2014年04月07日(月)

Fri 140314 コペンハーゲン→ベルリン到着 定番観光 ツォー駅(ヨーロッパ40日の旅2)

テーマ:ブログ
 2005年2月9日、成田をほぼ正午に飛び立ったヒコーキは、12時間かけてコパンハーゲンに到着。「ベルリンに行くのに、何でコペンハーゲン?」であるが、スカンジナビア航空を利用したのだから、まあ当たり前の経由地である。
 スカンジナビア航空は、ノルウェー・スウェーデン・デンマークの3国が共同で運行する。東京からベルリンへの直行便はないから、コペンハーゲンで乗り換えはやむを得ない。おかげで「クローネ貨幣」というものも手に入れた。
 コペンハーゲンからベルリンへは、ビックリするほど小型のヒコーキに乗り換えるが、これもまあ諸君、21世紀におけるこの2都市の関係がおそらくそんなに濃密でない証拠。ハムレットの時代なら、デンマークはヨーロッパ有数の強国だっただろうが、今はもう「デンマーク」と検索しても「アンデルセンの童話」がトップに躍り出てくるぐらいである。
 このヒコーキの中で、「明らかに日本からの留学生」という女子学生を見かけた。大切そうにバイオリンのケースをかかえているところをみると、音楽関係の留学生らしいのだが、今にも泣きだしそうなほど緊張を漲らせている。
 おお、何だか可哀そうであるが、今はクマ蔵どんにも心の余裕はない。何しろ「これから40日」のプレッシャーに震えているところだ。もちろん彼女は「これから3年」とか「成功するまで帰らない」とか、遥かに長いスパンの緊張に押しつぶされそうなんだろうけれども、こんなところで今井君なんかが「頑張ってください」「負けないでください」みたいな無責任な声援を送ったって、どうなるものでもないだろう。
ベルリン大聖堂
(ベルリン大聖堂)

 コペンハーゲンから1時間ほどのフライトで、ベルリン・テーゲル空港に到着。21時半。空港のお外は吹雪模様だったが、何とかタクシー争奪戦にも勝利して、22時半過ぎには滞在先のホテルにたどり着いた。ベルリンは5泊の予定。ホテルは地下鉄アウグスブルガーシュトラーセ駅のそば、BRANDENBURGER HOFである。
 この旅行では、「ホテルは贅沢しない」と決めていた。最高でも4つ星クラス。出来れば標準の3つ星クラスを選択。さすがに学部生とかじゃないんだから、ユースホステルや2つ星は避けたけれども、5つ星以上の豪華ホテルは全て選択肢から外してあった。
 ただ、このBRANDENBURGER HOFだけは5つ星になってしまった。予約した時には4つ星だったのに、到着してみたら「星5つ」の表示。実際にお部屋に入ってみると、家具&調度なんかも予定外に豪華で、「貧乏旅行を楽しもう」と決意してきたクマ蔵は、まさに出ばなをくじかれた。
ポーデ美術館
(ベルリン博物館島、ボーデ美術館)

 その夜は疲れ果てていたせいで、マコトに素直に「バタンキュー」を演じ、いよいよ活動を始めたのは翌2月10日である。昨日の吹雪は止んで小雪がチラつく程度。当時のクマ蔵はチャンと朝食も食べていたので、ホテルのビュッフェで「もうポンポンが破裂寸前です」というところまで食べまくり、それからベルリンの街に出ることにした。
 まだベルリンの壁の崩壊から15年しか経過していない頃の話である。ホテルを出てすぐのところに、第2次世界大戦の空襲で崩壊した「カイザーヴィルヘルム記念教会」の生々しい廃墟が残されている。
 その近くの案内所で、5日間有効・電車&バス&地下鉄乗り放題の「ベルリン・ウェルカムカード」を手に入れることから散策ガ始まった。いやはや、案内所の職員のやる気のなさに、まず度肝を抜かれた。デスクに両足をのっけて同僚どうし雑談に夢中。日本からはるばるやってきたクマなんかに、ちっとも興味を示さない。
カイザーウィルヘルム
(カイザー・ヴィルヘルム記念教会。空襲による破壊の痕が生々しい)

 ここからの行動は、ベルリン初日の観光客なら誰でも同じようなものである。特筆すべきものはほとんどない。
① まず、地下鉄でブランデンブルグ門へ
② そこからはウンターデンリンデンをひたすら西に
③ フンボルト大学→国立オペラ座→ベルリン大聖堂
④ 博物館島で、ペルガモン博物館やボーデ美術館
という流れである。
 いちばん面白かったのは、フンボルト大学である。このベルリンの名門大学に、誰も静止するヒトがいないことをいいことに、ずんずんずんずんどこまでも入っていった。いやはや、大学ってのは、世界中どこに行っても懐かしく素晴らしい雰囲気が漂っているものである。
 ついでに国立オペラ座のチケットセンターで、明日のバレエのチケットを手に入れた。演目は「ジゼル」。今なら東京にいるうちにチケットの準備も全て整えてから旅立つが、やっぱり10年前のクマ蔵の旅はたいへん初々しかったのである。
 ベルリン大聖堂は隅から隅まで歩き回ったけれども、クマ蔵は「ベルリン博物館島」の有名な博物館には1つも入らなかった。だって、せっかくはるばるベルリンまでやってきたなら、美術館や博物館で展示をチマチマ見てるより、たっぷり町歩きをしたいじゃないか。
 その考えはその後10年変わることなくガンコに続いているので、マドリードではプラド、パリではオルセー、ニューヨークでメトロポリタン、そういう観光♡超マストが、クマ蔵の旅では常に最後の最後、ラストのラストに回されてしまう。この時のベルリンが、そういう奇妙な行動の初まりなのかもしれない。
歴史博物館
(ベルリン歴史博物館)

 こうしてベルリンの街を1日中歩き回って16時、さすがのクマ蔵もヘトヘトである。ホテルにいったん戻る前に、ツォーロギッシャー・ガルテン駅に立ち寄って、今日から1ヶ月有効のユーレイルパスをヴァリデーションしてもらった。うーん、このあたりもいろいろ説明しなければならないことがある。
 まず、ツォーロギッシャー・ガルテン駅。米ソ冷戦時代、西ベルリン側の中央駅がこのツォーロギッシャー・ガルテン、東ベルリン側の中央駅はオスト駅。西ベルリンと東ベルリンの間の行き来は皆無、もしも東から西に逃亡しようとすれば即・機関銃の餌食だったわけだから、この2つの中央駅には一切つながりがなかった。
 ツォーロギッシャー・ガルテンとは、「動物園」のこと。すぐそばに動物園があるから駅名もツォーロギッシャー・ガルテンなのであるが、核戦争の危機をはらむ冷戦の緊張のさなか、西側の中央駅が「動物園」とは何だか皮肉な感じがする。あんまり駅名が長いので、ベルリンの人は略して「ツォー駅」と呼ぶ。
大聖堂からの眺め
(ベルリン大聖堂からベルリン市内を望む)

 2006年、サッカーワールドカップ・ドイツ大会を境に、ツォーロギッシャー・ガルテンとオストの2つの中央駅は1つに統合された。冷戦の記憶をいつまでも街に残しておくのも奇妙な話だから、それはそれで構わなかったのかもしれない。
 その後のツォーロギッシャー・ガルテン駅は、ドイツ鉄道の中でごく小さな存在に変貌してしまったらしい。確かに「動物園」というんじゃ仕方がないかもしれない。かつての栄光を物語るものは少なく、ユーレイルパスをヴァリデーションしてもらった記憶なんか、今井君本人でさえもう忘れてしまいそうである。
 しかし1ヶ月有効のユーレイルパスは、この後ヨーロッパをグルリと鉄道で一周し、1ヶ月後にとうとう終着駅パリに到着するまで、ホントに目いっぱい使い尽くすことになった。どのぐらい目いっぱいかは、この後の旅行記で確認してくれたまえ。
 さて、初日の夕食はベルリンの名店「マイネッケ」である。この店でどんなドタバタを演じ、しかもどれほどそれを楽しんだか、ぜひ明日の記事を楽しみにしていていただきたい。

1E(Cd) Santana:EVOLUTION
2E(Cd) Sheila E. & The E-Train:HEAVEN
3E(Cd) Tower of Power:TOWER OF TOWER
4E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION②
5E(Cd) Karajan:BACH/MATTHÄUS PASSION③
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