Sat 130504 ボストンのイタリア人街 ポールリビア大活躍(アメリカ東海岸お花見旅35) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 130504 ボストンのイタリア人街 ポールリビア大活躍(アメリカ東海岸お花見旅35)

 実を言えばクマどんは、昨日まで網膜剥離がコワくてコワくてたまらなかったのである。2年半前に手術した右眼の経過はきわめて順調だが、さすがに真正面からメスで切り開いた手術だ。そのあとに精巧なレンズを入れたとはいえ、「やっぱり自分はレンズを通して見ているんだな」という違和感は拭えない。
 これで万が一「左眼も同じ手術」ということになれば、ニャゴロワもナデシコも、もう今みたいには見えなくなってしまう。裸眼で見るネコと、レンズを通して見るネコは、やっぱり全然違うのである。
 昨日「今のところ全然心配ありません」「手術の必要は全くありません」と断言してもらうまで、「もし『今日のうちに緊急手術』って言われたら、もうそれでニャゴもナデシコも今みたいな感触では見られなくなるんだな」と、泣きそうなほどネコたちに申し訳ない気持ちだった。
橋
(ボストン、フリーダム・トレイル。やがて橋をわたり、海を越えるが、赤いラインはどこまでも続いていく)

 クマもサトイモも人間も、マコトに現金な生き物であって、「今は何もしなくて大丈夫」と言われた瞬間、世の中がみんな薔薇色に見えるようになった。左眼の中でのたうち回っていた半透明の長い虫の姿さえ、今日は何だか薄れたような、それどころか全く見えないような、たいへん明るい気持ちである。
 そうなると自然に読書も進むもので、そういえば昨日までは、半ページ読んでは「黒い虫が見えないか?」、1ページ読んでは「視野の片隅に不気味な黒い点が浮かんでいないか」とやたらにクヨクヨしていたのがウソのようである。いやはや、お医者さまというのは、心底からありがたいものである。
満開
(ボストンでは、どこも桜が満開だった)

 4月24日午後の今井君は、まだまだ「左眼の中でのたうち回る半透明の虫」にひどくクヨクヨしながら、カラ元気を出してボストンの街を徒歩で北上していた。クヨクヨがつのると、サクラの花にも眼の中の虫、名所旧蹟にも眼の中の虫が絡まりあって、せっかくの散歩もちっとも楽しくないのである。
 夜とか夕暮れとか、雨の降りしきる暗い街ならまだいいのだ。燦々と太陽の光が降り注ぐ快晴の日が一番いけない。そう言えば、「飛蚊症がヒドくなったな」と異様にクヨクヨし始めたのは、2011年9月のギリシャである。
 ミコノス島も快晴。ミコノスから日帰りの船の旅をしたデロス島も快晴。まるで古代ギリシャを襲ったペルシャの大船団みたいに、眼の中でのたうつ虫は今井君の心に暗い影を落とした。あんなに美しく楽しかったサントリーニ島の朝の風景でさえ、その暗鬱な虫さんのおかげで台無しにされた気がする。
拡大図
(満開の桜、拡大図)

 それでもマコトに現金なもので、ボストンの今井君は「ユニオン・オイスター・ハウス」と遭遇したおかげで、パッと明るい気分になった。1826年創業、ボストン最古のレストランで、ここもまたお馴染み「JFKも愛した店」である。
 恐る恐る店内を見渡してみると、午後3時近いというのにほぼ満員。カウンターで酔っぱらったオジサマたちと目が合って、「今日の晩メシは絶対にココ」とすぐに心を決めた。だって諸君、オジサマたちがあまりにも幸せそう。あんなに無防備な幸福の笑顔は、そんじょそこらの即席カリスマシェフの店ではメッタに見られないものである。
ユニオンオイスターハウス
(ユニオン・オイスター・ハウス)

 夕食の店が決まってしまうと、サトイモが歩くスピードは一気に速まった。第一、ボストン・フリーダム・トレイルは、この辺りからいったん名所旧蹟が少なくなる。大きなイタリア人街に入ったのである。
 諸君、ボストンにもニューヨーク同様のリトル・イタリアが存在するのだ。ニューヨークのリトル・イタリアが急成長するチャイナタウンの勢いに押され、急激に縮小しているのに対し、ボストンのイタリア人街は、今もなお意気さかんのようである。
 かく言う里芋サト助くんも、ついさっき「ルースクリス」でステーキを食べたばかりでなければ、あるいは「4時間後にユニオン・オイスター・ハウスで晩メシ!!」と決意した直後でなければ、ついフラフラとその中の一軒に迷いこみ、午後のワインを飲み始めても、全くおかしくないという感じ。NYのリトル・イタリアに若干失望した後だけに、ボストン・イタリア人街の健闘を心から祈るばかりであった。
墓地
(コップスヒル墓地。アメリカ独立の英雄が多く眠る)

 ところがまさにそのイタリア人街で、白昼の火事を目撃。何故か今井君はそこいら中で火事を目撃する。イタリア中部の街マントヴァでも、川向こうで朦々と煙が立ちのぼる火事を目撃。ついこの間は渋谷の道玄坂下のボヤ騒ぎで、十数台の消防車が集結した現場に遭遇した。
 ボストン・イタリア人街の火事でも、集まった消防車と野次馬は相当な数にのぼった。ま、現場付近の人々が暢気に火事について語り合い、いかにもイタリア系の人々らしく笑いさざめきながら消火活動を見守っていた様子を見れば、はるか東洋のクマどんが心配するほどのことはなかったようである。
昼火事
(イタリア人街の昼火事)

 さて、イタリア人街を過ぎると、フリーダム・トレイルは再びクライマックスを迎える。この地域は「ノースエンド」と呼ばれ、アメリカ独立戦争史の中でも特に逸話の多い所である。
 諸君、1775年4月18日の「ポール・リビアの真夜中の疾駆」を知ってるかね? 英語でチャンと書けば、Paul Revere’s Midnight Ride。独立戦争史上では、ポール・リビアは日本なら坂本龍馬にも劣らないヒーローである。
 世界史のテストには出ないかも知れないが、それは日本史のテストに源義経や弁慶が出題されないのと同じこと。真のヒーローは、テストにはなかなか出題しにくいものらしい。詳しくは、ググってくんなまし。カンタンにストーリーを書いておくと、以下のようになる。
ポールリビア像
(馬に乗って疾駆する英雄ポール・リビア。後ろがオールドノース教会。駆け寄るバーチャンがカワイイ。独立戦争のクライマックスシーンに、今日は「Boston Strong」の貼り紙があった)

 植民地市民軍を壊滅させようと、イギリス軍がボストンに上陸する。アメリカの英雄ポール・リビアは「イギリス軍が海から攻めてくるならランタンを2つ、陸からの攻撃ならランタンを1つ」というサインを決め、海の見えるオールドノース教会に掲げさせる。
 その直後の深夜、教会の塔の上にはランタンが2つ点灯。それを見たリビアは、植民地市民軍の待つレキシントンに向かい、「イギリス軍は、海から来るぞぉ!!」の知らせをもって徹夜で馬を走らせる。これがアメリカ独立の危機を救った「真夜中の疾駆」なのであった。
オールドノース
(オールドノース教会、拡大図)

 説明、下手すか? よく分からんヒトは、とにかくググってくんなまし。興味のないオカタは、カンペキに無視してくんなまし。かく言う今井君は、ボストンを旅するまでそんなことは全く知らなんだ。
 ま、マコトに無知な里芋サト助くんなのでござるが、実はこのアメリカ東海岸の旅の帰り、飛行機の中でヒマつぶしに見た大昔のアニメ「ピンク・パンサー」の主題が、この真夜中の疾駆なのであった。諸君、チャンと世界史の勉強をしないと、アニメでさえもキチンと理解できないのである。

1E(Cd) Akiko Suwanai:DVOŘÁK VIOLIN CONCERTO & SARASATE
2E(Cd) Akiko Suwanai:SIBERIUS & WALTON/VIOLIN CONCERTOS
3E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 1/3
4E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 2/3
5E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & London:MOZART/LE NOZZE DI FIGARO 3/3
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