子どものライフハック

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またこういうの読んで涙ぐんでるわけだけど。
 →育児板拾い読み@2ch 隣で踊る女の子

そうこうしてるうちに、うちの娘はもう小学生なわけで。
ほんとに物事ってのは、振り返るときは「あ」っという間にしか感じられないものですね。
当時はあんなに長く感じてたのになあ・・・

リンク先の人が、
「自分の子に限らず、子供って、いいなぁって思った。」
って最後に書いてるけど、ホントそう思うこと多々。
娘が幼稚園時代は、父親としてはめずらしいぐらい園にお迎えに行ったり園庭で子供たちといっしょに遊んでいたパパという立場からしても、
本当に「子供っていいな」って。

「わーーー」って走り回ってるだけのような子供たちが遊んでるの見てるだけでも、
もう性格の違いとかがハッキリと出てたりとか。
「この子はこういうタイプなんだあ」とか、
「ああいるいる大人になってもこういう人」とか(笑)

なんか、それでもいいなあって。
打算とか計算とか自己啓発とかモチベーションとかライフハックとかがいらない世界(笑)
もう大人ってば毎日そんなのばっかりでショージキ、
疲 れ る 。

ちょうど読んでいた本に、こんなことが書いてあった。
「年をとると、だんだんと月日のたつのが早くなる」とよく言われているが、それは年をとるにしたがって、日日のルーティーンに病的に順応してゆくせいかもしれない。そして、その背景には不特定の将来(仮想無限)が想定されていて、今日一日が特別の意味を持たなくなるせいかもしれない。

そうだよなあ。
子供の頃は、いい日もありゃ悪い日もあったけど、そういう毎日が「特別」だったもんな。





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朝のくるま

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いつもは妻が娘を幼稚園に送っていくのだけど、パパと一緒に行きたいと言いだしたので送っていくことにした。

車の中ではいつもの様にふざけながら、なんだかんだとおしゃべりしながら、幼稚園に着いた。
幼稚園の園庭で両手を持ってグルグルーっと回してあげたら、ケタケタと楽しそうに笑って、笑いながら幼稚園の教室に吸い込まれて行った。

冷たい空気の中、それでも、
陽射が強くなってきて、車の中がぽかぽかしている。
あたたかい車の中、一人ぼんやり思い出す。

幼稚園や小学校の朝、父の車で送ってもらったあの日のことを。
いつもとは違う雰囲気の朝を今でも覚えている。

「お前は、こうして車に乗っていくことで、時間を追い越しているんだ」
と父は言っていた。
分かったような分からないような顔しながら僕は照れくさそうに学校へと吸い込まれて行った。

そういえば、今日の娘もなんだか照れくさそうだったな。
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今日いちにち

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たまに、
ここの自分のブログにやってきて、過去のエントリーを読み返したりする。
「わるくないな」って思う。
また、ここのブログの人、何か書けばいいのにって、他人事みたいに思ったりもする。

ここの「セカイを変える言葉」という場所は、自分の中でいつからか、娘に贈るブログのようになっていったから、あんまり“ぐちゃぐちゃ”は書きたくなかった。
なんだか今じゃ、そのことにどれほどの意味があるのか分からないけれど。

「言葉」は「セカイ」を変えられるのか。

とか、大きな問いは、いらない。

「言葉よ 今日一日 ボクたちを 励ましてください」
と、ブログ名の下にそう書いてある。
欲しいのは、“今日”という一日を励ましてくれる言葉。
それだけでいい。
そしてその、“それだけ”がどれだけ難しいかを、こうして歯がゆい思いでキーボードをタッチしながら噛み締めている。

言い尽くされた安っぽいキレイ事みたいな言葉だけど、
ただヒトリだけでもいい、誰かの一日を励ます言葉が書けるのならば。
いつかの娘の一日を照らせる言葉が書けるのならば。

そんなふうに、ここに来ると思ったりする。

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恒例の2ヶ月ブログ

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はい、やめてませんから、生きてますから、ブログ。

・ビリーズブートキャンプは、来世で頑張ることにした。

・娘がデカくなった、とくに足が。
・5歳ちかくなってくると、お互いあまり干渉しなくなってくる。
・「見守る」という段階に移行するワケだ。

・「飲みすぎる→腹こわす→節制する→なんとなく治る→また飲みすぎる→また腹こわす」というサイクルを今度は1日単位で送っているという大バカ。

・日本は人を鬱にさせるようなイベントが目白押しだと思うのは、僕だけか。
・法事とか行って楽しいと思える人なんているのか。
・楽しくないことは、やらないに限るだろう。
・でも、「行かないっ」とは言えない自分に、鬱。
・歳をとるたび、自分を追い込んで行くように思える、このシステム。
・歳をとれば、どんどん自由になってくもんだと思ってたよ。
・サプリとかハーブとかガシガシ齧ってたけど、なんもカワラヘン。
・自分の「ありのまま」とか、認めてあげたい。

・それにしても、「ありのままそのまま」で大いに楽しんでる人間の傍らで、どーして「変らねば、変らねば」と強迫的に自分を変えなきゃ楽しめない(というか、生きられない?)人間というのも存在してしまうのだろう。
・なんで、小学生の頃から、今年の目標とか抱負に「積極的になる!」とか書き続けなきゃいけない人生なんだろう。
・なんで、今のままでは、こんなにも、「駄目」なんだろう。
・「いいのよ、あなたは、そのままで」とか言われたとしても、ちぃとも嬉しくもなんともないし、なにも解決しないし、第一何も楽しめないんですけど。

・書いてたら、よけー、落ち込んできた。
・ずっと、曇ったり雨降ったりだから、太陽光によって生成されるセロトニンの生産が間に合わないんだ!!!
・って...、ばからし。
・もう、正直、セロトニン云々とか疲れた。
・構造上の欠陥を指摘されたところで、もー、どーしょもないし。
・次の事項を心がけて、たくさんのセロトニンを作り出しましょう。

・でねーーーーよ。

グループ懇談

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この間、娘の通う幼稚園で、園の先生と保護者数名によるグループ懇談があって妻が行ってきたのですが、
その中で先生から
「あなたのこどもの自慢できるところはどういうところですか?」
という質問があったそうです。

あるグループでは、一人のお母さんが「うちの子は算数ができる」というような回答を皮切りに、「それだったらうちの子は漢字が読める」だとか、その後そのグループは競って子供の自慢大会のようなカタチになだれ込んでしまったとか。
先生達もさぞかし困ったことだろうと思う。だって、幼稚園生だよ。

うちの妻は、「うちの子はとにかく人が好き、というところがいいところだと思う」と答えたそうです。
うんうん、そうなんだよ。
幼稚園生が算数が出来ようが、漢字が出来ようが、英語が出来ようが、それは多少の遅いか早いかという差でしかない。きっと、その差なんてあと数年で無いと同じぐらいの差になってしまうだろう。でも、人が好き、人付き合いが好き、コミュニケーションが大好きというのは、一生ものだ。間違いない。

僕は、よく思う。
人と気持ちよく会話を楽しめる人間は、大抵の悩みなどなくなってしまう。っていうかそれ以上の悩み解決法はないんじゃないかってぐらいの劇的な解消方法だと。そして人生を楽しむ上でこれ以上のツールは無い。
ブログとか、インターネットにまつわるものは、その人間と人間の会話という圧倒的なものを薄めたようなものとして存在しているんだと思う。
だから、最終的に、実際に「会う」「会わない」が大きな問題として出てくるのがネットのよくある風景だ。

コミュニケーションが不得手で、世間話の仕方も未だによく分からず、ウジウジ悩んでばかりいる代表の僕が言うんだから間違いないよ、それは(これは、笑えない)

ちなみに、妻に「こどもの自慢できるところはどういうところですか?」と同じ質問されたらあなたはなんて答えるの?と聞かれたのでモチロンこう答えました。



「え、う、うん、す、すべて、です」

はっ、また2ヶ月も経ってる

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そんなブログで、なんとなく箇条書き。
・どうやら僕のブログの更新意欲は2ヶ月に一遍程度なのかも知れない。
・そうはいっても2年以上ブログってる事実。
・そのうち、気が向けば毎日更新するかもしれないかもしれないかもしれないありえない。
・いや実は更新してない2ヶ月間は、本をたくさん読んでいたのですよ。んで、こりゃ頭よくなったぞ、と。かしこくなった僕がブログに舞い戻り次々にこりゃ名文が生まれるぞ、という訳で書いてみた結果がコレ今現在な訳で・・・なんか前よりバカっぽい・・・
・いつの間にか娘が年中さんになってる。
・ということは僕が中年さんになっていてなんの支障もないわけだ。
・ひと月の大半をというか一年中、「飲みすぎる→腹こわす→節制する→なんとなく治る→また飲みすぎる→また腹こわす→また節制する→またなんとなく治る→またまた飲みすぎる→・・・」というサイクルで送ってる気がする。冷静にバカだと思う。
・そんなおバカな生活の中でこれ→田口ランディ公式ブログ : 多感な時代 を読んで泣いていた。ランディさんの娘さんのエピソードが、なんとも切なかった。
・手をつないで眠り、その子の悲しみを思い、そしてそれをどうすることもできない親という存在の切なさ。
・5月の強い風に吹かれて髪ぐちゃぐちゃになってその中でなんかぐちゃぐちゃ考えていてまたブログ更新しようと思った。
・今日はここまで。
・読んでくれるみなさん(いないかも?)またよろしく。

よるのお散歩にて

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今夜はうす曇の夜空にお月様がひかりの輪を描いていた。
僕には生まれてはじめてみる光景だった。
お散歩をおえて家に入ろうとすると娘が、僕と犬たちにむかって先に帰ってていいよという。
なんだろう?とそのままそっと娘の様子をのぞいていたら、娘はポーチに腰かけて、月に話しかけていた。

「さんぽのとき、ずっとついていてくれて、ありがとう。お月さま、またねぇ。おやすみ」
伯父さんが、亡くなった。
伯父さんは、もっと生きたいと言っていた。
その伯父さんの娘が、死にたいと言った。

生きたい人が死んでしまい、死んでしまいたい人が生きている。

どうか、
死にたいなんて言わないでよ。
生きたい人が死んでしまった今。
生きたいと言っていたひとりの人間に、
あなたの心の中で生きていてもらうわけにはいかないのかな。