“金欠病”は、
両親に、父母に感謝していないことが
原因しているのであります。
考えてみてください、
誰でも・・そうなんですが、
人間であるみなさんは、全員、
両親が存在して、この世に誕生できたのです。
いや、複雑に思考しないで、
単純に考えてください、そうでしょう?
みなさんが、自分の出処の秘密である両親のことを否定していたら、
否定ってことは、存在しないってことですよ。
だとしたならば、
両親が存在しないのに、みなさんが存在していることは、
不自然ってことになってしまうでしょう?
しかし、みなさんは、
現実に人間として、そこで生きているんですよ。
両親が存在しなかったとしたら、
みなさんという存在の姿かたちどころか、
影も欠片も誕生しているわけがないのです。
なのに、みなさんは誕生しておられる・・不思議ですね?
やっぱり、両親の“おかげ”では、ありませんか。
両親の“おかげ”で、この世に生を享けた・・
この事実をうすうすは知っていたと思います、
しかし、思うことと感謝することとは、別のことである・・
これも事実であります。
そこで、そこで・・ですよ、
現に幸せいっぱいなら、少しは感謝できるんだが
そうでもないんだから、生んでもらったことに感謝なんか・・
そう簡単にできないようなぁ・・こう思考しちゃうんですよ。
でも、でも、考えてみてください、
自分の出処の秘密である両親のことを感謝しないとしたら、
この世界に自分を誕生させてくれた“縁”にさえ感謝できないのですから、
自分で自分の誕生を否定して、
自分自身を自己否定することになってしまうのです。
だから、だから、ここですよ、よ~く聞いてください、
自分の誕生も祝福できないなんて・・
これは、みなさん、あなた自身のこころの中にあることなんですが、
あっ、そう、そう、みなさんにも“善なるこころ”があるんですよ、
そこで、その“善なるこころ”が導き出すのが、
是正しなければ・・ということで、
自らが裁判官になって罰を科してしまうのです。
そこで罰となれば、
なんで罰を受けたのかが・・早く、明確にわかり、
自己是正できるように、しかも現代流に捉えて、
最も必要とする“お金”を遠ざけることとし
処罰を決定しちゃうのであります。
長々と述べましたが、
要するに“金欠病”が、
両親に感謝できない罪なんです。