2014年05月13日(火)

Sat 140419 マントン 語学講座の思ひ出 本編に戻る(ヨーロッパ40日の旅 拡張編7)

テーマ:ブログ
 ニース滞在7日目、これが今回の南フランス滞在最終日になるから、最後に残ったマントンをどうしても訪れておかなければならない。
 もちろんクマ蔵としては「…しなければならない」という強迫観念は大キライ。「…しなきゃ」と切羽詰まってた旅するぐらいなら、「またいつか来ればいい」「今回は『見残し』にするかな」という余裕の旅が好きである。
 しかし諸君、丸1日余っていて、他にすることもない。しかもマントンはすぐそこ、電車で30分だ。物理的にも精神的にもこんなに余裕があるのに、その余裕をあえて押さえつけ、「またいつか」「今回は見残し」と考えるほうにむしろ無理がある。行きたいし、行けるのなら、可能性を無理に排除するのは返って変じゃないか。
 というわけで、クマどんはイヤイヤながらマントンに出かけることにした。お天気は、マコトに微妙。昨日は午後から激しい嵐だった。海から雨がたたきつけ、夜は明け方まで稲光と雷鳴がやまず、真夜中にはホテルの電気系統がおかしくなって非常ベルが鳴り響いた。
 そういう荒天の名残りというか、今日も朝から荒れ模様である。千切れ雲が強風に流されて空を飛び、時おりザアッーと雨が落ちてくる。秋の初めの風は冷たくて、海の波も荒い。「とうとう夏が終わったな」と実感する1日であった。
 しかし今やマントンは、フランスを代表する憧れの避暑地である。ニースとカンヌは有名になりすぎて、熱海とかワイキキみたいにウルトラ庶民的。今のトレンドはアンチーブとマントンであって、モナコからさらに1駅イタリア寄りのイタリアっぽさが、多くのフランス人にウケているようだ。
マントン1
(マントンの海、晩夏 1)

 マントンを知ったのは、浪人生時代のNHKラジオ・フランス語講座である。数学で0点をとって東大に入学させてもらえなかったクマ蔵は、浪人したのがあまりに悔しくて、4月初め、「クソ、浪人時代に第2外国語を3つも4つもマスターしてやる!!」と絶叫したものだった。
 Mac君は「現役時代」を「原液時代」と変換して茶化してくれたが、確かにあの頃の今井君の濃密&特濃ぶりは「原液時代」な感じ。ロクな受験勉強もせず、たった2~3ヶ月の音読だけで果敢に東京大学に挑んだ姿勢は、まさに「原液」なクマであったが、さすがに数学0点では東大に入れてはもらえない。
 そこで若きクマ君は、駿台予備校の入学式の帰り、神田神保町の古本屋街を歩きながら、
「フランス語とスペイン語とドイツ語の基礎を、この1年でマスターしてやる」
「オカネはかけられないから、NHKラジオ講座に頼るしかない」
「1日も欠かさずに、予習と復習もキチンとこなす」
と、マコトにバカげた決意を固めた。
マントン2
(マントン風景)

 諸君、むかしむかし「駿台の入学式」「代ゼミの入学式」などというバカバカしいものが存在して、しかもその入学式の出席率が高かった。代ゼミなんか「運動会」なんてのもあって、「マークシート塗り競走」とか、この世でこれ以上クダランものは考えられない世界で盛り上がったものである。
 駿台の入学式も、「来賓」まで駆けつけてマコトに華やかな雰囲気だった。驚くなかれ、あの日本武道館がほぼ満員。英語の伊藤和夫師、国語の藤田師に数学の野沢師がスーツ姿で挨拶したりして、東京大学入学式に負けず劣らずの春の風物詩になっていた。
 しかし、駿台側がどんなに張り切っても、さすがに「入学」ということになった我々はミジメである。終了後、武道館で仲良くなった新しい友人と神田神保町の古本屋街をブラブラして、結局お小遣いで購入したのはNHKラジオの語学講座テキスト3冊だった。
 当時は1冊120円。スペイン語は清水憲男・上智大学教授。ドイツ語は宮内敬太郎・立教大学教授。フランス語は林田遼右・千葉大学助教授。「なんでそんなにチャンと記憶してるの?」であるが、もちろんあの時のテキストが今も書棚の奥に残っているのだ。
 しかも諸君、そのフランス語・林田遼右講座をほとんど残らず記憶しているんだから今井クマ蔵は恐ろしい。この驚くべき記憶力を、何でもっとチャンと活用しなかったのか。今さらながら自分の人生に大きな後悔が残る。
各駅停車
(コートダジュールを走る各駅停車)

 で、浪人生の今井君が張り切って聞き続けた林田遼右フランス語講座であるが、その舞台がマントン。4月号ではパリで老いた俳優の助手を務めていた主人公シルヴィが、5月号では南仏マントンを訪ねていた。
 4月号の第3週、何度も咳をするシルヴィを見て、優しい老優は「カラダをこわしたんじゃないかね?」と判断、第4週には「マントンに私の別荘がある。鍵をわたすから、自由に使ってきなさい」と言うのである。
 いやはや、ちょっとストーリーに無理があって、若き今井君なんかは老いた名優のイケナイ欲望しか感じないのだったが、5月号でマントンの別荘を訪れたシルヴィを待っていたのは驚くべき…な展開。「6月号☞7月号をお楽しみに♡」という巧みな構成になっていた。
 そういうわけで諸君、今井君とマントンとは、考えてみればマコトに長いつきあいなのである。林田先生のDJ風の柔らかな語り口、「ゲスト」という位置づけのフランス人男女とのソフトな掛け合い、登場人物シルヴィと同名のゲスト・シルヴィのキレイなフランス語(当たり前だ)、クマ蔵の浪人生活はこの講座のおかげでウルウルに潤ったのであった。
マントン3
(マントンの海、晩夏 2)

 この種の外国語講座には両極端があって、
① オーソドックスに文法でゴリゴリ押しまくるタイプ
② 文法なんかそのうちだんだん分かってくるんだから、今はとにかくコトバのリズムに慣れることが大切。「難しいことは言わないで、とにかくマネして喋ってごらん」なタイプ
の2つにハッキリ分かれるようである。
 考えてみると明治維新以来150年、日本の語学教育もその両極端の間をフリコのようにブランブラン揺れ動いてきた。正直なところ、多くの日本人は、①が好き。予備校でも「①タイプの正統派の授業」と宣伝すれば、確実にたくさんの生徒が集まる。
 ところがマスコミの御意見は圧倒的に②タイプ。朝日新聞をはじめとして、「文法なんかやっているから話せないんだ」「もっとリラックスして、楽しくネイティブとコミュニケーションをとろう」みたいなのがお好みだ。
 日本の悲劇は、庶民の好みとマスメディアの意見が常に正反対にあること何じゃないかと思うが、フリコは「あっちにブルン」⇔「こっちにブルン」を繰り返すばかりで、いつまで経っても方向が定まらない。
マントン4
(3月6日、レモン祭り直後のマントンの駅)

 そういう経緯があって、クマ蔵にはマントンはマコトに懐かしい。あのころは、実際にマントンを訪れることになるとは思わなかった。夏の終わりの冷たい風に震えつつ、林田先生の懐かしい声を思い出しながらマントンの海岸を歩いた。
 海岸の写真を見れば、あの日のマントンの寂しい雰囲気がよく分かってくれると思う。この激しい波の中、それでもまだ海に入って暴れている欧米人は存在したが、多くの店は「夏は終わった」というタメイキとともに、そそくさと店じまいを始めていた。
 土産物屋にももう客はいない。カフェでは、外に並べたテーブルはガラガラ。時おり襲ってくる雨を避けて、屋根の下の薄暗い一角にお客が集まっている。冷たい海から上がった青年がシャワーを浴びる姿がいかにも寒々としていた。
 この半年前の3月6日、ジェノバからマルセイユに移動する電車の中から、クマ蔵はマントンの街を眺めた。マントンのレモン祭は、2月下旬から3月5日まで。「ははーん、昨日までマントンはレモン祭の真っ最中だったんだな」と思いつつ、一路マルセイユを目指したものだった。
 こうして諸君、1週間も長々と続いた「拡張編」は、これでコートダジュールの記憶を綴り終わって本編に戻り、春3月のマルセイユに向かう。写真を見てくれたまえ。9月中旬の荒れ果てた南フランスより、春の陽光に包まれた南フランスのほうが、比べ物にならないぐらい魅力的なのである。

1E(Cd) Luther Vandross:I KNOW
2E(Cd) Luther Vandross:ANY LOVE
3E(Cd) Luther Vandross:LUTHER VANDROSS
4E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
5E(Cd) Holliger:BACH/3 OBOENKONZERTE
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