前回まで一部宗教(信仰)、哲学などの堅苦しい世界の思想を延々と紹介してきました。一方、私は、単なる一神教的な信仰やオカルト、陰謀論などについて言及することは避けています。

 

もちろん、私自身もかつてはオカルト系に興味を持っていましたし、物事は「目に見えるものと、目に見えないものとの対をなす関係性の中で存在しているだけだ」という「中立二元論(陰陽二元論)」に立っているので「目に見えないもの」を否定するつもりはありません。

 

が、多くの人を迷妄の中に陥れ、苦しめている根本原因は「失うことへの不安の感情」です。これは、人間が「肉体を持つ」という制限された世界にいるために引き起こされる避けがたい現象です。が、同時に、制限された窮屈な世界で様々な問題に直面するからこそ学びや進歩があります。

 

ただ、それも程度の問題で、目に見えない世界に余りにもこだわると、現実離れしてきて自分を失いますます苦しみが増すので、釈迦は偶像崇拝(一神教)や古代インドのバラモン教が説いていた”因縁”などのオカルト論へ執着することを厳しく禁じました。

 

私が哲学、心理学、脳科学、人工知能学、量子論などの「科学」という体系(理知的な型)を重視し出した理由もこれと軌を同じくしており、身の回りに”心の病”を抱えた人が近年、非常に増えてきているからです。

 

そこで、哲学が終焉したところで、これから第二部に入りますが、脳科学や人工知能論、量子理論という最先端の科学知識を駆使します。が、結論は釈迦やその弟子たちが二千五百年前に語ったことに近づいたということで、もう一ついうと、「全てを見極めることなどできないし、その必要もない(無知の知…ソクラテス)」ということです。

 

1、意識、物質、現実

 

1)意識すると形を持つ

 

よく、「私たち自身の意識が現実を作っている」と言いますが、これが仏教でいう「唯識」という見方です。そして、「物や現象は私たちがいる以前に存在している」というのが常識です。が、これをひっくり返したのが「量子理論」です。仏教思想に似ているので、対比させて解説します

 

まず、「量子理論」では、例えば、電子や光子などは、「粒子という物質と、波動というエネルギーの二面性を持っている」とします。これは「重ね合わせ論」といって、仏教でいう「一粒の中に全宇宙が畳み込まれている」という考え方(一即一切、一切即一)に対応します。

 

次に、このような波動も、私たちが「丸い形をした粒子」を意識すると、実際に「粒子」として現れます。私たち観察者が、「丸い形」を意識しない限り、物質の中の電子は、原子核の周りを波のように揺らぎながら、雲の様に取り囲んでいるだけです。

 

これを証明したのが「二重スリット実験」です。二重につい立てを置いて、前方から電子銃で光子を直線的に一つ一つ発射します。手前のつい立てには二つの縦穴(スリット)が、真ん中よりやや左右に平行してあり、奥のつい立てには感光紙が張られています。

 

 

もし光子が粒子なら、手前のつい立てにぶつかって、奥のつい立てまでは届かないはずです。が、実際には、奥のつい立てに"縦縞模様"が複数残ります。これは光子が波形を描いて手前のつい立てを通過し、二つに分かれた波形が奥のつい立ての前で干渉(合流)し、衝突したことを意味します。

 

さらに面白いことには、奥のつい立てに「粒子感知器」を設置してみるとハッキリした縦の"棒線"が二本表れます。これは「粒子感知器」の設置が「観察者 が"粒子"を意識した」のと同じ影響を持った結果です。光子は手前のつい立て通過時には"波動"、奥のつい立て衝突時には"粒子"になったのです

 

目下、最先端の科学と言われる「量子理論」ですが、その中身は、釈迦やその弟子たちが二千年以上前に語った「空」や「唯識」「中観」に似たもので実にシンプルです。「観察者効果(唯識)」という考え方を使って、宇宙の構造についてザックリと説明します。

 

この宇宙は、万物(目に見えるモノ…静)と森羅万象(目に見えない現象…動)から成り立っています。例えば、脳は物質で心は現象、生物は物質で生命は現象、地球は物質で地震は現象、水は物質で川の流れや波は現象、などなど。

 

このように二つの状態に分かれているのは、宇宙を構成する最小物質である量子が、「形を持つ状態」と「形を持たない状態」という二面性を持ち、私たちが確定しない限り重なり合っているだけだからです。一見何もないように見える空間にも、あらゆる可能性を秘めた量子が普く存在している状態が「空」です。

 

形を持ったり、持たなかったりということを電気的に説明すると、物質はマイナスを帯びた電子のやり取りで物質化したり、非物質化したりしています。

 

ただ、強く意識し過ぎると電子を大量放出し物質、現象は分解、消滅します。従って、願望を実現したり、問題を解決したければ、継続的に意識しつつも、強く意識し過ぎないことが肝要です。

 

(次回に続く…)