2013年04月07日(日)

Thu 130314 アルゼンチン大水害 鉄道の車窓に残る前世紀の風景(ベルギー冬物語33)

テーマ:ブログ
 4月7日の東京は、爆弾低気圧の影響で午前2時ぐらいまで激しい雨。ニャゴは暢気にグースカ寝ているが、臆病なナデシコ御前は深夜までサトイモ君の顔をじっと見つめながら、不安そうにナーナー&ナーナー鳴きつづけていた。翻訳すれば、
「大丈夫なんですか?」
「天井が破れちゃうんじゃないですか?」
「天井が破れちゃったら、明日からゴハンも食べられないし、私の点滴だってムリになっちゃうんですよね」
など、マコトに多彩。なかなか普通のネコにはできない発言や質問が次々と飛び出して、ただでさえ黒目がちなまん丸い目が、ますます真っ黒に、ますますまん丸に、どこまでもどこまでも不安そうな緊張の表情になっていくのであった。
 しかしナデシコ君。日本の爆弾低気圧なんか問題にもならないぐらい激しい嵐が、世界にはたくさん存在するのでござるよ。デンマーク王子ハムレットは親友ホレーショに「この広い世界の中にはな、哲学なんか考えも及ばないぐらい複雑な問題がたくさん存在するのだよ」と諭すけれども、日本のサトイモとナデシコの間にも、ほぼ同じような深夜の深い深い会話が常に交わされているのである。
市庁舎
(メッヘレン市庁舎)

 外国で凶悪な天災が発生しても、日本ではほとんど報道されることがないから、4月に入ってアルゼンチンを襲った集中豪雨について、日本のヒトビトの多くはご存じないらしい。ラ・プラタ河沿岸の街ラ・プラタでは、多数の死傷者が出る惨事になっている。
 泥色をした大河ラ・プラタを、ブエノスアイレスから3時間かけて対岸ウルグアイに渡ったのは、思い起こせば昨年9月のことである。横断するのに高速船で3時間もかかる泥の河。4月のアルゼンチンはまだ真夏だから、広大な南米大陸に降り注ぐ夏の豪雨が、数限りない支流からラ・プラタ河に集まって一気に流れ下ったのである。
 サトイモ軍曹がアルゼンチンを訪れたのは9月のこと。あちこちで桜の花がチラホラ咲き始めた春先だったが、それでも河の周囲にはどこまでも湿地帯が広がり、空港に向かって降下する飛行機の窓から見おろすと、広大な大地を潤す泥の水がキラキラ美しく光っていたものだ。
 春先の首都圏を爆弾低気圧が襲って、オウチの中庭にベチャベチャ果てしなく落ちてくる梅雨時のような雨の音を聞いていると、クマ蔵は思わずあの南米の泥色の光景を思い出す。首都ブエノスアイレスでも死傷者が出たらしい。うーん、被害が最小限に食い止められることを願っている。
ギルドハウス
(メッヘレン、ギルドハウス群)

 クマ蔵としては、出来れば今年のうちにリオデジャネイロを訪ねたい。ホントはリオデジャネイロだけじゃなくて、サンパウロも訪ねてしまいたい。これから2~3年のうちに、ブラジルではサッカーのワールドカップとオリンピックが立て続けに開催されて、19世紀はおろか20世紀のブラジルの面影も失われてしまいそうだ。
 ヨーロッパであれ中南米であれ、ボクチンは19世紀20世紀の面影を深く愛している。世界中のどの都市でも、そのアイデンティティが如実に感じられたのは20世紀の中頃までであって、21世紀に入り、その21世紀もいつの間にか10年以上を経過するに至って、「世界中どこに行っても同じ風景」というマコトに味気ない思いを居抱くことが多くなった。
 鉄道の沿線はまだいいのだ。リスボンでもブダペストでも、プラハでもイスタンブールでも、鉄道の車窓からの風景にはその街のアイデンティティがタップリ残っている。列車にさえ乗っていれば、19世紀のトルコ人や20世紀のチェコ人が希望や絶望の真っただ中で眺めたであろう風景を追体験し、18世紀のポルトガル人が呼吸したのと同じ匂いの空気を、胸一杯に吸い込むこともできる。
 問題は、クルマやバスで高速道路を旅する時である。そこがカンヌであれニースであれ、ポルトガルの大学町コインブラであれ、スペインの風車の街コンスエグラであれ、バスで高速道を行く車窓から眺める風景は、東京やニューヨーク近郊の高速道の風景と何ら択ぶところがない。
鐘楼
(メッヘレン、重量感のあるロンバウツ大聖堂)

 ホントなら、ブリュッセルからメッヘレンやアントワープに向かうには、ブリュッセル北駅を利用するのが便利。東京で言えば、仙台や新潟に旅するなら上野のほうが便利なのと同じことである。
 しかし、ベルギーの電車は東京の鉄道と同じようにメッタヤタラに「相互乗り入れ」を押し進めてしまった。もともと無関係な路線をいい加減につないで悦に入る相互乗り入れは、東京でもマコトに評判が悪いが、ブリュッセルでも事情は同じことである。
 ブリュッセル始発なら、乗客は始発駅からゆっくり座っていけるけれども、思いつきでそこいら中の路線をつないだ結果、どこが始発でどこが終点かサッパリ分からない。その結果「ゆっくり座っていきたい」と思っても、どこから乗ってもとっくにお客でいっぱいで、下手をすれば1時間も1時間半も狭い通路に立っていくしかないのである。
ロンバウツとギルドハウス
(ロンバウツ大聖堂と、グローテマルクト周辺のギルドハウス群)

 メッヘレンは、ブリュッセル南駅から1時間弱。北駅からのほうが近いが、相互乗り入れを考慮してわざわざいったん南駅まで行き、南駅→中央駅→北駅を経由してメッヘレンに向かうことになる。机上の空論で「つないじゃおう」「つないだほうが便利だよな」と考える官僚たちには、このあたりの微妙な事情は理解できないようだ。
 「大都市から1時間弱」という町は、なかなか微妙な立場である。ミラノなら、ベルガモかブレーシャ。ローマなら、チビタベッキア。東京なら、小田原に足利に川越、水戸に館林に結城みたいな感じである。うにゃにゃ、
「外国人が、そんな町を訪問していいんですかね?」
「変人と思われませんかね」
「まさか『変な外人』」と呼ばれることはありませんよね?」
と念を押してから訪ねなければならない気がする。
鶏さんとライオン
(ギルドハウスの屋根には、鳥さんやライオンさんの姿が)

 しかし諸君、諸君は知らないだろうが、メッヘレンは16世紀に一度だけ、25年ほどヨーロッパの中心になったことがある。アントワープとブリュッセルのちょうど真ん中あたり、現在の人口は8万。町の歴史は8世紀に始まり、中世は繊維工業で栄えた。
 1506年、メッヘレンはネーデルラントの首都となる。神聖ローマ帝国皇帝:カール5世がまだ幼かったから、前皇帝マクシミリアンの娘マルガレータが、1530年ごろまでメッヘレンで帝国の政治を司ったのである。
ぶたさん
(おお、ブタさんもいるね)

 さすが神聖ローマ帝国の中心地。町の中心に今も残るロンバウツ大聖堂の重量感は、フィレンツェやベルリンやミュンヘンの大聖堂に比べても決してヒケをとらない。むしろヨーロッパの他の大聖堂を圧倒するほどである。
 町の中心グローテ・マルクトにしても、ズラリと立ち並ぶギルドハウス群は、今もなお往時の繁栄を忍ばせるだけの迫力を残している。サトイモ君が思うに、ヨーロッパのスゴミとはこういうところにあるんじゃないか。
「あれれ、ここもかつてはヨーロッパの政治・経済・文化の中心だったんですね」
という中規模都市が、そこにもかしこにも点在して、田舎町でも決して油断できないのだ。

1E(Cd) Kazune Shimizu:LISZT/PIANO SONATA IN B MINOR & BRAHMS/HÄNDEL VARIATIONS
2E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY・DANTE SONATA
3E(Cd) Perlea & Bamberg:RIMSKY-KORSAKOV/SCHEHERAZADE
4E(Cd) Chailly & RSO Berlin:ORFF/CARMINA BURANA
5E(Cd) Pickett & New London Consort:CARMINA BURANA vol.2
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