しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。
また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、
さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。
ヘブル人への手紙 12章22~24節
見るべきものはキリストである。
しかし、見てしまうものは、今の状況であり、世であり、世的な評価であって、その中に埋没してしまう。
天に目を留めていたい。
それには自分の持っているものを捨てなければならない。
今日読んだオズワルト・チャンバースの文章にこのように書かれていた。
「私たちの持っているものを手放し、まずすべての口実を捨てなければならない。
神が私のうちに価値を認めてくださるのではないかという考えをすべて捨てなければならない。」
何か認められるのではないか、私はこれができるではないか、などことごとく捨てなければいけない。
私たちの神は、全宇宙のすべてのすべてなのだ。この神がこう言われるのである。
主イエス・キリストを信じ、求めます。主の御名をほめたたえます。