2008年08月27日(水)

Sun 080824 病院には行きません ぜんそくと湊内科小児科医院 ヴェネツィア紀行1

テーマ:アーカイブ
 まだ湿布はしているが、右手首の状況は「もう心配ないかな」というところまで改善してきた。屋島校の講演会で見事に大転倒してから、今日で1週間経過する。そろそろ全快しなかったら、それこそ10年ぶりに病院に行かなければならないところだったが、さすが鉄人である。「医者」という言葉を聞いただけで、「医者に会いにいくのがイヤだ」というまさにその理由で、ケガや病気から回復するのである。こういう鉄人ぶりを再認識するにつれ、自分でも恐ろしくなる。「医者に連れて行くよ」と誰かが呟けば、たとえ死後であっても、墓の中からでも思い切り生き返ってトコトコ逃げていきそうな勢いである。
 「医者に行くよ」と言われると病気が治るのは、何も今に始まったことではない。私は幼稚園に入るぐらいから少し重い小児ぜんそくに悩まされていたのだが、医者の待合室に入るだけで発作がほとんど治まってしまうのは、あの頃から始まったように思う。ぜんそくの発作は決してウソや仮病ではないのだ。一番ひどかったのは小学校3年か4年のころ。余りの発作の激しさに、親も見かねて当時やっと始まっていた「減感作療法」というのを受けさせたりしてくれたが、9月末から11月初め、気温が急激に下がる季節になると、1日中ほとんど息が出来ない。「メジフェラー・イソ」という霧タイプの吸入器があって、これを使えばすぐに発作はいったん治まるのだが、その効果は一時的。治まったと思って、安心してインスタントラーメン(当時流行の「明星チャルメラ」)を自分で作って食べ終わったら、またすぐに発作が出て息が出来なくなり、食べたチャルメラを全部吐いてしまったことがあった。あの時から私にとって「明星チャルメラ」のパッケージは敵である。今でもあのパッケージのオジサンの顔を見ただけで息苦しくなるのだ。写真下はその頃のもの。8歳でチャルメラを作った天才児は植物採集に夢中。「植物の図鑑」「採集と標本の図鑑」を暗記した頃である。

 話がそれてしまいがちだが、とにかく特効薬「メジフェラー・イソ」を吸入しても、その効果は余りにも一時的。しかも連続して吸入していると、その効果がさらに限定的になって、最初は2時間ぐらい効果が続いていたものが、1週間も続けて使っていると、30分が20分になり、20分が15分に縮まって、やがて「要するにほとんど効かない」という状況になってくる。しかも、あの頃はまだ心臓に負担のかかるクスリで、続けて使用していると心臓の鼓動が激しくなる。ウソかホントか分からないが「使いすぎて死んじゃった人がいる」という噂が広まって、両親はそれを心配し、私に使わせないようにどこか戸棚の奥の方に隠してしまう。夜中に苦しくて寝ていられなくなり、一時の慰めを求めて戸棚の奥に「メジフェラー・イソ」を探し、探していること自体を父・三千雄にとがめられ「なぼでもあまえでるがらだ、すたごどだばなおらねぞ」(和訳:いつまでも甘えているからだ、そんなことじゃ、治らないぞ)と怒鳴られ、幾晩も呼吸の苦しさのせいで眠れずに、腕を膝について突っ張らかって何とか細い息を確保し、ゼエゼエゼエゼエうめきながら夜を明かす、悲惨な小学生時代を過ごした。あの頃を思い出すと、今でも息苦しいぐらいだが、だから今でも海外旅行には吸入器を欠かさない。
 それでも、それほど苦しくても、医者の待合室に入った瞬間に発作はウソのようにピタッと治まるのである。通っていた医者は秋田市中通の「湊(みなと)内科小児科医院」。湊先生は、今思えば40代後半の恐い中年のオジサン医師。コワイ、という印象は実際に恐かったからで、大した症状でもないのに診察に訪れた患者さんは、しっかり叱られたりする。小児科でもあるから、幼い子供たちもたくさん訪れるのだが「キミは、甘えすぎだな」「おかあさん、あんまり甘やかしちゃダメだねえ」「こら、他の患者さんがいるんだから、大人しくしてなさい」などという言葉は日常茶飯事だった。待合室が騒がしいと、湊先生は待合室に顔を出して「そんなに元気があるんなら、病院に来なくてもいいだろ」と言って叱ってくれる。「ほら、今井君を見てみなさい、あんなに苦しくても我慢してる子もいるんだぞ」などというのもあって、診察券の順番を無視して私を先に診察してくれることもあった。待合室に入った途端に、自分では発作が完全に治まったように思っていたが、本職の医者から見れば「他の患者よりも優先して診てあげなければ」というぐらいの症状だったのかもしれない。
 この待合室のテレビで、私はニクソン大統領の当選を見たように思う。対立候補ハンフリーが全く相手にならなかったのを記憶している。しかしそれ以上に強く記憶しているのは、あの時「お医者さんになろう」と決意したこと。小学校中学年の私にはまだしっかり素直なところが残っていて、湊先生みたいな医者になるなら医学部にはいって医者になるのも素晴らしい生き方だ、と本気で考えたりもしたのだ。写真下は、11歳、病院のベテランになり、医師になろうと決めていた頃。病院のベテランとしてすっかり落ち着いた表情に驚かないだろうか。おお、賢そう。昔は、こんなに賢そうだったのだ。ただし、便所サンダルはいけませんな。

 当時は、子供だろうと何だろうと、発作が激しければ、ものすごく太いおっきな静脈注射を平気でうったものだ。だから毎週1回、病院で一番おっきな注射の針を右の静脈に差し込まれた。薄緑のガラスの注射器の中に静脈の血が逆流してきて、注射液が赤黒く染まるのを見ながら注射を我慢するのだが、筋肉注射とは違う重苦しい痛みに20分ぐらい耐えなければならない。注射をする看護婦さん(当時は看護師とは言わなかった)の白い帽子が戦時中の雰囲気のある古くさいもので面白かったが、注射が下手でいつもうまく静脈に針が入らなかった。柱時計の振り子が揺れて、時を刻む固く重い音が部屋に響いて、軽い風邪を引いただけの子が騒いで先生に叱られ、喉の奥にクスリを塗られて吐きそうになる声を聞いていい気味だと思い、ニヤニヤ笑っていたら「強い子供だ」と褒められて舌を出した。しかも、その後でとびきり痛い細い筋肉注射も1本我慢しなければならなかった。何度も何度も静脈注射をうって、右の腕の静脈には大きな黒い痕がついていた。こんな中年になっても、あの痕は消えずに残っている。
 というわけで「医者にいくかもしれない」と考えた瞬間、今日も右手首はすうっと楽になってしまう。さすがにシャドウ・ピッチング(投球ポーズ)をすると少しは痛い。でも、痛かったら投球ポーズをしなければいいのだし、私は左でもシャドウ・ピッチングが出来る。そうまでしてなぜ投球ポーズをしなければならないのか分からないが、とにかく私にとって「医者にいくぞ、病院に行くぞ」という暗示の方が「実際に病院の敷居をまたぐ」よりも遥かに効果的なのである。子供時代に身についたクセである。このまま放っておいてもらいたい。

 4月22日、パドヴァ・マラソンで沸き返る日曜朝のパドヴァの街を散策したのは9時半ぐらいまで。ホテルに戻って朝食。ダメなホテルと思っていたが、朝食はなかなかよかった。特に朝早くからパドヴァ旧市街を歩き回ってお腹も減り喉も渇いた。まあそういう事情があったにせよ、朝食だけは3つ星と4つ星の中間ぐらいに評価を上げてもいいかもしれない。11時チェックアウト。パドヴァ発11時37分のICでヴェネツィアに向かう。上の写真はそのInterCity。
 ヴェネツィア着12時03分。よく晴れた穏やかな日で、ヴェネツィア・メストレの駅から先、海を渡る長い橋の上からも、海の向こうのヴェネツィアが美しく見えた。2005年3月、ウィーンからアルプスを越え、この橋を渡って入ったヴェネツィアは冷たく曇っていた。ヴェネツィアを出てローマに向かったときもこの橋を渡ったが、あの時は他に誰一人いない一等車のコンパートメントに若い怪しい男が現れ「メストレまでの切符と交換に20ユーロくれないか」と盛んに懇願してきた。何だかワケが分からないから「イタリア語がわからないんだ」とイタリア語で言って、追い返した。お互いに不敵に笑って「何だイタリア語はわかってるんじゃないか」「キミも、私が分かっていることが分かっているんじゃないか」「お互い分かっているなら仕方ないね」「おお、それが分かっているなら、早く退散したまえ」「いやなアジア人だねえ、少しぐらい怖がったら」「ま、そういうことより、早く退散しないと車掌が検札に来るぞ」「いいの、車掌とも知り合いなんだから。メストレで降りるよ」というような無言の会話が目と目で交わされたりしたものだ。
 今は、電車の中で物乞いする方法もシステマティックになった。2人1組で乗り込んできて、一人がまず5cm四方の紙切れを乗客に配布して回る。紙切れにはほぼ定番の文面がワープロソフトで印刷されている。「子供が3人いて、家もなく、仕事もなく」で始まり「だから小銭でいいから寄付してもらえたら、あなたに感謝する」で締めくくられている。高校生ぐらいの若い女の子だと「子供が3人いて」のところが「弟が3人いて」になったり、いろいろヴァリエーションがある。物乞いする必要なんか全く感じられない人も多くて、高校生の軽い小遣い稼ぎになっているのかもしれない。乗客も皆よく分かっていて、その紙片をチラッと見るだけでほとんどの人は無視。無視されるのはイヤだから、最近は紙片と一緒に綺麗にリボンでラッピングした小物(携帯のストラップみたいなモノ)も置いていったりする。で、駅が近づいたところで2人目が回収にあたる。小銭をもらえることはまずないが、紙片も小物も再利用するから、それを回収しないといけないのだ。で、検札が来ないうちに次の駅でそそくさと降りていく。おそらく同じ駅と駅の間を1日に何度も往復し、乗ったり降りたりをうまく繰り返して、まあそれなりに生活したり小遣いを稼いだりするのだろう。
 イタリアでいま流行中なのはこのタイプ。フランスだと、地下鉄の中でアコーディオンを演奏して歌っては紙コップで祝儀を集める形式。地下鉄より、ドゴール空港に向かう停車駅の少ない電車でこのタイプの人に出会うと、それなりに面倒くさい。小銭がもらえない時に、遠慮なく激しい舌打ちをするのもフランスに多い。フランス人は、乗客の反応も激しい。あからさまにイヤな顔をし、あからさまに肩をすくめ、あるいは逆に歌や演奏に大きな拍手を送ったりする。イタリア人はその点非常に淡白。黙々と紙片を配り、黙々と回収に当たり、黙々と電車を降りていく。何の感情も見せないし、乗客も全く無反応である。どうも、日本人が持っている固定観念とは正反対のようである。

 今日は、ヴェネツィア第1日である。足掛け3日滞在だから、ヴァポレット3日券を購入して、まずホテルにチェックイン。ホテルはルナ・バリオーニ(写真上)。3回目のヴェネツィアではあるが、初日は定番を回るのが礼儀である。リアルト橋、

リアルト橋からのゴンドラとヴァポレットの眺め、

サンマルコ広場と大鐘楼(その下はカフェ・フローリアン)、

こういう定番を無視するようなイヤらしいことをして威張っているのは、素人にすぎない。

1E(Cd) Alban Berg:SCHUBERT/STRING QUARTETS 12 & 15
2E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
3E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.1 & No.4
4E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.2 & No.6
5E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.3, No.5 & No.8
6E(Cd) Menuhin:SCHUBERT/SYMPHONY No.9
7E(Cd) Gunner Klum & Stockholm Guitar Trio:SCHUBERT LIEDER
10D(DvMv) ONE FLEW OVER THE CUCKOO’S NEST
total m242 y1008 d1008
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