身を持ち崩さないために
テーマ:バンド関係こんな風にやる気になるというのは、自分にとっては喜ばしいことなのだが、多少のブレーキをかけないといけない。
私は、子供の頃からとんでもない凝り性なので、そういう気持ちを抑えないと、生活のバランスを崩してしまうのだ。楽器が好きな人は、それなりの集中力がある人ばかりだるから、みんな、多かれ少なかれ凝り性な人がおおいと思う。
小中高と野球に全エネルギーを注いでいる私を見て、私の母は、「お前は、絶対に麻雀は覚えないでね」とくぎを刺した。母は、私の凝り性を見抜いていて、この凝り性で人生を持ち崩すことを心配したようだ。
私も母の教えを忠実に守って、何かに熱中するあまりに人生を持ち崩さないようにと気を配ってきた。
野球をやっていた頃も、「ちゃんと大学に入る勉強はしよう」と思ったし、楽器に熱中した時代も「ちゃんと就職はしよう」と思った。社会人になってバンドに熱中したが、「ちゃんと仕事はしよう」と思った。仕事を一生懸命やり過ぎると健康を崩すので、「家庭のことを考えて、仕事も健康を保てる範囲にしよう」と思った。
放っておくと私は、人の何倍も夜討ち朝駆けをして、ネタをとり、睡眠時間も取らずにそのままバンドの練習に行ったりする。それで身体をこわしたこともあるので、「家族のためにも、ちゃんと睡眠時間と休みをとろう」と心がけるようになった。
大学時代に始めたドラムも、朝から練習して、気がつくと外が暗くなっていることもしばしばだった。
30代で英会話を始めた時ものめり込み、起きている間、仕事している時間以外のほとんどの時間、英語の勉強をしていた。よく身体をこわさなかったと思う。
今の「ドラムの練習がしたい」という気持ちは、凝り性の自分にスイッチが入りそうな感じなので、警戒している。そのスイッチが入ると、自分の直したい部分を全速力で直そうとするあまり、生活を省みずに突き進んでしまいそうなのだ。
今は、「プラッサオンゼのセッションで見つけた自分の直すべき部分を、5年ぐらいかけてゆっくり直そう」と自分に言い聞かせている。
こういう時は、「自分は何のために音楽をやっているか」と考えるようにしている。
「自分は何のために音楽をやっているか」→「いい演奏をしている所を見てもらって、家族に喜んでもらうため」→「家族に喜んでもらうためには、家族が私の音楽を聴いて楽しむ環境がなければならない」→「そのためには、家族の生活が安定する余裕がないと楽しめない」→「家族の生活が安定する余裕を生むには、ちゃんと仕事をして、私も健康でないといけない」→「結局は、私がちゃんと仕事をして、健康も保つ範囲で、音楽をしないといけない」。これが結論だ。
私にとって最悪のシナリオは、「音楽に没頭」→「仕事がうまくいかず、家族に八つ当たりし、家庭もうまくいかなくなる」→「仕事を辞めざるを得ず、家庭も崩壊」→「演奏が上手くなったはいいが、見て喜んでもらうはずの家族がいなくなる」→「つまらなくなって、楽器をやめる」という感じか。(まるでジャコみたいな人生だが、結構、こういう人は多いように思う)
毎日1時間ずつ365日やって、それを5年やり終えた頃に直すべき部分が直っていると。そんな感じでやらなければ、と思う。
自分が見つけた直すべき部分を箇条書きにして、手帳に書きだして、それを上から順に1つずつ消していくことにしようと思う。






