編者の窓

左翼運動研究が一段落してしまった現在、ごく普通の人々までもが、反国家体制犯として検挙され、治安維持法違反ということで、実刑を受けていた事実を重く受け止めて欲しい。『治安維持法検挙者の記録』の編者、西田義信が文献から抽出した事例を公開する。


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 治安維持法と特高は、日本共産党を壊滅するためのものであったが、その後、文化人や民主主義者や平和主義者も取り締まった。
 多くの方が持っておられるイメージは、以上のようなものであろう。
 しかし現実は、もっと身近で恐ろしい。本書(治安維持法検挙者の記録)の134頁には、次のような記述がある。

 

小野 義夫 t12-7-26 s12,7,21検挙 反戦的策動言動 …

 

 簡単な記述だが、指示にしたがって「特高月報(正確には特高外事月報)昭和12年7月号 26ページ」を開いてみると、いろいろなことが分かる。.
 小野義夫(当時32歳)は、「売薬行商」というから、富山の薬売りのような商売をしていた人であろう。
 1937年7月21日に、塩飽末野(岡山県小田郡今井村)という人に、次のような話をした。原文では「反戦的言動を敢えてせり」となっている。

 この内容は長々と書いてあるので、一部を箇条書きにしてみよう。


1.    支那兵は、なかなか強く、日本兵が相当殺されている。
2.    ロシア、アメリカなどが支那を援助するから、戦争は大きくなる。
3.    日本は半年くらいの戦争で金がなくなる。
4.    大和魂があっても金がなければ敗戦になり、飛行機が来て爆弾で老人も女も死んでしまう。
5.    大蔵大臣は、戦争に反対した。

 

 この1937年7月7日、盧溝橋で、日中戦争が勃発、9月には最初の日華事変公債1億円を発行している。
 その後の歴史を見ると、まさに卓見である。国民が挙げて戦争万歳という方向に進んでいた時に、このような人がいたことに驚いた。庶民には、良識派もいたのだ。
 ところが、翌22日、彼は検挙され、即刻岡山憲兵分隊に引き渡されている。さらに8月5日には、岡山地区裁判所で、禁固3月(執行猶予3年)の判決を受けている。
お客との雑談であったか、飲み屋での歓談であったか、知る由もないが、次の日に逮捕されたのはなぜか、また憲兵隊での10ヶ月近くの尋問(拷問?)がどのようなものであったか。想像は膨らむばかりである。できれば、この内容を禁固3ヶ月の有罪にした判決文を読みたいものである。
 本書をパラパラとめくると、反戦落書(公衆便所の落書きの犯人を探し出した特高はすごい)、不穏言動、不敬言辞などの検挙例を各所に見ることができる。ページが明記されているので、誰でも、原典を参照することができる。
 小森恵氏は、「できるだけ多くの犠牲者を掘り起こしたい」、「書物を薄くして、できるだけ多くの方に読んでもらいたい」という考えから、記述は2行程度の味気ないものになっている。編者は、原点の内容をできるだけ起こして、データベース化を進めているので、読者サポートとして、関心のある名前をお知らせいただければ、詳しい内容や、本書の内容の訂正をお送りすることになっている。
 特高月報では、1937年ごろから、毎月、数ページにわたって、このような落書き、投書、月報の詳しい内容と、取り締まり(犯人が見つからず、捜査中のものまで)を記載している。私生活の、隅々まで目を光らせる思想統制の怖さを知ることができる。
 同時に、ぶすぶすと燃えていた庶民の心の中の光を知ることもできる。読み物としても面白い。


西田 義信

 

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