美を探すことと
醜い現実を受け入れることは、
正反対のように見えて実は同じこと
2月8日(水)日本経済新聞の夕刊 文化面に
韓国のイ・チャンドン監督(小説家から映画監督に)が
新作品について語った記事にとても惹かれたのでお伝えしたいと思います。
その作品名は「ポエトリー/アグネスの詩(うた)」(三大映画賞受賞作品)
内容は、孫が集団暴行事件にかかわったことを知った老女の物語で
初めて詩を書き、忌まわしい現実と向き合うことで詩を書く意味に気づくというストーリー。
私(監督)自身悩んできた。
詩を書き、小説を書きながら、何の役に立つのかと。
自分の描いた一文が世の中を変えられるのか?
無力に思えた。
世界は決して美しくないのに、美しさを探すのに何の意味があるのか?
そんな自身の問いかけが映画の中のヒロインの問いかけに重なる。
孫の犯罪を知る前の彼女にとって、詩とは贅沢なもので
美しいスカーフのように幼い頃の思い出をよみがえらせるものだったが
犯罪を知った後は詩作の意味を考えはじめ、
その後、被害者の苦しみを受け入れることで彼女は初めて詩が書けるようになるという。
美を探すことと
醜い現実を受け入れることは、
正反対のように見えて実は同じことなんだと。
美しさを探す気持ちはどの人にもある。
だから詩は私たちを人間らしくしてくれる。
ただ、今の時代そんな考えが軽視され、経済的な価値ばかりが求められる。
詩に経済的価値は一銭もないけれど、時に人生の支えとなる。
人は常に様々なところで苦しんでいる。
テレビでそれを見ても自分は関係ないと思う。
でも自分の人生とどこかで繋がっているかもしれない。
誰かの苦痛が自分の日常と本当に無関係なのか?
誰かの苦しみ、誰かの人生をどれくらい近くに感じられるか。
息子を亡くしたパレスチナ人の人生も、津波で被災した日本人の人生も、
私の隣人の人生もどれほど近くに感じられるか。
その感じ方を映画を通して伝えたいと氏は語る。
詩はなぜ必要なのか?
決して美しくない世界で「美」を探すために
他者の痛みを近くに感じるために
【後記】
私はファッションや文化を通じ「生きることの素晴らしさ」を
身をもって伝えていくことが自分の使命だと思っています。
でもそれは、そんなカッコつけた仰々しいものではなくて
日々の生活の中でほんの小さな幸せを見つけられる
見つけた幸せを愛でる
愛でた小さな幸せの積み重ねが、大きな幸せに繋がるものだから
そして、そのほんの小さな幸せは
一見無駄にも思えるような経済的価値の少ないとされる
文化に繋がっていることが多いように思うのです。
決して美しくない、世の中で美しさを探し出す作業が
「このろくでもない、けれど素晴らしい世界」に自分の中で変えられることだと
私の人生の中で気づいたことだから。
五十嵐かほる