1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2017年11月22日

223話 立ち直ってくれるかな

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は冬が早いのか、まだ11月半ばだというのに、この先一週間はこの冬一番の寒気が南下して日本列島のあちこちで雪を降らせるという。予想天気図を見れば、気圧配置は西高東低の典型的な冬型となって、強い北西風が吹き荒れ大しけになりそうだ。

ただし、明日一日だけは移動性高気圧圏内に入って冬型が緩みそうである。

気象予報どおりなら、一日だけは釣りが出来ると踏んで、わいは竹芝桟橋から三宅島行きの夜行船に乗り込んだ。
しかし、竹芝の出札窓口では、わいの出鼻を挫くように、「本日の三宅島行は条件付き出航になっています。」と告げられた。条件付きとは、海上模様や港内状況如何で、就航欠航の可否が決められるので、到着は保証できないと言われたようなものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


欠航となれば、勿論上陸できないが、だからと言って船が沈没するわけではない。そのまま乗っていれば、八丈島からの折り返し便が寄港するかもしれない。それも欠航したら、竹芝まで乗って帰ればいいのだ。往復の運賃は払い戻してくれるから、ロハで船旅ができたと思えばいい。とはいえ、喜ぶ人は少ないだろう。ともかく、この季節の連絡船は欠航と背中合わせで運行している。

 

午前4時30分、船室に灯りが点灯して、しばらくすると船内放送で、「本船はまもなく三宅島は三池港に入港します。」と報せてきた。しかし、まだ、入港できるかどうか分からない。

幸い、その日の連絡船は無事に接岸できた。まもなく岸壁からタラップが掛かって、50人ほどの下船客は夜明け前の暗い岸壁に次々に降り立った。わいはタラップを降りると100メートルほど岸壁を歩き、港の駐車場の端あたりで薄闇を透かしてみた。すると、30メートルほど先で、軽ワゴンから人影が降りるのが見えた。あれが迎えの車だろう。近づいていくと、荷物室のドアを開けてムツミが立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


おはようと声を掛けてリュックやクーラーを車に載せると、助手席に乗り込んだ。車はすぐに発進し海岸沿いの道を走りはじめたが、「天気が悪くなるみてぇだけどぉ、大丈夫なのぉ?」とムツミが心配気に尋ねてきた。うん、悪くなるのは明日からで、今日一杯はもつと思うよ。危なくなったらさっさと逃げて帰るさ。無理すると年寄りの冷や水って笑われちゃうからねと返事を返すと、「そうだよぉ、ナカムラさん、齢とったら無理しちゃだめだよぉ。」と完全に年寄り扱いされてしまった。わいは謙遜して言ったつもりなのに、ムツミは額面どおりに受け止めたのだ。


ところで、今朝、船長は漁に出たの?と聞いてみると、「じいさんもはた迷惑だよぉ。」「夕べから漁に出たくて出たくてウズウズしてたんだけどよぉ。今朝は午前2時に起きてきたから、おれも付き合わされて、弁当作ったりお茶を淹れたり、だから、眠くて眠くてしょうがねえよぉ。」「うちのじじいもキンメ漁なんかいい加減止めて欲しいよぉ。年寄りの冷や水だよぉ。」と朝からムツミの愚痴を聞かされてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


車が光明丸に到着すると、わいはいつもの四畳半に荷物を置いて、身支度を済ませると、ヘッドランプを点けて物置からバッカンや磯タビなどを持ち出した。軽ワゴンは玄関前に駐めていたので、そこで釣り支度に掛かるのだ。玄関脇には光明丸の壊れたクーラーが置いてあって、その中に、ほどよく溶けたオキアミが入っている。それをバッカンに移し替え、しゃもじで砕いて配合エサと混ぜ合わせるのだ。手の抜けない大切な作業である。一連の作業には30分ほど掛かるが、それが完了したら朝飯である。

 

食堂に入ってみると、台所にもムツミの姿はない。仕方がないので、茶碗に湯を注いで白湯でおにぎりを食べていると、ムツミが現れて、ごめん、ごめんと言いながら茶を淹れてくれた。

台所に戻ろうとしたムツミは、急に立ち止まって「クロマルが猫エイズになっちゃったんだよぉ。」と哀しそうにつぶやいた。「食欲がなくなって体重が落ちてきて、口内炎がひどかったんで、昨日、八丈島に送って看てもらったんだよぉ。そしたら、獣医から電話があって、猫エイズだって言われたんだよぉ。」と相当ショックを受けているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いつもは粗野で乱暴な物言いをするムツミだが、この時ばかりは打ちしおれていた。

わいは慰める言葉が見つからなかったが、黙っている訳にもいかないので、「心配ないよ。猫エイズだからって、すぐに死ぬわけじゃあないから。」と言ってやったが、これではまったく慰めにはならない。


ところでクロマルというのは、ムツミが一番可愛がっている猫のことで、数年前、ノラの母猫に連れられてきたが、その時は鼻水をビロビロ垂らし、痩せて風邪でも引いているようなひ弱な子猫だった。

鼻水は半年ぐらい続いたが、ムツミが面倒を見ているうちに治ったようだ。毛並みがカラスのように真っ黒で、目が金色をして黒目が異常に大きかったのでクロマルと名付けたのだろう。口元から両側に、白い牙がニョキッと飛び出していて妙に愛嬌のある猫である。クロマルは光明丸にやって来るとすぐ、ムツミに可愛がられ、すぐさま部屋住みの身となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


断っておくが、ムツミが面倒見ているノラ猫は20匹を下らないが、そのほとんどは絶対部屋に入れない。しかし、その中の3匹だけは別格で、天下御免なのである。クロマルはその1匹である。だから、クロマルは暖かい部屋の中で優雅に暮らしていられるが、部屋に入れないノラ猫は、縁側に座ってガラス戸越しに、羨ましそうに部屋の中を覗いている。クロマルの母猫でさえ入れてもらえないのだ。

ムツミの溺愛の甲斐あってか、クロマルの鼻水も止まり、2年もたたないうちに体重が5キロ近くのデブ猫になっていた。そのクロマルが不治の病、猫エイズになったというのだ。

これからは毎日薬を飲まさなくてはならないし、栄養のあるものを食べさせなければならないという。おにぎりを食べながらムツミの話を聞いていたが、猫エイズではわいはどうすることもできない。せめて、ムツミを元気づけてやるしかなさそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは朝飯を済ませると、荒磯に向けて軽ワゴンを走らせた。行く先はカドヤシキである。カドヤシキは20日前にも入ったが、その時は早朝から入れ食いとなって、昼前に納竿するほどの爆釣だった。45~50センチのオキナメジナを5匹も釣って、ほかに、シマアジの子やカンパチの子を30匹ほど釣り上げた。それ以上釣ったらクーラーに入り切れないので止めたのである。

そんなおいしい思いをした磯だから、またぞろ釣れ過ぎたら困ると心配しなければならなかった。しかし、いざ釣り始めたら、その心配は無用だった。前回とは正反対に、ウキはピクリとせず、エサがまったく取られない。潮は薄濁りでとろとろ動いていたが、雑魚一匹掛かってこない。戻って来た付け餌を掴んでみるとひどく冷たい。水温が急に低下して食いが止まってしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まったくアタリの無い世界が2、3時間続いたろうか。それでも丹念にコマセを打って、あちこちポイントを変えながら仕掛けを流していると、泣きっ面に蜂とはこのことで、仕掛けが沈み根に根掛かりしてしまった。半分沈みかけたままウキが静止している。

根掛かりを外そうと竿を大きく煽ったところ、あらまっ、ウキがモゾモゾ動き出すではないか。慌てて竿を煽り直して針掛かりさせると、モゾモゾ野郎は突然奔りだした。

引きが強烈である。メジナでもイスズミでもない引きである。フエフキダイでも食ってきたかと竿をためたり緩めたりしていると、数分後に、水中に魚影が現れた。

 

釣りあげてみるとイシダイであった。メジナの代わりに外道のイシダイが掛かってきたのだ。外道でもイシダイなら満足である。体長45センチの立派なやつだ。

それからは2匹目のドジョウならぬ2匹目のイシダイを狙って棚を深く取ってみたが、ベラとブダイの子が1匹づつ来ただけで、2匹目が来る気配は全くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼頃まで辛抱したが、お先真っ暗なので磯替わりすることにした。

行く先は、東に数キロ離れたオキバラである。オキバラに来てみると、御蔵島方面から激しいうねりが入っていて、あちこちで波しぶきが上がっていた。磯際には真っ白いサラシができて潮も動いていた。一帯は低い溶岩原になっているので、うねりが入ると潮が足元を洗って行く。潮に洗われると足元が妙に生暖かい。さっきまでいたカドヤシキの潮はひんやりと冷たかったが、ここはぬるま湯のように生暖かいのだ。


水温の違いが吉と出るか凶と出るか、真っ白くさらしたワンドに第1投を打ち込んだ。

すると、ゼロ号のウキがさらしの中に吸い込まれるように沈んでいく。それを何度か繰り返すうち、突然、仕掛けがスルスルと引き込まれていった。合わせをくれると、ググーと強い引きに変わって猛然と奔り出した。強烈な奔りである。10分以上やり取りしたろうか、漸く釣り上げてみたら50センチを超える大イスズミであった。

外道ではあったが強烈な引きが楽しめた。しかも、イスズミはノラ猫たちの大好物で、ムツミを元気づける最大のみやげになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


次はメジナだとばかりに意気込んでみたが、そうは問屋が卸さなかった。その後も釣れるのはイスズミばかりで、2時間ほどでイスズミが5匹ほど釣れた。ここの潮は温かくてイスズミの好む潮らしい。これではいくら頑張ってもメジナは釣れないだろう。

見切り千両である。イシダイも釣れたことだし、ムツミへのみやげも出来た。時刻は3時前であったが、潔く納竿することにした。今回はこれにて終了である。


光明丸に戻ると、庭先にムツミがいて「なんか釣れた?」と尋ねてきた。

「うん、釣れた。これがみやげだ。」とイスズミを見せると、「でっけえっ、」と小躍りして喜んでくれた。ノラたちも喜ぶよ。ありがとうと言ってムツミが笑顔を見せた。

イスズミで立ち直ってくれるかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年09月02日

222話 荒磯の本格コーヒー

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月というのに、梅雨のような長雨が続いていたが、その雨も上がって、久しぶりに夏の日差しが戻って来た。

その日、わいは日課のコーヒータイムで、15分ほどの距離を歩いてカフェピンコロにやって来た。ドアにCLOSEの札が掛かっていたが、マスターが裏返すのを忘れているのだ。わいは庇の陰に入って一息つくと、帽子をとって額の汗をぬぐった。15分ほど歩いただけでTシャツはぐっしょり濡れてしまった。

ドアを開けて上り口でスリッパに履き替えていると、「ホットですか。アイスですか。」と鉢植えの陰からマスターの声が聞こえた。

わいは「アイスで。」と答えて、いつものシートに着席すると、暫くしてマスターがアイスコーヒーを運んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいがおしぼりを使っていると、マイカップを手に再びマスターがやって来て、斜め前のソファに腰を下ろした。いつものように広い店内に客はわい一人だ。

わいがアイスコーヒーを飲み始めると、マスターがやおら口を開いた。

「雨も上がったことだし、天候も回復してきましたから、そろそろ行くんでしょ。」と直近の釣行予定を詮索してきた。釣行の動機に雨上がりを持ってくるなんて、いかにもマスターらしい。

わいはそれに答えて、たとえ雨が上がってもカンカン照りになったら、その方がしんどいよ。真夏の季節は小雨とか曇りの方が凌ぎやすいんだと説明してやったが、マスターはそんなことには頓着せず、「そろそろ釣ってきてくださいよ。うちの家族が魚を食べたがっていますから。」と早く釣ってこいと催促してきた。嬉しいことに、マスターの一家は家族そろって魚を待っているのだ。それなら、お盆明けにでも行ってくるかと約束手形を切ってやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マスターの注文を聞いていたら、わいからもマスターに注文したくなった。今度はおれの話しを聞いてくれ。マスターを見込んでたっての頼みだ。実は、荒磯には喫茶店がない。だからコーヒーが飲めない。今度、三宅島に行った時、荒磯までコーヒーを出前してくれないか。お礼はたっぷりするからと付け加えた。

すると「ダメ、ダメ、ダメです。お店はどうするんですか。」とくだらない理由をつけて断ってきた。どうせ、お客がいないんだから、休んだらいいよと言ったら、「それなら、コーヒー一杯10万円です。」「一杯10万円なら出前します。」と吹っ掛けてきた。10万円と言えば諦めると思ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10万円でいいの?それじゃあ10万円で頼むよ。とわいが即座にオーケーしたら、意表を突かれたマスターはビビッてしまって、「10万円じゃなかった。」「100万円です。それも前金ですよ。」と条件を釣り上げてきた。

いいとも、とすぐまたわいは同意して、テーブルの上にあったコースターにサラサラ100万円と書いてやった。これ100万円の小切手と言って差し出すと、横着にも「そんな紙切れ受け取れません。」とマスターは拒絶したのだ。

小切手はだめなの。踏み倒すとでも思っているのとわいが怒って見せると、

「そうです。三宅島まで行って、踏み倒されたら敵いませんからね。」

「それに、持って行っても、どこで釣っているか分からないじゃないですか。」とわいの頼みが無理難題だと言って怒るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、出前コーヒーの話はボツになったが、マスターの一家はわいの釣った魚を心待ちにしているのだ。待っている人がいる限り、背中を押してくれる人がいる限り、モチベーションは維持できるのである。

 

わいは地獄の業火に灼かれるような炎天下の釣りは避けたいと思っていたが、インターネットの週間天気予報がお盆明けの予報を表示してくれた。それを見たら、三宅島の盆明けは曇り時々雨という格好の日和だった。

そこで、早速、東海汽船の予約センターに電話をしたら、オペレーターが「三宅島行きは空席がありますが、2日後の上り東京行きは満席です。1等と特等は空いています。」とトンデモナイアドバイスをしてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいが乗る連絡船はいつも2等と決まっていて、往復の船賃は1万6千円である。それが1等となると料金は2倍になり、特等となれば約3倍に跳ね上がる。物見遊山でもないのにそんな贅沢はできない。予約できなくても、席ナシ券で乗船し、甲板でごろ寝するという手もあるが、くたびれた身体には酷である。

 

今更気づいた訳ではないが、お盆には都会に出て行った若者や近親者が数多く帰省する。また、お年寄りにとって、墓参りは欠かすことが出来ないだろう。

特に三宅島では17年前の噴火で5年余りの全島避難を強いられたが、生活の拠点を都会に移したまま帰島できなくなった島民が三千人もいるのだ。その数全島民の半分に当たり、これらの元島民が一斉に帰省したり、また一斉に都会に戻るとなれば、連絡船が満席になって当然である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段の連絡船なら、予約できないなんてことは滅多にないが、今回のお盆明けの上り船に関しては満席なのである。そのため、わいは出発を順延し、次の日の朝、光明丸の船長に電話を入れた。

「船長、へぼ太だけど、今夜の船で行きたいんだけど、いいですかあ。」と宿の都合を聞いてみた。

すると、「へぼのナカムラかぁ、来てもいいけどよぉ、ここんとこ潮がぜんぜん動かねえぞぉ。あんにも釣れねぇぞぉ。」と消極的な返事が返って来た。

船長は来ねえ方がいいと言ったが、幸いにもわいは漁師ではない。釣れなくたって痛くもかゆくもないのだ。

という訳で、わいは竹芝桟橋2230出港の橘丸に乗船した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝500 橘丸が満員の船客を乗せて西側の港錆が浜港に接岸すると、まもなくタラップが掛かって下船が始まった。

いつもと違って、岸壁には出迎えの民宿やダイビング店の関係者が、目印の旗を提げてそこかしこに立ち並んでいた。タラップから下船客が降りてくると、薄暗い岸壁はたちまち人でいっぱいになってしまった。

 

出発を一日遅らせたせいで、その日は完全に晴れてしまった。迎えの軽ワゴンに乗せられて一周道路を南回りに走っていると、遥かに御蔵島を浮かべた太平洋が眼下に一望できた。霞みのかかった水平線には薄い雲がたなびき、朝焼けに染まって真っ赤に燃えていた。今日の日盛りを暗示するような赤さであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸で釣り支度を整えたわいは、すぐに軽ワゴンを駆って荒磯に向かったが、入磯する磯を決めかねていた。偵察がてらに、海沿いに軽ワゴンを走らせ、潮の動いているところを探したが、徒労だった。

船長が潮が動かないと言っていたが、どの磯にも白波もうねりもなく、見渡す限り静穏なのだ。しかも、黒潮が大蛇行しているというから、当面、この状況に変化はなさそうだ。

どこもかしこもダメなら、カドヤシキでも同じことだ。外れくじの中に当たりくじがあるというから、わいは原点に帰ってカドヤシキで釣ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いざ、カドヤシキで竿を出すと、船長の言うとおり、潮はまったく動かない。潮は笹濁りで湖面のように静かなのだ。おまけに海亀まで泳いでいる。

それでも辛抱して釣っていると、1時間ほどして30センチのタカノハが釣れた。日が昇るとともに荒磯の岩が焼き付いてきたが、そのまま釣っているとイスズミとカンパチの子が掛かって来た。

しかし、いくら粘っても外道しか釣れない。日差しはじりじりと照り付けて猛烈に暑い。午前11時、わいはギブアップして撤収することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に戻ってくると、庭先に船長の軽トラが駐めてあった。船長はキンメ漁から戻っていたのだ。

食堂を覗いたら、上半身裸の船長がカーペットにグデンと横になって昏睡していた。まるでタコつぼを脱走した萎びたタコが、ヨレヨレになって伸びているようであった。

ムツミがいたので、船長はどうだった。釣れたの?と聞いてみると、ぜんぜん釣れねえから、早上がりして帰ってきたんだとよぉと答えた。

沖でキンメ漁をしていた船長もまるでダメ。荒磯でメジナを狙ったわいもダメ。とどのつまりは、潮悪時には何をやってもダメということなのである。

くそ暑い中、本日はご愁傷さまでした。チ~ン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年07月23日

221話 天は二物を与えない

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の朝、連絡船で三宅島に上陸したわいは、早朝から荒磯に立ってすでに6時間が経過していた。時刻はとうに正午を回っていたが、釣れたものといえばイスズミが10数匹と木っ端や外道で、待てど暮らせどオナガグレの大物は一匹も来ない。潮がまったく動かないのだ。朝からトロトロと弛んだまま一向に動かない。これでは手の施しようがない。
おまけに、雲ひとつない夏空から、じりじりと日輪が厳しい陽射しを浴びせてくる。焼き付いた岩盤からはめらめらと陽炎が立ち昇り、熱気にさらされた肌がピリピリと悲鳴を上げていた。目を開けているのも辛いほどだ。
四方八方、天地左右からの熱線を浴びて頭がくらくらして力が抜けてしまった。せめて、冷たい水が欲しかったが、ペットボトルの水はお湯になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真夏の炎暑に荒磯に立つなんてほとんど狂気の沙汰だが、実は、昨日までの天気予報は曇り時々雨を予報していた。わいはそれを頼りにやって来たのだ。まさか、こんなカンカン照りになるとは思わなかった。これ以上続けるのは無謀である。
わいは疲れ切った身体にムチ打って、のろのろと撤収作業に取り掛かった。のろのろしているのは、急ごうにも身体が言うことを聞かないからだ。身体から力が脱けてしまったのは熱中症の初期症状かもしれない。
それでも撤収するために、仕掛けからウキを外し竿からリールを取り外していると、傍らに置いたリュックの中で携帯の着信音が鳴り出した。

ああ、船長だ。この着信は100%船長からだ。わいが荒磯に出ると必ず「今、おめえはどこで釣っているのか?」「釣れたのか?」と電話してくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちとらは炎熱地獄からの脱出に必死になっているのに、船長の電話なんかに構ってはいられない。それでも折角だからとリュックから携帯を取り出すと、予想通り、沖でキンメ漁をしている船長で、早速、「おめえは今、どこにいる?」と訊いてきた。

それが場違いな感じがしたので「東京だよ~」とはぐらかしてやった。すると、「あんだとぉ?あんでおめえは東京にいるんだよぉ?」「今朝の船で三宅に来たんじゃねえのか?へぼのナカムラだろ?」と電話相手がわいであることを確かめている。

そこで、「へぼ太は今、東京の三宅島にいるんだよ~」と種明かししたら、「バカヤロー、どこで釣ってんのか聞いてんだよぉ。」と立腹した様子が伝わって来た。

わいが続けて「目が眩むほど暑いし、釣れねえから、これから引き上げるところ。」とまじめに答えると、「それがいい。キンメもぜんぜん釣れねえからオレも上がるところだ。」

と船長もギブアップした模様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいの軽ワゴンが光明丸の敷地に滑り込むと、まぶしいばかりの日差しが中庭を白く染め上げていた。いつもは庭先でうろうろしているノラ猫たちも、この強烈な日差しには勝てないのか、縁側の下や庭木の陰に潜って寝転んでいた。

わいが荷物室のドアを開けて、バッカンからイスズミを入れたビニール袋を取り出すと、その臭いに誘われたのかノラ猫が5、6匹集まってきた。袋には重量にして7、8キロ、十数匹のイスズミが目一杯詰まっていた。その袋をぶら提げて玄関先から、お~いっ!と呼びかけると、台所にいたムツミが急いでやって来た。にゃんこのおやつと言って差し出すと「ありがとう。」と言って笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

イスズミはノラ猫の刺身と称して、ムツミが洗い場でウロコを落とし、ぶつ切りにしてたむろしているノラ猫に食わせてやる。イスズミはノラ猫の大好物なのだ。だから、ムツミが庭先に出てくると、20匹以上のノラ猫が尻尾をピンと立ててムツミの後を追いかけて歩く。袋を片手に持ったムツミが「人間の分は?」と問いかけてきたので、「にゃんこの分だけ。人間のは夜中に釣るさ。」とわいが答えると、釣れるといいねと言って台所に戻って行った。

 

 

わいは荷物室の中をざっと片付けると、汗とコマセで異臭を発している長袖シャツを水洗いして物干しに掛けた。それより、昼寝の前に一汗流さなければと、着替えを持って食堂に入ると、台所から出てきたおばさんが「釣れたかよう。」と尋ねてきた。

イスズミばっかりでダメだったと答えると、「あにがおもしれえのか知らねえけど、このくそ暑いのによく行くよなあ。」と異星人を見るような目でわいを見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうコメントは今に始まったことではない。真冬は真冬で、「このくそ寒いのによく行くよなあ。」「こたつにへぇってミカンでも食ってりゃいいのに。」と折々に貴重な意見を聞かせてくれるのだ。磯釣りに関心のないおばさんにとって、磯釣り師なんてバカか狂人の類いにしか見えないのだろう。おばさんのコメントが一段落したので、ひと風呂浴びたいんだけどと断ると、「いいよぉ、どうぞごゆっくり。」とにこにこ笑っていた。

 

 

 

その晩、わいが就寝したのは午後7時ごろだった。翌朝の満潮が午前4時なので、アラームは午前1時にセットした。昼間の疲れがどっと出てわいは泥のように眠ってしまったが、夜中に目が覚めて小用に立つと、それ以降、目が冴えてしまった。

時計を見るとまだ午後11時、そのまま横になっていたが、掛け時計が0時を告げたのを機に思い切って起きてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔を洗って身支度を整え中庭に出てみると、晴れた夜空に蒲鉾型の明るい月が浮かんでいた。事前に調べた月齢は二十日月。正中が午前3時だから満潮の1時間前である。ちなみに、正中とは月が子午線上に達し、天頂に一番近くなる時を指す。

天気予報は曇りと言っていたので、月明などまったく期待していなかったから、望外の幸運である。

 

 

 

背負子を背にして月明かりに浮かぶ荒磯に出ると、海ははるか御蔵島の沖まで湖水のように鎮まりかえり、さざ波が小皺のような月光の帯を作って、金箔を揺らめかしていた。ユートピアである。こんな夢のような光景に邂逅したら、いつ成仏しても不足はない。この上、魚まで釣れたら申し分ないが、天は二物を与えずとはよく言ったものだ。

それからの数時間、雑魚や外道の攻勢に遭って、散々な戦いを強いられたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年07月01日

220話 密林のアリ地獄 続章

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「これぞ、船長の真骨頂」 

 

わいは軽ワゴンに取って返すとすぐに急坂を下った。急坂は下るだけでも容易ではなかった。アシタバの群生地まで下り、車を降りてヘッドランプの灯りで周囲を見回したが、方向転換できる場所はここしかなかった。

もう、後には引けない。わいは腹を決めて群生地に乗り入れた。その途端、車輪がズブズブと沈み込んでしまった。たちまち半分近く沈んでしまった。
群生地の土壌は腐葉土だったのだ。そのため堆肥のように柔らかく、歩くだけで沈んでしまうのだ。破れかぶれでエンジンを吹かしたら、腐葉土がえぐられて車体まで傾いてしまった。まるで、底なし沼かアリ地獄である。
時刻は真夜中の26時半、人里離れた密林で、わいはなす術もなく途方に暮れてしま
った。しかし、車は脱出させなければならない。こうなったら船長を叩き起こすしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


森の中から船長の携帯に電話をすると、圏外の表示が出てNGだった。一周道路に出て掛け直したら、やはり圏外。光明丸のある坪田までは4、5キロあるが、たぶん、集落に近づけば電波は届くだろう。わいは通話圏内まで歩くことにした。
本降りの雨の中、山を下り坂を上ったが、行けども行けども電波は届かない。30分ほど歩いて、集落の外れにたどり着いてやっと圏内に入った。そこには新鼻荘(にっぱなそう)という釣宿が木立の中に佇んでいた。

 

 

ここで補足しておくが、三宅島は円錐形をしたフジツボ状の島で、海岸線は40キロ余り、中央部に海抜700メートルほどの雄山が火口の口を開いている。
一周道路は海岸線に沿って雄山の山裾を巻くように造られており、いくつもの丘陵を越えて上り下りしている。過疎の島なので、集落を外れると電波の届かない場所があちこちにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、船長の携帯に電話をすると、電源が切られていた。ならばと、光明丸の固定電話にかけたら、いくら呼び出しても誰も出ない。もはや歩くしかないと再び歩き出した時、わいの携帯が鳴り出した。電話はムツミからだった。

「こんな夜中にどうしたんだよぉ、」と怒ったような声が聞こえてきた。怒って当然である。

車が森の中で動けなくなった。船長を起こしてくれと頼むと、暫くして船長から電話があった。「どこで動けなくなったのか。今、おめえはどこだ。」「すぐ行くから待ってろ。」

と言ってくれたのでほっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいが新鼻荘の向かいの道路端で雨を凌ぎながら待っていると、20分ほどして木の間にヘッドライトの光が見えた。バンザイ、やっと来てくれた。わいが安堵して手を振っていると、車は通り過ぎてしまった。その後は通る車もない。さては気付かずに通り過ぎてしまったかと落胆していると、船長から電話が入った。

「おめえは一体どこにいるんだよぉ。いっくら探しても見当たらねえじゃねえかっ。」と怒っている。新鼻荘の前と言ったのに、勘違いして現場付近を探していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船長は大型のワゴン車で来てくれた。牽引のために漁船の舫い綱(もやいづな)と長い牽引ロープを持ってきてくれた。しかし、大型ワゴンは四駆ではない。

わいを拾って現場の入り口まで行くと、「あんでこんなとこにへえったんだよぉ。」とぶつぶつ言いながら、「試しにバックでへえってみるか。そうすれば、駆動輪に重心がかかって、引っ張り上げられるかもしれねえ。」「ともかく、へえってみよう。おめえは後ろで合図しろ。」と急坂に進入することになった。とは言え、急坂は藪草に覆われていて道幅が極端に狭く、進入できるかどうか微妙だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐにワゴン車はバックで進入してきたが、4、5メートル下ったところで、道脇から突き出た岩にバンパーが当たりそうになった。やり直すよう指示を出すと、船長は前進しようとアクセルを踏んだが、その途端、駆動輪が空回りしてしまった。救援の大型ワゴンまで立ち往生してしまったのだ。

 

 

やむなく、ムツミとイシイさんを呼び出すことになった。しかし、ここは携帯の圏外である。電波の届くところまで30分は歩かねばならない。それを船長に伝えると、

「おめえは東向きに歩いたからいけねえんだ。西向きに行けば、そんなに歩かねえ。」

と言うので西向きに歩いて行くと、「おめえみてえに早く歩けねえ。」と言い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に通って40年余り、船長と並んで歩いたことなど一度もなかったが、足が痛え、腰が痛え、と言いながら、わいの隣を歩く姿は見るに忍びなかった。
40年前の船長はまるで仁王像のように筋骨隆々としていたが、今は腰が曲がって背丈も縮み、故障だらけの身体になってしまった。減らず口と憎まれ口が健在だったので体力の衰えを見逃していたが、90才まで現役でやれなんて、ずいぶん無理なことを言ったものだ。船長、ごめんなさいと謝りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、イシイさんとムツミを呼び出しはしたが、二人が乗ってきたのは軽トラで、急坂の大型ワゴンを引っ張るには力不足で無力だった。それに、二人が来ても何の役にも立たなかった。この先どうなることやら五里霧中だったが、ここからが船長の真骨頂であった。
一度、光明丸に戻ると、船長は作戦を練り直して、あっちこっちに電話をかけて助っ人を頼んでいた。そして、午前7時に現地集合の号令をかけたのだ。

 

わいが、「あの軽ワゴンどうやって脱出させるつもりなの?」と船長に聞いてみると、

「あんなもん廃車だよぉ。」とさらりと言ってのけた。

「そりゃあ勿体ないよ。まだ十分乗れるんだから、」と言い返すと、「おめえが新車を買って返せばいいんだよぉ。」と毒舌を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、現場に舞い戻ってみると、船長の漁師仲間や友達がすでに集まっていて、それぞれが四駆で来たり、ダンプカーを調達したりして集まってくれた。

一周道路から数メートルの地点で立ち往生した大型ワゴンは難なく引き上げられたが、急坂の下80メートル地点の、密林の中の軽ワゴンには難航した。なにしろ密林の中は腐葉土なのだ。軟弱な上、雨が降って濡れている。急坂が滑って四駆でも入れない。ダンプで引こうにも狭すぎて入れない。80メートル下ではロープも届かない。
仕方がないのでロープの届く、入り口から40メートル地点まで人力で押し上げることになった。ムツミがハンドルを握り、男衆が5人で車を押すという作戦だ。これだけいれば難なく押し上げられると思ったが、そうはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにしろ、車輪の半分近くが腐葉土に埋まっているし、方向転換もままならない。
その上、足元が滑って押すにも力が入らない。それでも、尺取虫のように数メートルづつ押し上げて行くと、30分ほどでやっと40メートル地点まで押し上げられた。しかし、それ以上は無理だった。
そこで、ダンプカーの出番となった。ポンコツではあったが、ダンプはダンプ、そのパワーには脱帽した。ダンプの全長は5メートルほど、そのダンプが幅員8メートルほどの一周道路を横断する形でロープを引くから、1回でわずか3~4メートルしか
引っ張れない。それでも尺取虫を繰り返し、やっと脱出に成功した。

 

 

作戦には総勢8名が参加したが、作戦の段取りから陣頭指揮に至るまで、船長は85才のじいさんには見えなかった。船長には最大級の賛辞を呈したい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年06月18日

219話 密林のアリ地獄 序章

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜、三宅島の釣り宿光明丸の四畳半で、わいが夢の世界にさまよっていると、突然、枕元においた携帯のアラームが電子音を響かせた。アラームは、昨夜、寝る前に午前1時にセットしていた。わいは掛布団を押しのけると、寝ぼけ眼のまま布団の上に立ち上がった。蛍光灯のスウィッチがドアの近くで光っていた。

 

 

その前日、わいは連絡船の接岸した錆が浜の港から、迎えの車に乗って光明丸に到着すると、大急ぎで釣り支度を済ませてから、おにぎりやお茶もそこそこに軽ワゴンに乗り込んだ。天気予報は曇り時々雨と言っていたが、5月と言えば夏である。この季節、暑くなったら荒磯は厳しい。涼しい朝の内が勝負なのである。

 

荒磯に出てみると、天気予報どおり、今にも雨の来そうな曇行きだった。小雨程度ならむしろ大歓迎である。ところが、9時を回ったころから雲が薄くなり始め、雲の切れ間から時折日が差してきた。そのせいで急に蒸し暑くなってきた。そればかりか、曇を透過して紫外線が届いているのか、腕や首筋にじりじりと焦げるような痛みを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


肝心の潮だが、磯際ではほとんど動いていなかった。既に3時間も竿を出しているというのに、掛かってきたのは外道のタカノハ1匹である。タカノハが釣れる時は最悪である。やはり、日中は無理なのかと諦めていると、根掛かりでもしたようにウキが一点に停止してしまった。軽く合わせてみたら、瞬時に強烈な引きに一転した。慌てて竿を立て直すと、数分間のやり取りの末、取り込んでみたら40センチのオナガだった。

これはラッキーだった。ならば再びと、二匹目のドジョウを狙っていると、11時過ぎにまたまた40センチ大が掛かって来た。ところが、それを境に東風が吹き始め、雲が吹き払われて熱い太陽が顔を覗かせた。予想される猛烈な炎熱地獄で、もし続けていれば、熱中症か干物になるに違いない。わいは潔く竿をたたんで、翌日未明の夜釣りに賭けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんと、昼頃竿を納めて早々と磯上がりしたわいは、光明丸に戻って冷水を飲んだり、のんびり風呂に入ったりしてなんとなく部屋でゴロゴロしていると、

「お~い、ナカムラっ。」と食堂から船長の呼ぶ声が聞こえた。もう夕食の時間なのかと中庭に目をやると、まだ明るい日差しが残っていた。時計を見ると5時半である。
食堂に入ると長方形の座卓を前に、ステテコ姿の船長が今や遅しと待ち構えていた。

わいが着席するやいなや、「おめえはおせえなあ。」と一言文句を言ってビールを注いでくれた。「船長、キンメはどうだった?」と聞いてみると、沖潮がぜんぜん動かねえから、漁を切り上げて早めに帰ってきたという。黒潮が三宅島から100キロ以上も離れて蛇行しているので、三宅島周辺では潮が弛んで動かない。漁師は困っているというのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、光明丸の夕食はいつもながら賑やかである。船長が釣ったキンメやキハダの刺身、タケノコや芋の煮付け、こんにゃくに唐揚げ、アシタバの胡麻和えとかてんぷらなど、三宅島の幸を満載して座卓が埋まってしまうほど潤沢である。しかも、どの料理もすこぶる美味なのである。ビールを飲みながら料理を食べていると、たちまち腹がいっぱいになってしまうのだ。

座卓の料理が片付いてくると、「そろそろご飯にしたら?」とムツミが問いかけてくる。

「もう腹いっぱいだよ。」と応えると、「じいさんが食えるのに、何でおめえは食えねえんだよぉ。」と簡単には許してくれない。ムツミの言うとおり、船長は驚くほどよく食べる。まったく食欲旺盛なじいさんである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食の後、船長と手元のイシイさんの三人で茶を飲みながら話していると、「天気予報だっ。」とばかりに、船長がリモコンでテレビのスウィッチを入れた。

老練な漁師だけあって、天気予報にはいつも敏感である。「三宅島の明日は前線を伴って低気圧が通過するので、大雨、落雷、強風、大波に厳重に注意してください。」とテレビが天候の急変を告げると、すぐに船長は「おい、イシイッ、明日の漁は休みだ。」とキンメ漁の休みを告げた。


ガッーン ! 青天のヘキレキである。わいにとっては天候の急変や低気圧の通過は想定外なのだ。それでもなるようになるだろう。たぶん、低気圧の通過は9時を過ぎるだろうから、深夜から朝方までは大丈夫と勝手に踏んで床に就いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、午前1時半、身支度を整えて外に出ると、門の周囲だけが門灯の明かりでぼんやりと明るかったが、そこを外れるとすぐに闇また闇の世界であった。見上げる空にはぶ厚い雲がかかっているのか星ひとつ見えない。いずれは荒れてくるだろうが、現時点では雨も降っていなければ風もない。わいが予想したとおりである。
3か月前の歴史的爆釣の時もそうだった。天気予報がものの見事に外れて、雨も降らなければ風もなく、未明から朝マズメにかけて空前の戦果があったのだ。あの時同様、今朝も釣りの女神が微笑んでくれるかもしれない。

 

 

そんな思いを抱きながら、わいはカドヤシキに向かっていた。両側から深い木立の迫る一周道路を走っていると、車のフロントガラスに雨粒が弾け始めた。やはり低気圧が接近しているのだ。今日は低気圧との競争だなと思いながら走っていると、道路崖側の森が一瞬途切れて、見覚えのある草藪が現れた。おっと、ここがカドヤシキへの入り口だった。うっかり見落とすところだった。わいは慌ててハンドルを切ると森の急坂に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


しかし、急坂を数メートル入ったところではっとした。ここはカドヤシキへの入り口ではない。カドヤシキへの坂道はこんな草茫々ではないし、これほど急でもない。両側から道を塞ぐ枝葉や蔦かづらもない。ヘッドライトが照らし出す前方には、奈落の底に落ち込むような密林の黒い穴があった。

こんなところに入ったら何が起こるかわからない。すぐに引き返そうと、ギアをリバースに入れてアクセルを踏むと、なんと、タイヤが空回りするのだ。急坂の土壌は火山灰地に枯葉がたまり、雑草が生えているから滑りやすいのだ。何度かエンジンを吹かしていると、ついにタイヤから白煙が立ち始め、焦げたゴム臭が付近一帯に立ち込めた。

 

 

時刻は午前2時、一周道路からわずか数メートルの場所であったが、軽ワゴンは身動きが取れない。助けを呼ぼうにも人家もないし車も通らない。

前線や低気圧が接近しているのだ。大雨になったら急坂に濁流が流れ、ここは沢になってしまうだろう。早く脱出しようと雨がっぱを着て車外に出たが、押せども引けども車は動かない。そのうち、雨足は激しさを増して、樹の間から滝のように流れ落ちてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


座して死を待つわけにはいかない。バックがだめなら前進しかない。わいはどこかで方向転換することを考えた。密林の中に方向転換する場所があるかもしれない。急坂を徒歩で降って密林を探検することにした。急坂には草を薙ぎ倒した古い轍の跡があったから、車が通ったことはあるようだ。車はたぶん四駆だろうが、その車もどこかで方向転換したに違いない。

わいが密林を下って行くと、80メートルほど先で行き止まりになっていた。その先は崖になっているらしい。ヘッドランプで周囲を照らすと、その辺りの樹木が伐り取られてアシタバが群生していた。誰かがアシタバ畑にしたのだろう。このアシタバを踏み倒せば方向転換ができそうだ。前向きになれば一気に急坂を駆け上がることができる。やっと脱出の目途がついた。

                       つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年05月06日

218話 二匹目のドジョウ

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カフェピンコロの窓際の席で、わいが目を閉じてゆったりしていると、コーヒーを運んできたマスターが、お待たせしましたと言いながらテーブルにトレーを置いた。広々とした店内にはいつものようにわい一人しかいない。
閑散としたその光景を逆手にとってマスターは
「午前中はナカムラさんのために開けています。」と恩着せがましいことを言ったりする。それなら、午後はどうなのと尋ねてみたら、チラリホラリと客が来て、4~5人来れば上出来という。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この店は道楽でやっているから、客が来ようが来まいが関係ないが、来店客がわい一人の日もあるというから、ピンコロにとって、わいは上客と言えるだろう。加えて、わいはマスターの格好の話し相手になっているのだ。
マスターはソファに腰を下ろすと話題を変えて「だいぶ長いこと行ってないですねえ。そろそろ行くんでしょ。うちの家族が魚を食べたがっているので、早く釣ってきてくださいよ。」とメジナを釣って来るのを心待ちにしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



釣果があれば、わいは三宅島から「釣れたよ」メールで連絡するが、連絡船で帰ってくると帰宅が深夜11時頃になるから、マスターが魚を取りに来るのは翌朝である。

朝8時半、エンジ色のSUVに乗って、マスターはやって来る。

 

 

さて、言われてみれば、奇跡的な大釣りをした前回の三宅島から、すでに1か月半が経過している。1か月半も釣行しなかったのは春の椿事とも言えるが、天候の不順と次々に重なった野暮用が妨げとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


魚を待望しているマスターに、わいは「そうだねえ。来週あたりは風も収まりそうだし、なんとか今月中には行けそうだよ。だけど、必ず釣れるとは限らないよ。手ぶらで帰ったらどうするの。」と返答した。

するとマスターは「へえ~、三宅島まで行って、釣れないことがあるんですか。」と無知蒙昧な返事を返してきた。

結局、わいが竹芝桟橋から、三宅島行き夜行船に乗り込んだのは、4月も押し迫った27日の22時30分出港の橘丸だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝5時、橘丸が入港したのは島の西側に位置する錆が浜港だった。

わいがタラップを踏んで岸壁に降り立った時、正面に見える阿古漁港の出口から、機関音を轟かせて空色の漁船が飛び出してきた。ペンキの色や船影から見て光明丸に違いない。

しかし、光明丸の母港は坪田だ。なぜ、阿古漁港から出てきたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいは岸壁を200メートルほど歩いて、船客待合所のゆるい坂を上り切って周囲を見まわした。すると、交差点近くに光明丸の軽ワゴンが駐まっていた。運転席のすぐ側にムツミが立ってこちらを見ていた。
前夜の天気予報では、西風がやや強く、曇りときどき晴れという予報だったが、岸壁を歩いた限りでは波も風もさして気にならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいは光明丸で釣り支度を整えると、釣り道具を軽ワゴンに積み込んでから、食堂に戻っておにぎりを食べた。釣り場だと気が急いてしまうが、食堂ならおばさんがお茶を淹れてくれるし、ゆっくり食べられる。

朝飯をすませたら、荒磯に向けて出発である。わいが軽ワゴンに乗り込んだのは6時前であった。まずは、手近で安直な釜方の磯を偵察してみることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

林の中の急坂を下って海岸線に出ると、御蔵島方向から強いうねりが押し寄せていて、あちこちで水柱を噴き上げていた。西風に強いズナゴも見たが、風は避けられても、潮は動いていなかった。どの道、日中はあまり期待できないので、前回大釣りしたカドヤシキで釣ってみることにした。

 

 

それにしても、前回は釣れ過ぎた。嫌になるほど釣れたのだ。あの晩、未明から朝マズメにかけてはほとんどおとぎ話の世界だった。しかし、もう、大釣りはしたくない。せいぜい4、5匹釣れれば十分である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という訳で、早速、カドヤシキで竿を出したが、釣れ過ぎを心配する必要はまるでなかった。それどころか、まったくアタリがなかったのだ。つけ餌はそのまま戻ってくるし、潮は動かない。その上、西風は強くなってくるわで、4時間ほどで諦めて、1キロほど離れた東側のヤナガネに磯替わりすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤナガネへの降り口は、うす暗い森の悪路を終着点まで行ったところである。鬱蒼とした木立と丈高いブッシュを分けて、崖の上からヤナガネの磯を臨むと、磯際に白波が立っていた。なんとなく潮も動いていそうで好感が持てた。
移動に1時間ほど要したので、時刻は11時半をまわっていた。ヤナガネの磯上に立ってみると、磯際がさらしていて、そのさらしが沖に払い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西風を背にして、わいはすぐに釣り始めたが、最初、好感を持った潮は実際は見かけ倒れで、ぜんぜんアタリがない。潮が相当冷え込んでいるのだ。
わいはヤナガネで3時間余りを費やしたが、時々刻々と西風が強まって、背後からの波しぶきで叩き落とされそうになる。まったく釣りどころではない。これ以上のリスクは取れないので、うねりが大きくなる前に撤収することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯伝いに、慎重に岩場をトラバースしていると、背中で携帯が鳴り始めた。船長からの電話である。しかし、撤収中に電話など取れない。崖の上に上がってから、やっと電話をかけたら、なんと圏外マークが現れた。

改めて、一周道路に出てから掛け直したら、「おめえ、今どこだ。釣れたのか。」と船長のかすれ声が聞こえてきた。船長はどうだったと訊いてみると、キンメ漁も不調だったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食後、船長とテレビの天気予報を見ていたら、明日も西の風強しという予報であった。低水温と強風はしばらく続きそうである。こんな時はじたばたしても始まらない。一寝入りして身体を休めておこうと、アラームをセットして布団に入った。
午前2時、アラームの音で目が覚めた。しかし、疲労が深く沈殿しているのか、起き上がろうにも身体が言うことをきかない。

表では強風が木立を揺すっている。枝葉のざわめきや戸板の鳴る音が盛んに聞こえてくる。もっと寝ていたかったが、意を決して起き上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

磯に出なければチャンスはない。外に出ると月も星もない闇夜であった。西風が予報どおりに吹き荒れていた。この風ではズナゴしかない。しかし、昨日見たズナゴは潮が動いていなかった。だが、ほかに選択肢はない。

やむなく入ったズナゴだが、予期したとおりアタリはない。

コマセを打っても棚を変えてもアタリはない。完全に生体反応が途絶えているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

潮悪の時は漁師でさえも諦めるが、わいは黙々と竿を振った。

前回は天気予報が完全に外れて、悪天候が突如好天に変わったが、そんな幸運はそうそうない。

いくら抗っても潮悪には勝てないのだ。それでも執着したのは、二匹目のドジョウを追う邪念が、わいの心に芽生えたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年04月12日

217話 ありゃりゃんりゃん

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三宅島周辺海域で連日のように大しけが続いていた三月初めのことである。

気圧配置がやっと入れ変わってしけが収まる気配が見えてきたので、早速、わいは船長の携帯に電話を入れた。「船長、へぼ太だけどぉ、大しけが続いていたけど、元気だったぁ?今夜の船で行きたいんだけど、いいですかぁ?」と尋ねてみた。

すると、「ああ、ヘボのヘボナカムラかあ、来てもいいけど、部屋がいっぺえで泊まれねえよぉ。」と物理的に無理だと言っている。

光明丸の客室は四畳半の部屋が5部屋しかないから、すぐにいっぱいになってしまう。明日が満室だということは、2週間ほど前、大しけで下りの連絡船が三宅島に寄港できずに欠航し、例会の中止を余儀なくされたあの釣りクラブが、仕切り直して挑戦するのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いずれにせよ、満室ではどうにもならない。「じゃあ、出直すよ。」と断念を表明すると、船長が慌てて、「おいおい、ちょっと待てっ、おめえ、イシイと一緒の部屋でよけりぁ、泊まれるぞーっ。」と名案をひねり出してくれた。


船長のいうイシイとは、世田谷に住んでいる娘婿のことで、齢七十二のおっさんである。イシイさんは数年前まで電気工事の仕事をしていたそうだが、年齢が高じるに従って仕事を減らされ、ついには開店休業状態になってしまったので、仕事を辞めたという。

そのイシイさんがなんで三宅島の光明丸にいるかというと、理由は2年前に遡るが、船長が重度の五十肩に見舞われて、両腕が上がらなくなって、キンメ漁にも支障を来すようになったことが発端だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三宅島では治療もままならないので、針治療のために何度も上京していたが、その時立ち寄った娘夫婦の家で、件のイシイさんが暇を持て余しているのを発見したのだ。

船長はすぐさま「おいイシイ、ぶらぶらしてんなら、手伝いに来いっ。」と強引に三宅島まで引っ張ってきたというわけだ。


イシイさんは白髪頭の小柄でずんぐりむっくりで、口数は少ないが剽軽な人である。

船長に連行されたその日以降、毎月のように三宅島に来て、10日から20日滞在してキンメ漁の手伝いをしている。わいとはしょっちゅう顔を合わせている仲だから何の問題もない。わいは船長の提案に二つ返事で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、イシイさんと船長の考えていることは月とスッポンほどに開きがある。

ある時、イシイさんに、キンメ漁も慣れたら面白いだろうと声を掛けたら、「キンメ漁なんておもしろくもねえ。大嫌いだ。性に合わねえ。」とケンモホロロに否定した。
ところが、前回わいが来島した時、イシイさんは食堂のカーペットに座り込んで、脇目も振らずにキンメ仕掛けを作っていた。

それを見て、「イシイさん、漁師が板についてきたねえ。船長の跡継ぎになれるよ。」と冷やかしてやると、イシイさんは白髪頭を振り立てて顔を上げると、アッカンベーをしながら、「漁師なんてまっぴらだ。」と赤い舌を出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一方、船長はイシイさんにどのくらい感謝しているかというと・・・

ある日、船長の運転する車で出帆港まで送ってもらった時のことである。車の中で船長に、「あと5年くらい現役でやって欲しいなあ。」とわいが期待を口にしたところ、「ナカムラ、キンメ漁は重労働だよ。あと5年したら、九十じゃねえか。」と否定的な返事が返ってきた。
そう言われたので、「イシイさんが助っ人に来てくれたから、キンメ漁も楽になったんじゃないの。」と続けたところ、「バカヤロー、イシイはトロくて役には立たねえ。覚えが悪いから漁師にゃ向かねえ。」と予期せぬ返事が返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そればかりか、イシイが、やることもなくぶらぶらしていたから、キンメ漁で稼がせてやってんだよ、と思い違いを鋭く指摘されてしまった。感謝どころではなかったのだ。

このままではイシイさんの立場がないから、「でも、猫の手よりましだろう。」と弁護してやったら、「そうだなあ、猫よりましだ。」と船長も同意してくれた。

 

午前5時、橘丸は三宅島に接近し、その日の接岸港は伊ケ谷港となった。タラップを降りると、わいは暗い岸壁を200メートルほど歩き、防潮堤の内側にある広場までやって来ると、外れの方で、船長らしい人影が片手を上げて手招きをした。広場には20台ほどの軽自動車やワゴン車が薄暗い街灯に照らされて駐まっていたが、少し離れたところに旧式の村営バスがぽつんと駐まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日、船長が乗ってきた車は10人乗りのワゴン車だった。いつもは軽ワゴンだから、今朝はお客さんがたくさん来るのだろう。荷物を載せながら船長を見ていたら、下船客に目を凝らしていた船長が、その中の7、8人に声を掛けると、そのままワゴン車に連れてきた。その人たちは釣り人ではなく、普通の服装をしており、船長と親しく話していたから、地元の人のようである。何かの都合で送迎を頼まれたのかもしれない。


光明丸に向かってワゴン車が走り出すと、車の中で色々な会話が飛び交ったが、船長の説明によれば、この人たちは17年前まで、光明丸があった三池地区で、親しく付き合っていた隣組の一家だという。17年前の噴火で全島避難を余儀なくされて東京に移り住んでいたが、6年後に全島避難が解除されても、荒れ果てた三宅島では生計の目途が立たず、帰島を諦めざるを得なかったのだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


噴火前までは、道路を隔てた光明丸のはす向かいで、観光客相手に民宿を営んでいたそうだが、噴火が終息して全島避難は解除されたが、三宅島の観光資源やインフラは壊滅状態となって、釣り客や観光客が全く来島しなくなっていた。

取り分け、三池地区に関しては火山ガスの濃度が高く、つい最近まで居住禁止区域になっていたから、民宿経営など成り立たないのて帰島を諦めたというのだ。

今回、この家族が来島したのは、一家の墓のある坪田の寺で、亡き爺さんの法事を営むためだという。そして今夜、一家が光明丸に泊まるので満室になったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、初日の釣りはどこがベストか。風速や風向、波やうねりの状況から判断して、ゴンパチあたりに照準を絞ってみたが、いざ入ってみると風やうねりが想像以上にきつかった。それでも午前中に35~40センチのオナガが釣れたからまずまずだ。午後からが勝負とおっとり構えていたら、世の中ままならぬもので、正午を境に風が強まってしまった。竿もまともに振れない状況になったので、早々に退散して光明丸に戻ることにした。

 

夕食後、テレビの気象情報に目を凝らしていると、あにはからんや、明日は更に南西風が強くなって、夜半から明け方にかけて雷雨になると報じていた。低気圧が通過するのかもしれない。最悪の条件である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果たして深夜から明日の未明にかけて竿が出せるか。ええ~い、なるようになれっと、わいは午前2時にアラームをセットして、布団に入って眠りかけていると、ドアの開く気配がして物音がした。蛍光灯が点灯して明るくなった。イシイさんが戻ってきたのだ。

 

忘れていたが、今回は相部屋だった。だから、うるさいとか眩しいとかわがままは言えない。考えてみれば、真夜中にアラームをセットしてあるわいの方がもっと喧しいだろう。その断りを入れておこうと起き上がると、イシイさんが「気にしなくたっていいよ。おれだっていびきをかくから。」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深夜2時半、わいは軽ワゴンのエンジンを始動させて、ヘッドライトを点灯すると、急いで庭先から走り出した。空には22日月があるはずだが、厚い雲に覆われて星ひとつ見えない。風音がして周囲の木立を揺すっていた。

わいは一周道路に出ると、角の自販機で缶コーヒーを買って飲み干した。たった一杯のコーヒーで、暗闇に潜む魑魅魍魎と対峙できるかもしれない。目指す磯はカドヤシキである。天気予報が悪天候と言っていたので、今夜はカドヤシキと心中するしかなさそうだ。
車は一周道路を逸れて細い山道を降り、黒々とした森の手前で雑草に踏み込んで駐まった。後部ドアを開けて背負子に荷物を括りつけると、わいはロッドケースを片手に暗い森に踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎度のことだが、森の中は枝葉や蔓が絡みあって薄気味悪いことこの上ない。ただひとつ、ヘッドランプの光だけが頼りである。暫く行くと、森を抜けて波音が聞こえる岩だらけの海岸に出た。真っ暗な上空と真っ暗な海の遥か彼方に御蔵島の灯が霞んで見えた。遠雷が聞こえて彼方の空で稲妻が光った。

荒磯に出ると天気予報どおり南西の風だったが、ただ、予想したほど強くなかった。それでも屏風のような大岩を背にして、わいは東に向いて釣りはじめた。
竿を出してみると、風はしのげたが、岬の鼻を回って入ってくるうねりが釣りを阻んだ。

うねりが入るたびに、電気ウキが7、8メートルもすっ飛ばされる。その上、うねりがあるのに潮が動かない。これでは釣りにならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


贅沢は言えないので辛抱していると、なんだか周囲が明るくなったような気がした。

ふと上空を振り仰ぐと、分厚い雲が流れ去っていつの間にか月が出ていた。更に、風がほとんどなくなっていた。

天はわれに味方したのか。風が止んだなら、先端近くに移ることが出来る。30分ほどかけて、わいはすべての道具を先端に移動し、改めてコマセを打ちなおした。とはいえ、相変わらず潮は弛んで動かない。それでもさっきまでとは大違いである。

コマセはケチらず、足元から丹念に打っていった。すると、たちまち電気ウキが消し込まれた。小気味いいほどの引きである。ハリスは5号で余裕である。玉網に取り込んだら40センチを超すオナガだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それから3時間余りは、わいのつり人生で経験したことのないほどの活況を呈した。

岩頭に立って、月明かりを浴びながら竿を振るわいの姿は、さながら、羽衣をなびかせて舞いを舞う天女のようであったろう。
竿下の海からはひっきりなしにオナガが掛かってくる。しかも、ほとんどが40センチ前後の良型なのだ。夜が明けた頃にはしめて13匹も釣れていた。これ以上釣っても35ℓのクーラーに入りきれない。午前7時、ワイは竿をたたんで納竿した。

とにもかくにも、これほど釣ったのは初めてである。ただ残念なことに、釣れ過ぎたために感動も感激もなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に帰って、帰り仕度を済ませて部屋で寝ていると、携帯が鳴って船長からの電話だった。波音が聞こえるから船上からかけているのだ。

「おいナカムラ、今どこで釣ってるのか。なんか釣れたか。」といつもの電話である。

わいの返事は「釣れ過ぎたんで、今、光明丸で寝ているよ。40センチクラスのオナガがしめて13匹だ。」と答えると、「大漁じゃねえか。ゆんべの酒盛りが効いたかなぁ。」と船長も喜んでくれた。
そこで、「だけど、困ったことがひとつあるんだ。」と言ったら、「なにが困ったんだ。」と追及してきた。「こんなに釣れてしまったら、今後、へぼとかへぼ太と呼ばれなくなってしまうだろう。」と言ったら、「しんぺえねえ、おめえはたまたま釣れただけだから、」と返してきた。なんとも口の達者な船長である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年02月08日

216話 親の意見となすびの花は

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月下旬の10日余り、日本列島には猛烈な寒気が南下して、北日本や裏日本は連日のように豪雪や暴風雪に見舞われた。わいは月末の31日、パソコンを開いて翌月1日、2日の予想天気図を覗いてみた。すると、微妙ではあるが低気圧は東方海上に退いて、三宅島周辺は高気圧圏内に入りそうである。これなら愁眉が開けそうだ。

間髪を置かず出撃である。早速、竹芝桟橋22時30分発の夜行船で、オナガグレの待つ三宅島に向けて出発することにした。


その日の朝、午前9時、わいは光明丸の船長に電話して「今夜の船で行くけど、いいかい。」と問い合わせてみた。すると、「海は荒れてるぞぉ。連絡船も着くかどうか分からねえ。昨日も本船は途中から引っ返しちまったよぉ。潮もよくねえ。来ねえほうがいい。」と後ろ向きの返事が返ってきた。

「いいんだよ、魚が釣れなくたって、船長の顔を見にいくんだから。」と本音とも冗談ともつかぬことを言った後、「船長、顔はくっついてんだろう?」と訊いてみると、「うん、あるある。」と子供のような返事が返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


水温も上がったり下がったりしながら19℃台になってはいたが、クルクル変わって一定しない。とは言え、厳冬期の三宅島には強風としけは付き物である。今更驚くにはあたらない。たとえ船長がなんと言おうと、風音程度に聞き流しておけばいいのだ。

それにしても、冬型の気圧配置は既に10日余り続いている。そろそろ二、三日小康状態が訪れてもいいのではないか。わいは希望的観測を込めて、ネットの予想天気図に乗ることにした。ともかく、行ける時に行かないとチャンスを逸してしまうのだ。
そうは言っても、ヤフーのピンポイント予報を見れば、内心は決して穏やかではない。ピンポイント予報の三宅島の明日は、終日西風が強く、風速は8メートルから12メートルと言っている。しかも、波高が4メートルというから尋常ではない。それでも、それはそれ、風表を避け、島影や崖下の風裏に入ればなんとかなると計算していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝未明、西風が強いというから、連絡船は東側の三池港に入ると思いきや、意に反して北側の伊ケ谷港に入港した。風ばかりかうねりもまた強かったのだ。

伊ケ谷港は、背後に雄山に連なる断崖が立ちはだかり、東側には伊豆岬が屏風のように横たわっているから、大しけの時でも強風やうねりを食い止めてくれる。しけた時に入港できる最後の砦なのだ。
薄暗い連絡船の明かりに照らされて、40人ほどの下船客は次々にタラップを降り立った。わいは暗い岸壁をそのまま200メートルほど歩き、防波堤の角をかぎ型に曲がって、更に100メートルほど歩いていくと、前方のほの暗い街灯の下に10数台の車が駐まっていた。その一番外れに船長らしい人影が立っていた。

おはようございますと声を掛けると、「おおっ、早く乗れっ、」と船長が返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船長の運転する軽ワゴンで、まだ暗い一周道路を30分ほど走って、5時半ごろ、光明丸の庭先に到着した。車を降りると木立や雑木林が予想以上に激しく揺れていた。

船長はいつものように、「この車を使え。コマセはクーラーに入れてある。お茶でも飲んでから行けっ。」と言うので、釣りの支度を済ませてから、おにぎりを食べて出掛けることにした。


軽ワゴンに荷物を積み込むと、風裏に位置する光明丸下の荒磯、釜方を偵察することにした。ヘッドライトを点けて急坂を下り、海岸沿いの道をゆっくり進んでいくと、暗がりの中に釜方の磯が見えてきた。風裏だけあって海には白波ひとつ立っていない。これなら竿は出せそうである。
わいは念のため手ぶらで荒磯に降りると、溶岩の溝や起伏を縫って先端に出てみることにした。この目で潮の動きを確かめるためだ。先端に出ると、なんとか風は凌げそうであったが、潮がまったく動いていない。死んでいるのだ。これでは竿は出せても釣りにならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいはすぐさま方向転換して5キロほど離れたゴンパチの磯に向かった。

ゴンパチは背後に火山礫の砂漠の丘があって、更に、釣り場は東側の崖下になるから、強い西風でも凌げるのだ。ところが、ここも潮は動かない。他に適当な釣り場は思いつかないので、仕方なく竿を出したが、アタリはぜんぜんない。エサ盗りもいない。

1時間ほどたつと、やっとエサが盗られるようになった。しかし、フグかなんぞのエサ盗りである。

そのうち、ウキが引き込まれたので合わせてみると、ウマヅラのような外道が掛かっていた。釣り上げてみると、紫の斑点のあるソーシハギであった。ソーシハギにはパリトキシンという毒があり、その毒はフグ毒の70倍というから凄まじい猛毒である。

知らずに喰ったら、たちまち葬式となるからソーシハギというのかもしれない。このソーシハギは後ろで騒いでいたカラスたちにくれてやった。
その30分後に来たのは40cm強のオキナメジナであった。八丈島ではウシグレと呼んでいるらしいが、不格好で顎が牛のように頑丈な魚である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのウシグレを境に、風が滅茶苦茶強くなってきた。強風で竿がエビのように曲がってしまう。仕掛けを手元に戻したくても、吹き飛ばされて戻ってこない。これではエサを付け替えたくても、付け替えることすら出来ない。手も足も出なくなったので撤収することにした。背負子を背にして溶岩の崖を這い上がり、やっと砂漠の丘に上ったが、砂漠の丘に出てみると、猛烈な風の吹き曝して立っては歩けないのである。


2日目は更に酷かった。深夜目覚めて、ふとんの中で耳をそばだてていると、あな恐ろしや、ジェット機のような轟音を立てて風が吹き抜けていく。それでもわいは釣りに出た。しかし如何ともしがたい。どこにも釣り場はなかった。

これでは連絡船も欠航かと観念していたら、不思議なことに連絡船は就航してくれた。

捨てる神だけではなく、拾う神もいたのである。釣りにはならなかったが、ケガひとつせず帰宅できたのは幸運と言えるだろう。

空振りに終わったのは、船長のことばを軽視したからだ。「親の意見となすびの花は、千にひとつも無駄はない」というが、船長のことばも同様で、素直に聞いておけばよかったのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2017年01月23日

215話 ノラとムツミが喜べばいい

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荒磯を早上がりしたわいは、光明丸に戻って掛け布団に寝転んでうつらうつらしていると、「お~い、ナカムラ~っ、」と遠くから船長の大声が聞こえてきた。

時刻はまだ5時半だったが、夕食が出来たから食堂に来い、という合図である。

わいがは~いと答えて、洗面所で顔を洗ってから顔を出すと、「おめえ、あにしてたんだよぉ。」と短気な船長が待ちくたびれて文句を言った。

食卓にはすでにキンメの刺身や煮付け、とんかつやてんぷらなどの皿がびっしり並んでいた。台所ではムツミが次の料理を作っていた。

わいが着席すると船長はすぐさま缶ビールを開けて、「おい、飲めっ」とこぼしそうな勢いで注いでくれた。

「船長、おつかれさま!」とわいがコップを上げると、「おおっ、」と船長は相好を崩したが、すぐに真顔になって「おめえは、携帯にいっくら電話してもぜんぜん出ねえじゃねえかっ。」と憤慨した口調で咎めてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船長、ゴメン、ゴメン、撤収中にリュックの中で鳴っていたのは分っていたけど、背負子を下ろす場所もないほど険しい岩場だったんだ。あのとき、船長はどこから電話してきたの?と訊いてみると、

「ママの沖にいたんだよ。手が空いたんでおめえに電話したんだ。」と返事があって、「で、おめえはどこにへえった?」「なんか釣れたか?」と矢継ぎ早に尋ねてきた。
釣ったのはヤナガネの磯だよ。釣れたには釣れたけれど、ノラ猫とムツミが喜ぶイスズミばっかりだ。潮は朝から弛みっぱなしでほとんど動かなかった。水温が高いせいかメジナのメの字もなかった。昼ごろにカモメが針掛かりしてぶんぶん飛び回るし、足元では海がめが泳ぎ回っているし、散々な日だったよ。

もうあきらめて、2時ごろ撤収して光明丸で寝ていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「そうかあ、このところ潮がわりいからなあ。」と珍しく船長が同調して相槌を打った。

わいが荒磯で釣りをしていると、船長は毎度のように釣り場まで電話してくる。その内容は「今、おめえはどこで釣っているのか?」とか「ライフジャケットは着けているか。」とか「気いつけて釣れ。」などという、たわいもない用件である。それも漁の合間だから、船の上から早口でかけてくる。

心配してくれるのはありがたいが、毎度となるとかなり煩わしくなってくる。

とは言え、わいは光明丸の最古参なのである。船長にしてみれば、40年もしぶとく通ってくるわいの骨董的価値を認めて、貴重品のように扱ってくれるのだろう。

かたや船長はと言えば、当年85才の現役漁師である。これこそ骨董品そのものである。いつガタがきてもおかしくない年齢だから、わいも大事に大事に扱っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、夕食を終えたわいは、荒磯の疲れが出たせいか泥のように眠ってしまった。

しかし、深夜、ガラス戸越しに押し寄せる真冬の冷気に、首や肩が氷のように冷え切ってしまった。首と肩だけではない、布団から飛び出した足や腰までミイラのように冷たくなってしまった。あたかも、冷凍庫の中に投げ込まれていたかのようだ。おかげですっかり目が覚めてしまった。足元に入れた2個のカイロはほとんど役に立たなかった。
平均気温が東京より3~4度高い三宅島といえども、1月と言えば寒の最中である。暖房もない四畳半の部屋で、外気との仕切りがガラス戸一枚では、真冬の寒さは凌ぎ切れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、深夜2時にセットした携帯のアラームはまだ鳴っていないから、午前2時前である。ガラス戸越しに外の闇に目を凝らすと、黒々とした木立が生き物のように揺れ動いていた。

わいは小用に立とうとして、明かりを点けて枕元の腕時計に目をやると、時計の針はぼんやりと午前1時あたりを指していた。ということは、就寝後6時間も経過しているのだ。セットした時刻まであとわずかだから、少し早いが起床することにした。

 

 

 

という訳で午前2時前、わいはこっそりと光明丸を抜け出すことになった。泥ちゃんではないが、深夜抜け出す時には足音を忍ばせ物音を立ててはいけない。

 40年も前から、船長は釣り客の事故や遭難を惧れて、「明るいうちにけえって来い。暗いうちはでかけるな。」と言い続けてきた。だから、真夜中に抜け出すなんて反逆行為そのものである。そんな事情があるから、寝た子を起こさないようそっと抜け出すのだ。

ただ、足音やドアの開閉音はひそめることは出来ても、エンジンの始動音だけはどうにもならない。その時ばかりは、「船長に気づかれませんように。」と念仏を唱えながらキーを回すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


防寒着に身を包んだわいが中庭に出ると、思ったより寒くはなかった。車のエンジンを遠慮がちにかけると、急いで光明丸の中庭を脱出し、木立がトンネルをなした急坂を下って海沿いの道に出た。

二日目の磯はどこにしようか迷っていたが、思い切ってズナゴにした。前日からの潮回りを見れば、突然、潮が替わって良くなるわけはないが、だからと言って、釣りを止めては元も子もない。わいはズナゴに賭けたのである。
入磯して30分ほどで釣り支度は整った。真夜中にはどんな大物が喰らいついて来るか分からないから、暗い波間にワクワクしながらコマセを打った。コマセを打つだけで心が躍るのである。しばらくコマセを打ってから赤い電気ウキを流していると、真っ暗な闇夜のはずが、周囲が妙に明るくなった。見上げると、2時の方角の雲間に半月が顔を出していた。

ぇーっ、げ、げ、幻覚なのか。わいは死ぬほどびっくりした。月没は23時30分だから、月はとっくに沈んでいるはずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいが光明丸を抜け出してから1時間は経過している。起床したのは午前1時ごろだったから、現在時刻は午前2時半を回っているはずである。

それが、あろうことか雲間から半月が覗いている。オカルトではないかと腕時計をよくよく見たら、時計の針は22時を指していた。携帯もやはり22時を表示していた。

小用に起きた時、メガネなしで時計を見たから、針がぼやけていたのだ。これを奇貨と言おうか棚ぼたというべきか、労せずして釣る時間が増えてしまった。 

それがぬか喜びとは知る由もなかった。それから午前2時までの4時間あまり、全くアタリがなかった。電気ウキはピクリともせず、付け餌はそのまま戻ってくる。棚を替えてもコマセを打っても、まったく反応はない。まるで、生体反応が途絶えた死の海である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ついにわいは決断した。ズナゴに決別するしかない。磯替わりするのは面倒だが、朝までにはまだ時間がある。日の出は午前6時45分、わいは1時間ほどかけて、数キロ離れたカドヤシキの磯に移動した。改めて仕掛けを作り直し、第1投を打ち込んだのは午前3時を回っていた。

ここでも潮が弛んで動かなかったが、30分ほど釣っていると軽いアタリがあってオキナヒメジが上がった。30センチほどの小さなオナガもきた。悪いながらもズナゴよりましであった。
当たり前だが、それにしても寒い。防水防寒着に身を包み、腰にホッカイロをふたつ着けてもまだ寒い。背中に吹き付ける北風がひどく冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その内、御蔵島が浮かぶ東の空が薄青く明からんできた。海面がざわついてきた。

そのざわついた海面に集中してコマセを打って、仕掛けを潮に乗せていると、電気ウキがじわ~っと抑え込まれた。軽く竿を煽ってみると、針掛かりしたような抵抗があった。念のため、二度合わせしてみると、そやつは物凄いパワーで右へ左へ走り始めた。

あいにく、幅8メートルかそこらの狭いワンドで釣っていたから、岬のように左右に岩礁が張り出していた。その岬を回られたらアウトである。岬を躱しながら、じっくり魚を弱らせるしかない。15分ほどするとそやつもさすがに疲れたのか大人しくなった。足元に寄せて平を打たせてから取り込んだが、55センチのイスズミであった。メジナでないのは残念だが、やり取りは面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それから30分ほどすると、ざわついていた潮が突然、東から西へ大きく動き出した。さっきのポイントに更にコマセを打ち込み、何度か仕掛けを流していると、ズボッと電気ウキが消し込まれた。小気味いい引きである。

思いっきり竿を煽ると、猛烈なスピードとパワーで沖に向かって走り出した。ドラグがギリギリ、ギリギリ逆転し、ラインがしぶきを上げて飛び出していく。

わずか10数秒でスプールに巻いた道糸が底をつきかけた。スプールには5号の道糸が100メートルほど巻いてあったが、このまま走られたらすべてを失ってしまう。やむなくドラグを締めつけると、竿がUの字となって、たちまち道糸から切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に戻って、洗い場で潮を被った道具を洗っていると、船長が近づいてきて「あにか釣れたかっ?」と尋ねてきた。

そこで、朝方、リールを逆転させて逃亡した見えない大物の話をしたところ、

「おめえなぁ、3日ぐれえ前から、三宅周辺にマグロが廻って来てんだよぉ。漁師仲間が群れを見たって電話してきた。」「おれも、外しておいた太い竿を、光明丸に取り付けたところだ。」「だから、おめえの竿に来たやつも、きっとマグロにちげえねえ。磯近くだから、10キロか15キロのメジマグロだろう。」

おめえもイスズミばっかし釣ってねえで、たまにはメジマグロでも釣ってこいよと言われてしまった。わいも言い返した。「イスズミならノラ猫のために置いていくけど、メジマグロだったら持って帰るよ。そしたらムツミさん、がっかりするだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2016年12月08日

214話 喜んでくれるかな ?

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月初旬のことだったが、かみさんとかみさんの友達が、車で1時間ほどの近所の丘陵に紅葉狩りに出かけていった。

前日、その友達から「明日、おとうさんが農協の慰安旅行に行って留守になるから、どこかでおいしいものでも食べようよ。」とかみさんに電話が掛かっていた。
その友達は稲作農家の主婦だが、ご亭主と二人で広い水田で稲作をし、更に、里芋や京芋、白菜などの畑作物を作って直売所に出荷しているから、年中休む暇がない。

ただ、ご亭主が留守の時だけ解放されて羽を伸ばせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


実は、そのお百姓夫婦がわいの魚を心待ちにしている磯魚ファンで、熱烈サポーターのひとりなのである。魚が釣れたときはかみさんが毎回届けるので、天候が悪かったり都合が悪かったりで1か月も釣りに行かないと、「ご主人、最近釣りに行ってないの?」とか、「具合でもわるいの?」とかみさんに電話してくる。
だから、クーラーを満杯にして夜遅く三宅島から戻ってくると、翌朝には、かみさんが往復2時間かけてお百姓の家まで魚を届けに行く。

帰り際にホウレンソウや大根を貰ってくるから、まるで物々交換のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


魚がいつ届くかと待ちわびてくれるのは嬉しい限りだが、今回の紅葉狩りでは、わいをつんぼ桟敷に置いたまま、前代未聞の約束が交わされていたのだ。
その日、赤く染まった紅葉の下で弁当を食べようと、かみさんと友達が
湖畔のベンチに腰を下ろすと、件の友達が急に改まって、「いつもお魚をありがとう。」

「もう、スーパーの魚は食べられないから、ご主人の魚、一生忘れないで持ってきてね。」と真剣にお願いしてきたというのだ。かみさんは安請け合いして、一生持って行くから心配ないよと答えたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともかく、一生と言われると責任は重大だが、それほど期待されているということだから、笑みがこぼれるほど嬉しくもある。20年も前のことだが、これとは正反対に、大島からメジナを釣って帰ると

「こんな魚、二度と釣ってこないでっ!」「メジナを捌くと手が傷だらけになるんだからっ。」とかみさんにえらく怒られたことがある。

磯釣りでメジナがダメと言われたら、いったい何を釣ればいいのだろう。もはや、首を吊るしか選択肢はない。一生持ってきてねと較べると、天と地ほどの開きがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、先週のことだが、連日の悪天候を縫ってやっと三宅島に釣行したが、まだ、水温は22.5℃とメジナの釣れる水温ではない。せめて20℃を割ってくれという願いも空しく、依然、高止まりしたままだ。

この水温ではイスズミの天下である。気圧配置も完全な冬型にはなっていないが、晴天には程遠く、北東風が強くて海は荒れていた。ひとつ先の御蔵島には、下りの連絡船は寄港できず、欠航するという船内放送があった。
午前4時50分、連絡船は錆が浜港に接岸したが、まだ闇の濃い港には光明丸の船長が迎えに来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船長の運転するワゴン車で光明丸に到着すると、船長は顎をしゃくって「この車をつかえっ、」と軽ワゴンを指した。
わいは30分ほどかけて出発準備を整えると、じゃあ、行ってきますと食堂に向かって声を掛けると、「お茶でも飲んで行けっ、」と船長の声で呼び止められた。

茶菓子を食べながら一服し、いざ出かけようと表に出ると、暗い夜空で、風が唸り声をあげて木立を揺すっていた。この風では釣り場は限定される。与条件は芳しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは軽ワゴンに乗り込むと、いくつかの選択肢からヤナガネに白羽の矢を立てた。

ヤナガネの磯は前々回バッカンをさらわれた磯でもあるが、ナライの風を背に釣れないことはない。ひょっとしたらメジナが出るかもしれない。

 

 

ヤナガネで釣り始めて暫くすると、空がほのぼのと明るくなってきた。空には薄曇がかかって遥か彼方に御蔵島が煙っていた。足元のさらしから沖目にかけて丹念にコマセを打って、仕掛けを流していると、30分ほどでウキが引き込まれた。

なかなかの引きではあるが、首を振っているからイスズミである。魚体が銀白に光った。案の定、1発目の獲物は35センチのイスズミであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから立て続けにイスズミが来た。手の平サイズから大きいのは40センチクラスまで、いくらでも釣れる。釣ったイスズミを海に返すとサメが来るので返すわけにはいかない。大きいイスズミだけ白い土嚢袋に入れて潮だまりに放り込んだ。

光明丸に持ち帰ってやれば、ノラ猫女神のムツミが喜んでくれる。イスズミの叩きはノラ猫の大好物なのだ。小さいイスズミは潮だまりに投げ込んで、波が上がって来たら帰れるようにしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り始めて数時間、イスズミならいくらでも釣れる。しかし、肝心のメジナは全く来ない。土嚢袋は大きなイスズミで一杯になってしまった。ともかく、この場所で釣っていても埒は明かない。潮も引いてきたことなので、思い切って岬の先端で釣ることにした。
先端にはおあつらえの潮が流れていた。その潮に乗せて流していると、まもなくカイワリが上がった。やっとイスズミの呪縛から解放されたのだ。

その30分後にやっとメジナが上がった。40センチあった。そのメジナの針を外していると、荷物を置いた後方の岩場で、カラスが群れを成して騒いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにを騒いでいるのかと見に行ってみると、 なんて~こった~! 潮だまりから土嚢袋が引きずり出されて、見るも無残に喰い破られていた。袋に入れたイスズミはすべて喰いちぎられていた。カラスの喰い方は残酷で、いの一番に目の玉を突っついて喰う。次は腹を突き破って腸を喰う。なぜか肉の部分は残してしまうのだ。
それにしても、イスズミの入った重い土嚢袋を、よくぞ引き上げたものだ。おそらく、10羽以上で力を合わせたのだろう。岩の上に置いたリュックには白いビチクソが引っかけられていた。くそ~っ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潮も停まってしまったし、カラスにはバカにされるし、この先、イスズミしか釣れそうもないので諦めて撤収することにした。
光明丸に戻ると、早速ムツミがやって来た。イスズミのみやげを待っていたのだ。

「なんか釣れた?」と訊いてきたので、イスズミはいっぱい釣れたけれど、み~んなカラスにやられちゃったよと答えると、「カラスはナカムラさんより賢いからね。」と言い捨てて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝は敗者復活戦である。深夜2時に飛び起きて、前夜から練っていた作戦通りカドヤシキの磯に上った。しかし、前日より風が強い。

ニッパナの見える西側の磯に立ったが、風に飛ばされた波しぶきが礫のようにバシバシ当たってくる。月も星もない闇夜である。波を誘って、風が生き物のように騒いでいる。防寒防水のカッパで身を固め、しぶきをかぶりながらの釣りとなった。
タフな釣りにはなったが、悪条件にも関わらず、すぐ足元から大物が出た。50センチを超える大きなフエフキダイである。これでやっとおみやげが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でかいから、件のお百姓夫婦も喜ぶに違いない。すぐその後に45センチのメジナが上がった。これはピンコロのマスター行きである。その後、いかなる大物かは定かでないが、二度も続けてハリスを切られてしまった。

夜明けが近づくとさすがに大物の食いは停まって、オキナヒメジが続けて3匹上がった。通称オジサンと呼ばれているが、食べたら、刺身でも塩焼でも結構いけるのだ。さっき釣れた大イスズミもピンコロへのみやげになる。ただし、磯の上で腸とエラを除去して持ち帰らねばならない。そうすればメジナと遜色ないし、メジナ以上にうまいという。

 


夜が明けてくると木っ端や小イスズミが躍り出てきた。雑魚が跋扈し始めたら逃げるが勝ちだ。おみやげもできたし釣りも楽しめたのだ。磯魚を待っているお百姓やピンコロのマスターもきっと喜んでくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。