ってしまった。
 諸君、こういう国民を先生に選んだ江戸時代の日本人は偉かったと思わないか。鎖国はいいことじゃなかっただろうし、徳川幕府は悪役みたいに描かれることが多いけれども、ヒトを見る目はチャンとしていたと言うか、教師を選ぶ力は抜群だったと言うか、おらんだ先生はホントに素晴らしい先生だったようである。
風車2
(キンデルダイク風車群 2)

 さて、4月25日の記録を期して旅行記のタイトルを変更したのは、
① これからキンデルダイクの風車群を見に行く
② いよいよ「国王の日」前日になった
の2点が主な理由である。
 ①の「キンデルダイク」は、ポルダー(干拓地)を作るための干拓用風車が約20基も立ち並んだ世界遺産である。風の力で水をくみ上げて海に排出し、土地を作っていったわけであるが、ここに立ち並ぶ風車は、いずれも1740年ごろのもの。日本では田沼意次がまもなく頭角を現すころである。
 田沼意次は平賀源内とも親交があって、大の蘭学好き。仙台の人・工藤平助、山形の人・最上徳内、越後の人・本多利明など、その人脈をみても、オランダを「おらんだ先生」と考えていた可能性が強い。蝦夷地の開拓や印旛沼&手賀沼の干拓も、おそらく「おらんだ先生」の影響だし、干拓事業は200年も後になって秋田県八郎潟の干拓に結びついた。
 今井君は秋田県の出身だから、八郎潟の干拓☞大潟村の誕生には、人一倍の思い入れがある。「世界は神が作ったが、大潟村は秋田人が作った」であって、小学校3年の遠足の時の今井君は思わず鳥肌が立った。男鹿半島の付け根、海抜355メートルの寒風山頂上から眺める大潟村の光景は、少なくともコドモにとっては感動的だったのである。
風車3
(キンデルダイク風車群 3)

 ②「国王の日が近づいた」というのも、今日タイトルを変えた大きな理由であるが、諸君、これほど抑制の利いたオトナ=オランダ人も、年に2回か3回は抑制のタガを緩め、ハメを外しまくる。そのうちの1回が4月26日の「国王の日」である。
 そのハメの外し方がどれほど激しいものか、それはまたその時に描写するが、尊敬する先生が一番カッコよく見えるのは、「教師だってハメを外す時があるんだ!!」と叫んで、熱狂の踊りの輪に加わった瞬間なんじゃないだろうか。
「お、先生が踊ってる!!」
「あ、先生が歌ってる!!」
「カッケー♨」
「カッコいんじゃね♡」
というその瞬間が、いよいよ翌日=4月26日に迫っていたのである。

1E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
2E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
3E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.1 & No.4
4E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.2 & No.6
5E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8
total m128 y1423 d14353
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