2012年01月24日(火)

Sat 111224 カサ・ミラ 幼児の泣き声 エスプレッソカップ購入(バルセロナ滞在記17)

テーマ:ブログ
 カサ・ミラで最も印象的だったのは、有名な屋上を散策している最中に、9月の青い空を震わせるように長く長く尾を引いて響いた幼児の泣き声である。泣いているのは、4歳か5歳の女の子と思われた。
 どこで泣いているのかは、定かではない。同じ屋上でのようにも聞こえるし、3階か4階か、どこか下の階かもしれない。カサ・ミラの中庭は完全な吹き抜けだから、薄暗い地上階で泣いていても、十分に屋上まで泣き声は響いてくるはずだ。
カサミラ全景
(カサ・ミラ全景)

 赤ん坊や乳児でないのは、ちょっと歯を食いしばったような遠慮が泣き声に含まれていることで感じ取れる。「お腹が減った」「ミルクが飲みたい」、あるいは「ウンチしちゃってお尻が気持ち悪い」「足が痒い」「服が肌に合わなくてチクチクする」など、赤ちゃんが泣くのは本能の要求であって、泣くことに一切の遠慮がない。
 だから、赤ちゃん泣き声は力強く、ヒトを暗い不安に陥れることはない。むしろ「泣いてる♡泣いてる」「泣くのは健康な証拠」「もっと元気に、力強くタップリ泣きな」「泣くのがキミの仕事じゃないか」と、周囲のオトナを嬉しくさせるのだ。
 だからこそ、赤ちゃんを無理矢理泣かせてオトナが幸福にひたる、ちょっと悪趣味なお祭りが世界中にある。赤ちゃんが泣くのは元気の証拠であり、赤ちゃんが元気なのは村や町や国の将来が安泰な証拠である。あの真っ赤な泣き顔を見て不安になるようなオトナは、そんなにいるものではない。
カサミラ近景
(カサ・ミラ近景)

 ところが、4歳とか5歳の幼児の泣き声には、ヒトに深い不安を与える要素がある。まして9月のスペインの真っ青な空の下、長く引きずるような泣き声がどこからともなく糸を引けば、その声が何か不吉な凶事を予感させるのは、仕方のないことである。
 バルセロナのこの建物の中で、理由はサッパリわからないのに、幼児は泣きたくなったのである。だからこそ懸命に声を抑え、胸からこみ上げる激しい嗚咽は、抑制されているからこそ返って強烈な不安を表現し、やがて不安は周囲のオトナたちに伝播していく。
 おそらく幼児は、肉体の深いところに重い恐怖を感じたのだ。「重い恐怖」とは、圧倒的な静謐の中で肉体が融けながら腐蝕していく恐怖である。重い肉感的恐怖からでなければ、泣き声が他人をあんなに不安に引きずり込むことは考えられない。
ふきぬけ
(カサ・ミラ、中庭の吹き抜け)

 おやおや、またまたクマ蔵は何だか難しいことを言い出した。ま、許してくれたまえ。たまにはコムズカシイことも言わないと、クマ蔵はただのダジャレ大好き中年グマになってしまう。ガウディやミロやダリを語るときだけでも、今井君がちょっとぐらい三重晴夫(ミエ・ハルオ)になったっていいじゃないか。
えんとつ1
(カサ・ミラ 屋上の煙突群 1)

 もちろん、あの日あの場所で幼児が激しく泣いたのは、もっと単純な理由に過ぎないのかもしれない。
「アイスクリームを買ってもらうはずだったのに、『館内での飲食は禁止』という理由でママもパパも約束を破った」
「暑くて狭苦しい場所はイヤだと言ったのに、ママとパパがウソを言ってこんな場所に連れてきた」
「ショップでトカゲのオモチャを買ってもらったのに、床に落として壊しちゃった。せっかく買ってくれた優しいママが可哀想だ」
赤ちゃん時代とは違って、4歳の幼児の悲嘆には、何とも切ない理由がくっついているものである。
えんとつ2
(カサ・ミラ 屋上の煙突群 2)

 あるいは、カサ・ミラの屋上に林立する煙突の群れがコワかったのかもしれない。煙突の群れは山の稜線から突き出た峰々を示し、峰々は雨と風に打たれて着実に侵食され、融解と風化は着実に進行して、崩壊と消滅の運命を暗示する。それがカサ・ミラを設計したガウディのテーマである。
 幼児にとって、自らの肉体の腐蝕を早くも予感することが、深い恐怖のモトになるのは当たり前である。カサ・ミラの設計は、否応無しにその種の恐怖を呼び覚ますのだ。煙突群は腐蝕の苦悩に身をよじり、表情は歪んでいるように見えたりする。
えんとつ3
(カサ・ミラ 屋上の煙突群 3)

 翌日クマ蔵は、ガウディが決定的な影響を受けたという岩山・モンセラートを訪れた。モンセラート小旅行については明日か明後日にその詳細を書くが、カサ・ミラであの幼児を襲ったはずの激情とほぼ等質のものが、内臓の奥からこみ上げてくるのがつらかった。要するにカサ・ミラの幼児は、あの日あそこで重く深い嘔吐に耐えていたのだ。
モンセラート1

モンセラート2
(モンセラート)

 何だか面倒になったので、クマ蔵はカサ・ミラをサッサと出ることにした。こういう時は、お土産のショップに入って、バカバカしいものを買って馬鹿笑いするに限る。
 カサ・バトリョのお隣の薄暗いショップでクマ蔵が買ったのは、エスプレッソカップの2個セットである。グエル公園のトカゲさんとおサカナたちのデザインがいい。
おみやげ
(バルセロナで購入のエスプレッソカップ。ドイツ・リューデスハイムで買ったワイングラスとともに)

 東京に帰ったらエスプレッソマシンも買って、「夕食後はエスプレッソ」という高級で知的な毎日を過ごすことを、ここで決心した。だって、あんまり毎日深夜までお酒ばかり飲んでいるのも、教育上悪いじゃないか。「夜はエスプレッソ」ぐらい、言ってみたいじゃないか。
 5月のリシュボア、9月のバルセロナを通じて、クマ中納言の中では軽いエスプレッソ・ブームが起こりつつあった。南欧ではむしろ「カフェ・ソロ」と呼ぶが普通のようだ。食事の後のデザートを尋ねられた時、ウェイターに「ジャスト カフェ・ソロ」と答えると、おお、なかなかカッコいい。
エスプレッソカップ1
(カップ拡大図 1)

 日本のヒトは胃袋が小さいから、デザートを尋ねられても「もうお腹いっぱいです」「これ以上一口も入りません」「デザートなんか無理です」という態度でスゲなく断ってしまう。それが南欧のウェイターたちにとってはたいへん不思議であり、困惑の種である。
 こちらとしても「ホントか?」「ホントに何もいらないのか?」と、面食らった表情で肩をすくめられるのは、ちょっと面倒だ。そこで「じゃ、エスプレッソを」「カフェ・ソロだけで」の出番。どうしてもデザートを運んできたいウェイターも、すっかり納得の様子でニッコリ頷いてくれる。
 彼ら自身、溶けきらないほど大量のお砂糖をエスプレッソカップに流し込んで、そのシロップみたいに甘いカフェ・ソロをデザートにするのが大好きのようである。
 なお、辞書やガイドブックには「カフェ・ソロ→ブラックコーヒー」と書かれているものもあるようだ。しかし少なくとも今井君がスペインを歩き回った感じでは、都会から田舎に至るまで「カフェ・ソロ」と言えば何の疑いもなくエスプレッソが運ばれてくる。これもまた「メニューと言うと定食が出てくるから、ご用心」の一例かもしれない。
エスプレッソカップ2
(カップ拡大図 2)


1E(Cd) Barenboim/Zukerman/Du Pré:BEETHOVEN/PIANOTRIOS⑥
2E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos②
3E(Cd) Barenboim & Berliner:LISZT/DANTE SYMPHONY
4E(Cd) Chailly & RSO Berlin:ORFF/CARMINA BURANA
5E(Cd) Pickett & New London:CARMINA BURANA Vol.2
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