仁井田神社(福島県須賀川市仁井田) | ゴシュインデイズ

仁井田神社(福島県須賀川市仁井田)

仁井田神社(にいたじんじゃ)。



福島県須賀川市仁井田に鎮座。
御祭神は誉田別命(ホンダワケノミコト)、息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)、大鷦鷯命(オオササギノミコト)、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)。
社格は村社に列格。


社伝によると、第十六代・仁徳天皇の御世、武内宿禰が日本国中巡察の折に、当地にて荒地を耕し田畑をおこし、土地の守護神として誉田別命を勧請したというのがはじまり。

その後、桓武天皇のころに『高丸』という賊徒を平定するために坂上田村麻呂が宿陣し、祠を建てて三神を祀り、武運を祈ったところ賊徒を尽く討ち果たすことができたのだという。

さらに時は流れて後冷泉天皇の御世、源頼義が奥州の安倍氏を追討する際、武運長久を祈願したところ霊験あらたかであり、幣帛・珍宝を奉って神殿を建立させたのだとか。

また、その後には後鳥羽天皇のころ、鎌倉殿の家臣が伊達氏征伐の折、先例にならって武運を祈願したところ、瑞気が山を覆い神威光を放ち、士気が大いに上がり戦勝を果たした。
そのため、神田五千歩を奉納したそうだ。

その後、幾多の変遷を重ねて元禄五年(1692年)十一月、長沼城主の庇護のもと、本殿等が建立。
続いて元禄十二年十一月(1699年)十一月に神道管領家より正一位の神階を受け、「大神宮」の称号を許された。
それ以後、八幡大神宮と奉称し、藩の準格社として領主松平家の紋章使用を許可されたのだという。

明治の世に入り、明治十年五月、舘越の地にあった鹿島神社その他を合祀して仁井田神社という現在の社号になった。



さてさてさて。
今回は須賀川市仁井田に鎮座する仁井田神社です。
飯豊和気神社のある三穂田町から車で結構近くだった気がします。
須賀川市内でも郡山市寄りの場所なんでしょうかね。



【 一の鳥居 】
木造の両部鳥居。
この風雨にさらされた色味の変化がステキですね。




【 二の鳥居 】
そしてこちらは石造りの二の鳥居。
実はここに来るまでに門があったりとしたんですが、宮司さんのご自宅のすぐ隣だったので撮影するのもどうかなぁ・・・と思い、撮影しておりませんでした。


【 手水舎 】
二の鳥居をくぐって左手にある手水舎。




【 三の鳥居 】
参道の石段を登ったところにある三の鳥居。
お参りしたのは夕方だったんですが、ちょうど鳥居の向こう側に太陽があって神々しい感じに。
鳥居の向こう側が輝いているみたいに見えます。












【 拝殿 】
そしてこちらが拝殿。
御神紋は巴の紋。
参道はそんなに広いというわけではなかったんですが、石段を登り切るとびっくり。
広い境内に、社殿を囲んで生えている高い木々。

鳥居の外側とはまるで違う素敵な空気です。

扁額の社号は明治以前の社号である、『八幡大神宮』と刻まれておりました。



こちらは拝殿の柱に打ち付けられていたブリキ?の看板。
なんだかここだけが妙にレトロで、タイムスリップしたかのような感覚を覚えます。




【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
御本殿の周りには沢山境内社がありました。
苔生した石のお社も雰囲気があって素晴らしいですね。

個人的にはこちらの三の鳥居をくぐってからの境内の雰囲気はすごく好きです。


さてさてさて。
無事お参りも済みまして、御朱印をお願いします。
御朱印は一の鳥居と二の鳥居の間、参道右手にある宮司さんのご自宅に伺ってお願いしました。



そして頂いた御朱印がこちら。
印にある文字は神代文字でしょうかね。
ちなみにこちらの御朱印、ご高齢のおばあさまにお書きいただきました。
ご高齢なのに申し訳ないな……と思ったのですが、お話を伺ったところ以前学校の先生をされていたそうで、文字を書くのはお好きなんだそうです。
文字の感じも、学校の先生らしいキチッとした感じがしますよね。


書いて下さる方がご高齢なのを考えると御朱印もお願いしづらいところはあるんですが…
でも境内の雰囲気はすごく良くて、個人的には好きな雰囲気を持っている神社でした。
ぜひ一度お参りされてみてはいかがでしょうか。



◆神社への地図




◆神社の情報

仁井田神社   にいたじんじゃ

御祭神 : 誉田別命、息長足姫命、大鷦鷯命、武甕槌命
社格等 : 村社
鎮座地 : 福島県須賀川市仁井田字八幡前13