2014年04月29日(火)

Sat 140405 治安情報 サンタンジェロ城 そんな有名なヤツ(ヨーロッパ40日の旅23)

テーマ:ブログ
 路上で焼きグリやダッテルンを売るのは全く構わないけれども、このころのヨーロッパで目立っていたのが、アフリカからやってきた人たち。ヴェネツィアでもそうだったが、ローマでもやっぱり狭い路上に立ち並び、フェイクバッグをズラリと並べて売っていた。
 「売っていた」と言えばウソになる。フェイクのバッグを路上で買う客なんか、誰もいやしないのだ。買うのも違法行為であるから、買う瞬間を目撃されれば逮捕とか拘束とか高額の罰金が待っている。だから彼らは「売っていた」んじゃなくて、「売れない商品を路上に並べていた」に過ぎない。
 3月1日夕刻、どんどん夕暮れの雰囲気が濃くなる中、今井君のローマ散策は続いた。パンテオンからナヴォーナ広場を過ぎて、テヴェレ河の向こうに赤いカステル・サンタンジェロが見えてくると、河にかかったサンタンジェロ橋の上にもズラリとアフリカからの人々が立ち並び、商品を並べて道行く人を見つめている。
夜のローマ
(ローマは夜になって雨が降り出した)

 そうやって黙々と立ったまま1日を過ごしても、稼げるオカネなんか微々たるものだろう。こういう商売には「元締め」などという存在も付き物だから、危ない橋をわたってせっかく稼いだオカネだって、かなりの割合で元締めというか黒幕というか、そういう存在に搾り取られてしまう。
 それでも彼らは黙々と立ち続ける。1日に何度か、警察官も見回りに訪れる。すると諸君、彼らだっていろいろ工夫するから、「ケイサツだ!!」という誰かの叫びに応じて、見事な手際で素早く商品を片付け、どこかに逃走する。
 いったん逃走しても、ケイサツの姿が消えれば、どこからともなくバラバラと戻ってきて商品を並べはじめる。まさにイタチごっこの典型だ。しかしやっぱり、並べても並べても道行く人は誰も振り向いてくれない。マコトに不毛な努力を続けて、今日もこうしてローマの1日が暮れていく。
 もちろん不法な移民は困るが、彼らの中には合法的に認められて入国した人だって多いだろう。好き好んでこんな境遇に落ち込んだわけではないはずだ。何か夢があってイタリアなりフランスなりにやってきて、万やむを得ずこんな商売に入り込んだとしたら、あまりに惨めじゃないか。
サンタンジェロ
(カステル・サンタンジェロ。手前の橋の上に、フェイクバッグを並べた物売りたちがズラリと立ち並んでいた)

 その後、パリでもヴェネツィアでもローマでも、彼らがフェイクバッグを並べて立ち尽くす姿を目撃することは少なくなった。しかし手を変え品を変え、同じような不毛な境遇は続いているようである。
 一時は「ミサンガ売り」が増えた。有名観光地の入口で、カラダの大きなアフリカ系の集団が待ち構えている。5~6人で取り囲み、笑いながら「ミサンガを買え」「ミサンガを買え」と攻めまくる戦術だ。
 「試しに巻いてみろ」「手首に巻いてみるだけならタダだ」と、ミサンガの試着をすすめ、しかしいったん巻いてしまったら態度が一変。「もう結んでしまったから元には戻せない」と言って、高額のオカネを要求する。
 こういう集団が20グループも30グループもタムロしているとなると、観光地にも滅多なことでは近寄れない。黙って立ち尽くして売れないバッグを並べているのに比較すれば、はるかに暴力的で危険だから、おそらく当局も見逃せなかったのだろう、流行はごく短期的なものだった。
 この数年、今井君は「治安」という面ではきわめて評判の悪い街をのし歩いてきた。デモが嵩じて暴動に至ったアテネ。暴動が発生する1年前のイスタンブール。暴動直後のサンパウロ。短時間強盗が頻発するブエノスアイレスにリオデジャネイロ。そういう街で危険な目に遭ったことは一度もないのに、ローマとマドリードは違った。これから旅する諸君、先進国だからといって緊張感を忘れてはならない。
ナボーナ広場
(ナヴォーナ広場にて。この方々はいったい何をやってんの?)

 さて、こうしてローマの夕暮れの散策はカステル・サンタンジェロに到着。日本語に訳せば「聖天使城」である。もともとはハドリアヌス帝の霊廟。ハドリアヌスとは、2年前の映画「テルマエ・ロマエ」で市村正親が演じていた皇帝だ。
 映画では「暴君」ということになっていたが、古代ローマの5賢帝のうちの一人である。20世紀中頃、フランスの小説家マルグリット・ユルスナールが書いた「ハドリアヌスの回想」は間違いなく名作だから、若い諸君はぜひ読んでおくべきだと信じる。今でも白水社から翻訳が出ている(と思う)。
 そのハドリアヌスの霊廟が、15世紀になって要塞に変えられる。バチカン法王庁と通路で結ばれて、要塞かつ「法王の隠れ場所」に化してしまた。1527年5月、世に言う「ローマ劫掠」の時も、法王クレメンス7世はずっとここに姿を隠していた。
噴水
(ナヴォーナ広場にて。みんなでゲロを吐きまくるカタガタ)

 「ローマ劫掠って、なあに?」であるが、イタリア語で「サッコ・ディ・ローマ」、劫掠と書いて「ごうりゃく」と読む。発音を聞いただけでも恐ろしげだ。神聖ローマ皇帝カール5世の皇帝軍がローマに侵攻して、破壊・略奪・殺戮・強姦のかぎりを尽くした大事件である。
 皇帝軍側の指揮官が戦死したこともあって、ローマに侵入した軍は統制を失い、スペイン兵・イタリア兵・ドイツ人傭兵(ランツクネヒト)の乱暴狼藉でローマは壊滅。教会も文化財も跡形もない瓦礫と化し、ルネサンスは終わり、その後のイタリアは長い停滞期に入る。歴史上稀に見る暴徒となった皇帝軍がローマを去ったのは、その翌年である。
 マコトに悲惨な歴史であって、夕暮れのカステル・サンタンジェロを眺めながら、しばし感慨に浸った。ローマ市民が踏みにじられ、落花狼藉のただ中にあった半年、ここに閉じこもった法王は神に何を祈っていたのだろうか。
 ま、難しい話はそのぐらいにして、散策を終わりにしなければならない。サンタンジェロの前で大きく左折し、コンチリアツィオーネ通りを西に向かって、法王クレメンスが要塞に避難したのと逆方向に400mあまり直進すると、目の前が今日の散策の終点。やっとバチカンに到着した。
バチカン
(夕暮れのバチカン・サンピエトロ寺院に到着)

 あとは、晩飯である。何しろ今回の旅は「疑似放浪」であるから、ローマでもメシにはあまりこだわらない。いま来た道をそのまま逆戻りしてバルベリーニに帰り、「蜂の噴水」近くにさっき見つけておいた全面ガラス張りの温室みたいな店で、固い肉でも食べることにした。
 今井君の赤身ステーキ好きが始まったのは、どうもあの頃らしい。それまではアブラだらけでデロデロな和牛ステーキを我慢して食べていた。日本でチヤホヤされるには「アブラが甘い!!」と絶叫されなければならないから、和牛農家はホントに大変だ。
 しかし欧米なら、マコトにしっかりした弾力タップリの赤身肉を豪快にワシワシできる。「噛まないうちに融けちゃったぁ」などというダラしないことには絶対にならない。これを書いているオランダ・アムステルダムでも、夕食は連日300グラムの赤身ステーキだが、その赤身好きのきっかけが、フィレンツェとローマだったような気がする。
 あの時は、向こう側の席に、どうやら今井君を知っているらしい大学生ぐらいの若者がいた。友人2人組でローマに来たらしい。声をかけてくれればいいのに、盛んにこちらを見ながらヒソヒソ話し合っている。話しかけられたほうは今井君を知らないらしくて、
「ばーか、そんな有名なヤツが、こんな店にくるわけないだろ!!」
と一笑に付すのが聞こえた。「そんな有名なヤツ」ですか。言われて嬉しくないこともないが、「こんな店」とはまたヒドい言い方じゃないか。

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