2012年01月21日(土)

Wed 111221 パロディの極意 枕のクサコ 市場はつとめて(バルセロナ滞在記14)

テーマ:ブログ
 パロディの本質は、と言うより、パロディの極意は、主語を固定したまま述語を変化させることである。
 例えば「ハムレットは悩んだ」をパロディにする時、「ハムレットは食べまくった」「ハムレットはゲップばかりしていた」「ハムレットはドラヤキが大好きだった」なら、なかなか面白いパロディが出来そうだ。
 それに対して、述語を固定して主語を変化させるのは、パロディ失格というか、そもそもパロディとして成立しえない。「ハムレットは悩んだ」が「鈴木は悩んだ」「ゴンザレスは悩んでいた」に変わった瞬間、そのセンテンスの機能する空間が著しく変質してしまって、「オリジナルとほぼ同一の時空」というパロディの基本が崩壊するからである。
 大学入試の国語や英語の模擬試験を作成するとして、「間違い選択肢」を作るのにもこの原則が当てはまる。主語を固定して述語だけ変化させれば、間違い選択肢は苦もなく出来上がる。例えば、

問1「ジュリエットはロミオを愛した」を言い換えれば次のどれになるか。最も適切なものを次の中から1つ選べ。
◯(1)ジュリエットはロミオを食べちゃいたいぐらいだった。
✕ (2)ジュリエットはロミオを茹でて食べちゃった。
✕ (3)ジュリエットはロミオを食いちぎりたいほど嫌悪した。
✕ (4)ジュリエットはロミオと一緒に栗ゴハンを食べた。
✕ (5)オフィーリアはロミオを激しく愛した。

 こう並べてみて、出来の一番悪い選択肢が(5)であることは明白だ。主語を変えてしまうのは、パロディ作者としても模試作成者としても、その作品が正視に耐えないほどマヌケなものになってしまうことを覚悟の上でなければ出来ないのである。
 もちろん、アマノジャクは存在する。「せんせー、正解は(3)じゃないんですか? 激しく愛すれば、食いちぎりたいほど嫌悪することもありますよ」みたいなことを真顔で言う生徒は、1990年代後半の代ゼミにはいくらでもいた。
 うーん、確かにそうですね。ホンモノの愛はそのぐらい激しいだろう。映画のナレーションで「How fiercely they loved」=「どれほど獰猛に彼らが愛したか」なんてのもあった。ブラッド・ピットが主役アキレスを演ずる「トロイ」ですけどね。
エビさん
(バルセロナ、サンジュセップ市場の海老さんたち)

 冗談はさておき、同じように、

問2「吾輩は猫である」を言い換えるとき、次のうちで最も適切と思われるものを選べ。
✕ (1)吾輩はトラでありんす。
◯(2)ワタシはネコでござりやす。
✕ (3)きっとオレはクマだんべえ。
✕ (4)ボクちんは、ネコちゃんじゃございませんざんす。
✕ (5)漱石君は、ネコなのだー♡

やっぱり明らかなように、一番情けないというか、一番ダメな選択肢は(5)。主語を入れ替えてしまっては、パロディにも選択肢にもならない。
 そのへんの事情を、今から15年近く前に代々木ライブラリーから出版した参考書「パラグラフリーディング」で力説したら、いやはや、質問の生徒が長蛇の列を作って、たいへん面倒なことになった。
 今井君が書いたのは「主語でヒトをダマすことはしない」「ヒトをダマすには、述語を入れ替えるのが効果的」「だから、受験生はまず述語に注目すべきだ」という笑い話だったのだが、質問に並んだ生真面目な生徒たちは「でも、もし万が一主語にダマされたら、どうすればいいんですか?」と一様に口を尖らせた。
 ま、予備校講師はマジメ一本に限る。変な笑い話なんかしようとすれば、マジメな生徒を戸惑わせて、結局自分が苦労する。あのときから今井君は、授業や参考書でバカバカしい冗談を言うのをヤメた。
ハムさん
(市場では、ハムさんたちも売られている)

 ところで諸君、以上のパロディ論と反省の弁が、何故バルセロナ滞在記の真っただ中に登場したのであろうか。実は、クマ蔵はいま「あえて述語を固定し、主語を入れ替えたパロディを展開する」という言語道断に大胆不敵な行動を展開しようとしているのだ。
 オリジナルは、清少納言「枕草子」冒頭。言うまでもなく、「春はあけぼの。夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて」である。
 クマ中納言は昨日の記事で書いた通り、観光客が大半を占める昼過ぎのサンジュセップ市場を訪れ、緊張感と切迫感の決定的に緩んだ市場を巡りながら、「ゆるくぬるびもてゆきて、わろし」と実感した。
 どうしても市場は切迫感のつのる早朝がいい。「何やってんだ!?」「ジャマだ、どけ!!」「おまえアホか? 早くしろ!!」と罵声がとびかい、水揚げされたばかりの魚、大量の血の滴るケモノの肉、競りのざわめき、ケンカ腰の交渉、そういう要素を昼過ぎの市場に期待するほうに無理がある。
貝さん
(市場の貝類さんたち。出張してきた海老さんもいる)

 だからクマ中納言は「市場はつとめて」と主張したいのだ。例えば、クマ中納言が「枕のクサコ」を書くとしたら、

「湖はあけぼの。川は夜。海は夕暮れ。市場はつとめて」

でどうだろう。枕のクサコって、何だか「ヨダレだらけ?」な感じで響きがよくないけれども、北イタリア・マッジョーレ湖やコモ湖の「あけぼの」は、ナポリ以上に「見てから死ね」であることを保証する。
 あったかオフトンみたいに湖を覆いつくしたミルク色の靄を、朝日がまず真っ赤に染めあげる。赤はピンクに、ピンクはオレンジに、オレンジは黄金色に、靄は刻一刻と色を変える。もちろんその靄の下で、湖水は濃紫から群青へ、群青からコバルトへ、靄の変化にあわせて色を変えていく。変わるのは色だけではない。水の質感までが微妙に変化する。

「洞爺湖はあけぼの。ヴェネツィアは夜。リシュボアは夕暮れ。ニューヨークはつとめて」

などというのも悪くない。「川は夜」なんだから、それに合わせて「ヴェネツィアは夜」である。
 もちろん、ヴェネツィアのカナル・グランデは大運河であって正式に川とは言えないが、まあそんなことにメクジラ立てなさんな。ゴンドラに揺られるのも夜更けがいいし、ゴンドラから上がってカフェ・フローリアンで生演奏に喝采するのも深夜がいい。
 ただし、そんなカフェで「コニャック!!」とかバカな注文をすると、たった一口で1万円請求されるから、それこそ「ご用心!!」であるが、今井君はコニャックに泥酔したあとで、何故か深夜のヴェネツィアをひたすら疾走していた記憶がある。いやはや、「川も運河も夜」であるね。
市場入口
(ゆるくぬるびもていく、昼のサンジュセップ市場入口)

 リシュボアやサントリーニの夕暮れについては、すでに昨年のリシュボア紀行やギリシャ紀行にタップリ書いた。「NYはつとめて」であることは、ドラマSEX AND THE CITYを繰り返して見れば分かる(古すぎます?)。
 キャリーもミランダも、サマンサもシャーロットも、要するに深夜から「つとめて」にかけての女たちであって、彼女たちの感情がクライマックスを迎えるのは決まって朝まだき、眠そうなタクシーの中である。12月の朝まだき、何故か道路の地下から激しく噴き出す真っ白な湯気の温かさもたまらない。
 さて、本題の「市場はつとめて」について、これ以上の詳細を述べるスペースがない。とにかく今井君が市場に求めるものは午前4時の緊迫感である。
 ところが、午前4時か5時に寝床を出て、市場の切迫感を心行くまで楽しむのには、クマ蔵には勤勉が決定的に欠けている。朝まだきというのは、いつだって今井君が泥酔して、たった今ネグラで眠りに落ちたばかりの頃なのだ。「つとめて」を味わいたいのに「勤勉さが欠如」じゃ、何とも話がメチャクチャである。

1E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos①
2E(Cd) Barenboim/Zukerman/Du Pré:BEETHOVEN/PIANOTRIOS⑥
3E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos②
4E(Cd) Jandó(p) Ligeti & Hungarius:MOZART/Complete Piano Concertos②
5E(Cd) Art Blakey & Jazz Messengers:MOANIN'
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