2008年08月21日(木)

Tue 080819 昔の生徒たちとの出会い パドヴァ紀行1

テーマ:アーカイブ
 昨日の転倒から12時間以上が経過して、右手首の腫れと痛みは「ちょっとマズいかもしれない」感じの危険度3から4にアップしている。危険度4は「これは相当にマズい」というレベル。21日から授業収録が再開され、21日は早稲田(文)2008年の問題全問をたった180分で解説する解説授業の収録があるが、この右手首でマトモに板書が出来るのかどうか、今のところ「非常に不安」という状況。板書という仕事は、見ている者の想像以上の重労働である。特に私の授業では、板書の占める役割は大きい。板書をきれいに消す作業でも、板書そのもの以上に手首に負担がかかる。そういうことをいうと、またまたシビアな授業批評家が登場して「自己管理が出来ていない。講師失格」などとおっしゃるのであるが、まあ、まさにその通りの有り様である。
 そういう厳しい人も多いが、優しい人々も少なくない。かつて生徒だった人たちが優しく励ましてくれるのも、非常に嬉しい出来事である。空港で、駅で、書店で、飲み屋で、国内旅行中やヨーロッパ旅行中にも、「むかし、予備校で先生の授業を受講していました」という若者たちに頻繁に声をかけられる(080605参照)。彼ら彼女らが、顔を輝かせて今の活躍を語り、あのとき真剣に本格的な英語の勉強を始めたことがいかに役立ったかを語り、今でも英語の学習を真剣に継続していることを語り、それを聞きながら将来についてのアドバイスをおくる時に、予備校講師として大きな喜びを感じるのは言うまでもない。
 今日も高松のうどん屋を出た所で「松山で昨年授業を受けていた」という元生徒に声をかけられた。ついこの間テレビ朝日系の夕方のニュース番組を見ていたら、まさに突然、代ゼミ横浜校でむかし教えた生徒がレポーター役で登場した。驚いて、飲んでいたビールにむせかえり、つまんでいた枝豆をニャゴロワにとられてしまいそうになった。ニャゴロワはヨーグルトでも蒸しパンでも海苔でも、とにかく何でも食べにくるから決して油断してはならない。普段は夏の白い雲のようにのんきにお空に浮かんでいるか、

タオルをだっこして夢の世界を漂っているだけだが、

ひとたび食べ物の気配に気づいて目を開けば、その虎視眈々の迫力は、まさに白ヒョウである。

 で、そのレポーターは、10年ほど前に横浜校26C教室(横浜校最大の教室で、私はいつもその教室だったのだ)の最前列で受講し毎週質問に訪れていた人間。少し変わった名前だったから「記憶魔」の私の記憶カードの片隅に残っていたのだが、社会部のレポーター役であっても、昔の生徒の活躍を目にするのは嬉しいものである。今年の春には、吉祥寺の駅で声をかけられて「いま声優をしています」などというのもあった。
 街で私を見かけた時には、ぜひ積極的に声をかけてほしい。遠くからジロジロ見られるのもイヤだし、中途半端な距離を隔てて中途半端な微笑みを送られたりするのは何だか少しミジメである。こういうことは080605「ブログ開設にあたって」のところで書いた。「迷惑がかかるといけないから、家族・友人・知人については一切書かない」ことについてもそこで触れてある。開設から2ヶ月半が経ち、読者の数も増えアクセス数も驚くほど増加して、この段階でもう1度こうしたことを確認しておきたい。
 しかし、出会った若い人たちに「なぜ予備校講師になったのか」という問いを向けられると、正直言って困ってしまう。「なりたくてなった」とか「夢がかなった」というわけではないし、若い諸君に勧められるような気楽な職業ではない。批判されることも多いし、苦労も多い割りに、尊敬を集められる立場にもない。私が予備校講師になったのは、元はと言えば、広告会社を退職して他に出来ることが見当たらなかったからである。死語になった言葉で「デモシカ先生」というのがあった。「先生にデモなるシカないから」先生になった人のことである。私はまさにそれに当てはまる。
 しかし、「デモシカ」ではあっても、なってしまったあとで、その職業に真剣に取り組み、10年20年と続けていると、いつの間にか「夢を実現して職業に就いた人」以上に夢を実現していることがある。私はもともと「本を書いて生きていきたい」というたいへん地味な夢をもって育った大人しい人間だったのだが、気がついてみると著書も10冊を超え、曲がりなりにではあるが、幼い頃の夢も少しずつ実現しつつあるようである。
 若い頃には、夢がいったん挫折すると、すべてを投げ捨ててしまいたくなるものである。夢に傷がつき、夢が完全無欠なものでなくなると、すぐに全てを諦めて別の方向に目を向けたくなるのだ。しかし夢の実現などというものは、むしろもっと迂遠なもので、直接突進しなければならないものとはかぎらない。目標を決め、夢をもち、猪突猛進する。そうやって余りにも直線的な人生を歩もうとして、挫折にはね返されては失望と絶望と嘆きの淵に沈む。そういうのはむしろヒヨワな精神であって、「たゆまず前進する」とは、曲線的な前進、「気がついてみたら直線的に進んでいた奴らより前に行っていた」という多次元的な前進、そうした忍耐強い前進のことである。その種の強靭な精神は、ボローニャやピサの斜塔に通じるものかもしれない(080817参照)。

 4月21日、ボローニャを出て、パドヴァに移動(写真上はパドヴァ駅)。移動とは言っても、各駅停車の電車で1時間半しかかからない。本来なら、パドヴァもボローニャからの小旅行で済ませてもよかったのである。わざわざパドヴァに1泊することにしたのは、最初の計画ではパドヴァからヴェネツィアまでブレンタ運河を経由して船旅をし、ヴェネツィアに船で入ろうというプランになっていたからである。下の写真はブレンタ運河、パドヴァ側の船着き場付近。

 ヴェネツィアは今回で3回目。すでにだいたいの見所は行き尽くしているから、「船でヴェネツィアに接近する」「船でヴェネツィアに入っていく」という、中世やルネサンス期の人々と同じ視線でヴェネツィアを見ることにこだわろうと思ったわけだ。しかし、旅行の途中でこの計画は見直すことになった。ブレンタ運河を下る船が「東京湾納涼屋形船」みたいな小さな観光船で、大きなスーツケースを持ち込むことに遠慮を感じたことが第1。この船が運河沿いの大邸宅群の見学に主眼をおいた船であることが第2。
 まあ、趣味の問題であるが「船でのヴェネツィア入り」についてはまた次の機会にしたい。せっかく「船でヴェネツィア入り」をするならば「運河から」などという小さな形ではつまらないと思ったのだ。出来ればアンコーナやブリンディシの港から、場合によってはギリシャやクロアチアからアドリア海を横断して、遠くの水平線上にヴェネツィアの街が現れた瞬間に、同船の人々と大歓声をあげ大喝采しながら、海の都に堂々と入港してみたいのである。写真下は海からのヴェネツィア(4月23日撮影)。

 というふうに計画を途中変更してみると、パドヴァでの1泊はほぼ完全に無駄になってしまった。パドヴァとは大学と信仰の街であって、ガリレオが教えた名門パドヴァ大学と、熱心な信者で有名なサンタントニオ教会(写真下、後日詳述)があるだけである。しかも何故か明日「パドヴァ・マラソン」というのが予定されていて、そのマラソンレースのための警備のために街中に交通規制がしかれており、自由に歩き回ることも出来ない。

 がっかりして、まず予約してあったパドヴァ駅前のホテルGRAND ITALIA PADOVAにチェックイン。一応「4つ星」だが、どうみても星4つは自己申告以外の何者でもない。フロントは1人だけ、しかも(おそらく)大学生のアルバイトである。部屋は3階の片隅、幸い酸っぱい臭いはなくて、久しぶりに酸っぱくない空気の中で眠れそうなのと、まあバスタブみたいなものがついているのと、長所はそのぐらい。冷蔵庫の中のミネラルウォーターなんか、誰かがちょっと飲んだ形跡があって、それにもう一度フタを力づくでかぶせたのが入っている。間違ってその栓を抜いてしまい、ガス入りのはずなのにほとんどガスが抜けていて、それで初めてそのことに気がついたが、もう遅い。クレームなんか聞いてもらえる国でもないし、街でもないし、ホテルでもない。駅前の治安の悪さも並大抵ではない。移民労働者の生活水準が余り高くなさそうである。ボローニャやヴェネツィアに近いから、そこに通う労働者が多いのだろうが、土曜日ということもあって駅前にはすでに少なからず酒に酔った男たちがタムロし始めている。
 ますますがっかりして、すぐ近くの小都市ヴィチェンツァへの小旅行を決断。こういう場合の私の決断は、周囲が追いつくことの不可能なほどの早さである。電通をやめる、駿台から代ゼミに移る、代ゼミから東進に移籍する、ネコに冷淡なマンションを買ってからわずか3年で売却する(後日詳述)、気に入らない飲み屋を出る、銀行口座を他行に切り替える、応対の悪いウィーンの超有名チョコレート店を「ダメな店」と判断してすぐに出てしまう(後日詳述)。私が「ダメ」と判断したら、もう誰にも止めることは出来ない。他の人間が気づいた時、私はもう既に行動を起こしている。いや、その時には既に行動を完了しているのである。
 こういう性格は、このごろますます父・三千雄に似てきたと思う。彼は、小学生の私が植えた花壇の花の芽を雑草と思って全て綺麗に抜いてしまった男である。閉まっている窓ガラスに気づかず、窓ガラスに頭から突進して、ケガ1つなく窓ガラスを頭で粉砕してしまった男である。左遷された時に、駅に送りにきた上司に対して一言も口を聞かず、問いにも何一つ答えず、完全に無視して去った男である。だから、私もその決断のわずか45分後、私を乗せた電車はヴィチェンツァに到着していた。

 写真下はヴィチェンツァ駅前のカステッロ広場。パドヴァよりもっと治安が悪い感じ。またまた「地球の歩き方」は「駅から中心部まではバス利用が便利」。なんでそんなにバスに乗せたいのか、全く理解に苦しむ。中心部まで、徒歩で7~8分しかかからない。父・三千雄なら、家族なんか全部置き去りにして5分もかからずに突進し、10分もかからずに戻ってきて「くだらねどごだ。すぐかえるべ」(和訳:つまらないところである。直ちに帰るにしかず)と一言言って、すぐに駅に戻っていきそうな街である。


1E(Cd) Brendel(p) Previn & Wiener:
MOUSSORGSKY/PICTURES AT AN EXHIBITION
2E(Cd) Sinopoli & New York:RESPIGHI/FONTANE・PINI・FESTE DI ROMA
3E(Cd) Dutoit & Montréal:RESPIGHI/LA BOUTIQUE FANTASQUE
4E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 1/2
5E(Cd) Rubinstein:CHOPIN/MAZURKAS 2/2
6E(Cd) Lima:CHOPIN FAVORITE PIANO PIECES
7E(Cd) Muti & Berlin:VERDI/FOUR SACRED PIECES
8E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 1/2
9E(Cd) Reiner & Wien:VERDI/REQUIEM 2/2
12D(DvMv) A FAREWELL TO ARMS

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