2011年05月23日(月)

Wed 110518 謹厳実直な先生の謹厳実直な採点 軽佻浮薄な今井君の軽佻浮薄な舟下り

テーマ:ブログ
 毎年この時期に新聞に掲載される駿台の求人広告を見ると、今でも「採点講師」というカテゴリーがあって、もし採点講師として採用されれば、来る日も来る日も模試の採点だけに集中する、たいへんご苦労な日々を過ごすことになる。

 軽佻浮薄な今井君なんかにしてみれば、予備校講師の醍醐味は「教壇に上がってナンボ」、それどころか「教壇に上がってマンボ」「ついでにルンバ」ぐらいに思えるのだが、それとはまるで正反対の謹厳実直なヒトビトも、この世の中にはたくさん存在するのだ。
河
(河下りの舟から見たライン河。リューデスハイム付近で)

 駿台の故・伊藤和夫先生は、「謹厳実直を絵に描いても、ここまでは謹厳実直にはできない」というほど超&超謹厳実直な先生だったから、模試の採点基準にこだわること、まさに寸分の狂いも許さない。想定内も想定外もすべて想定して、問題作成以上に採点基準作成に強いこだわりを持たれるのだ。

 生徒向けの参考書にも「こう書いたら、こう間違っているのだから、こう減点する」と明記する。受験生の側に立って伊藤先生の参考書を読むと、「マコトにありがたい」と同時に「そんなに面倒なんですね」と、ふと嘆息が漏れるほどであった。

 模試の採点でも「こう書いたら何点減点、こう書かなかったら何点減点」を採点にあたる者全員に周知徹底させ、
「生徒が心をこめて書いた答案を、採点する側が心をこめて採点するのは当然である」
「生徒が答案を書く以上の熱意で採点に当たらなければならない」
とおっしゃる。

 受験生時代の今井君は「心をこめて書いた答案」というものがほとんどなかったから、講師になってからそういう話を聞くと、マコトに申し訳ない思いがしたものである。

 だからこそ、実際に入試を実施する大学側への要求も厳しい。
「記述論述タイプの試験を実施するなら、明確で客観的な採点基準を明示するべきだ」
「訳文がキレイだとか日本語らしくないとか、そんな主観的採点は横暴である」
「これほど難解な超長文問題をスラスラ読み、スラスラ解いて入学してくる優秀な学生を、キチンと指導出来る優秀な教官が、果たして慶応義塾大学に何人いらっしゃるのか、教えていただきたい」
この種の発言を平気でなさるのである。
対岸の汽車
(ライン河右岸を走る列車。右岸にも左岸にも鉄道が走っている)

 そういう謹厳実直な先生だから、どんな文章を書いてもオカタイ論文になってしまう。エッセーとか随筆とか、いくらかくだけた文章も書かれたはずだが、読んでみると、やはりどうしても論文なのである。

 ただし、その論文の中に、謹厳実直なユーモアがキラリキラリとちりばめられてはいる。ユーモアなどというものは、謹厳実直なおじいちゃんの口からポロッとこぼれでた瞬間が一番新鮮で面白い。聴衆が耳を疑って「あれ、今、ホントにそう言った?」「あんなマジメなヒトが?」と、お互い顔を見合わせ、一瞬シーンと静まり返り、次の瞬間に爆笑がはじける。

 そのキラリタイプのユーモアの中に「勢いで10年、実力で10年、名声で10年」のような1行があった。予備校講師などというものは、若い頃の10年は勢いで生徒たちとジャレあっているうちに過ぎる。生徒たちと10年ジャレあっていれば、自然に教える実力がついて、誰でも授業がうまくなる。うまくならなかったら、その段階で転職を考えるしかない。それが「実力で10年」である。

 そのあとに「よせばいいのに」と断り書き付きで、「名声でもう10年ぐらいは生き延びられる」とおっしゃるのである。実力の10年の間に、ある程度の名声が追っかけてくれば、その名声は定番となって、放っておいても生徒はついてくる。
城1
(ライン河。両側に延々と古城が続く)

 こうなると講師個人の名前で生徒を募集する特設単科ゼミの中に「定番講座」みたいなものが出来る。冬期講習とか直前講習とか、「5日で1本」の講座で、「これって、ホントに英語の講座?」とビックリするような奇抜な講座名がくっついていたりする。

 講師の名声が定まると、生徒たちも有名講師を生意気に「あいつ」呼ばわりしたり、呼び捨てにしたりする。
「あいつの○○、定番だから一応取っとくか」
「オマエ、加藤(仮名)の△○×取ったの? ケッコ、評判悪いぜ」
の類いである。

「まあ、どうせ大したことないけど、定番だし、昔から有名だし、何となく受験生活の記念に受講しとくか。話のタネにもなるし」というワケだ。こういう行動は決して悪くはないので、秋田に出かけたらナマハゲ見物、仙台に行ったら松島観光、広島で宮島参詣、それをいちいち「大したことないぜ」と批判していたら、人生何も面白くない。
城2
(ライン河。中洲のプファルツ城。その左肩にも古城君が見える)

 以上、いったい何の話かと思ったら、今井君のライン河下りの話に結びついていくのだから、このクマはタダモノではない。ドイツに出かけて、もしもライン河の舟下りをしないとすれば、それは東進生なのに「今井のC組」や「B組」を受講しないのと同じぐらいの、超ハードなガンコモノである。

 クマ蔵はガンコモノからはホド遠い存在。暢気で楽しければ一切文句はないので、それ以上の要求もしない。「そんなの、意味、ネーゼ」「イミ、ネグネ?」「イミ、ワガンネ」とか、面倒なことを言い出したら、天国だって楽しくない。

「舟下り」とは言っても、「舟上り」とは言わない。最上川でも天竜川でも四万十川でも、舟下りであって舟上りではない。下る方が暢気なので、流れに身を任せていれば済む。上りとなれば歯を食いしばる努力が必要で、努力と物見遊山は同時並行できないのである。

 もちろん、歯を食いしばって努力しているのは船頭さんなりエンジンさんなりなのだが、自分で努力していなくても、近くに努力しているヒトが誰かいるだけで、ヒトの緊張感は一気に上がってしまう。ここは、流れに任せて下っていこう、誰も努力しているヒトはいませんよ、皆さんも暢気にくつろいでください。「舟下り」しか存在しないのには、実はこんなに深い意味が隠されているのだ。
舟時刻表
(ライン河の船の時刻表。リューデスハイムで)

 ライン河の舟下りは、昨日ほっつき歩いたマインツが始発。終点は下流のコブレンツ。しかし、どれほど暢気に下っていくにしても、始発から終点までの舟は1日1本しかないし、諸君、マインツ発8:45、コブレンツ着14:10。何と5時間半かかる。

 5時間半も冷たい河風に吹かれていては、せっかくのワインの酔いも醒めてしまうから、怠け者のクマ蔵は、途中のリューデスハイム(今井君が入力を間違えたせいで、mac君は「竜ですハイム」ときたが)から乗船、下船も途中のボッパートと決めた。

 これなら、3時間程度の船旅で、古城もローレライもみんな見られる。乗らないで省略するところは、住宅街や工場地帯がほとんど。ヒトんちの裏庭や、ケムを吐いている工場なら、普段から電車の車窓風景として十分に楽しんでいる。いまさら舟下りに加える必要は皆無である。

1E(Cd) Münchinger:BACH/MUSICAL OFFERING
2E(Cd) Münchinger:BACH/MUSICAL OFFERING
3E(Cd) Goldberg(v) & Lupu(p):SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 1/2
4E(Cd) Goldberg(v) & Lupu(p):SCHUBERT/MUSIC FOR VIOLIN & PIANO 2/2
5E(Cd) James Ingram:ALWAYS YOU
total m78 y405 d6370
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