Sun 110814 ビバ・ビアジェム 発見のモニュメントとベレンの塔 500年の停滞と衰退 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 110814 ビバ・ビアジェム 発見のモニュメントとベレンの塔 500年の停滞と衰退

 こういうふうで(スミマセン、前回の続きです)、2日続けてポルトガル人集団の熱気にもまれて唖然とすることになった。初日はロンドン・ヒースロー空港で、怒りと絶望に支配されたヒトビトの絶叫と怒号。2日目は、一般民衆の前に姿を現した法王さまに対する絶賛の大合唱である。
 リシュボア紀行は冒頭から合唱と怒号に包まれ、まだ13日も残っているのに少々興奮し過ぎの感がある。こういう時は基本に戻り、落ち着いて1日をガイドブック通りに過ごし、態勢を立て直すことが重要。長い旅行で基本を忘れて興奮しまくると、どうせ碌なことにならない。
法王さま
(パパ・ベントのリシュボア訪問を伝えるリーフレット)

 もっとも、初日にロンドン→リスボンの飛行機が3本いきなり欠航になったことに、多少の疑いを禁じえない。「アイスランドの火山の噴火のせい」「大量の火山灰のせいで飛行が危険な状態だった」と言っても、バルセロナ便もマドリード便も平常通りに飛んだのである。
 疑い深い今井君の脳裏に、「なぜリスボン便だけが3本も欠航になったんだ?」という疑いが頭をもたげた。何しろあんなに狭苦しいリスボン空港だ。法王さまの飛行機の到着で厳重な警護が必要になった場合、他の旅客機の着陸を拒絶してでも法王さまの安全を優先したくなったとしても、不思議なことではない。
 法王さまフリークや、法王さま親衛隊の若者諸君の激しい熱狂ぶりを見ると、リスボン空港の混乱回避のために、一般の旅客機の着陸を許さなかった可能性を否定できないように思うのだ。うにゃ、リシュボア紀行の冒頭を混乱させ、予期せぬ興奮の渦に巻き込んだのは、アイスランドの火山灰ではなかったのかもしれない。
マルケス
(リシュボア地下鉄、マルケス・デ・ポンバル駅)

 5月12日、「ガイドブック通りの行動」でいったん頭を冷やすことにした。ホテルから坂道を5分ほど降りて、マルケス・ド・ポンバルの駅から地下鉄に乗る。諸君、リスボンの交通機関は思った以上に現代的であって、「VIVA VIAJEM」というカードを1枚購入すれば、日本のSuicaやIcocaやToicaと同じように自由自在に行動できる。
 ビバ・ビアジェムは窓口でも自動販売機でも購入可能。紙製のカードだが、チャンとIC対応。あとは駅に設置されたチャージ機でチャージすれば、何度でも使用できる。結局、今井君は1枚目のカードで地下鉄と国鉄を2週間乗りこなすことになった。
ビバ
(ビバ・ビアジェム。なお、このブログではBとVの発音を区別しないことにする。いちいちヴィヴァ・ヴィアジェムと書くのは煩雑である、というか、読む方も面倒だと思う)

 まあ、問題があるとすれば、その「駅に設置されたチャージ機」がうまく機能していない点である。機械の数が圧倒的に少ないし、もともと圧倒的に少ないその機械の半分近くが故障で使用不能なのである。1駅に1台、大きな駅でも4~5台しか動いていない。
 さらに、使用する人間の側にも問題があって、オジーチャンやオバーチャンがジタバタしているばかりではなく、若いヒトたちや中年でも使い方が分からなくてオタオタしている姿が目立つ。
 結局は機械の使用をあきらめて窓口に並ぶから、昔ながらのヨーロッパの駅と同じように、窓口の前には大きなおダンゴができる。イタリアと同じように、「列に並んで辛抱強く待つ」という習慣は定着していないから、「長い列」ではなく「大きなおダンゴ」が出来る。
 おダンゴは、窓口を中心とする半円形になる。しかも、おダンゴの中心から用を足せるわけではない。おダンゴの中心は、オシクラまんじゅうの真ん中のように押しつぶされるだけであって、背が低かったり、声が小さかったり、語学力不足で要領を得なかったりすれば、窓口担当者は完全に無視してかかる。「押されて泣くな」ではなくて「無視されて泣くな」なのだ。
 無視するとはどういうことかと言えば、「その人物がそこに存在しないかのように、視線すら合わせようとしない」のである。ここに、多少の人種差別も加わってくると、東洋人がおダンゴ窓口で相手にされるためには、よほど大きな声で用件を告げなければならない。要するに「あくまで厚かましく」「普段の2倍か3倍ぐらいの厚かましさで」ということになる。
バイシャ・シアード
(リシュボア地下鉄。バイシャ・シアード駅で)

 5月13日のクマ蔵は、マルケス・デ・ポンバルの駅から地下鉄に乗ってバイシャ・シアードへ。バイシャ・シアードは東京なら大手町のようなターミナル駅で、2週間の滞在中、クマ蔵はほぼ毎日ここを利用した。
 薄暗い駅構内は必ずしも安全ではないが、日本のガイドブックに満載されている治安情報を鵜呑みにしてブルブル震えてでもいないかぎり、危険な目に遭うことはありそうにない。Chin up!!であって、肩をいからせて堂々と闊歩すれば、日本のクマに恐れるべきことなんかちっともないのだ。
 街も、市電の中も、治安の悪さはほとんど感じない。イギリスやドイツなら、今井君は背の高いヒトビトに埋もれて前も後ろも見えなかったりするが、リシュボアではむしろ身長172cmに過ぎない今井君がデカく思える。「子供かな?」と思う女性が実は中年だったり、オトナの男子でもクマ蔵の肩のあたりまでしか身長がなかったり、要するにポルトガルは小柄なヒトが多いのである。
市電
(コメルシオ広場付近の市電)

 法王さまが昨日お説教をなさったコメルシオ広場から市電に乗って、カイス・ド・ソドレを通り、30分近く市電に揺られて、「発見のモニュメント」と「ベレンの塔」にたどり着いた。「発見のモニュメント」はエンリケ航海王子の没後500年を記念して立てられた記念碑。バスコ・ダ・ガマを始めとする大航海時代のヒーローが並ぶ。
 諸君。ポルトガルの全盛は、500年前のエンリケ航海王子時代である。以後500年、延々と右肩下がりの時代が続いた。日本の右肩下がりは、まだせいぜい20年でしかない。ポルトガルは日本など足許にも及ばない「停滞先進国」であり「縮小先進国」であって、手本とすべきことの余りにも多い「衰退先進国」である。
発見のモニュメント
(発見のモニュメント)

 「このままでは日本は東洋のポルトガルになってしまう」などと失礼な発言をする前に、「なぜ500年もの衰退と縮小を生き抜いてこられたのか」「500年の停滞を経て、なぜ今もここにしっかりと国民国家の姿を維持しているのか」、学ぶべき点はここにいくらでも存在する。
ベレンの塔
(ベレンの塔)

 なお、「ベレンの塔」は「テージョ河の貴婦人」と称され、司馬遼太郎が絶賛した白く美しい塔である。河からリシュボアに侵入する者を撃退するために、1519年に建てられた。これもまた、500年にわたるポルトガルの停滞と衰退の目撃者である。
 テージョ河はスペインからポルトガルを流れる大河。リスボンというと、ユーラシアの西端にあって「大西洋に面している」と誤解しがちであるが、実際のリシュボアはテージョ河畔の河の街である。もっと西に向かい、電車で1時間のカシュカイシュまで行かなければ、大西洋を眺めることは出来ない。
塔内部
(ベレンの塔内部に打ち寄せるテージョ河の河波)

テージョ
(ベレンの塔付近のテージョ河)


1E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE①
2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE②
3E(Cd) John Coltrane:JUPITER VARIATION
4E(Cd) John Coltrane:AFRICA/BRASS
5E(Cd) Earl Klugh:FINGER PAINTINGS
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