2008年10月01日(水)

Tue080930急に寒くなると喘息が心配 参考書進捗状況 南フランス・エズの「ニーチェの道」

テーマ:アーカイブ
 天気予報で予告されていたこととはいえ、一昨日昨日と急に気温が下がって、さすがに驚いてしまった。最近の天気予報はやたらに大袈裟なので、こんなに気温が下がるなんていくら真面目な顔で予言されても、にわかには信用しがたい気がしていたのだ。データや根拠があろうとなかろうと、予言などというものはもともと滅多に当たるはずがないのである。
 確かブラジルの何とかいう予言者が「9月に東京付近を直下型の大地震が襲う」と言っていたはずである。そういえば1週間ぐらい前の朝に千葉県北西部で直下型の地震があって、代々木上原でもドシンと下から突き上げるような揺れを感じたものだが、まさかあの程度の地震が、わざわざ地球の裏側のブラジルの人がおせっかいにも透視だか幻視だかしてみせた大地震だったとは思えないのだ。予言とは、当たらないからいいのであって、当たってしまっては冗談では済まされなくなる。だから、当たらなかった時に当たらなかった責任を追及したりするのは野暮な話で、当たらなかったら当たらなかったで、当たらなかった予言者に「当たらなくて良かったです」と握手を求めるのが、現代人に相応しい態度である。

(写真上:南フランス・エズの街から地中海を望む。半島の向こう側がニースとカンヌ、こちら側がモナコである)

 そういういきさつもあって、気象庁の予言もなかなか信じられない。「傘を持っていけ」と言われたのに雨が一滴も降らないとか、「長袖が必要だ、上着もあった方がいい」と言われて、その通りの格好で出かけて大汗をかかされたとか、そういうことは誰でもいくらでも経験している。熱中症に注意、落雷に注意、崖崩れに注意、急な増水に注意、裏山が崩れるから注意、竜巻に注意、山鳴りがしたら避難、急に気温が下がったらゲリラ豪雨に注意、そういう天気予報の予告や警告をいちいち真に受けていたら、注意と避難だらけでマトモに行動できないほどである。
 まあ信じてもいいのは「長期予報」ぐらいか。長期予報とか3ヶ月予報などという余計なものもあって、これは「暖冬になる」「冷夏になる」というような肝腎カナメの部分以外は、ほぼすべて毎年当たるのである。
「10月になると、本格的に秋めいて、秋の長雨が降り続くこともありますが、その合間にはすがすがしい秋晴れの日もあるでしょう」
「11月になると、気温はさらに下がり、北日本では木枯らしが吹くこともありますが、東日本や西日本では小春日和の日もあるでしょう」
「12月になると、北日本や高い山では大雪の恐れもあります。冬型の気圧配置が多くなり、関東では乾燥した強風が吹く日が増えるでしょう」
ベテランの気象予報士たちが、日々の研鑽と研究努力の結果として発表する予報だから、こういう長期予報にはまず間違いはない。「12月にはクリスマスが来るでしょう」「1月にはお正月が来るでしょう」「2月にはバレンタインデーがあるでしょう」という予報以上に正確確実な予報であって、これを疑えばバチが当たる。

(写真上:南フランス・エズの街の遠景。正面の岩山の上に見えるのがエズ。手前はコート・ダジュールのビーチ)

 今回の急激な気温の低下については、気象庁の面目躍如という感じである。半信半疑だったせいで危うくポロシャツ1枚で出かけるところだったが、ここまで急激に秋がやってくると、私は喘息が心配である。幸いこの10年ほどは予備校の授業が忙しすぎたせいもあって、喘息クンも控えめにしてくれたらしく、大した発作も起きなかったが、やはり急激な気温の低下は喘息の発作を呼ぶのである。これから11月半ばぐらいまでは、内科小児科の待合室が混み合うと思うが、それは喘息の発作に襲われた患者さんが診察に訪れるから。両膝に手を置いて、腕を突っ張って苦しそうに息をしていたら、それは喘息の患者さんである。ぜひ優しく対応してほしい。腕を膝に突っ張っているのは、そうやって肺と気管を広げないと呼吸が困難だからなのである。
 午後3時から、東進・吉祥寺1号館で参考書についての打ち合わせ。文字の表記統一、挿絵や図表図版の確定、一部原稿差し替え、校正についての日程の確認など。これから毎週2回ずつ吉祥寺に出かけて、こういう作業を繰り返す。本を1冊出版するのにこれほど丁寧に検討を繰り返すのは今までになかったことだから、非常にありがたい。一人で原稿を書きまくっている時には気づきもしないような細かな問題がいろいろ発見されてくるものである。
 予定の英文法参考書は上下巻のうち上巻だけでも今年中の出版が目標。そのためには私自身がこれ以上スケジュールに遅れないことが最低条件である。上巻の原稿で完成していない「はしがき」「本書の使用法」などを、とにかく期日までに仕上げなければならない。

(写真上:同じようなエズの写真で申し訳ないが、こちら側、たくさんの旗が立っている白い屋根のレストランは超有名店であるらしい)

 9月6日、モッタローネ山頂からマッジョーレ湖畔ストレーザの街に向かって下山を開始する。思い起こせば3年前の2005年9月、南フランス・ニース近くの通称「鷲の巣村」エズ(Eze)で、同じような山下りに挑戦したことがある。断崖の山頂にエズの街があり、フランス国鉄のエズ駅はその崖を降りた海岸にある。観光客はニースの街からバスでエズを訪れることになっていて、その険しい断崖の道を徒歩で駅まで往復するような勇気ある人はほとんど存在しない。この街は、中世の時代サラセン人の攻撃を防ぐために、あえて海岸にそそり立つ岩山の断崖絶壁の頂上につくられた城塞の街である。モナコを訪れた人は、街の北側にそそり立つ岩山を記憶しているだろうが、まさにあの断崖絶壁である。
 しかしガイドブックを見ると、
「崖の上の街からは、崖下の鉄道駅まで『ニーチェの道』が続いている。この道を歩きながら、ニーチェは『ツァラトゥストラかく語りき』の構想を練った。坂道には、雰囲気のよいギャラリーや土産物屋が並ぶ」
という記述がある。おお、それならば徒歩で駅まで降りて行ってみたい。もともとニーチェならば大好きである。ニーチェが調子に乗って思索を重ね、ニーチェが大いに調子に乗ってニヤニヤ笑った坂道で、しかも「下り」である。店やギャラリーもあるというのなら、大いに探検の価値がある。そう考えて、坂道探検を選んだ。

(写真上:南フランス・エズの断崖を降りていく「ニーチェの道」入り口。閉鎖中という注意書きは一切ない)

 途中までの探検は、執筆中のニーチェよろしく絶好調。山道ではあるが、一応階段のある歩きやすい坂道で、スズメバチがブンブンしていることもなければ、滑りやすい危険な所も岩角がゴツゴツ突き出ている場所もなかった。ただ、ガイドブックに書かれていた「雰囲気のいいギャラリー」「土産物屋」など、一軒もない。そんなものが並んでいた形跡さえなくて、あえていえば、それらしきものの廃墟が「ぽつんぽつん」という感じで3つ4つ散在するだけである。
 階段の道を10分ほど降りたところで「もしこの道が途中で途切れていたら」という恐怖が一瞬頭をよぎった。しかし「いや、まさかそんなことはないだろう。立派なガイドブックがウソをつくことはないだろう。むしろ廃墟になってしまったギャラリーや土産物屋がいけないのであって、道がだんだん細く頼りなくなってきたにしても、少なくとも海岸の駅に出られないなどということはないだろう」、そう考えて道を下り続けた。

(写真上:「ニーチェの道」を10分ほど降りてきたところから見上げたエズ。この辺りまではまさに絶好調だった)

 30分以上降り続けて、
「ここまで来ればあと少しで海岸の雰囲気も出てくるかな」
「波の音は、まだかな」
「ここまで降りてしまって、まさか道が途切れでもしたら、そして上まで登り直さなければならないとしたら、明らかに殺人的だな」
と思ったまさにそのときである。道は、途切れていたのである。土産物屋か雑貨店の廃墟があって、その廃墟の周囲に柵が張り巡らされている。そこから先には、とても入れない。柵があるから入れないのではなくて、むしろ柵自体も廃墟になっているのであるが、真夏の草と木が生い茂って深い薮になっており、だから先に進めない。無理に入っていけば、その昼なお暗い草木の中で立ち往生するだろうし、ケガもするだろう。南フランスの夏である。薮の中には、蛇や虫や、蛾やその幼虫や、そういうありがたくないものもウジャウジャしているだろう。あきらめて、いま下ってきた30分以上の坂道を、この炎天下、今度は上に向かって登っていかなければならない。
 あのときの深く大きな絶望感は、今でも忘れない。思い切って「蹉跌」という言葉をつかってもいいぐらいである。現役で東大に落ちて「さて、ではこれから受験勉強を1年」と決まった瞬間に勝るとも劣らない。1年浪人状態で受験勉強をして(実際には名画座に入り浸ってほとんど受験勉強なんかしなかったが)、また東大を受けにいって、数学が1問もマトモに解けずに「これは明らかにダメ」と自覚して本郷から帰った夕暮れの道以上の絶望である。その10日後に本郷に発表を見にでかけて、やっぱり名前がなくて、本郷3丁目の駅までの短い距離を歩くのに、足が上がらず前に進めなかったときとほぼ同じ絶望である。

(写真上:これはマッジョーレ湖への道。モッタローネ山頂からの中間点の街からマッジョーレを望む。)

 要するに、私は中世に南フランスの海岸に攻め込んだ「サラセン人」と同じように、断崖の上の砦の街まで、岩山をよじ上らなければならなかったのである。21世紀の文明国の民が、税金だってこの年齢になるまで1度もごまかさずにキチンと支払ってきた善良な民が、何の因果で中世の「サラセン海賊」と同じ目に遭わされなければならないのだ。溜め息は大きく、絶望は深く、慰めあうのは1000年前のサラセン人の亡霊たちしかいない。そういえば、この道を一緒に降りてくるヨーロッパ人は誰もいなかったのだ。もっと早く気づくべきだった。しかし、私はガイドブックの記述を疑わなかったのである。それが失敗。「自らの失敗は、自らの汗であがなうべし」。近代ヨーロッパの倫理を実体験する最高の機会を与えられた、そう考えて私は、サラセン人の亡霊たちとともに、本郷3丁目への道を思い出しつつ、エズの街に戻った。

(写真上:夏の終わりの静かなモッタローネ山腹の別荘地。本当に誰にも会わないし、犬も歩いていない)

 そういう経験があったから、今回の旅行でも、モッタローネからマッジョーレ湖への長い道のりはイヤな予感とともに始まったのである。しかし今回は、ともに降りていくヨーロッパ人も少なくない。抜きつ抜かれつする人々が3パーティーから4パーティーほど。中には小学生ぐらいの男の子2人を連れた家族連れもいる。子供たちは足の痛さに泣きそうだが(直径5~10cmぐらいの石がいくらでも転がっていて歩きにくいのだ)、子供たちでも降りる道である。「ニーチェの道」みたいな悲劇になる可能性は、まあゼロだろう。

(写真上:モッタローネ山腹の町、誰もいない教会。人も犬も、影も形もない)

 ロープウェイの中間駅まで2時間ほど。そこからは道も平坦になって、湖もどんどん近づいてくる。途中、避暑シーズンも終わって人の消えた別荘の街を通る。無人になった別荘の街、誰一人歩いていない細い道、管理人と、小さく吠える犬たち。やはり人の気配のない小さな教会。こういう場所に小さな別荘を買って、誰もいない真冬の日々を静かに過ごすのも悪くなさそうだと考えた。もう午後4時に近かった。

(写真上:全行程の5/6を踏破、湖はすぐ目の前である。あと30分もあればヴィラ・アミンタに到着、という地点。手前がペスカトーリ島、奥がマードレ島。右に切れているのがベッラ島)

1E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
2E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
3E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
4E(Cd) Bernstein:HAYDN/PAUKENMESSE
5E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 1/2
6E(Cd) Richter & Münchener:BACH/BRANDENBURGISCHE KONZERTE 2/2
7E(Cd) Muti & Berlin:VERDI/FOUR SACRED PIECES
10D(DvMv) THE GODFATHER partⅢ
total m302 y1389 d1389
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