2014年04月12日(土)

Wed 140319 ベルリン→ミュンヘン サンドイッチを巡るあれこれ(ヨーロッパ40日の旅6)

テーマ:ブログ
 2005年2月14日、たった5泊の短いベルリン滞在を終えたサト助は、近い将来のベルリン再訪&「次こそはベルリンで2週間」を誓いながら、当時のベルリン中央駅ツォーロギッシャー・ガルテンを目指した。
 これから丸一日の鉄道の旅を満喫しつつ、サト助が向かうのはバイエルンの都ミュンヘン。1972年、まだ幼かったサト助の記憶に強烈に刻み込まれたのがミュンヘン・オリンピックである。バレーボール男子は日本が金メダル、女子もソ連との死闘の末に銀メダルを獲得。女子体操でオルガ・コルブトがヒロインになったのもミュンヘンだった。
 マラソンではアメリカのフランク・ショーターと宇佐美彰朗のライバル関係が印象的。ミュンヘンのコースは石畳が多く、石畳に慣れていない選手にとってはおそらく異様なほど走りにくい。日本期待の宇佐美は12位に終わった。
 一方のショーターは、名門イェール大学の出身で専門は法律という秀才。「フランク」という名前で分かる通りドイツ系で、生まれはミュンヘンである。ミュンヘンの石畳にはすっかり慣れっこだったらしく、おそらくそれにも助けられて金メダルはショーターのものとなった。
フラウエン
(ネギぼうず2つな感じの、ミュンヘン・フラウエン教会)

 しかも諸君、このショーターという男、なかなかのエピソードの持ち主だ。まだ幼かった今井君もテレビで目撃した事件であるが、オリンピックの翌年の1973年、彼は日本で「毎日マラソン」に参加。トップを走っていた彼が何故かいきなりコースを大きく外れ、傍らの公園に消えていった。
 何と彼は「トイレに行った」のである。大か、小か。おそらく大であることは、「どうしても我慢ができない」のは一般に大であることを経験済みの諸君なら推測がつくだろう。あくまでウワサであるが、彼が沿道で打ちふられていた小旗をいくつか引きちぎって、それで難を逃れたということになっている。
 中継していたアナウンサーのあの時の興奮ぶりは、今も忘れられない。「ショーター、コースを外れました」「何ということでしょう、王者ショーターがいきなりコースを外れました」。ま、誰が見ても「棄権」であって、ルールがうるさくなった21世紀の今なら、いろいろ難癖をつけて棄権と判断するに違いない。
 しかしショーターは、どこからともなくレースに復帰したのである。「あれれ、いつの間にかショーターが戻っている」と、日本中がテレビの前で信じがたい思いで叫んだ。しかもショーターは一気にトップとの差を詰めていく。やがて軽々とトップを抜き去り、優勝したのはフランク・ショーター。最後は独走だった。恐るべきマラソンランナーが、かつてこの地球には存在したのである。
旧市庁舎
(ミュンヘン市庁舎)

 その後、コマネチの活躍でオルガ・コルブトの名前は記憶のカナタに消えていった。宇佐美とショーターのライバル関係は、やがて瀬古利彦とサラザールの関係にかわり、そこにタンザニアのイカンガーとシャカンガー、宗兄弟も参入した。ミュンヘンの記憶は遠くなり、ミュンヘンの石畳の上で力尽きた宇佐美の苦しげな表情を記憶しているのは、もはや今井君ぐらいのものである。
 あの頃は、まさかホントに自分でミュンヘンを訪れることになるなんて、夢にも思わなかった。当時のコドモにとってのミュンヘンは、今のコドモたちの火星か金星みたいなイメージ。冷戦の真っただ中、そのうちソ連の戦車に踏みにじられそうで、ミュンヘンのことを考えただけで恐ろしい気持ちがしたものだった。
テアティナー教会
(ミュンヘン、黄色いテアティナー教会)

 ベルリン・ツォーロギッシャーガルテンの駅で、またまた今井君は1等車を探して全力疾走した。Mac君は今日も暢気に「ツォーロギッシャーが流転」などという変換をしてみせて爆笑しているが、列車に乗るたびにホームで爆走を繰り返している今井君の苦労を、ぜひ諸君にも分かっていただきたい。
 今井君が乗り込んだのは、ドイツが誇る新幹線ICE。ベルリン発10時18分、ミュンヘン到着17時11分。新幹線なのに7時間もかかる。日本なら東京—大阪にあたる2大都市間の旅であるが、ま、やむを得ないものはやむを得ない。
 実際には、「新幹線」とは名ばかりなのだ。新幹線らしいスピードで快走するのはホンの短区間だけで、あとは在来線と何ら変わらない徐行を繰り返す。いかにもドイツらしいエコ意識なのか、それともホントに名ばかり新幹線なのか、平凡な7時間の鉄道移動に、サト助はすっかり時間を持て余した。
 あの7時間、いったいサトちゃんが何をしていたのか、余り記憶がない。確か最初の1時間ぐらいは、駅で購入したサンドイッチをかじっていた。ドイツのサンドイッチは、1つでも購入してしまうと、これを平らげるのにホントに1時間はかかると覚悟したほうがいい。
ライオン
(ミュンヘン、「将軍塚」のライオンさんたち)

 サンドイッチと言ったって、日本のコンビニで買えるような旨いヤツを想像してはならない。まずパンは、フランスパン風。頭からシッポまで、一切の妥協なくガチンガチンに固まっている。それが冷えたまま、若干の湿気を含んで「モゴモゴする固さ」というさらに厄介な状況。焼いたばかりのパリパリ感なんか、「期待するほうがオカシイ」という顔をされる。
 もちろん「ハイスマッヘン、ビッテ」とニッコリすれば、10数秒ほどレンジの中で温めてくれる店はあるが、そういう店を見つけるほうが難しい。ホンの5日前にドイツに到着したばかりの無経験なサトイモなんかに、とても出来る芸当ではない。
 サンドイッチの具はといえば、何の変哲もないチーズとハムである。ミュンヘン・オリンピックのころの日本で一般的だったプレスハムとプロセスチーズが、まだドイツではキチンと生き残っていて、こうして駅売店のサンドイッチにはさまって自分の舞台を確保しているわけだ。
 他に、「酢漬けのニシンとザク切りのタマネギ」という恐るべきサンドイッチも人気のようだ。タマネギのザク切り具合も凄いが、何と言ってもニシンの酢漬けの酢のニオイが物凄い。店の中まで飛び上がるほど酸っぱいニオイが充満していたりする。
 こんなのを列車に持ち込んでワシワシ&モンゴモゴモゴやった日には、列車どころか鉄道沿線の町や村まで酸っぱくなりそうだ。まして諸君、このサンドイッチに「ハイスマッヘン!!」を要求なんかしてみたまえ。臆病な今井君としては、その結果としての酸っぱさを想像するのさえ躊躇する。
雪景色
(ミュンヘンの滞在先「プラッツル」からの冬の風景。冷蔵庫のビアが生温いので、この寒そうなお外に出して冷やすことにした)

 その後の列車の旅は、車窓を通り過ぎていく小さな町をボンヤリ眺めて過ごした。すでに写真を掲載したルターシュタット・ヴィッテンベルグとか、名門エルランゲン大学で有名なエルランゲンの町もこの沿線だった。
 19世紀末、フェリックス・クラインが20歳代前半で書いた「エルランゲン・プログラム」は有名。今井君は高校生の頃、数学の平田潔先生に話を聞いたのだが、「幾何学とはどのようなもので、どう研究すべきか」を記した画期的な書物であったらしい。
 いやはや、すでに数学が苦手になりはじめた頃であったけれども、20歳代前半でエルランゲン大教授に就任したというクラインに、秘かにライバル心を燃やした。おお、マコトに愚かな今井君でござったよ。
 ミュンヘンに到着したのは、もう午後5時を過ぎていた。2月のミュンヘンで5時はもうすっかり夕暮れであるから、あの日のサト助はミュンヘン中央駅から滞在先のホテル「プラッツル」まで、迷わずにタクシーを利用した。
 後になって地図を眺めてみると、駅からカールス門まで徒歩5分、カールス門から市庁舎の裏のプラッツルまでは徒歩7~8分。歩いてもすぐそばのホテルであるが、カールス門から先の旧市街は歩行者専用、クルマは進入できない。サト助を乗せたタクシーは、街をグルリと大きく迂回して、10分もかけてプラッツルに到着したのであった。

1E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR②
2E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR①
3E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR②
4E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR①
5E(Cd) Schreier:BACH/MASS IN B MINOR②
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