Sat 090905 スタテン島フェリーからみる女神 MPDのこと(ニューヨーク滞在記19) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 090905 スタテン島フェリーからみる女神 MPDのこと(ニューヨーク滞在記19)

 鳥、まさに恐るべし(すみません、昨日の続きです)。可愛いと思っていいのは、JALの鶴のマークだけ。JALを大いに利用すべきでごJAL(しつこいです?)。実際の鶴は、コワい。内田百閒は岡山の後楽園で毎日のように鶴を眺めて少年時代を過ごしたが、こちらに向かってくる鶴への恐怖を何度も随筆に描いた。親友・芥川龍之介に面と向かって「君の顔は長過ぎる」と何度でも指摘し、指摘されすぎた芥川はおそらくそのせいで正気を失った。その辺の事情を察した岡本かの子(岡本太郎の母上)は、小説「鶴は病みき」にその後の芥川を描いている。何のことだかサッパリわからなければ、内田百閒と岡本かの子を読みたまえ。

 

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(スタテン島フェリーからの女神どん)

 

 まあずいぶんと話がそれたが、それでも、今井君の好きなのはバッテリーパークからみた「遥か遠く」の自由の女神像(すみません、ここからがホントの昨日の続きです)。鎌倉の大仏とかエッフェル塔とか、こういうものは、余りに近くからみてその醜さを云々すべきものではないと思うのだ。


 その意味では、予備校講師と同じである。近づきすぎていろいろ言えば、醜い部分、とても肯定的にとらえることの出来ない部分、そういう部分がいっぱい見つかって当たり前なので、むしろ悪いのは接近すべきでないものに接近しすぎた者のほうである。遠くにあってこそ嬉しい、遠くにあるからこそ美しい、そうやって楽しく見守れる余裕がないと、どんなモニュメントでも情けないほど醜いものである。

 

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(スタテン島フェリーとスタチューどん)

 

 バッテリーパークとスタテン島を往復するフェリーから眺める自由の女神もいい。フェリーが無料なのもいいし、女神に近づきすぎないのもいい。12月では船の上を吹き抜ける風が冷たすぎて凍えそうになるけれども、スタテン島まで行って、島ではホントに何にもすることがなくて、マンハッタンに戻る次の船が来るまで、売店で買った冷たくマズいパンをかじって待つ。この「何にもせずに怠けている」という感覚がまた楽しいのだ。

 

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(スタテン島からみるマンハッタンちゃん)

 

 帰りの船でまたまた女神を見て、女神よりも、近づいてくるマンハッタンのダウンタウンを眺めて嬉しくなり、マンハッタンに到着したらあったかい飯でも食うか、とそう考えただけでまた嬉しくなる。ブルックリン・ブリッジを向こう側にわたったところに「リバー・カフェ」その他の新名所がたくさんあるから、昼飯はそういうところで食べればいい。リバー・カフェでは必ず食事をとること。「ドリンクだけ」というと、窓も何もない狭いカウンター席にしか通してもらえない。「食事も」と言い直すと突然従業員の態度が変わって、イーストリバーの眺めの綺麗なテーブルに案内してもらえた。

 

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(ブルックリン「リバーカフェ」からの風景 1)

 

 ただし、ガイドブックとかCREA TRAVELLERとかで「新名所」「今、話題」「今一番トレンディなのは」と紹介されているような場所は、実際に出かけてみるとガッカリさせられることが多い。有名な観光地はもう紹介し尽くしてしまって、困り果てた雑誌記者が意表をついたつもりでひねり出した無理な場所が少なくないのだ。


 イタリアでもフランスでも、フィレンツェ、ヴェネツィア、パリ、ニース、そういう場所はもう出し尽くしてしまって「ブラリと訪ねた田舎町での出会い」とか、まあそんな記事しか書けなくなる。そういう記事をウノミにして、雑誌記者でもなんでもない一介の旅行者が訪ねてみると、「何でオマエはこんな場所に来たんだ?」と怪訝な顔をされるのがオチである。アイルランドのキルデアとか、モーゼル河のトリアーとか、ライン河のボッパートとか、今井君も何度も不思議な顔をされてきたものである。

 

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(ブルックリン「リバーカフェ」からの風景 2)

 

 「もうとっくにブームは去った」というのもよくある話である。ニューヨークでは、チェルシーやMeat Packing District(略称MPD)がそれかもしれない。21世紀に入ってすぐの頃は「今、一番トレンディ」だったはずで、映画にもドラマにもよく登場したMPDであるが、2007年12月の段階で、すでにブームは去ったという冷たい空気が充満していた。

 

(雨の降る日曜日のチェルシー)

 

 まあ、訪ねたのがクリスマスの真っ最中、しかも雨模様の日曜日だったせいもあるかもしれない。しかしそれにしても、開いている店もまばら、歩くヒトもまばら、走るクルマもまばら、これでは「身の危険を感じる」「女性の一人歩きはすすめられない」の類いである。接近する大不況に怯えつつ、160年前の「ギャング・オブ・ニューヨーク」の時代に戻って、肉切り包丁で武装したギャング団が飛び出してきそうな裏町がどこまでも続いているのだった。

 

(Meat Packing Districtの肉屋の看板)