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2017年02月08日

216話 親の意見となすびの花は

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月下旬の10日余り、日本列島には猛烈な寒気が南下して、北日本や裏日本は連日のように豪雪や暴風雪に見舞われた。わいは月末の31日、パソコンを開いて翌月1日、2日の予想天気図を覗いてみた。すると、微妙ではあるが低気圧は東方海上に退いて、三宅島周辺は高気圧圏内に入りそうである。これなら愁眉が開けそうだ。

間髪を置かず出撃である。早速、竹芝桟橋22時30分発の夜行船で、オナガグレの待つ三宅島に向けて出発することにした。


その日の朝、午前9時、わいは光明丸の船長に電話して「今夜の船で行くけど、いいかい。」と問い合わせてみた。すると、「海は荒れてるぞぉ。連絡船も着くかどうか分からねえ。昨日も本船は途中から引っ返しちまったよぉ。潮もよくねえ。来ねえほうがいい。」と後ろ向きの返事が返ってきた。

「いいんだよ、魚が釣れなくたって、船長の顔を見にいくんだから。」と本音とも冗談ともつかぬことを言った後、「船長、顔はくっついてんだろう?」と訊いてみると、「うん、あるある。」と子供のような返事が返ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


水温も上がったり下がったりしながら19℃台になってはいたが、クルクル変わって一定しない。とは言え、厳冬期の三宅島には強風としけは付き物である。今更驚くにはあたらない。たとえ船長がなんと言おうと、風音程度に聞き流しておけばいいのだ。

それにしても、冬型の気圧配置は既に10日余り続いている。そろそろ二、三日小康状態が訪れてもいいのではないか。わいは希望的観測を込めて、ネットの予想天気図に乗ることにした。ともかく、行ける時に行かないとチャンスを逸してしまうのだ。
そうは言っても、ヤフーのピンポイント予報を見れば、内心は決して穏やかではない。ピンポイント予報の三宅島の明日は、終日西風が強く、風速は8メートルから12メートルと言っている。しかも、波高が4メートルというから尋常ではない。それでも、それはそれ、風表を避け、島影や崖下の風裏に入ればなんとかなると計算していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝未明、西風が強いというから、連絡船は東側の三池港に入ると思いきや、意に反して北側の伊ケ谷港に入港した。風ばかりかうねりもまた強かったのだ。

伊ケ谷港は、背後に雄山に連なる断崖が立ちはだかり、東側には伊豆岬が屏風のように横たわっているから、大しけの時でも強風やうねりを食い止めてくれる。しけた時に入港できる最後の砦なのだ。
薄暗い連絡船の明かりに照らされて、40人ほどの下船客は次々にタラップを降り立った。わいは暗い岸壁をそのまま200メートルほど歩き、防波堤の角をかぎ型に曲がって、更に100メートルほど歩いていくと、前方のほの暗い街灯の下に10数台の車が駐まっていた。その一番外れに船長らしい人影が立っていた。

おはようございますと声を掛けると、「おおっ、早く乗れっ、」と船長が返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船長の運転する軽ワゴンで、まだ暗い一周道路を30分ほど走って、5時半ごろ、光明丸の庭先に到着した。車を降りると木立や雑木林が予想以上に激しく揺れていた。

船長はいつものように、「この車を使え。コマセはクーラーに入れてある。お茶でも飲んでから行けっ。」と言うので、釣りの支度を済ませてから、おにぎりを食べて出掛けることにした。


軽ワゴンに荷物を積み込むと、風裏に位置する光明丸下の荒磯、釜方を偵察することにした。ヘッドライトを点けて急坂を下り、海岸沿いの道をゆっくり進んでいくと、暗がりの中に釜方の磯が見えてきた。風裏だけあって海には白波ひとつ立っていない。これなら竿は出せそうである。
わいは念のため手ぶらで荒磯に降りると、溶岩の溝や起伏を縫って先端に出てみることにした。この目で潮の動きを確かめるためだ。先端に出ると、なんとか風は凌げそうであったが、潮がまったく動いていない。死んでいるのだ。これでは竿は出せても釣りにならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいはすぐさま方向転換して5キロほど離れたゴンパチの磯に向かった。

ゴンパチは背後に火山礫の砂漠の丘があって、更に、釣り場は東側の崖下になるから、強い西風でも凌げるのだ。ところが、ここも潮は動かない。他に適当な釣り場は思いつかないので、仕方なく竿を出したが、アタリはぜんぜんない。エサ盗りもいない。

1時間ほどたつと、やっとエサが盗られるようになった。しかし、フグかなんぞのエサ盗りである。

そのうち、ウキが引き込まれたので合わせてみると、ウマヅラのような外道が掛かっていた。釣り上げてみると、紫の斑点のあるソーシハギであった。ソーシハギにはパリトキシンという毒があり、その毒はフグ毒の70倍というから凄まじい猛毒である。

知らずに喰ったら、たちまち葬式となるからソーシハギというのかもしれない。このソーシハギは後ろで騒いでいたカラスたちにくれてやった。
その30分後に来たのは40cm強のオキナメジナであった。八丈島ではウシグレと呼んでいるらしいが、不格好で顎が牛のように頑丈な魚である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのウシグレを境に、風が滅茶苦茶強くなってきた。強風で竿がエビのように曲がってしまう。仕掛けを手元に戻したくても、吹き飛ばされて戻ってこない。これではエサを付け替えたくても、付け替えることすら出来ない。手も足も出なくなったので撤収することにした。背負子を背にして溶岩の崖を這い上がり、やっと砂漠の丘に上ったが、砂漠の丘に出てみると、猛烈な風の吹き曝して立っては歩けないのである。


2日目は更に酷かった。深夜目覚めて、ふとんの中で耳をそばだてていると、あな恐ろしや、ジェット機のような轟音を立てて風が吹き抜けていく。それでもわいは釣りに出た。しかし如何ともしがたい。どこにも釣り場はなかった。

これでは連絡船も欠航かと観念していたら、不思議なことに連絡船は就航してくれた。

捨てる神だけではなく、拾う神もいたのである。釣りにはならなかったが、ケガひとつせず帰宅できたのは幸運と言えるだろう。

空振りに終わったのは、船長のことばを軽視したからだ。「親の意見となすびの花は、千にひとつも無駄はない」というが、船長のことばも同様で、素直に聞いておけばよかったのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2017年01月23日

215話 ノラとムツミが喜べばいい

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荒磯を早上がりしたわいは、光明丸に戻って掛け布団に寝転んでうつらうつらしていると、「お~い、ナカムラ~っ、」と遠くから船長の大声が聞こえてきた。

時刻はまだ5時半だったが、夕食が出来たから食堂に来い、という合図である。

わいがは~いと答えて、洗面所で顔を洗ってから顔を出すと、「おめえ、あにしてたんだよぉ。」と短気な船長が待ちくたびれて文句を言った。

食卓にはすでにキンメの刺身や煮付け、とんかつやてんぷらなどの皿がびっしり並んでいた。台所ではムツミが次の料理を作っていた。

わいが着席すると船長はすぐさま缶ビールを開けて、「おい、飲めっ」とこぼしそうな勢いで注いでくれた。

「船長、おつかれさま!」とわいがコップを上げると、「おおっ、」と船長は相好を崩したが、すぐに真顔になって「おめえは、携帯にいっくら電話してもぜんぜん出ねえじゃねえかっ。」と憤慨した口調で咎めてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


船長、ゴメン、ゴメン、撤収中にリュックの中で鳴っていたのは分っていたけど、背負子を下ろす場所もないほど険しい岩場だったんだ。あのとき、船長はどこから電話してきたの?と訊いてみると、

「ママの沖にいたんだよ。手が空いたんでおめえに電話したんだ。」と返事があって、「で、おめえはどこにへえった?」「なんか釣れたか?」と矢継ぎ早に尋ねてきた。
釣ったのはヤナガネの磯だよ。釣れたには釣れたけれど、ノラ猫とムツミが喜ぶイスズミばっかりだ。潮は朝から弛みっぱなしでほとんど動かなかった。水温が高いせいかメジナのメの字もなかった。昼ごろにカモメが針掛かりしてぶんぶん飛び回るし、足元では海がめが泳ぎ回っているし、散々な日だったよ。

もうあきらめて、2時ごろ撤収して光明丸で寝ていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「そうかあ、このところ潮がわりいからなあ。」と珍しく船長が同調して相槌を打った。

わいが荒磯で釣りをしていると、船長は毎度のように釣り場まで電話してくる。その内容は「今、おめえはどこで釣っているのか?」とか「ライフジャケットは着けているか。」とか「気いつけて釣れ。」などという、たわいもない用件である。それも漁の合間だから、船の上から早口でかけてくる。

心配してくれるのはありがたいが、毎度となるとかなり煩わしくなってくる。

とは言え、わいは光明丸の最古参なのである。船長にしてみれば、40年もしぶとく通ってくるわいの骨董的価値を認めて、貴重品のように扱ってくれるのだろう。

かたや船長はと言えば、当年85才の現役漁師である。これこそ骨董品そのものである。いつガタがきてもおかしくない年齢だから、わいも大事に大事に扱っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、夕食を終えたわいは、荒磯の疲れが出たせいか泥のように眠ってしまった。

しかし、深夜、ガラス戸越しに押し寄せる真冬の冷気に、首や肩が氷のように冷え切ってしまった。首と肩だけではない、布団から飛び出した足や腰までミイラのように冷たくなってしまった。あたかも、冷凍庫の中に投げ込まれていたかのようだ。おかげですっかり目が覚めてしまった。足元に入れた2個のカイロはほとんど役に立たなかった。
平均気温が東京より3~4度高い三宅島といえども、1月と言えば寒の最中である。暖房もない四畳半の部屋で、外気との仕切りがガラス戸一枚では、真冬の寒さは凌ぎ切れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、深夜2時にセットした携帯のアラームはまだ鳴っていないから、午前2時前である。ガラス戸越しに外の闇に目を凝らすと、黒々とした木立が生き物のように揺れ動いていた。

わいは小用に立とうとして、明かりを点けて枕元の腕時計に目をやると、時計の針はぼんやりと午前1時あたりを指していた。ということは、就寝後6時間も経過しているのだ。セットした時刻まであとわずかだから、少し早いが起床することにした。

 

 

 

という訳で午前2時前、わいはこっそりと光明丸を抜け出すことになった。泥ちゃんではないが、深夜抜け出す時には足音を忍ばせ物音を立ててはいけない。

 40年も前から、船長は釣り客の事故や遭難を惧れて、「明るいうちにけえって来い。暗いうちはでかけるな。」と言い続けてきた。だから、真夜中に抜け出すなんて反逆行為そのものである。そんな事情があるから、寝た子を起こさないようそっと抜け出すのだ。

ただ、足音やドアの開閉音はひそめることは出来ても、エンジンの始動音だけはどうにもならない。その時ばかりは、「船長に気づかれませんように。」と念仏を唱えながらキーを回すのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


防寒着に身を包んだわいが中庭に出ると、思ったより寒くはなかった。車のエンジンを遠慮がちにかけると、急いで光明丸の中庭を脱出し、木立がトンネルをなした急坂を下って海沿いの道に出た。

二日目の磯はどこにしようか迷っていたが、思い切ってズナゴにした。前日からの潮回りを見れば、突然、潮が替わって良くなるわけはないが、だからと言って、釣りを止めては元も子もない。わいはズナゴに賭けたのである。
入磯して30分ほどで釣り支度は整った。真夜中にはどんな大物が喰らいついて来るか分からないから、暗い波間にワクワクしながらコマセを打った。コマセを打つだけで心が躍るのである。しばらくコマセを打ってから赤い電気ウキを流していると、真っ暗な闇夜のはずが、周囲が妙に明るくなった。見上げると、2時の方角の雲間に半月が顔を出していた。

ぇーっ、げ、げ、幻覚なのか。わいは死ぬほどびっくりした。月没は23時30分だから、月はとっくに沈んでいるはずなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいが光明丸を抜け出してから1時間は経過している。起床したのは午前1時ごろだったから、現在時刻は午前2時半を回っているはずである。

それが、あろうことか雲間から半月が覗いている。オカルトではないかと腕時計をよくよく見たら、時計の針は22時を指していた。携帯もやはり22時を表示していた。

小用に起きた時、メガネなしで時計を見たから、針がぼやけていたのだ。これを奇貨と言おうか棚ぼたというべきか、労せずして釣る時間が増えてしまった。 

それがぬか喜びとは知る由もなかった。それから午前2時までの4時間あまり、全くアタリがなかった。電気ウキはピクリともせず、付け餌はそのまま戻ってくる。棚を替えてもコマセを打っても、まったく反応はない。まるで、生体反応が途絶えた死の海である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ついにわいは決断した。ズナゴに決別するしかない。磯替わりするのは面倒だが、朝までにはまだ時間がある。日の出は午前6時45分、わいは1時間ほどかけて、数キロ離れたカドヤシキの磯に移動した。改めて仕掛けを作り直し、第1投を打ち込んだのは午前3時を回っていた。

ここでも潮が弛んで動かなかったが、30分ほど釣っていると軽いアタリがあってオキナヒメジが上がった。30センチほどの小さなオナガもきた。悪いながらもズナゴよりましであった。
当たり前だが、それにしても寒い。防水防寒着に身を包み、腰にホッカイロをふたつ着けてもまだ寒い。背中に吹き付ける北風がひどく冷たい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その内、御蔵島が浮かぶ東の空が薄青く明からんできた。海面がざわついてきた。

そのざわついた海面に集中してコマセを打って、仕掛けを潮に乗せていると、電気ウキがじわ~っと抑え込まれた。軽く竿を煽ってみると、針掛かりしたような抵抗があった。念のため、二度合わせしてみると、そやつは物凄いパワーで右へ左へ走り始めた。

あいにく、幅8メートルかそこらの狭いワンドで釣っていたから、岬のように左右に岩礁が張り出していた。その岬を回られたらアウトである。岬を躱しながら、じっくり魚を弱らせるしかない。15分ほどするとそやつもさすがに疲れたのか大人しくなった。足元に寄せて平を打たせてから取り込んだが、55センチのイスズミであった。メジナでないのは残念だが、やり取りは面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それから30分ほどすると、ざわついていた潮が突然、東から西へ大きく動き出した。さっきのポイントに更にコマセを打ち込み、何度か仕掛けを流していると、ズボッと電気ウキが消し込まれた。小気味いい引きである。

思いっきり竿を煽ると、猛烈なスピードとパワーで沖に向かって走り出した。ドラグがギリギリ、ギリギリ逆転し、ラインがしぶきを上げて飛び出していく。

わずか10数秒でスプールに巻いた道糸が底をつきかけた。スプールには5号の道糸が100メートルほど巻いてあったが、このまま走られたらすべてを失ってしまう。やむなくドラグを締めつけると、竿がUの字となって、たちまち道糸から切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光明丸に戻って、洗い場で潮を被った道具を洗っていると、船長が近づいてきて「あにか釣れたかっ?」と尋ねてきた。

そこで、朝方、リールを逆転させて逃亡した見えない大物の話をしたところ、

「おめえなぁ、3日ぐれえ前から、三宅周辺にマグロが廻って来てんだよぉ。漁師仲間が群れを見たって電話してきた。」「おれも、外しておいた太い竿を、光明丸に取り付けたところだ。」「だから、おめえの竿に来たやつも、きっとマグロにちげえねえ。磯近くだから、10キロか15キロのメジマグロだろう。」

おめえもイスズミばっかし釣ってねえで、たまにはメジマグロでも釣ってこいよと言われてしまった。わいも言い返した。「イスズミならノラ猫のために置いていくけど、メジマグロだったら持って帰るよ。そしたらムツミさん、がっかりするだろう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年12月08日

214話 喜んでくれるかな ?

テーマ:ブログ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月初旬のことだったが、かみさんとかみさんの友達が、車で1時間ほどの近所の丘陵に紅葉狩りに出かけていった。

前日、その友達から「明日、おとうさんが農協の慰安旅行に行って留守になるから、どこかでおいしいものでも食べようよ。」とかみさんに電話が掛かっていた。
その友達は稲作農家の主婦だが、ご亭主と二人で広い水田で稲作をし、更に、里芋や京芋、白菜などの畑作物を作って直売所に出荷しているから、年中休む暇がない。

ただ、ご亭主が留守の時だけ解放されて羽を伸ばせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


実は、そのお百姓夫婦がわいの魚を心待ちにしている磯魚ファンで、熱烈サポーターのひとりなのである。魚が釣れたときはかみさんが毎回届けるので、天候が悪かったり都合が悪かったりで1か月も釣りに行かないと、「ご主人、最近釣りに行ってないの?」とか、「具合でもわるいの?」とかみさんに電話してくる。
だから、クーラーを満杯にして夜遅く三宅島から戻ってくると、翌朝には、かみさんが往復2時間かけてお百姓の家まで魚を届けに行く。

帰り際にホウレンソウや大根を貰ってくるから、まるで物々交換のようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


魚がいつ届くかと待ちわびてくれるのは嬉しい限りだが、今回の紅葉狩りでは、わいをつんぼ桟敷に置いたまま、前代未聞の約束が交わされていたのだ。
その日、赤く染まった紅葉の下で弁当を食べようと、かみさんと友達が
湖畔のベンチに腰を下ろすと、件の友達が急に改まって、「いつもお魚をありがとう。」

「もう、スーパーの魚は食べられないから、ご主人の魚、一生忘れないで持ってきてね。」と真剣にお願いしてきたというのだ。かみさんは安請け合いして、一生持って行くから心配ないよと答えたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ともかく、一生と言われると責任は重大だが、それほど期待されているということだから、笑みがこぼれるほど嬉しくもある。20年も前のことだが、これとは正反対に、大島からメジナを釣って帰ると

「こんな魚、二度と釣ってこないでっ!」「メジナを捌くと手が傷だらけになるんだからっ。」とかみさんにえらく怒られたことがある。

磯釣りでメジナがダメと言われたら、いったい何を釣ればいいのだろう。もはや、首を吊るしか選択肢はない。一生持ってきてねと較べると、天と地ほどの開きがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、先週のことだが、連日の悪天候を縫ってやっと三宅島に釣行したが、まだ、水温は22.5℃とメジナの釣れる水温ではない。せめて20℃を割ってくれという願いも空しく、依然、高止まりしたままだ。

この水温ではイスズミの天下である。気圧配置も完全な冬型にはなっていないが、晴天には程遠く、北東風が強くて海は荒れていた。ひとつ先の御蔵島には、下りの連絡船は寄港できず、欠航するという船内放送があった。
午前4時50分、連絡船は錆が浜港に接岸したが、まだ闇の濃い港には光明丸の船長が迎えに来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船長の運転するワゴン車で光明丸に到着すると、船長は顎をしゃくって「この車をつかえっ、」と軽ワゴンを指した。
わいは30分ほどかけて出発準備を整えると、じゃあ、行ってきますと食堂に向かって声を掛けると、「お茶でも飲んで行けっ、」と船長の声で呼び止められた。

茶菓子を食べながら一服し、いざ出かけようと表に出ると、暗い夜空で、風が唸り声をあげて木立を揺すっていた。この風では釣り場は限定される。与条件は芳しくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいは軽ワゴンに乗り込むと、いくつかの選択肢からヤナガネに白羽の矢を立てた。

ヤナガネの磯は前々回バッカンをさらわれた磯でもあるが、ナライの風を背に釣れないことはない。ひょっとしたらメジナが出るかもしれない。

 

 

ヤナガネで釣り始めて暫くすると、空がほのぼのと明るくなってきた。空には薄曇がかかって遥か彼方に御蔵島が煙っていた。足元のさらしから沖目にかけて丹念にコマセを打って、仕掛けを流していると、30分ほどでウキが引き込まれた。

なかなかの引きではあるが、首を振っているからイスズミである。魚体が銀白に光った。案の定、1発目の獲物は35センチのイスズミであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから立て続けにイスズミが来た。手の平サイズから大きいのは40センチクラスまで、いくらでも釣れる。釣ったイスズミを海に返すとサメが来るので返すわけにはいかない。大きいイスズミだけ白い土嚢袋に入れて潮だまりに放り込んだ。

光明丸に持ち帰ってやれば、ノラ猫女神のムツミが喜んでくれる。イスズミの叩きはノラ猫の大好物なのだ。小さいイスズミは潮だまりに投げ込んで、波が上がって来たら帰れるようにしておいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

釣り始めて数時間、イスズミならいくらでも釣れる。しかし、肝心のメジナは全く来ない。土嚢袋は大きなイスズミで一杯になってしまった。ともかく、この場所で釣っていても埒は明かない。潮も引いてきたことなので、思い切って岬の先端で釣ることにした。
先端にはおあつらえの潮が流れていた。その潮に乗せて流していると、まもなくカイワリが上がった。やっとイスズミの呪縛から解放されたのだ。

その30分後にやっとメジナが上がった。40センチあった。そのメジナの針を外していると、荷物を置いた後方の岩場で、カラスが群れを成して騒いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにを騒いでいるのかと見に行ってみると、 なんて~こった~! 潮だまりから土嚢袋が引きずり出されて、見るも無残に喰い破られていた。袋に入れたイスズミはすべて喰いちぎられていた。カラスの喰い方は残酷で、いの一番に目の玉を突っついて喰う。次は腹を突き破って腸を喰う。なぜか肉の部分は残してしまうのだ。
それにしても、イスズミの入った重い土嚢袋を、よくぞ引き上げたものだ。おそらく、10羽以上で力を合わせたのだろう。岩の上に置いたリュックには白いビチクソが引っかけられていた。くそ~っ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潮も停まってしまったし、カラスにはバカにされるし、この先、イスズミしか釣れそうもないので諦めて撤収することにした。
光明丸に戻ると、早速ムツミがやって来た。イスズミのみやげを待っていたのだ。

「なんか釣れた?」と訊いてきたので、イスズミはいっぱい釣れたけれど、み~んなカラスにやられちゃったよと答えると、「カラスはナカムラさんより賢いからね。」と言い捨てて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝は敗者復活戦である。深夜2時に飛び起きて、前夜から練っていた作戦通りカドヤシキの磯に上った。しかし、前日より風が強い。

ニッパナの見える西側の磯に立ったが、風に飛ばされた波しぶきが礫のようにバシバシ当たってくる。月も星もない闇夜である。波を誘って、風が生き物のように騒いでいる。防寒防水のカッパで身を固め、しぶきをかぶりながらの釣りとなった。
タフな釣りにはなったが、悪条件にも関わらず、すぐ足元から大物が出た。50センチを超える大きなフエフキダイである。これでやっとおみやげが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でかいから、件のお百姓夫婦も喜ぶに違いない。すぐその後に45センチのメジナが上がった。これはピンコロのマスター行きである。その後、いかなる大物かは定かでないが、二度も続けてハリスを切られてしまった。

夜明けが近づくとさすがに大物の食いは停まって、オキナヒメジが続けて3匹上がった。通称オジサンと呼ばれているが、食べたら、刺身でも塩焼でも結構いけるのだ。さっき釣れた大イスズミもピンコロへのみやげになる。ただし、磯の上で腸とエラを除去して持ち帰らねばならない。そうすればメジナと遜色ないし、メジナ以上にうまいという。

 


夜が明けてくると木っ端や小イスズミが躍り出てきた。雑魚が跋扈し始めたら逃げるが勝ちだ。おみやげもできたし釣りも楽しめたのだ。磯魚を待っているお百姓やピンコロのマスターもきっと喜んでくれるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年11月07日

213話 なくして分かった有難味

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わいは橘丸のタラップを降りると、暫くの間、下船口で出会ったブログ読者の女性と話しながら歩いた。女性とは桟橋の途中で別れたが、わいはそのまま緩やかな坂を上がって、いつもの十字路で薄暗い周囲を見回してみた。

光明丸の車はどこにもない。まだ来ていないのか、忘れたのか。はたまたムツミが寝過ごしたのか。いずれにせよ待つしかない。

じりじりして待っていると、「おいっ、ナカムラッ、あにしてんだよぉ。」と遠くで船長の声が聞こえた。声のする方を透かして見ると、20メートルほど離れた薄闇の中に船長らしい人影が見えた。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近づいて行くと開口一番、「おめえは女の人と話しながら歩いてきたけど、知り合いか?」と尋ねてきた。船長はここから見ていたのだ。

つんぼの早耳、じじいの遠目というけれど、船長はあきれるほど遠目が効くのだ。
「暗いのによく見えたね。彼女だよ。」とからかうと、「ばかいえっ、おめえに彼女なんかいるわけねえだろ。」と憎まれ口を叩いた。
それもそうだ。たまたま下船口で隣り合って、話していたらおれのブログの読者と分かった。だから話が弾んだんだよと説明したが、船長にブログなんて分るだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


車に荷物を積み終えると、船長はすぐに坪田に向けて走り出した。

途中で、朝焼けに染まるニッパナの海や岬が一望できた。遠目には風もなく海も穏やかに凪ぎていた。「ナライが強いという予報だったけれど、静かだねえ。」と話しかけると、船長はそうだなあと返事を返した。

 

わいが光明丸で釣り仕度を整え、いよいよ出発するころになると、宿の周囲の木立が妙に騒がしくなっていた。

庭先を出ると軽ワゴンはすぐに左折し、急坂を下って海沿いの道に出たが、荒磯には風がヒューヒュー唸っていた。うねりが磯岩に当たって真っ白いしぶきを上げていた。これでは釣りどころではない。天気予報が見事に当たってしまったのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいの三宅島は3か月ぶりだったから、肩慣らしに楽に入れる磯を考えていたが、安直な磯はすべてNGである。やむなく南下してカドヤシキで釣ることにしたが、カドヤシキも相当な風である。

そればかりか、竿を出すと掛かってくるのは木っ端グレばかりで、合間にカイワリが釣れてくる。先端では盛んに波しぶきが上がっていたが、潮はほとんど動いていない。
早朝からずっとそんな塩梅だったが、午後2時を過ぎた頃、突然、カイワリが入れ食いとなり、立て続けに7,8匹釣り上げた。すぐ次が掛かってきたので抜き上げようとしたら、ガバッと足元の海が割れて、大口開けた大ザメが飛び出してきた。

凄い歯並びに、一瞬、肝を冷やしてしまった。大ザメは赤茶色をして丸々と肥っていた。体長は1メートル50センチ近くあったろうか。サメが遊弋しているのは、まだ海水温が高いという証拠である。サメがいては釣りにならない。わいは竿をたたんで退散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日の天気予報はまたしても北東の風強しであったが、そんなことには構っていられない。深夜2時、わいは昨夜から決めていたヤナガネの磯に向けて宿を出た。

車は曲がりくねった一周道路を暫く走って坪田の集落を抜けると、道はこんもりした木立の間を通り、くねくね曲がりながらアップダウンを繰り返す。その上りのピークに森の奥へと続く山道がある。海岸沿いに鬱蒼とした森が残っているのは三宅島でもこの辺りだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その入口のすぐ前まで来たが、草木も眠る丑三つ時である。闇の深さと薄気味悪さにさすがのわいも腰が引けてしまった。しかし、行かねばならない。

意を決して漆黒の闇に侵入すると、山道に張り出した枝葉や蔓が車体を擦って、ギギー、ギギーと薄気味悪い声を上げた。雨でえぐられた山道にヘッドライトの光輪が届くと、何匹ものヒキガエルがのっそりと蠢いていた。それは薄気味悪さを通り越して、もはや魑魅魍魎の世界だったが、嫌でもここを通らねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヤナガネは沖に向かってヌーッと突き出した細長い溶岩の岬である。高さ凡そ3~4メートル、幅7~9m、長さ50mほどの岬だが、先端に出るには、途中、両側が切り立った狭い岩場を乗り越えて行かねばならない。勿論、両側は海なので、一歩踏み外せば一巻の終わりである。溝に亀裂に深い窪み、それに傾斜した滑る岩、波しぶきをかぶるその岩場は、わずか10mかそこらだが、通過するのに15分はかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


難所を通り抜けて岬の風下側に荷を下ろしたが、気掛かりだったので、先端から20メートル以上下がった高い場所に移し変えた。しかし、強風が反対側から波しぶきをバシバシと送ってくる。


ふと気がつけばその夜は満月であった。わいの正面斜め上の雲間から、満月が時折顔を覗かせて煌煌たる光を送ってくる。月明かりに照らされた溶岩磯は真昼のように明かるかった。真夜中の荒磯、月明かりにひとり立つ一竿子、まさに浪漫、至福のひとときである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うねりや大波を警戒しながら釣り始めて1時間余り、未だ何のアタリもない。棚を更に深くして竿1本半で釣っていると、まもなく電気ウキに微かな変化が現れた。

軽く合わせると、たちまち竿がのされるほどの強い引きに見舞われた。仕掛けは3号竿に5号ハリス。やり取りの末、ようやく玉網に収めたが、50cmを超える大型のイスズミであった。


その後、オナガ1匹とイスズミ2匹を加えて、高場で傷んだハリスを取り替えていると、岬の先端でドド、ドォーンと大音響が響き渡った。はっとして振り返った時には波しぶきをかぶり、うねりが足元を洗っていた。

荒磯を洗う大波に、釣り座に置いたバッカンと柄杓はあえなく持って行かれてしまった。バッカンは暫く浮いていたが、まもなく沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


時刻は未明の午前4時半、朝マズメの好機直前であった。わいは呆然自失してしまったが、幸いにも新聞紙に包んだ付け餌が少し残っていた。そのオキアミで続けることにした。柄杓も失っていたので、オキアミは指でつまんで数本づつ撒いた。

その後一時間ほど、わいは矢尽き刀折れるまで奮戦した。一瞬にしてバッカンと柄杓を失ってしまったが、なくなってやっと有難味に気づいたのである。

 

 

 

 

 

 

※バッカンとは、撒き餌のオキアミを5キロ~10キロ入れて持ち運ぶ箱型の容器で、撒き餌はバッカンから柄杓ですくって海面に投げる。

 

※文中、磯づり専門用語は意味が分からないと読者からご指摘をいただきましたが、文脈上、使わざるを得ない場合には注釈を入れます。また、分からない点については、どうぞコメント欄でご質問ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年10月27日

212話 びっくり仰天有頂天

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連絡船橘丸が東京港竹芝桟橋を出港して6時間半、狭い2等船室で眠れぬままに浅い眠りを繰り返していたわいは、「本船はまもなく三宅島錆が浜港に入港します。」という船内放送で起こされた。

時計を見ると午前4時半、完全に眠り足りないが、船室の灯りが点灯してしまったのでもう寝るに寝れない。それに、寝過ごした場合、御蔵島や八丈島まで連れて行かれてしまうので、朦朧とした頭で下船の支度のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その放送から15分ほどすると、「三宅島でご下船のお客様は4甲板中央下船口にご集合ください。」と次の放送があった。

放送に促されて、わいはリュックを背負って船室を出ると、荷物室に立ち寄ってクーラーや竿ケースを抱えて階段を上っていった。途中、船体が大きく動揺したので、わいは酔っ払ったようにふらついた。連絡船は入港時に、動揺防止装置のスタビライザーを収納してしまうので、風やうねり、波の影響をもろに受けてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいが二列に並んだ下船客の群れの最後尾に並ぶと、まもなく、クーラーを持った若い女性がわいのすぐ隣に並んだ。下船口には三宅島で下船する下船客がランダムに30人ほど集まっていた。出口となる水密扉はまだ開いていないから、接岸までには

10分以上かかるだろう。
その時、隣に並んだ女性が、「もう、桟橋に着いたんですか?」と問いかけてきた。

「いや、まだです。あと10分位かかるかな。接岸の5分位前に正面の水密扉が開くから、それが接岸の合図ですね。」と返事をすると、件の女性はわいの竿ケースをしげしげと見つめ、やおら顔を上げると、「あの、一竿子さんじゃないですか?」と声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ、ぼくのこと知ってるの?」と驚いて聞き返すと、「竿ケースに一竿子って書いてありますよね。」「わたし、以前、一竿子さんのブログ読んだことあるんです。」「ツルネの釣り師さんでしょ。」と昔書いたブログのことを憶えていてくれたのだ。

 

 

更に、「わたし、今、磯釣りに嵌まってるんです。もともとはダイビングで三宅島に来たんですけど、磯釣りがすごくおもしろくなってしまって。」と数少ない女性の磯釣り師でもあったのだ。これは青天の霹靂である。こんな離島で、しかも連絡船の下船口でわいのブログの読者と隣り合わせるなんて、奇遇としかいいようがない。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岸壁から橘丸にタラップが掛かると、わいとその女性は前後して下船したが、タラップを降りてからも、しばらくの間、暗い桟橋を話しながら歩いた。乗船客待合所のある上り坂に差し掛かると、迎えに来た島の青年が女性に向かって手を上げたが、女性はそれに応えて、「あの一竿子さんですよっ!」と話していたから、この青年ももしかしたら一竿子ブログの読者かもしれない。
こんな離島で、わいのブログの読者に出会うなんて思いもよらぬことだった。女性におだてられたせいで、わいはすごくハッピーな気分になっていた。そのせいか、足取りも軽くなって、寝不足で朦朧とした頭もすっきりしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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2016年10月14日

211話 今夜の船で行く~

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明日の三宅島は大潮である。ならいの風はやや強いものの、20号台風は東の海上に去って行ったし、雨もやっと上がった。水温も23℃まで下がってきた。まだ、満足とは言えないが、水温が29℃台で推移していた頃を思えば御の字である。
わいは7,8,9月となんと3ヵ月以上も三宅島にご無沙汰していたので、早くゴーサインが揃わないかと待ちあぐねていたが、やっと行けそうな雰囲気になってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが3日前である。

その朝、すぐ光明丸の船長に「今夜の船で行くけど、いいですか?」と電話すると、

船長は「だめだあ、明日の船でかかあを連れて東京に行かなきゃなんねえ。」と軽く断られてしまった。

仕方がないので、戻ったら行くからね。と船長の帰島を待っていたのである。
なんのための上京かというと、視力が著しく低下したおばさんが、今年の初め、嫌々ながら白内障の手術をしたのだ。手術はうまくいって、よく見えるようになったが、予後の経過観察で、2か月に一度は東京の病院に診察に出向かなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今朝、無事戻ったんだねと改めて電話すると、船長が「うん、へぼたか。今朝の船でけえってきた。待ってるよ。」とご機嫌だったので、いよいよ三宅島でのわいの秋磯、始まり始まり~である。

 

パンパカパ~ン、パンパン、パンパン、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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2016年09月27日

210話 極楽とんぼがスーイスイ

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9月と言えば赤トンボの季節。黄金色に実った稲穂の上を、赤トンボの群れが列をなしてスーイスイと翔んで行く。いつもなら、赤トンボをそこら中で目にする季節であるが、今年はとんと見当たらない。秋になっても秋風は吹かないし秋晴れもない。だらだらと梅雨のような長雨が続いて、9月下旬というのに、スカッとした秋空には一度もお目にかかっていない。
それでも、今日は久しぶりにお日様が顔を出した。わいは日課であるピンコロでのコーヒータイムを済ませて、昼過ぎに帰宅すると、かみさんが「お昼はお茶漬けでいい?」と尋ねてきた。何でもいいよとわいが答えると、まもなくお茶とご飯と塩鮭が出てきた。

早速、茶漬けにして塩鮭に箸をつけると、なんじゃこりゃ、全然しょっぱくねえじゃんか。お子様向けの府抜けた甘塩の鮭であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わいが立腹して「こんなもん食えるかっ!」とちゃぶ台をひっくり返すと、「不調法をいたしました。」とかみさんが畳に額をこすりつけて謝ってきた。

謝って済むなら警察はいらねえ。お前の顔なんか二度と見たくねえ。とっとと失せろ!と塩鮭ひとつで、一昔前ならそんな修羅場が展開されたかもしれない

しかし、今時そんな悲劇はどこを探しても見当たらない。かみさんにいちゃもんでも付けようものなら、何倍にもなって返ってくるから、さわらぬ神に祟りなしなのである。
わいは「この鮭、塩が効いてないから物足りないねぇ。」と言っただけである。

かみさんも一口食べて、「あそこのスーパーのはおいしくないのね。」と同意して、大団円に終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鮭と言えば、道北の漁港で鮭の水揚げがほとんどないそうだ。網走沖のサケの定置網にサケが入らないので漁業者が困っているという報道が数日前にあった。

その理由は、道北の海水温が異常に高く、鮭が沿岸に寄り付かないのだそうだ。どこの海も水温が高くて困ったものだ。

 


さて、天候不順や台風の襲来で、今月はまだ三宅島にも大島にも行っていない。

荒天が収まって来たのですぐにでも行きたいが、伊豆七島海域でも海水温が高すぎるのだ。わいの主戦場三宅島にはもう3か月も行っていない。

たぶん、光明丸の船長は「へぼのナカムラ、ぜんぜん来ねえがどうしたんだ。ぽっくり逝ってしまったか。」などと心配しているかもしれない。心配するな、船長よ、まだおれは生きている。水温が下がったらすぐに行くから、待っていてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


という訳で、釣りに行けないのでピンコロに話を戻すが、わいの日課とするピンコロのコーヒーは、月曜、火曜、木曜、金曜の週四日と決めている。

本日はそのピンコロデーに当たっていたが、久しぶりに日が差したので、傘も持たずに住宅地の裏道をトコトコ歩いていたら、道中にはまだ水たまりが残っていて、ゴム草履で歩くたびに泥水が跳ねてズボンの裾が汚れてしまった。

15分ほど歩いてピンコロのドアの前に立つと、ドアノブにクローズと書かれた札が掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだ、まだ開いてないのかと裏手に廻ると、赤いレクサスが駐まっていた。来てるんじゃねえかとドア横のブザーを押すと、すぐにマスターが出てきてカギを開けてくれた。「なんで開けとかねえんだよっ。」ときつく言ってやると、

「だって、開店は11時半ですもの。まだ30分もありますよ。」とトンデモナイことを言い出した。へ理屈である。いつも、わいが11時に来ることは知っているのだから、

「ハイ、忘れていました。」と言えばいいのに、減らず口を叩いたのだ。

「じゃあ、出直そうか。」とわいが踵を返すと、「ホットですか。アイスですか。」と言いながらニタニタ笑っている。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わいのコーヒータイムは、ピンコロに11時に登場し、12時に退場するのが習いである。五郎丸同様、これがわいのルーティーンなのだ。もし、ピンコロがなくなれば、ルーティーンも成立しない。そうなるとモチベーションは極端に下がってしまう。だから、ピンコロ存続のため、わいはせっせと通っているのだ。

先日も、いつもの席に座ってコーヒーを飲み始めると、コーヒーカップを片手にマスターがやってきて、はす向かいの席に腰を下ろした。毎度のことである。

そして、おもむろに口を開くと「雨ばかり降っているから、お客さんが来ないですねえ。」とぼやくのである。「じゃあ、晴れたら来るっていうのかい。」と疑問を呈すと、「晴れても来ませんねぇ。」と正直に返事を返してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

降っても降らなくても来ないものは来ないんだよねとわいが引き取ると、

「丸一日、誰一人お客さんが来ないと、ほんとに嫌になりますよ。」「もう店仕舞いしようかな、なんて考えちゃいますね。」と述懐するのだ。
一人もお客が来ないと辛いだろうね。ちなみに、先週はどれくらい来たのと聞いてみると、「10人ちょっとですかね。」というのだ。

お客さんがいないとき、マスターは黒皮のソファに深々と埋まって、70インチの大画面テレビでクラシック音楽をボリュームアップして聴いている。

「今日はナカムラさんが来たのでゼロではないですが、だれも来なかったら店を閉めますよ。」とわいを脅迫するのだ。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしてもピンコロはお客の来ない店である。

日ごろ、マスターが「去る者は追わず、来るものは拒まず。」なんて、妙なことを言っているから常連ができないのだろう。

2、3年前まで、わいも、ああしたらどう、こうしたらどうなどと集客のアドバイスをしてみたが、なんせ、「面倒臭いことは絶対やりません。」とマスターが洟もひっかけないので止めた。

それ以降黙って見ていると、自分なりに危機感を感じたのか、宅建主任者の資格を取りますとか。フィナンシャルプランナーの資格を取りますとか言って、ピンコロで無料コンサルをして集客しようと企図し始めた。満席はいやだが、30席あるお店に、常時2、3人のお客は欲しいというのだ。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、いくら無料のコンサルでも、喫茶店のマスターに不動産の売買とか、資産管理の話を持ち込んでくるお客がいるだろうか。そうこうしている内に、マスターは両方とも資格を取ってしまった。

嬉々としてライセンスを見せてくれた。定年までどこぞの学校で物理を教えていたせいで、へ理屈だけは一人前なのだ。晴れて、宅建主任者、フィナンシャルプランナーの資格を得て、大ガラスに無料相談と張り紙を貼り出したが、一向に相談者は現れない。見事、この集客方法は空振りに終わったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな失敗にもめげず、今度は終活相談所という張り紙を貼り出している。

終活相談とは安上がりに葬式を出すための方法を指南するということだそうだ。

集客の手段としてはどれも的外れだが、どうせ道楽なのだから、客が入ろうと入るまいと関係ないのだ。わいはマスターの思い付きを距離を置いて見ていたが、時々は、

「試行錯誤はいいことだよ。金鉱を掘り当てることだってあるかもしれない。」とか、「何をやってもいいんだよ。命まで取られることはないからね。」と言って安心させてやる。

 


9月の空に赤トンボが翔ばなくても、ピンコロにはいつも極楽とんぼが翔んでいる。

極楽とんぼがいつまでも翔びつづけられるように、わいはピンコロに通ってやればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年09月10日

209話 心まで折れてしまった

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ことしは8月に入ってからの1ケ月余りで、9号、10号、11号、12号、13号と日本周辺で大小の台風が立て続けに発生した。それらの台風はゲリラ豪雨を伴って局地的に猛烈な雨を降らせ、ツメ跡を東北から北海道の各地に残して行った。

特筆すべきは、そのほとんどが日本近海で発生したことである。経験的に言えば、台風は赤道付近のマリアナ海域やフィリピンの東海上あたりで発生するというのがこれまでの常識である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


異例の典型は10号である。南方洋上で発生した熱帯低気圧が八丈島近海で台風10号になり、意表をついて西進し、東大東島の海域で迷走しつつ停滞し、海からエネルギーを補給されて巨大化し、やおら、東日本から東北、北海道へとなだれ込んだのだから、前代未聞である。日本周辺でこれほどの台風が発生したのは、近海を流れる黒潮の海水温が異常に高かったことが原因である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、三宅島の海水温は8月下旬から9月初頭にかけて、一時30℃台と温泉並に上昇していた。この状況が続けば、温帯系の魚類に深刻な影響が出るのではないかと危惧していたが、その後はなんとか29度台で推移している。
もし、30度超えが続いたら、メジナやイサキのような温帯域の魚には生存の危機が訪れていたかもしれない。地球温暖化などとのんきなことを言っている場合ではないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そんな訳で、台風と高水温という自然の障壁を前に、わいの半月に一度の釣行計画にも狂いが生じてきた。それでもあきらめずに間隙を狙っていたら、チャンスは訪れるものだ。8月4週目の水曜日、台風9号と11号は通過して、10号はまだ行く先が定まらず、東大東島付近をうろうろしていた。

これなら何とかなりそうだ。すぐさま大島おくやま荘に電話を入れてみると、おばさんが、「だれも来てないけど、海はなぎてるよ。」というのだ。なぎているならチャンスである。すぐさま、午後のジェット船で行くから、と大島での夜釣りを決断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ところで、わいの釣行は自分だけのためではない。半分はサポーターのためである。サポーターたちがわいの釣った魚がいつ来るか、いつ来るかと心待ちしているのだ。

ピンコロのマスター、友人、知人、かみさんの友達に至るまで、磯魚大好き人間が8家族も待っているのだ。

その大好き人間は、しばらく魚が届かないと、「最近、釣れないの?」とか「釣りに行ってないの?」などと電話やメールで催促してくる。そんなサポーターの期待やリクエストに応えるのも、釣り師の使命と喜びかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、竹芝桟橋を13時30分出港のジェット船なら、大島に15時15分に到着する。日没は18時20分、日没に間に合えばいい。上陸してから、釣り宿でいろいろ支度して、目指す荒磯に上るまでに3時間の余裕がある。

 


この季節、日があるうちは竿は出さない。日が陰ってからが勝負である。時間はたっぷりあるし、釣れなかったら朝まで釣ればいい。しかし、それは取り越し苦労というものだ。夜釣りだから、危険な場所は避けて比較的安全な磯で釣ることにした。

また、今回はサポーターからのリクエストがたまっていたので、イサキをクーラー一杯釣って帰ることにした。真夜中まで釣ればクーラー一杯釣れるはずだ。ジェット船の中でそんな皮算用をしていたが、元町港の岸壁に立つと海はべたべたのべただった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


釣り宿に着いてオキアミや氷を調達し、すべての道具を積み込んで出発しようとしていたら、「麦茶でものんでいかないかい。」とおやじさんから声が掛かった。

そうだね、と食堂に舞い戻ったら、30分も世間話をしてしまった。それもわるくはない。おばさんやおやじさんは釣り人の大事なサポーターである。

 

 

今、釣り宿は釣り客激減と経営者の高齢化で年々数を減らしている。もし、おくやま荘がなくなったら、安心して釣りはできない。おやじさん、おばさんが長持ちしてくれてこそ、釣り人の平安はつづくのだ。だから、おやじさんの話し相手になるくらい面倒がってはいけないのだ。それは釣り人の心得と言えるかもかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そんなこんなで、おくやま荘を出発したのは4時を廻っていた。大島一周道路を20キロほど走って、二つ根に降る雑木林に進入すると、藪の中を200mほど走って行き止まりに到着した。

周囲には背丈を越える茅や篠竹が生い茂っていて、ぽっかりと開いた頭上の空間に青空が見えた。まだ、明るい日差しが残っていて、茅の隙間から漏れてくる日差しが無茶苦茶暑かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


背負子に括った荷物を担いで雑木林の出口に立つと、正面から西日が射しかけてきた。それがまぶしいことまぶしいこと。傾きかけた西日だったが、日差しの力は弱まっていない。じりじりと肌を焼くような西日である。足元の岩は鉄板焼きの鉄板のように焼きついている。15分ほどかけて、目指す溶岩磯に立った時には、全身汗みずくになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あと1時間もすれば日は沈む。それまでに仕掛けやコマセを作って、夜釣りの準備をしておけばいい。風はない。まるでサウナの中に叩き込まれたようだ。

無風に近いこんな日は、日暮れとともにやぶ蚊が襲ってくる。やぶ蚊に備えておかねばならない。早速、救命胴衣の内側、腰のあたりに、火をつけた蚊取り線香のホルダーを吊るした。強力な蚊取り線香の煙でやぶ蚊を撃退するのだ。

ホルダーを下げると、たちまち首筋から煙が這い昇ってきた。煙を内側から通さないとぶ蚊に刺されてしまうのだ。自分が先に燻されているが、やぶ蚊に刺されるよりはましなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


色々と準備を整え、リールをロットに装着して仕掛けを作り始めたところで、アクシデントが発生した。あっちっち、あぢ、あぢ、あぢいよ~。こりゃたまらん、なにが熱いかというと、日差しでも岩盤でもない。お腰につけたきび団子でもなく、お腰のホルダーが熱いのだ。カイロを2、3個付けたくらい熱い。

屈みこんで仕掛けを作っていたから、ホルダーが腰のあたりにくっついてやたらと熱いのだ。背筋を伸ばせばホルダーは離れるが、そんな姿勢では仕掛けは作れない。

う~む、天は二物を与えぬというが、こういうことであったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、わいは日が沈む少し前から竿を出したが、潮はほとんど動いていなかった。

長潮前日の小潮だからそれも致し方ない。さらしの出ている場所があったので、今晩はそこで頑張ることにした。しかし、日が暮れてからも木っ端グレがウキを引っ張っていく。たまにイサキも顔を出すが30cmにも満たない小ぶりなやつだ。

この辺りなら今の時期、40オーバーのイサキが釣れてもおかしくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのうち、完全に潮が停まってしまった。いくらコマセを打っても無駄である。

喰ってくるのはハタンポばかり。それでも、潮時が訪れることを期待して辛抱して釣っていたが、とうとう午前0時になってしまった。
それから30分、相変わらずハタンポとの格闘がつづいていた。さすがのわいも精根尽きて、心が折れてしまった。

その夜の釣果は、中イサキ9匹とウリンボ6匹の計15匹という貧果であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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2016年08月21日

208話 わいは君を尊敬する

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う~む、日本周辺の東の海に、台風が9号,10号,11号とたてつづけに三個も出現している。今まで見たことのない天気図だね。
先週の前半、伊豆諸島と小笠原の周辺海域に、熱帯性低気圧が二つあったのは承知している。気象情報では、そのうち台風に発達するでしょうと言っていたが、そんな悠長な話ではなかった。1日か2日もせぬうちに見る間に台風に成長してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかも、マリアナ海域で発生した台風9号は、10号11号を追いかけるように、駆け足で関東地方に接近しているのだ。あたかも、日本周辺で盆踊りか夏祭りでもするかのように集結してきたのである。
ところで、これまで真剣に考えたこともなかったが、台風と熱帯性低気圧ではどこがどう違うのだろうか。たぶん、台風には目があって、パワーや勢力も大きいが、熱帯性低気圧にが目はなく、パワーも小さい位は知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


しかし、今回の台風祭りを機に気象学的な観点で相違点を調べてみた。すると、違いはただひとつ、風速だけであった。中心付近の最大風速が17メートルを超せば台風となり、17メートル以下なら熱帯性低気圧と呼ばれるというのだ。

まるで魚のスズキではないか。出世魚のスズキは小さいうちはセイゴと呼ばれ、大きくなったらスズキと呼ばれる。
ともかく、今月は異常なほどの台風ラッシュである。この現象、リオオリンピックの日本チームのメダルラッシュとどこか似てはいまいか。どうせ、成績不振でメダルなんかと諦めていたら、なんと、金銀メダルを量産してくれるではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、伊豆大島での夜釣りについては、お盆前から、いつ出撃しようかと虎視眈々と狙っていたが、雨模様の日が続いたり海が荒れたりして、とうとうお盆を1週間も過ぎてしまった。しかも、週明けの月曜日には台風9号が伊豆諸島を直撃するという。

そうなれば、どんなに渡島したくても確実に連絡船は欠航する。そればかりか、台風が掻き混ぜてくれた海は、暫くの間うねりと大波でしけそうである。しけが収まるまでには2,3日はかかるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それはそうと、三宅島にはもう2か月近くも行っていない。炎熱地獄の荒磯と海水温の上昇とで、7月以降は三宅島から遠ざかっているが、条件さえ整えば三宅島に渡りたい。

ただ、海況速報によれば、一昨日の三宅島の海水温は29℃であった。たぶん、9月いっぱい28℃前後で推移するだろう。夜釣りが御法度の三宅島で、28℃の海水温では釣りにならない。海水温が低下してくるのは10月からなので、9月一杯は大島で夜釣りということになりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


余談ではあるが、昨夜入った風呂の湯温は30℃であった。夏場であれば、この湯温で十分温かいし、温泉気分にも浸れるのだ。

しかし、海水温が29℃ということになれば、メジナにとっては、朝から晩までお湯に浸りっぱなしということになって耐えがたいはずだ。人間でいえば43℃くらいのお湯に入りっぱなしということになって、人間なら生きていられない。

そんな過酷な環境で生き延びている三宅島のメジナ君、わいは君を尊敬するぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2016年08月14日

207話 もう手遅れなバチ当たり

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今から20年以上前の一時期、わいは伊豆七島の神津島に足しげく通ったことがある。その頃は神津島でも大物が上がっていたし、(今はあまり釣れないそうだ)それ以上に神津島の荒磯は、地磯にしろ沖磯のタダナエにしろ、見るからに荒々しく惚れ惚れするロケーションであったからだ。黒々とした潮が足元を洗い、竿下からすぐ30メートル、40メートルというどん深な海は、なにが飛び出してくるか分からぬほど魅力に溢れていたのである。

 


その神津島は東京の南西180キロにあって、人口2000人ほどの離島である。東海汽船の下りの大型客船に乗ると、大島、利島、新島、式根島の各島に立ち寄って、5番目に到着する折り返しの島でもある。

さすがに所要時間は長く、深夜22時に竹芝桟橋を出港すると、神津島に到着するのは翌朝9時半だから、凡そ12時間を要するのだ。というわけで、神津島遠征には最低でも二泊三日を要するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

その頃、わいは会社勤めをしていたから、いくら離島で釣りがしたくても、二日も三日も続けて休むわけにはいかなかった。だから、お盆の時期の夏休みは価千金の価値があった。たまたま台風や大しけでもない限り、いつもお盆休みには離島遠征をしたものだ。

 

 

ところで、台風でもない限りと言ったが、あの時は確か、南方洋上に台風が発生し、フィリピンの東海上をゆっくり北上していたと記憶している。

わいの山勘では、その台風は東シナ海を通って、中国か朝鮮半島に抜けると読んでいた。また最悪の進路をとっても、伊豆諸島への影響は数日後になると考えていたから、読みどおりなら、神津島への影響は軽微なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


午前9時半、連絡船は神津島の表玄関前浜港に入港したが、岸壁にはすでに真夏の日差しが降り注いで、そこここにかげろうがゆらゆら立ち昇っていた。
わいと同行のタクさんは下船客の流れに沿ってゆっくり歩いていたが、200メートルほど歩いた岸壁の曲がり角で、船頭の乗った迎えの軽トラを発見した。荷物を載せると車はすぐに発車して、曲がりくねった狭い坂道を何度か折れて5分ほどで釣り宿に着いた。

 


わいらは着替えを終えると、解凍しておいてもらったオキアミと氷を出してもらって、再び、船頭運転の軽トラで裏側の多幸湾へ向かったのである。

その日、釣り宿の磯割りはタダナエの平段であったから、運転中の船頭に、明日の朝まで平段でやると告げると、「台風のうねりが入っているから、平段は無理だろう。」と言うので、船頭に任せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ここで、磯割りの意味を説明しておくが、磯割りとは、磯釣り全盛の40~50年前、神津島の磯は釣り人であふれかえっていたのである。混雑解消と醜い場所取り争いを防ぐため考え出されたのがこの磯割り制度で、例えば、平段とかオネーモの1番、2番、3番と、荒磯を白ペンキで3分割して数字を書き込み、神津島の渡船15隻に、その日割り当てられた磯以外は渡船客を渡せないようにした仕組みである。

割り当ての磯は毎日変わって、15隻でローテーションしていく。神津島だけが採用しているシステムで、無粋きわまりない。磯釣りブームが去った現在、磯割りは過去のものとなって、荒磯には閑古鳥が鳴いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


さて、わいら二人は夜釣りでも安全な磯に昼前に渡してもらった。しかし、真夏の炎天下、荒磯は熱したフライパンのように焼き付いて、じりじりと肌が焼け焦げるようだ。

釣れるものといえばサバ子やカンパの子、木っ端グレばかり。ただただジャミとの戦いに終始するだけであった。とは言え、あと数時間もすれば日が沈む。夜にさえなれば大イサキが釣れるのだ。

 


夕方、船頭が弁当を持って見回りに来た。船上からわいらに、何か釣れたかと尋ねてきたが、なにも釣れないと答えるしかなかった。

ようやく日が沈んで、夜のとばりが降りてきた頃、わいらはいよいよ本番開幕とほくそ笑んだ。しかし、釣りも人生もほろ苦いもので、本命のアタリはまったくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何も釣れないのではなく、釣れてくるのはハタンポやスズメダイばかりだ。

それでも、潮さえ変わればと淡い期待をかけて釣りつづけたが、どうあがいてもハタンポとスズメダイ。それがとうとう翌朝まで続いたのだ。ガッチョーン!

 


翌朝6時、迎えに来た船頭が、どうだった?と聞くから、ぜんぜんダメ、お手上げだったよと答えると、

「お盆の長潮だからな。」「神津の漁師はなっ、お盆のときは殺生しねえんだ。だれも船は出さねえよ。」ましてや、「長潮じゃあねえか。長潮のときは魚は釣れねえんだよ。」と結果はお見通しだったとでも言いたげな顔でニタニタ笑っている。

お盆に釣りをするなんてバチ当たりとでも言いたかったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


帰宅後、お盆についての世間の常識を調べてみたら、こんなことが分かった。
盆の十六日は地獄の赤鬼、青鬼も亡者の呵責を休んで、釜の蓋を開けっ放しにするそうだ。釜の蓋が開いているので、そのころ殺生したものは即座に釜に放りこまれるそうだ。ホンマカイナ、だから、殺生したりせず、娑婆に生きる人間は仕事を休んでおとなしくしていろという訳だ。

 


おまけに、釜の蓋は旧暦7月1日に開いて7月30日に閉まるというから、旧暦7月(新暦では8月)はまるまる1ヶ月間がお盆月とされ、この期間は祖霊が戻ってくるだけでなく、いろんな霊があの世とこの世を行き来するといわれている。

特に、海や川などは来世と現世の通路になるから、お盆の時期に海や川に近づくと、あの世に引きずり込まれてしまうという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


そればかりか、釜の蓋が開いているお盆月は、地獄に墜ちた悪霊や亡者どもまで、この世に戻ってくるそうだ。悪霊は関係の無い人の足まで引っ張って溺れさせてしまうというから恐ろしい。


とは言え、わいらが釣れなかったのはお盆のせいでも長潮でもなさそうだ。その日の潮と腕がわるかっただけなのだ。それでも、警鐘は鳴らしておく。

釣り人よ、お盆に殺生したら地獄に墜ちるぞ。わいは手遅れだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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