2012年05月30日(水)

Sun 120505 キルデア物語 ホントに、なんにもなかりけり(スコットランド周遊記5)

テーマ:ブログ
 8月28日、珍しく朝早く起きて、ダブリンからキルデアの町に向かった。そしてこの日は、2005年以来、2週間ずつ1年に3回出かけている外国旅行の中でも、最も忘れがたい1日のうちの1つになった。
 しかし諸君、誤解しないでいただきたい。普通のマトモな人なら、この1日の経験を大失敗と言うだろうし、できれば忘れてしまいたい1日、英語ならmess、CNNのキャスターがfacebook株の急落について表現していた言葉を引用すれば「absolute mess」、そういう1日だったのである。
教会と塔
(キルデア、聖ブリジッド教会と塔)

 だが、何しろ今井クマ蔵はクマの中でも最も変わり者のクマである。キルデアの1日の記憶は、いや正確には半日にも満たないのであるが、ヴェネツィアやリシュボアやフィレンツェの記憶よりも、おそらくずっと強烈なものとして残るだろう。
 だから諸君、「自分はマトモな人間だ」「標準的な人間だ」と自負するヒトは、間違ってもクマ蔵のマネなんかしてキルデアを訪ねてはならない。そんな時間があったら、訪ねるべき有益な街は、欧米にもアジアにもアフリカにも他にいくらでもある。おかしな町は今井君に任せて、マジメなヒトは有益な旅を心がけるべきだ。
キルデア駅1
(キルデア駅)

 宿泊先のから一番近いのは、トラムのAbbey Street駅。朝早くから混雑したトラムに乗り込んで、まず国鉄ヒューストン(Heuston)駅に向かう。ダブリンから西の近郊線は、みんなここから出るのである。うにゃにゃ、この中央駅も、いかにもダブリン独特のパッとしない駅である。
 電車に乗り込んで約30分、沿線風景もやっぱり一向にパッとしない。畑と牧草地とが延々と連続し、牛が座って草を噛んでいたり、ヒツジや馬があまりの平凡な日々に呆然として立ち尽くしていたりする。感動とか感激とか、そういう激しいことは一切存在しないのだ。
キルデア駅2
(キルデア駅で。上のケルト語表記「キルダラ」は「樫の木教会」の意味である)

 キルデアに到着すると、やっぱり平凡さに唖然とする。宇都宮線か高崎線の一番平凡な駅に降りてしまった外国人観光客を想像してみたまえ。「各駅停車しか止まらない私鉄駅に降りちゃった観光客」でも構わない。町の人たちだって「あのヒトはなぜここに?」と驚いて遠巻きにするばかりである。
 まさに、何の変哲もない。「変哲」みたいな贅沢なものをすべて奪われて、変哲ゼロの人生に呆然と立ち尽くし、しかし長い年月を経るうちに凡庸な人生に慣れつくしてしまった人間。それを町の形で表現すれば、この町になる。「どうしてボクはここに来ちゃったの?」と、自分の行動に自分で呆然とするしかない。
近郊電車
(近郊電車は意外にスポーティーである)

 駅前に立って、「アイルランドで2番目に高い塔」を探す。ガイドブックには間違いなくそう書かれている。「聖ブリジッド教会のラウンドタワー(高さ33m)に登れば、キルデアの町を一望できる」はずである。
 しかし駅前でどう目を凝らしても、廃墟と思われる崩れかけた石造りの建物と、廃業した銭湯の煙突みたいなものが見えるだけである。一緒に電車を降りた人も地元のオバサマ2~3名のみ。そのオバサマたちもあっという間にどこかに消えて、静まり返った駅前にはヒトもクルマも見えなくなってしまった。
銭湯の煙突
(廃業した銭湯の煙突こと、聖ブリジッド教会ラウンドタワー)

 ま、こうなれば仕方がない。あれが「有名な聖ブリジッド教会」ということはあり得ないとしても、とりあえず廃墟まで行ってみるしかないじゃないか。クマ蔵は、民家の列を踏みこえ踏みこえ、ひたすら廃墟めざして進んでいった。
 道に迷うこと15分、ついに廃墟の前に立った。目の前は、墓地である。おそらく18世紀か19世紀からここに立ち続けているのだろう。雨にうたれて墓石の表面もすっかり侵食されている。「廃業した銭湯の煙突」はその向こうである。やっぱり廃墟であって、テッペンのあたりは石が崩れかけているのが見える。
墓地1
(墓地 1)

 ところが、その煙突の前に「4ユーロ」の汚い看板が立ち、看板の脇にはここに根の生えたようなオジーチャンが、屈託のない笑顔で待ち受けている。「おお、オマエも何かの宣伝にダマされてノコノコやってきたな」「バカじゃのぉ」「ダマされるとは、オヌシもまだ若いのぉ」という、イタズラっぽい笑顔である。
 こうなれば、他にどうすることも出来ないじゃないか。今井君は憮然と4ユーロ払って、銭湯の煙突に挑戦することにした。この段階でもまだこれが「アイルランドで2番目に高いラウンドタワー」とは信じたくないが、「事実の半分以上は『信じたくないこと』で構成される」という真実ないし諦念を受け入れることこそが、マコトのオトナの印なのである。
墓地2
(墓地 2)

 そして諸君、ここから悪戦苦闘が始まった。そりゃそうだ。これは「教会の塔」と呼べるシロモノではない。誰がどう見ても銭湯の煙突だ。途中までついていた石の階段は、やがて木材の階段に代わり、木材はところどころ朽ち果てて、素人の手で怪しい補強材がつけられているだけである。
 イタリアやフランスやスペインの有名な観光地で「教会の塔に昇る」というのは、それなりに楽しい体験である。時計回りの石の螺旋階段はどこでも非常に狭くて、降りてくるヒトたちとすれ違うのは容易ではないが、まあ常識の範囲内。セビージャの「ヒラルダの塔」なんかは、馬ですれ違えるほどの贅沢な広さを誇る。
塔の内部1
(塔の内部 1)

 ところがキルデアの聖ブリジッド教会では、今井君はグラグラする補強材に全身と命を委ねながら、地上33mまでよじのぼって行かなければならない。鉄棒や跳び箱が大の苦手だった、あの今井君がである。
 しかも何か大きな目標に向かって前進しているのではない。「歯を食いしばって昇りきれば、必ず明るい展望が開ける」「大きな達成感が得られる」、そういう希望と夢があるからこそ、ヒトはどんな難行苦行にも耐えられるのだ。しかしいま目の前に横たわる難行苦行には、乗り越えた後のご褒美なんか全く期待できない。
塔の内部2
(塔の内部 2)

 約15分の悪戦苦闘の末、ついにクマ蔵は煙突のテッペンに出た。汚い金網の向こうには低い黒雲が広がり、小さなキルデアの町を暗く覆いつくしている。息も詰まるような荒れた強風に霧雨が混じり、田園地帯の風景が広がるばかりだ。。
 その田園地帯だって「どこまでも続く」という無限の感覚さえ与えられていない。地平線はすぐ近くにあって 感動、感激、達成、歓喜、驚嘆、そんな贅沢なシロモノは全く見当たらない。
 お馴染み「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」の藤原定家どんの技巧を、ここでも使わざるを得ない。見渡しても、感動も感激もなかりけり。歓喜も達成感もなかりけり。ホントになんにもなかりけり、である。
塔からの眺め
(塔からの眺め)

 しかしこの時クマ蔵は、旅の凡庸さを愛する自分に気づくのである。エッフェル塔もビッグベンもない、ヴェスビオの絶景もポンペイの遺跡もない。カナル・グランデも、サンタ・マリア・デル・フィオーレも、パラッツォ・ドゥカーレもない。しかし、そうした感動や感激や感銘を求めるのは、見物や物見遊山に過ぎないのであって、正確には「旅」と呼べるものではない。
 塔を降りて、まだニヤニヤ笑っているオジーサンと目が合った時、このオジーサンはガイドブックにダマされたクマ蔵を笑っているのではないことに気づく。要するにこのオジーサンは80数年の生涯を通じて、常にこんなふうに中途半端にニヤニヤし続けていたのだし、それこそが彼らの日常の本質なのである。
(金網の向こう側)
(金網の向こう側)

 Middle of Nowhereへの旅を嗜好するようになったのは、おそらくこの時がキッカケである。日本人や中国人の団体ツアーと決して出会う可能性のない旅の喜びは、銭湯の煙突の前で「4ユーロ」の看板を支えて座っていたオジーサンのニヤニヤ笑いから教わったと言っていい。
塔から見た教会
(塔から教会を見おろす)


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