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クリスチャンになりたい人のブログです。

分かりやすいキリスト教、うまく礼拝をのぞく方法などを紹介します!

God bless you!

分かりやすいキリスト教、うまく礼拝をのぞく方法などを紹介します!

キリスト教は興味あるんだけど、しつこく勧誘されるのはやだなぁ。
キリスト教ってここが変だと思う!
礼拝(ミサ)行きたいんだけど変なことしちゃったらどうしよう。

そんなあなたを歓迎します!


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第二回

私のイメージどおりの教会は? ~華麗で荘厳。様式美~


教会に行ってみたいと思われる方は、教会についていろんなイメージを持っていると思います。

例えば、

古そうな重々しい建物。

礼拝堂に入るときらきらしたステンドガラスがあってマリア様や聖人たちの絵や像がある。

するとなかには修道女がロザリオで祈っている。礼拝に来た人たちは十字をきっている。

というイメージに近いのは  ・カトリック

                   ・ギリシャ(東方・ロシア)正教会(聖公会と名乗ってるところもあります)

です。

この二つはどこが違うのかというと、マリア像や聖家族像があるか、イコン(絵)なのかというところです。

(教義的な違いはたくさんありますがイメージの話です)

カトリックの教会の特徴は、

マリア像、キリスト像、聖母子像がある。

聖歌にハモリがある(聖歌隊)

教皇様の写真がある


正教会の特徴は

中がとにかく華やか!

イコン(聖人様たちの絵)がある
聖歌にハモリ、伴奏がない

たくさんのキャンドルが置いてある

というところだと思います。


これらの教会の礼拝は、いかにもキリスト教!って感じがすると思います。

礼拝でも、きちんといつどの聖歌を歌うか決められているし、来る人たちも、おしゃれをしてきます。

それ以外にも十字を切ったり、(指で、額、胸、左肩右肩を触っていくよくみるやつです)。

ロザリオ(十字架やマリア像がついてるお数珠みたいなやつ)や、聖水など、アイテムもたくさんあります。

聖人たちがいるのも、この二つの教派の特徴です。

カトリックの聖人には ジャンヌダルク、マザーテレサなどがいます。


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キリスト教は興味あるんだけど、しつこく勧誘されるのはやだなぁ。

ゴスペルだけ聞いて、ショーとして礼拝を楽しんで、あまり、教会の人にかかわられずに帰ってきたいなぁ。

ヨーロッパや、アメリカの映画みたいな日曜日を教会で過ごしてみたい!
礼拝(ミサ)行きたいんだけど変なことしちゃったらどうしよう。


そんなあなたのために怪しくない教会選び、礼拝(サービス、ミサ)での目立たない振舞い方、

礼拝って何やってるのかということを分かりやすくシリーズで紹介します。



第一回

怪しくない教会の選び方


教会って、いっても今はカルトとかも多いしなぁ。

一回行ったら、しつこく勧誘されたらやだなぁ。

初めて教会に行く皆さんは、多かれ少なかれ、そんな思いを持つのではないでしょうか?


私は、キリスト教プロテスタント教会に通っていますが、最初は、カルトの教会に行ってしまったらどうしよう?と不安でした。

それに、カトリックの教会では、○○カトリック教会というように、教会名にカトリックという文字が入っているのですが、プロテスタントの教会では、グローリーチャペルとか、神の愛教会のように教団名や、派名が入っていないことも多いのです。


そこで、怪しくない教会を見つけるためのめやすをいくつか紹介します。

1、カトリック、聖公会(正教会)という単語が名前に入ってる教会。

2、看板、集会案内、ホームページに「私たちはプロテスタントの教会です」「私たちは聖書に忠実な教会です」と書いてある教会。

3、エホバの証人(ものみの塔)、統一教会(原理福音世界統一神霊協会)、モルモン教以外の教会


3の理由については、これら三つの教会について、マインドコントロールや、きつすぎる奉仕の強要、恐怖心を使った布教をしているなどの点からおすすめしません。




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Because of who you are I give you glory で始まるこの曲は、わたしがうたえるゴスペルの曲の中でも好きな歌のひとつです。

著作権があるので歌詞は書けませんが私なりに訳してみるとこんな感じです。

あなたが何かしてくれるから、あなたに従うんじゃない

あなたが誰だなんて、賛美をささげる理由じゃなくて

あなたがすごい人だから、私はあなたに向かって祈り叫ぶんじゃない

あなたがあなただから、いっしょにいたいんだ


この歌は、私たちから神様へのラブソング。

私は祈るとき、神様に、お願い!あれとこれとこれをかなえてください!じゃ、お休みなさい。

なんて祈ってしまいます。

でも、この歌を歌うとき、あぁ、神様、そばにいてくれてありがとう。愛してくれてありがとう。

って気持ちになるんです。



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苦しさから逃れたい。

私が生きていることを許してほしい。

そして、一人の人間として愛してほしい。

そういう思いだけが私の心の中にありました。


しかし、私は、一人の人間として愛される自信がありませんでした。

そして、誰にも愛されていないのだから、私一人がしんでも何の損失もない。

むしろ、私のようなだめな人間は死んだほうが世の中のためなのではないか。

そう思っていました。


苦しみから逃げるためには死ぬことがいちばんいい方法だと思ったけれど、死ぬ前に、すべての苦しみから逃れる方法をやってみよう。

私がまだやったことのない方法は何だろう?

私がいちばん最初に思い浮かんだのは神様に頼ることでした。


死ぬ前に、神様の教えを学んでみよう、それでもだめならそれから死ねばいい。

そう思って神様の家がある場所を探し始めました。

神社、お寺、教会。

その中で一番近くにあって、神様の教えを教えられそうな人がいるところが教会でした。

教会に通い始めたのは、もうひとつ理由があります。

それは、そのころシェイクスピアをやっていたことです。

シェイクスピアにはよく教会の場面が出てきます。

それにヒロインの中で、クリスチャンである人も多いのです。

シェイクスピアを演じるときに、信仰心をリアルに演じられるのは強みになると思ったのです。


そうして、私は教会に導かれたのでした。


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私は中学になって、今度こそ、ちゃんと学校に行こう。

そう思って、中学校に通い始めました。

勉強も、友達関係も、部活も、ピアノ、歌、塾、演劇。

そのすべてを頑張るんだ!と思って一生懸命学校に行きました。

そのおかげで、最初はクラス委員にも選ばれました。

友達、上級生、先生、親。そのすべての人々にほめられようよく思われようとして頑張っていました。

3:00~4:00まで部活に出て、そのあと5:30までピアノ、6:30まではまた部活というような生活をしていました。

でも、そのうちに息苦しくなっていきました。

あまりによく見せようとしていたのが災いして、同じ学年の男の子たちに軽くいじめられたりとか、されるようになっていきました。

発表とかはきちんとできても、友達作りは苦手だったので、女の子の友達もできなかったし、その忙しい生活に体力と精神力の限界でした。

まず、いつもの吐き気頭痛腹痛が始まりました。

そしてだんだん、勉強ができなくなっていきました。

数学の教科書を見るとほんとに辛くて泣きそうになってしまうとか、破り捨てたくてどうしようもなくなるとかそういう感情がおこるようになっていきました。

演劇も、ピアノも歌も何もかもがうまくいかなくなりました。

その時期は、祖母も倒れ、父と母もうまくいっていませんでした。

そして、学校に行けなくなっていきました。

母はとても心配しました。怒り、叫び、嘆きそして、殴ってでも、私を不登校にさせまいと頑張ってくれました。

でも、そのすべてをもってしても、私は学校に行けませんでした。

でも、お芝居だけはいっていました。

家の中だけに居なくてはならなくなるのが怖かったからです。

母は、私が家に居る間家事をしなさいといいました。

でも、私はそれすらできなかった。うつ状態で、泣きながら学校にはもう行けないといって、真っ暗な部屋の中で眠り、本を読むことしかできなかった。

母は、たたいてでも、将来私が何とか暮らせるようにしてくれようとしたけれど、そのことは私にとっては辛いだけだった。

そのとき、私には太陽の光さえが辛かった。まぶしすぎてきれい過ぎてすっごくみるのがつらかった。

そのときは、空も木々も何もかもが灰色にしか見えなかった。

外を歩くときは、息を殺して誰にも見つからないように、私だとばれないように歩いていました。

私が居られる風景は、演劇に行くときに見える夕焼けぐらいしかなかった。

家に居るときは、母のどうして学校に行けないのかという追求に耐え、どうして学校に行けないのかという嘆きと、平手の中で居なきゃいけなかった。

その中で、唯一、私の味方だったのが歌だった。

歌っているときは、ずうっと苦しかった呼吸が少し楽になった。

歌はいつも私を裁かないし、悲しみにそっと寄り添っていてくれた。

歌のことばは裏切らない、私を傷つけたりしない。

道端でも、私は歌っていなければ、怖くて歩けなかった。

お芝居でも、私はうまくいってなかったけど、歌えるからお芝居をしていた。


でも、学校も家も私にとっては地獄だった。

母の怒っているときの声のトーンを聞いただけで、体が苦しくなる。

それに、じぶんでも、学校に行けない自分に、将来に絶望していた。

このまま生きていても、苦しい将来しかない。

そうとしか思えなかった。死にたかった。

心が枯れていて、泣くことも、笑顔を作ることもできなかった。

それでも、ずっと家に居るよりはましだったからお芝居に行った。

母は、怒った。

「なんで、学校に行けないのにお芝居にはいけるの?どうして学校に行かない余計なことするの!

学校に行かない日はお芝居もなし」

そう言った。


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私が次に、苦しんだのは、小4のときでし


何でかは、分からなかったけれど、急に、学校に行くのが苦痛になっていったのです。


朝起きると、学校のほうこうを向いただけで頭痛、腹痛、吐き気を感じる。


最初は自分ではかぜだと思いました。

母も、そう思っていたようで、一日二日は、休ませてくれました。

でも、それが毎日になるにつれて、やっぱり休ませてくれなくなりました。


そりゃね、何の理由もなしに、毎日学校休みたいっていってたら怒るよなとは思います。

でも、本人は、ずる休みしようとはまったく思ってなくて、ただただ、慢性的な気持ち悪さ頭痛腹痛に悩まされていただけなんです。


頭痛いっていうのは、学校を休むための口実ではなくて、ただ単にほんとに頭が痛かっただけでした。

さらに悪いことに、学校の始業時間が終わると、うそみたいに消えてなくなるんです。

とにかく学校に行くことがそのときは苦痛でした。

学校を休めないときは、それこそぼろぼろに泣きながら学校に行っていました。


そんなことを繰り返しているうちに、母もあきらめたのか、学校に行かなくてもよくなりました。

私はそのころ何にもするきになれなくて、自分の部屋で、ただただ寝ている毎日を送っていました。

日の光もだいっ嫌いで、いつもカーテンを閉めて、寝ていました。


母は、そんな私を心配して、勉強しろだの、勉強もできないなら家事を全ぶできるようにしろだの言っていましたが、私にはそんな気力はありませんでした。


そのうち、母も疲れてきたんだろうと思います。注意はだんだん怒鳴り声になっていき、毎日取っ組み合いの喧嘩になっていきました。


私は、学校にいかないことで、だんだん人が怖くなっていきました。

それに母にも、外を歩かないように言われていました。

外へ出るにも、常に人のいない道を選んで歩くようになっていきました。


私にとってそのときのことは、まだ、思い出したくない思い出でもあります。


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この文はアフリカの主の祈りと呼ばれてるものです。

おそらくは、貧しさ、病、戦争などで明日の命さえ分からない人たちに大切に祈られてきた祈りです。

今日のパンでさえも手に入れられるかどうか分からない。

それゆえにすべてを主に祈って、主の前に物乞いでいる人たちの祈りです。


3:マタイによる福音書 / 5章 3節

「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。


この心の貧しい人というのは、本当は心の物乞いという意味だと読んだ事があります。

貧しい人は、明日の食べ物を自分の手で得ることができます。

二日に一回かも知れないけど、自分で稼げます。自分のお金を持っています。仕事を持っています。

でも、物乞いは、何も持っていません。自分の食べ物、仕事、お金。

自分がどうやっても、自分を養うことができないのです。

何もかもを他人にゆだねなければいけないのです。

そんな風に、何もかもをジーザスにゆだねている人たちの祈りです。



もしあなたが、
神の子として生きていないならば、
「父よ」といわないでください。


もしあなたが、
自分のエゴイズムの中に、閉じこもっているとすれば、
「私たちの」といわないでください。


もしあなたが、
この地上のことばかり考えているとするなら、
「天におられる」といわないでください。


もしあなたが、

自分の栄光や、自分の名誉のことしか考えていないならば、
「あなたのみ名が尊ぱれますように」と、いわないでください。


もしあなたが、
物質的な成功を考えているとすれば、
「み国がきますように」といわないでください。


もしあなたが、
気に入ったことばかり受け入れているとすれば、
「み心が行なわれますように」といわないでください。


もしあなたが、
貧しい人びとのパンのために働かないなら、
「私たちの今日の糧をお与えください」といわないでください。


もしあなたが、
兄弟姉妹に対する憎しみを味わっているとすれば、
「私たちの罪をお赦しください」といわないでください。


もしあなたが、

誘惑を体験するように身を置くとすれば、
「私たちを試みないように」といわないでください。


もしあなたが、
善のためにコミットしないなら、
「私たちを悪から守ってください」といわないでください。


もしあなたが、
主の祈りのことばを、真剣に受け取っていないなら、
決して「アーメン」といわないでください。

この文をはじめて読んだとき、私はこのなかのいくつのことばを祈れるだろうかと思いました。

しかし、私の信仰の浅さと同時に、このなかのほとんどを祈れない私の弱さを知ってなお、愛してくださる神の愛の両方を感じました。

このように、いい祈りを教えてくださったイエス様に感謝します。Amen.



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まず、始まってびっくりしたのは


ことば


が聞こえてきたこと。


ダンス言語がまったく分からない私にとって、Noismの公演を観るのは、ギリシャ語のラジオを聞くようなもので、何がなんだかよくわかんないけど、声のトーン=表情から何を言ってるか読み取らなきゃって思ってたから、大変でした。(でも、面白いとは思ってたけど)


そこに、聞きなれた日本語=ことばが聞こえてきたからちょっとほっとしました。

それに、照明も、めまぐるしいものじゃなかったし、なんか入り込みやすい。


ダンサーさんは、男性も女性もスカートみたいなものをはいていて、肌色の衣装。

髪も、何か布でぴったり覆われて、なんだかマネキン見たいな感じ。


やっぱり音楽はノイズ系。時折大きな音がはいる。

のこぎりだったり銃声だったり、しかも、ダンサーさんがつけてる衣装が音にあわせて丸く赤く光るんです。

いたそうすぎて、見ていられない感じ。


いつも疑問なんだけど、どうしてコンテンポラリーの人って、聞いてていごこちよくない音楽だったり、

視覚的に痛そうなことやるんだろう?

コンテンポラリーダンスには、特徴として、人が抱えている、しかも普段は目をそむけている違和感や、自由への狂気にも似た思いを感覚をあぶりだす特性があるんだろうか?


最初は、ダンサーさんは違う世界の人、私たちは覗き見をしているという感覚だったんだけど、見ているうちに、同じ次元でダンサーの人たちが生きてるように見えてきた。


私は、舞台を見に行くときは、舞台のことはあくまで別世界のこと、それは私には関係ないという安心感を持って、舞台を見に行ってた。

今回も、そう思って見に行ったんだけど、この舞台にはそれを許さない何かがある気がする。

ダンサーさんを、ダンスを見に行ったはずだったのに、私の目の前で繰り広げられていたのは、ダンスじゃなくて、かっこいいダンサーさんたちじゃなくて、ものすごく生な感情でありそこにいたのは人間だった。


みていて、すごく悔しかった。

この作品はフィクションなのに、私が今まで生きてきて与えたことのないインパクトを与えているんだなぁと思ったから。

一瞬でもこんなに一生懸命生きたことが今までになかったから。


この作品を見て、私はひっしに生きたいと思った。

あんなふうに少しでも前に進もうとしていたい。

何もかもをあきらめたくないそう思った。




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先週の土曜日、新潟のプロダンスカンパニー Noism の公演を観てきました。


Noismの公演を観るのはこれが三度目なんですが、

今回の公演は今までにないショックを受けました。

いままで二回は、なんかすごいものを見てしまった、

あんまりよくわかんないけど、なんか楽しかったって感じのものでした。

でも今回は、すごかった、楽しかったでは足りなくて、

言葉に言い表せない、衝撃としか言いようがないものでした。


今回の舞台は初めてのスタジオB。

4年前、初めて演劇に触れた場所。仲間たちと舞台を作っていた場所。

もう、裏の動線までよく知っている懐かしい親友のような場所。

だからこそ、プロのダンスカンパニーの人たちがその場所でどういう夢を作ってくれるのかすごく楽しみだった。


私にとっては初めてダンスというものに触れたのは、Noismのファーストステージ、SHIKAKU。

そのときの印象は


「・・・・・・なんだか良く分からない」



予想もできないタイミングで大きな音が入る、しかも不安をあおるような音楽、めまぐるしく変わる照明、人間ぽくない衣装、振り付け。

ものすごいことをしているのは分かる、でも、ダンスを初めてみる私にはダンスの言葉が分からなくて、呆然としている間に終わってしまいました。

正直言うと、あまりに刺激が強すぎて「怖いなぁ」と思ったのも事実です。


今回、とても近いところでダンスを見て、その印象は変わりました

金森さんの作る世界はとても難しくて、分かったと思っても、全部が分かったわけではないのは確かです。でも、今回の公演は、もう分かる分からないじゃなくて、いやおうなしに巻き込まれてしまった感じです。


スタジオBにはいって、最初に目がいったのは、白い木の山のようなもの。

そして、面白い形に作られた客席。そして、白い天使のようなマネキン。

私は、招待席とかかれた椅子の二つとなりに座りました。





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小学校に上がって、だんだん「自分ができてくるにつれてが現れてきました。

小2のときの自分は、自分を過信していたし、自分がいつも正しいと思っていました。

何か嫌なことをされたらやり返してもよいと思っていました(今も少し思っているかもしれません)

小学二年生のときの私の罪。それは、先生に反抗したことです。

というか授業ボイコットをしていました。

そのときの先生は、休み時間に何を話しかけても相手をしてくれない先生でした。

私が何をお願いしても聞いてくれない先生でした。

私の言うことを聞いてくれないのなら、私もその先生の言うことを聞く必要はないわねって、

おもいっきし反抗してました(笑

授業中、本をおおっぴらに読む、先生の言うことは聞こえないフリをする。

回りに迷惑はかけてないし別にいいじゃんって、思ってました。

そのときは、どうやら神様がストップかけててくれたみたいで、私自身いろいろなトラブルが起きてました。

1、交通事故。

友達と追いかけっこをしていて、飛び出したことが原因でした。

かなりきわどいところで、もしランドセルがなかったら、ちょっとまずいことになってたかもねといわれました。

2、骨折。 階段で、普通に転んだだけだったのに骨が欠けました。

しばらく松葉杖暮らしで、ちょっと先生には向かう元気がなくなってました。


が、そんなストップを気にも留めず、先生と全面戦争の日々(笑

結局、いくらは向かってもだめだったので、こちらの精神がきつくなって、学校に行かなくなってしまいました。明るい不登校ってやつで本人は元気だったんだけど、学校では問題だったみたいです。



そのときはまだ、何度も何度も不登校になって、地獄のような生活を送るとは夢にも思わなかったのでした。


そしてそのとき一つのミュージカルに出会いました。

地元の市民ミュージカルでした。

実は、内容はあまり覚えていなかったんですが、

大きな二つの十字架が点滅していたこと、

そして、一つの歌詞が心に残っていました。


「ののしられてもののしり返すことなくいつでも祝福を与えなさい」



今思えば、初めてふれた聖書のことばだったのかもしれません。


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