北朝鮮ってどんな国? - (34)歴史 高麗 ⑩ | 北朝鮮に拉致された生島孝子さんを奪還する学生の会

北朝鮮ってどんな国? - (34)歴史 高麗 ⑩

皆さんこんばんは、奪還の会です。
本日も「北朝鮮ってどんな国?」シリーズを更新していきます。
昨日の更新記事である(33)歴史 高麗 ⑨ では、
元冠の前半である文永の役の一連の流れについて見ていきました。
元軍は偵察目的を中心とした流れで3万の軍を使い、
日本上陸のために離島(対馬など)を蹂躙し獲得、
その後に九州に上陸し、基本的に元軍優位に立って博多で交戦しました。
そして軍議で偵察を果たした元軍は撤退することを決め、
日本から撤退し、日本が事無きを得て、文永の役が終わりました。
今日はその後の流れについてみていきたいと思います。


北朝鮮に拉致された生島孝子さんを奪還する学生の会
元冠(文永の役)の戦線図


元軍優位のまま文永の役は終わりを告げたが、
元の再侵攻の脅威はまだ取り除かれたわけではない状況で、
鎌倉幕府は以前よりも本格的な異国警護に着手した。
1275年には日本に元の使者が来訪してきたが、
今までの姿勢以上に対外に対し強硬に出た鎌倉幕府は、
この使者(間諜・スパイという話もある)を斬首に処してしまう。

また同時に高麗出兵の計画を立てたり、
元冠に対する防塁(石築地)を九州・博多湾に築いている。
結局、高麗への出兵は見送られ中止となったが、
1279年に元から来た使者を再度斬首にするなど、
鎌倉幕府の強硬な姿勢は依然として変わっていなかった。

そんな中元は南宋の征伐を完了し後顧の憂いをなくすと同時に、
元の使者の斬首の報を受け、日本の態度を知った元は、
再度日本への再派兵を計画し、そのための省庁も用意するなど、
双方の準備が整いつつ、緊張が高まっていきました…。


本日はここまで。次回以降はついに開戦した弘安の役について見ていきます。
質問・感想はコメント欄でお待ちしております。ではまた次回。