先日 実家の福島に帰ったのですが
その時の出来事
梅田発の夜行バスを待っている時、
バス停付近で奇声をあげている人がいました。
母親と思われる人と共にいたのですが、両手に包帯をまき、血が滲みでているのです。
「何か障害をもっているのかな」 そう思いました。
その人たちは道路のはじによっていたのですが
半円を描くように人が離れているのです。
そこを通る人たちは奇声を聞くと振り返り何秒か見ていきます。
私は、あえてその半円の中に入り、その人たちの隣に座りました。
でも、何も話せなかったのです。
イエス様ってこういう人たちを治したんだよなぁ とぼんやり考えていました。
お母さんと目があいましたが、何を話してよいものか、
何も話せずにバスがきました。
私は、いろいろ複雑な思いを抱えてバスに乗ったのですが
なんと
彼らが乗って来たのです
そのお母さんが私の顔を見ると
「すみません 障害児なんで さわがしくしてしまいます」
私は
「気にしなくていいですよ。」
とだけ言いました。
他にも何人かのお客さんを乗せてバスは出発しました。
消灯まで3時間ほどありましたが
障害児の彼は
一分間に2回ぐらい 奇声をあげます
しかも かなり大きな声で 耳につくんです。
最初はみんなだまってたのですが
いざ寝るぞという時に
ある人が言いました。
「ちょっと静かにさせてくれへん?」
おかあさんは「しー」「しー」と制するのですが
そこでコントロールが効いたら障害ではありません。
おかあさんはバスの先頭の方に席を移してもらいましたが
そこは狭い車内です
あまり意味はありません。
私は、お客さんが忍耐の限界にきていることを察して
「静かにさせてくれへん」 と言った人に
「しゃーないやん。 同じバスに乗ったんだからあきらめたら」
と言いました。
その人の気持ちがわからなくもなかったので、「しょうがない」という言葉を使いました。
でもその人は言いました。
「うるさくて寝れへん!!」(怒)
さて、どうしたものか?
「うるさい」 そう思っているお客さんは実は多くいるのでは?
運転手さんは何も言わないし
私は、そのおかあさんのところに行きました。
「気いつかってますよね?」
「はい どうしていいかわかりません」
「障害児ってみんなに言っていい?」
「言ってもらえますか? わたしはどう言っていいかわかりません」
「わかりました」
と言って運転手さんにマイクを使って障害児が乗っていることを知らせていただきました。
それで、物を言わないお客さんがどれほど納得して理解をしてくれたかわかりませんが
私自身がお母さんの苦しみとその子どもの名前や障害について話せたことにより
心が軽くなりました。
人が怒りを覚える時というのは、我慢させられている、ということも一つの要因であると思います。
彼が障害児であるから奇声を発している、
それがわかるだけで、私たちは一方的な我慢ではなくて、
耐える意味を持ち始めるのだと思います。
そんなことを教えてくれる出会いでした。
もし、彼の名前や年齢、お母さんの苦しみの声を聞いていなかったら
ただ我慢して、そのバスの空気が嫌なものになって、
怒りに満たされたかもしれません。
幸いそうはなりませんでした。
私は神経質な方なのでほぼ寝れませんでしたが、
不思議に怒りはなかったです。