通勤の電車の中で読書するのが習慣だが、最近、ついつい本に夢中になって、下りる駅を乗り越してしまうことが多い。1駅か2駅なのだが、それでも、10分やそこらはロスする。
面白い作家を見つけると、次から次へと買ってきて読んでしまう。その作家の作品を全部読み終わってしまうと、寂しくなる。
新しくお気に入りの作家を見つけるのが結構大変なのだ。
大概は、新聞や雑誌の書評に目を通しておいて、面白そうな作品と作家の名前はメモしておく。そこから1つ選んで、まずは立ち読み。面白ければ買うことになる。
世の中には、作家は星の数ほどいて、作品も星の数ほどある。それに比べると、自分の人生の時間とその中で読書に割ける時間とエネルギーは限られているので、どうしても選択が重要になる。
私は、本の2,3ページ目までを読んで、大体は判断してしまう。そこまでで私の心をつかまないものは、そのまま本棚へ。内容が悪いものは、その段階でゴミ箱に捨てる。
本を捨てるのはもったいないと思う人もいるかもしれないが、私からすれば、本に払うお金より、自分の読書に割く時間とエネルギーの方が惜しい。
貴重な時間とエネルギーを割くに足る本を読まないと、人生の浪費だと思うのだ。
面白い本に行き着けば、それは、本代など比較にならないぐらいのもうけものだと思う。
本を読んで、大事だと思うことは手帳に書き留めることにしているが、手帳に書き留めるほどのことが書いてある本というのは少ない。手帳に書き留めて、後で何度も見直すような大事なことが書いてある本なら、10万円払ってもお釣りが来ると思う。
そのぐらい、本から得られる情報というのは大事なものがあるのではないかと思う。
私は子供の頃から活字中毒だったが、私の活字中毒を加速させたのは、今の仕事の駆けだしの時期だった。
岩手に赴任したのだが、一緒に赴任した同期のYくんが私以上の活字中毒者だったのだ。
それでなくても新聞記者の駆けだしの仕事は大変なのだが、Yくんは、休みの日になると、朝8時に私の部屋のドアを叩いた。「遊びに行こう」という。
二人で行く遊び場は、本屋とCD屋。ここで本とCDを山ほど買って、二人で喫茶店に行き、1日、音楽を聴きながら読書をした。 (彼は後にうちの新聞社で一番の書評子になるの。ノーベル賞をとるほどの大作家とお友達になり、その書評を書いたら、その作品の帯にYくんの書評の中の言葉が使われた)
Yくんと本屋に入ると、いろいろな分野をくまなく見て歩くことになる。小説、ノンフィクション、教養書、古典などなら普通だが、趣味のコーナーで家庭菜園のやり方の本を買ったり、マイルスデイビスの自伝を買ったり。とにかく、少しでも気を引くような本は全て買うことになる。
普通、友達と本屋に入ったりすると、「そんなくだらないものを読むのか?」と言われたくないので、ちょっと気取った本を買おうとするものなのだろうが、私たち二人にそんな見栄は皆無だった。くだらないと思われても興味を引くものは買う。とにかく、自分の「興味」のままに買うのだ。
この本屋での買い物の仕方は、今でも私たち二人の間では変わらない。
私が買った家庭菜園の本をYくんが気に入ることもあるし、Yくんが買ったブルーハーツの自伝本に私が興味を持つこともある。
読書は、自分がどういう人間かを誰かに示すものではない。ファッションではないので、自分が何に「興味」を持っているかにストレートに行動しなければ続かないのだ。
そういえば、会社の同期でも、知り合いでも、「この人、何か、興味あるなあ」と思うような魅力のある人間というのは、不思議と本屋でばったり会うことが多い。本屋であって、「何読んでんの?」とお互いが手にしている本の題名を見ると、非常に下世話だが、非常に興味深いものだったりする。
「ああ、なるほど、こういう本もきっと面白いのだろうなあ。俺も今度、こういうの読んでみよう」と思った時、確実にその友達への私の中での見る目は変わっているのだ。「この人、こういうことにまで興味もってて、魅力的だなあ」と思う。