2008年08月30日(土)

Wed 080827 男鹿半島 ヴェネツィア紀行4 人生で1番マズいパスタ

テーマ:アーカイブ
 一昨日のブログで「おが」について書き、もちろん冗談で「突出した」の秋田方言との関連の可能性を指摘したけれども、男鹿という地名について私もある程度の知識は持っている。もともとこの地域は島であり、北を流れる米代川と南を流れる雄物川からの堆積物が離れ島だったオガ島の南北から島に繋がって半島(陸繋島)を形成し、遠浅の海が陸地に包み込まれて八郎潟として残った、そういう歴史がある。その半島を支配していた部族あるいは部族の王の名前が「恩荷(おんが)」で、それが転訛して「オガ」に変わったという説も存在するし、半島にシカがたくさん棲息したので、そのシカにちなんで男鹿と名付けたのだという俗説もある。
 男鹿にシカがたくさん棲息したことについては、男鹿で大きな地震があった時に(火山だから、大きな地震が頻発した時代があったらしい)、大量のシカが八郎潟を泳ぎわたって半島の東に逃れてきたという記録がある。そこは「鹿渡(かど)」と名付けられ、今でもJR奥羽本線・秋田–東能代間にその駅名が残っている。


(写真上:秋田県と男鹿半島・帝国書院「新詳高等社会科地図」昭和60年)

 しかしそういう俗説についてはいくらでも疑問符がつくのであって、部族長「恩荷」だって「地名が先か、部族長名が先か」という判断は簡単にはつけられない。「おが」という地名があったからこそ、部族長がそれにちなんで名付けられたのだと考える方が、むしろ妥当だろう。栃木に「平石」という名前が多いのも、巨大ムカデの退治で有名な俵藤太(たわらのとうた)の「避来矢の鎧(ひらいしのよろい)」がこの地域で有名だからであり(詳細は南方熊楠「十二支考」参照)、確かに宇都宮付近には平石という地名がある。茨城県西部に岩瀬という名字が多いのも、実際に岩瀬という地名がこの地域にあることを見ればすぐに納得がいく。
 「シカがたくさん住んでいたから、男鹿」という話になれば、小学生だって「メスはいなかったの」「何で女鹿半島じゃないの」とツッコミを入れてくるに違いない。同じ東北地方、太平洋側には「牡鹿(おじか)半島」というのもあって、こちらの地名も昔は「シカの大量棲息」で片付けられていたし、その先端の金華山島には今でもシカが群れをなしているのであるが、果たして本当にそれでいいのか。
 まあ、郷土史家でも語源学者でもない私が「おが、がんばらねくても、いいべ」という気持ちもあるのだが「突き出ている」「突出している」ということであれば「お(尾)」「が(芽)」にも通じることだし、草食動物というものは(ヤギでもシカでもウマでも)だいたいにおいてオスの生殖能力が突出しているものであって、「ははあ、そういう突出ね、それがオスのシカっぽいのかも」と妙に納得がいきはじめる。ヤギなんか「おが、突出している」動物として東洋西洋を問わず、生殖のシンボルとして、豊穣のシンボルとして、神話にも物語にも宗教画にも描かれ、神の使いに擬せられることが多い。鹿も同様。「一角獣」などに姿をかえて登場することもある。
 で、ここから先は、いやしくも教師とか講師とか、そういう「神聖だ」ということになっている職業に就く者としては、余り詳しく立ち入るべき話ではないのかもしれないが、もともと半島などというものは、民話や俗説の中にかぎらず、その形状から言って「教師があまり詳しくてはいけないのかもしれない部分」を想起させるものであって、そのことについては渥美半島でも知多半島でも能登半島でも積丹半島でも全く同じことである。半島を意味する英単語peninsulaなどというのも、発音しているうちに男子校ならつい皆で笑いだしてしまう単語。「おが、そうした話はするな」というところであるが、「おが」「男鹿」「牡鹿」「尾」「芽」「突出して」「余りにも」と連想していくと、ここがもし民俗学の研究室なら、教授がいろいろ研究材料を出してくるような気がしなくもない。
 ま、こんな話をして酒を飲んでいれば、バカバカしくもまた大いに楽しいのである。少なくとも、加藤部長や田中課長や木村係長の悪口で盛り上がりながら焼酎のオカワリをしたり、部下の働きが悪いことをグチりながら「生ビールの来るのが遅い」と言って店員を怒鳴ったり、山田課長のマイウェイや鈴木係長の長渕剛や武田主任の吉幾三に付き合わされたり、そういう飲み会よりは遥かにマシではないか。飲み会の苦手な若手諸君、この種類のちょっとだけ知的な香りのする「ブレーンストーミング飲み会」を仲間で企画したまえ。私を呼んでくれれば、いつでも参上する覚悟である。


(写真上:ヴェネツィア・リアルト橋付近で買ったガラスの置物。向こう側の白い雲は、正体なく眠りこけるニャゴロワ)

 4月22日、ヴェネツィアの定番回りにずいぶん手間取ったが、お蔭さまで、リアルト橋・サンマルコ広場・嘆きの橋その他、心置きなく定番を満喫することが出来た。今夜は久しぶりにマトモな夕食をたらふく詰め込む予定である。ボローニャからずっとダイエット続きで、「朝食をたっぷり」「朝食をしっかり」と言って非常識に詰め込んでは、昼前に具合が悪くなるという日々の連続で、フェラーラでもパルマでも大ピンチを何とか乗り切ってきた話は既に詳しく書いたが、さすがにヴェネツィアまで来て、ああいうミジメな食生活は御免である。「朝食」と聞いただけで、ハムとチーズとパンの臭いが鼻先に立ちこめて、息が詰まりそうだ。このままだと、チーズとハムが喉に詰まって窒息する悪夢にうなされ、パンで首を絞められガス入りミネラルウォーターの中でピリピリシュワシュワしながら溺死する悪夢に飛び起きてしまいそうである。
 ただし、だからといって高級レストランで大金を無駄遣いするのは私の趣味に合わない。ヴェネツィアなんかで高級レストランに入ろうものなら、大騒ぎしてやっと予約のとれた店で、それでも結構待たされたあげくに隅っこの狭苦しい席に通され、何の変哲もないパスタ料理に30ユーロもとられ、ムカつきながら注文した120ユーロの白ワインが生温くて、ワインクーラーを持ってきてくれと頼んで肩をすくめられ、左隣の席の中国人ツアー集団が目一杯の大声で横柄にウェイターを呼びつけ、右隣のロシア人大家族が目一杯タバコを吸いまくり、そういうのに囲まれて肩身の狭い思いをし、「ワインをもう1本」ともいいにくくなって、中途半端な思いと高額の勘定書をかかえて外に押し出されるのがオチである。
 私はミラノ・ドゥオモ真横のレストランで、出されたピザを一口食べて「うわ、マズい」と大声を出したほどの正直者だから(いつになるか分からないが、後日詳述。だって、実際私の人生で2番目にマズかったのだ)、そういうカッとしたときにケンカにならないとも限らない。せっかくのヴェネツィアで「日本人の中年オヤジがキレていた」とか「よく見ると、それはむかし代ゼミで習った今井だった」とか、ネットの掲示板に出たりしたら最悪である。


(写真上:ヴェネツィア・リアルト橋付近で買ったガラスの置物。向こう側の白い雲は、眠りから覚めて旨いものを食べる楽しみを思い出して再び夢見る表情のニャゴロワ)

 しかも、ここはヴェネツィアである。ヴェネツィアは、油断がならない。人生で1番マズいパスタを食べたのは、3年前のこのヴェネツィアだった。本当に、ウソでもなんでもなくて、人生で1番マズかったのだ。小学校の給食で出たナポリタンだって(しかも昭和40年代の秋田市立土崎小学校の給食だ)まだマシだった。秋田高校時代、よく昼食に買って食べた「スパゲッティーパン」なら、余裕で勝利だろう。昭和50年代、悪名これ以上高くなることはありえないほどだった早稲田大学学生食堂の「スパゲッティーナポリタン」だって、やっぱりまだマシ。いや早稲田生協食堂の「B定食」で、何回使い回ししていたか分からない、船場吉兆の悲劇をを予告するような大量のキャベツの横にのせられていた赤黒い麺類、スパゲッティとは呼びにくい、そろそろ固まりかけた線形状の小麦粉の残骸、あれが唯一勝利の雄叫びを上げられるのが、あのヴェネツィアの店のパスタに対してなのであった。


(写真上:ヴェネツィア「3年前のマズい店」周辺)

 あれは3年前。「止める、あなた」も「駅に残し」ていく人もないままに、「走り始めた汽車に一人飛び乗っ」ていく気持ちで店に入った(ちあきなおみ「喝采」参照)。店の名前は記憶にないが、サンマルコ広場からリアルト橋への最短コースにある裏町の、インド料理屋の隣にあるごく普通のレストランだった。あの思い出は強烈である。他の客は日本人の中高年カップル1組のみ。オバさんの方が、常に腹を立て、常に怒鳴り散らし、常に夫と家族の非常識を嘆き、自分の不幸を嘆きながら生きているタイプの、最悪のオバさん。このオバさんが、何かに異常に腹を立てながら「とにかく、早くできるかどうかよ」と夫を睨みつけ店内を睨みつけていた。外は2月の冷たい雨、私はウィーンからアルプスを越える電車でヴェネツィアに到着したばかり、前夜のウィーンでもいろいろなことがあり(私が宿泊していた「ホテル・アストリア」を深夜午前1時頃にチェックアウトしていった日本人カップルとの出会いについてなのだが、ウィーンのラーメン屋「京都」で始まったその事件を書きはじめたら、おそらく文庫本1冊書いても足りないぐらいなのだ、いや、ラーメン屋「京都」のラーメンについてだって4~5ページは書きたいくらいである)、朝6時にウィーンの南駅を出発したあとも、余り人に誇りをもって話せるような話とは思えないエピソードがいろいろあって、とにかく私は疲れていた。疲れ果てていた、と言ってもいい。


(写真上:ヴェネツィア「3年前のマズい店」付近)

 そこへ、出てきたのが「人生で一番マズいパスタ」。「それまでで」だけではない。「これからも」である。今までの私の人生の貧しさについて、この数日間、連日それを証拠だてる様々な白黒写真とともに書いてきたけれども、その貧しい日々の中でさえ味わったことのなかった悲惨なパスタであった。ここまで書けば、その悲惨さについて大きな興味が湧いてくるかもしれない。興味をもたれた読者の皆様には、是非この店を探してヴェネツィアの街を彷徨っていただきたいものである。ヒントはサンマルコ広場から、海を背にしてリアルト橋への最短ルート。インド移民の経営するインド料理店の隣。土産物屋の密集する一画。ただし、変遷の激しいヴェネツィアで、あれだけマズい店が今日まだ潰れていないかどうかは保証の限りではない。


(写真上:夜のヴェネツィア・リアルト橋付近)

 というわけで、私はこの日の夕食をどこでとるか、ヴェネツィアの駅に降りてヴェネツィアの定番観光地を歩きながら、ほぼ半日間「あれもダメこれもダメ」と思案し続けていたのである。

1E(Cd) Ibn Baya:MUSICA ANDALUSI
2E(Cd) Dorati & Washington D.C.:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.4
3E(Cd) Barenboim & Chicago:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.5
4E(Cd) Gergiev & Kirov:TCHAIKOVSKY/SYMPHONY No.6
5E(Cd) Argerich, Chailly & RSO Berlin:
TCHAIKOVSKY/PIANO CONCERTO No.1
RACHMANINOV/PIANO CONCERTO No.3
6E(Cd) Gergiev & Kirov:RACHMANINOV/SYMPHONY No.2
7E(Cd) The State Moscow Chamber Choir:RACHMANINOV/VERSPERS Op.37
8E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 1/2
9E(Cd) Ashkenazy:RACHMANINOV/PIANO CONCERTOS 1-4 2/2
12D(DvMv) THE BOURNE ULTIMATUM
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