2008年08月06日(水)

Tue 080805 秋田県人として パルマ紀行へ

テーマ:ふるさと秋田
 甲子園で、秋田県代表の本荘高校が負けてしまった。秋田県の代表が初戦で負けるのは、これで11年連続である。秋田県代表が夏の甲子園で勝利したのは、現在ヤクルトスワローズのエース石川が投げていた秋田商が最後である。あの時の相手は島根県代表の浜田高校。浜田のエース和田は、その後早稲田大学でも不動のエースになり、やがてダイエーのエースになり、いまはソフトバンクのエースである。今の日本を代表するピッチャー、石川と和田の2人が、秋田と島根という弱小県の代表として、かつて甲子園で一騎打ちを演じたという事実は、余り知られていないと思う。
 しかし、問題なのは秋田県である。何故こんなに弱くなってしまったのか、秋田で生まれ秋田で育った私などは理解に苦しむのである。かつて秋田県人は、スポーツが盛んであることについてはいつでも胸を張ることができた。昭和40年代まで、いや50年代60年代になっても、秋田県人は「みんな知らないだろうが、秋田県は東北地方の中で抜群にスポーツが強いのだ」と自慢するのが大好きだったのだ(今日の写真はすべて携帯のインカメラで撮影)。

 野球の夏の選手権大会でも、第1回大会(大正4年)から決勝に進出したのは秋田中だった。確かにこのときは決勝戦で京都二中に2-1で敗れはしたが、延長12回まで死力を尽くした上での敗戦だったのだ。東北の他の県が、まだ野球というスポーツを始めたかどうかもハッキリしないぐらいの時代に、全国大会で優勝寸前まで勝ち進む、そういう県民だったのだ。それが何故こんなに弱くなってしまったのか。
 21世紀に入る直前までは、秋田の野球はまだ強かったはずだ。落合、山田、そのほか名選手を次々と輩出し、昭和40年には秋田高校が甲子園ベスト4。その後も金足農と秋田経法大付がベスト4。ベスト8進出なら「別に当然のこと」というのが昔の県民感情だった。隣の山形県がいつまでも甲子園で勝てなかったのとは好対照。山形県は最後まで「まだ1勝もできない県」に残ってしまい、ついに1勝をあげたのは確か昭和47年か48年だったと記憶する。ベスト8に入ったのも一昨年が初めて。斉藤祐樹の早稲田実業に善戦した日大山形が初めてだったのだ。それなのに、今では秋田と山形の立場は完全に逆転。今日ではむしろ山形や青森や岩手のほうが「ベスト8に残って当然」の県民感情をいだいているのではないか。なぜ秋田はここまで弱くなってしまったのだろう。

 話は高校野球にとどまらない。サッカーもラグビーも同じことだ。昭和40年代まで、秋田のサッカーとラグビーは花々しかった。特にラグビーは秋田工を中心に、21世紀になるまでに花園の選手権大会で優勝15回、決勝進出22回。いくら啓光学園や大工大高(どちらも校名がかわってしまったが)が強くなったとはいえ、優勝回数では秋田工の足もとにも及ばないのだ。それなのに今では花園で1回か2回勝利するのがやっと。ベスト8にさえ残ることは、滅多になくなってしまった。
 正月のサッカー選手権で、秋田商が2度も全国制覇していること、ベスト4には何度も残った経験があることは、秋田のサッカー少年でも、知っている者は少ないのではないだろうか。一昨年、岩手の盛岡商が全国制覇したときに、遠い遠い思い出のように「昭和30年代に秋田商が優勝して以来の東北チームの優勝」と報じられて、苦笑いした秋田県人も多かっただろう。
 「なぜこんなに弱くなってしまったのか」という疑問が、まさか今後バスケットにまで及ぶことにはならないとは思うが、不動のように見える能代工バスケの栄光だって、油断できない部分はある。身長2mの留学生を何人でも連れてくる他県代表に対する対策を怠れば、この栄光もあっという間に過去のものになりかねないのだ。
 「甲子園で11年連続初戦敗退」という状況を全国紙の紙面で大きく報じられて、それで何も不思議に思わず、何の対策も講じないままでいていいのだろうか。確かに「留学生」をたくさん連れてきて、「留学生」に頼りきって勝利してもあまり嬉しくはない。駅伝をやっていたら何故か都合よくケニアから男女二人ずつ留学生がやってきたり、サッカーをやっていたらこれまた都合よくブラジルから留学生がやってきたり、ラグビーをやっていたら都合のよすぎることにトンガやニュージーランドから2人の留学生が訪れ、しかもなぜか2人とも体重100kgを超える巨漢だったり、そういうことは出来ればしてほしくない。高校野球の青森代表や宮城代表なのに、関西なまりの選手がたくさんベンチ入りしていたこともあったけれども、そういう対策をとってほしいというのでもない。ただ、秋田県出身者として、秋田県の外側から見ていると、実際に無策のままでいるのではないのかもしれないが、ほとんど無策でいるようにしか見えないのである。

 スポーツで県民が熱狂し、スポーツで県民がひとつになる、というのは嬉しいものである。一昨年の社会人都市対抗野球で、「にかほ市」のTDKが勝ち進んだとき、秋田県民が久しぶりに熱狂するのを見た。私もわざわざ東京ドームまで出かけて、なまはげを先頭にした大応援団に加わった。首都圏一円に住む秋田県人で、あの日東京ドームに集まった人は少なくなかったと思う。県民が一丸になって熱狂する、ああいう経験を毎年積み重ねるのか、20年30年に1回しかないのか、これは大きな違いである。青森や山形や岩手の人たちは、「ほぼ毎年」の経験となり、宮城の人は楽天イーグルスでほぼ毎日経験する。こういう違いがやがて県の勢いの違いになってくるのも、何ら不思議なことではない。
 江戸時代から昭和初期まで、秋田は豊かな土地だった。特に鉱産資源については、銀がたくさんとれ、銅がたくさんとれ、地面から石油と天然ガスがいくらでも湧き出していた。湧き出した石油が河になって流れていたことについては、記録にもあるし地名にも残っている。秋田市を南から北に流れていた「草生津(くそうづ)川」である。「くそうづ」とは石油または温泉のこと(群馬県の草津では温泉の意)。もともと漢字では「臭水」と書く。私の小学生時代は、自宅のすぐ近くに石油掘削のヤグラがいくらでも(ほとんどテキサスのように)立っていて、日本石油や帝国石油の精製工場や化学工場が本気で営業していたのだ。米、木材、漁業資源、全てが豊かで、県民は特に努力しなくても、ある程度以上の豊かな生活が可能だった。
 そのせいで県民の性格が享楽的になったのもやむを得なかったかもしれない。江戸時代に、平賀源内が長く逗留したり蘭画の花が開いたり、しまいには幕末の東北で唯一、官軍に味方して裏切り者よばわりされたのも、すべてその享楽的な性格が元にあったと言っていい。男はいつまでも日本酒をだらしなく飲みふけり、女は身を飾ることに夢中で「秋田美人」の定評が生まれ、21世紀になっても(今年の統計は知らないが)「一人当たり美容室数」「一人当たりピアノ所有率」は日本全国第1位であり続けた。
 しかし、努力せずに豊かだった人間が、その豊かさのハシゴを突然はずされたらどうなるか。別に没落貴族についての小説やドラマを持ち出すほどのことはない。結果は目に見えている。石油がとれなくなり、ガスは噴出しなくなり、掘っても掘ってももう銅も銀もとれなくなり、米は余り、木材は外材に押され、サカナも寄り付かなくなる。こうしたことが太平洋戦争終結後の20年から30年の間に一気に起こったのである。享楽的な生活態度と性格だけを残され、それを支えていた豊かさのほとんど全てを突然奪われたとき、そこに残されたのが「自殺率No.1」という悲惨で不名誉な数字だったのは不思議とするにあたらない。悲惨な犯罪が多いのも、なるほどと頷ける部分のほうが多い。
 もちろん、私だって偉そうなことの言える立場ではない。私こそ最も享楽的であって、他の秋田県人の性格を批判できるような人間ではない。電通に入社してすぐにやめたのは、まさにquitter=「すぐに諦めて努力もせずにやめる人」。駿台予備学校で、本部校舎の東大スーパーを担当できるようになれば、普通たった3年でやめたりはしない。御茶ノ水の東大スーパークラスなど、元来すべての予備校講師の憧れの的であって、担当させてもらえるチャンスが巡ってくること自体が奇跡的である。何かのチャンスでそれを担当することになれば、一生それにしがみついているのが正しい道であって、あっという間にそれを捨てて代ゼミに移籍したことが、いかにも秋田県人的である。私は、つい最近までquitterだったのであり、偶然うまくいき続けたquitterだったのである。

 しかし、私たちがquitterであり続けたこの20年30年の間に、例えば山形県の人々は、例えば青森県の人々は、「東北人独特の粘り強さ」を発揮し続けていたのだ。酒飲みで享楽的な秋田県人なら、少しでもうまくいかないとすぐに丸々諦めてしまうようなことでも、山形の人は「東北の人々特有の粘り強さ」で、長い年月をかけてでも克服してしまうのだ。その典型が山形の果樹園。山形県に入って驚くのは「耕して天に至る」とでも言いたくなるほど、山頂まで続く果樹園の姿である。彼らは、モモとナシとブドウとサクランボとメロンと、とにかく植えられるかぎりの果樹を作って、身近な山の全てを果樹園に変える。その見事な果樹園の風景が、院内峠を過ぎて秋田県に入った直後に、山の風景は荒涼とした荒地の風景に変わる。かつて豊かだった人々が、山や野についてどのように考えてきたかが如実に分かるような風景である。
 だから「秋田新幹線」という代物は、滑稽きわまりない。東京から乗って、盛岡までは時速300km近いスピードで疾走するのに、盛岡から秋田方面の在来線に降りた途端に様相は一変する。突如として時速130kmに落とされたローカル線で、出来損ないそのもののスピードでノソノソむくれながら秋田に向かって走り出すのである。途中の大曲という駅からは、電車はなんと後ろ向きに走り始める。大曲で「上り電車」と「下り電車」の方向が逆になるのだから仕方がないらしいのだが、新幹線ともあろうものが、そういう国鉄時代からの決まりには逆らいきれずに、後ろ向きに走らされるのである。乗客の快適さよりもJRの決まりの方が優先して、秋田市民は「故郷に帰るときも後ろ向き」であり「故郷を出るときも後ろ向き」なのである。これほど屈辱的なことが考えられるだろうか。イルカ「名残り雪」の場面でさえ、秋田県人は後ろ向きなのだ。それに抗議する人さえ、誰ひとりいない。

 今回、甲子園で秋田県代表が11年連続初戦敗退のニュースを聞き、しかもそれに関して立ち上がる人さえ皆無である状況を聞き、無力ながら私が黙っていられる限界を超えたように思う。何をするか、何が出来るか、全く思いつかないが、放置したままに出来ないことは間違いない。何かをしようと思う。
 イタリア旅行記は、4月19日のパルマ紀行とボローニャ紀行に進まなければならない。しかし、すでに今日のブログは(怒りにまかせて)4ページになっている。今日は「次はパルマ紀行です」という予告だけにとどめて、また明日にしようと考える。何より、もう酔っ払いである。秋田のことになると、私は限りなく熱くなり、限りなく書きまくるのである。

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