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世界のベストセラー「聖書」が教える良い知らせを皆様に!!
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ひさびさのブログ更新


本日は池田駅前でクリスマス集会でした


池田市内にある諸教会がメッセージなどをリレーしていくのですが


知らない人に語ることの難しさを知るひと時でもあります。(知っている人ほど難しいのも確かですが・・・)


感想として、


政治の話しなどは賛否はあるでしょうが、うなずく人が多かったように思えます


そして、子ども達を心配する気持ち、将来を憂う感覚などはなんとなく共感できたように思えます。


一方的に語るだけではなく、有る程度反応を見ながら話す事ができたことは、進歩したと思います。


ただ、大事なのは「キリストを語ること」「キリストを伝えること」「キリストが伝わること」であると思います。


その点に関しては、自分の範疇を超えて神様の働きを期待せざる得ないですが・・・


もっと伝え方を工夫しなければと思う。



一語一恵 



そんな気持ちで語っていこう。



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GAP


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 町を車で走っていますと魚のマークにギリシャ語で「イクスース」という文字の書いてあるステッカーを貼っている車に出会います。知っている方もいると思いますが、「ΙΧΘΥΣ」(イクスース)はギリシア語でΙησουs(イエス)、Χριστοs(キリスト)、Θεου(神の)、Υιοs(息子)、Σοτερ(救い主)の頭文字をとったもので「魚」を表すギリシャ語です。初期のキリスト教徒は、イエスを救い主、王である、と告白したことにより、ユダヤ教やローマ帝国の迫害にあいました。その中で誕生した信仰告白なのですが、一説によると握手をしたときに相手の掌に魚を描いてクリスチャンであることを知らせ合ったということです。このような頭文字を使ったものは、覚えやすいので当時の社会でも浸透しやすかったと思います。ちなみに、現代でもこのような試みはされていまして、例えばアメリカに本社があるGAPという洋服専門店の名前を使い GOD ANSWERS PRAYERS (神様は祈りに答えてくれる)というようなものもあります。こういう信仰の表現方法だとスッと心に入りやすいのは私だけでしょうか?


 
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先日 実家の福島に帰ったのですが


その時の出来事


梅田発の夜行バスを待っている時、


バス停付近で奇声をあげている人がいました。


母親と思われる人と共にいたのですが、両手に包帯をまき、血が滲みでているのです。


「何か障害をもっているのかな」 そう思いました。


その人たちは道路のはじによっていたのですが


半円を描くように人が離れているのです。


そこを通る人たちは奇声を聞くと振り返り何秒か見ていきます。


私は、あえてその半円の中に入り、その人たちの隣に座りました。


でも、何も話せなかったのです。


イエス様ってこういう人たちを治したんだよなぁ とぼんやり考えていました。


お母さんと目があいましたが、何を話してよいものか、


何も話せずにバスがきました。


私は、いろいろ複雑な思いを抱えてバスに乗ったのですが



なんと



彼らが乗って来たのです



そのお母さんが私の顔を見ると




「すみません 障害児なんで  さわがしくしてしまいます」




私は


「気にしなくていいですよ。」


とだけ言いました。



他にも何人かのお客さんを乗せてバスは出発しました。



消灯まで3時間ほどありましたが



障害児の彼は



一分間に2回ぐらい 奇声をあげます



しかも かなり大きな声で  耳につくんです。



最初はみんなだまってたのですが



いざ寝るぞという時に



ある人が言いました。



「ちょっと静かにさせてくれへん?」



おかあさんは「しー」「しー」と制するのですが


そこでコントロールが効いたら障害ではありません。



おかあさんはバスの先頭の方に席を移してもらいましたが



そこは狭い車内です



あまり意味はありません。



私は、お客さんが忍耐の限界にきていることを察して



「静かにさせてくれへん」 と言った人に



「しゃーないやん。 同じバスに乗ったんだからあきらめたら」


と言いました。


その人の気持ちがわからなくもなかったので、「しょうがない」という言葉を使いました。



でもその人は言いました。



「うるさくて寝れへん!!」(怒)






さて、どうしたものか?



「うるさい」 そう思っているお客さんは実は多くいるのでは?



運転手さんは何も言わないし



私は、そのおかあさんのところに行きました。



「気いつかってますよね?」


「はい どうしていいかわかりません」



「障害児ってみんなに言っていい?」


「言ってもらえますか? わたしはどう言っていいかわかりません」


「わかりました」


と言って運転手さんにマイクを使って障害児が乗っていることを知らせていただきました。


それで、物を言わないお客さんがどれほど納得して理解をしてくれたかわかりませんが


私自身がお母さんの苦しみとその子どもの名前や障害について話せたことにより


心が軽くなりました。



人が怒りを覚える時というのは、我慢させられている、ということも一つの要因であると思います。



彼が障害児であるから奇声を発している、



それがわかるだけで、私たちは一方的な我慢ではなくて、



耐える意味を持ち始めるのだと思います。



そんなことを教えてくれる出会いでした。



もし、彼の名前や年齢、お母さんの苦しみの声を聞いていなかったら



ただ我慢して、そのバスの空気が嫌なものになって、


怒りに満たされたかもしれません。


幸いそうはなりませんでした。



私は神経質な方なのでほぼ寝れませんでしたが、



不思議に怒りはなかったです。










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先日 夜遅く 車で帰ってまりまして


自宅付近で細い路地を通るのですが


どうも 先に人が会話をしていて


道路に自転車が飛び出ている様子



これは通れないかな?  


もしかしてこちらに来る自転車かな?



ゆっくり車を進めて、


まぶしくないように ヘッドライトをおとしました



その人たちのところへ行きますと



おじさんがやってきまして第一声



「こんな細い道 スピード出してくんなやぁ!!」



さて、どう切り返すか?



みなさまならどうしますか?



私は「こんな細い道 スピード出してきたら俺まで事故しちゃうからいやですよ」


と笑顔で言いました。



すると、おじさん


「おお・・・  そうだ そうだ 」


と納得してくれました。


「自転車があったの見えたから、ライトも落したんだけど、自転車は通るん?」


と聞きましたら


「いや ここの家だからいいよ」


とやさしい言葉


「じゃ お互い安全運転しましょう」


と言ったら


「おお そうだね それがいい。 気をつけてね。」


と私の心配までしてくれました。


きっといい人なんでしょうね


でも、なんか「カッ」としたのでしょうね


もし私が第一声に対して


「スピードなんか出してない。そっちこそ邪魔だ!」むかっ


と言ったらどうなっていたでしょう。


言い争いになっていたでしょう。


しかも、あまり意味のない口論です


怒りは意味のないことに力を使わされるのかもしれません。


だから、怒られても、怒りで返したら何も生まれないことを知っておく必要があると思います。


できるだけ、怒りには寛容で対処したいものです。













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先日 車での帰宅途中かお



カンカンカンカン 踏切で遮断機が降りてまいりまして



停車していますと



線路沿いから



両手に買い物袋をさげたおばさまが



遮断機に向かって一直線



まさかとは思いましたが



遮断機の先端を持ち上げ



ガシガシ 横断えっ



不思議に あのカンカンという音が大きく聞こえました



あーいうときって警告音とかないのですね



おばさま 向こう側の遮断機も持ち上げ 


無事横断成功! 




また線路沿いに歩いて行かれたのですが


その時の横顔が怒りに満ちているご様子でした


そして、大きな声で何かを言っていました



怒りは ルールを破って 歩いていきました。












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使徒はギリシャ語で「アポストロス」と言います。


動詞は「アポステロー」です。「アポ」は(~から)であり、


「ステロー」は(遣わす)という意味です。


この二つの言葉が合わさり「使徒」と呼ばれます。


~から遣わされる、というのは、職権を委任して派遣する」という内容が含まれます。


パウロが自己紹介をしたときこう言っています。

「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」(Ⅰコリ1:1)

 大胆な自己紹介ですが、パウロは自分が誰に押し出されているのかはっきり分かっていたのですね。


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クリスチャンに成り立てのころ、

親族の人と話をしていて、私はこう言いました。


「キリスト教というのは、宗教ではなくて、福音です。」


親族の人は「宗教だと思うよ。」と言いました。


「宗教」という言葉にはそれぞれイメージがあると思うのですが、


実は私自身「宗教」という言葉に「違和感」や「危険」なイメージを持っていたのだと思います。


そういう意味でキリスト教は危険な宗教ではない、と言いたいがために


「宗教ではなく福音」


という言葉で違いを示そうとしたのだと思います。


ただ、クリスチャンでない方々から見たらやはりキリスト教は「宗教」だと思いますし、「宗教」についてもっているイメージをキリスト教にも持つでしょう。



 では、本来、「宗教」とはどのような意味があるのか。


宗教「宗教」という単語は、英語ではreligion であり

語源はラテン語の religio で意味は


「再びつなげる、再び結びつける」という意味です。


それは、神と人、人と人、人と自然というように

本来あったはずの人間の有様に戻していくという働きを「宗教」と呼ぶに至ったのです。キリスト教ではこのような働きを「和解」と言います。


神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。」(第二コリント信徒への手紙518節)


「宗教」という言葉をきちんと学べば、素晴らしい意味があることがわかります。

これからは私も、真の「宗教者」として生きていくことを目指していきたいものです。


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登場個所:創世記2章~ 

出生時期:最初期

性別:男

最初の一言:「ついに、これこそわたしの骨の骨。わたしの肉の肉。これをこそ女(イシャー)と呼ぼう。まさに男(イシュ)から取られたものだから。」(創世記2:23)



いわずもがな  聖書に出てくる最初の人


土の塵と神様の息により、命が吹き込まれました。



「アダム」 とはへブル語ですが、その意味は「人」という意味です。


これは人類としての「人 man 」をあらわしているともいわれます。


ですので、下記の聖書個所では「人」の前に定冠詞(英語ではThe)がついていまして


人類代表を意味するような言葉です。



「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、

 その鼻に命の息を吹き入れられた。

 人はこうして生きる者となった。」


                               (創世記2章7節)


ですので彼の名前は「アダム」ではないのです。彼の名前はよくわからないのです。


いうなら「人さん」です。










この記事は修正に修正を加えていきます。

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