被疑者取調可視化の再考

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 刑事訴訟法が改正され、被疑者取調の録音・録画が法制化された。

 それ自体は大きな進歩かもしれない。
 が、これが法制化されたからこそ、その本来の目的を再確認する必要があると思う。

 被疑者取調の可視化が必要だと叫ばれてきた原因は、言うまでもなく違法・不当な取調に基づく虚偽自白が後を絶たないことである。
 違法・不当な取調を防ぐことができないのは、そもそも取り調べる側の自白獲得優先の姿勢にも問題があるが、取調が完全な密室でなされていることによる。
 裁判官や弁護人が監視できない取調では、取り調べる側のやりたい放題というわけである。

 違法・不当な取調を防ぐためには、なによりも弁護人の立会を実現するのが最良だろう。
 だが、身柄拘束された被疑者の場合、日本の取調は被疑者の勾留期間中の全てにわたり、しかも一日何時間も行うことができるので、弁護人が全ての取調に立ち会うことは難しい。
 まして、取調は捜査機関が必要と思ったときに行うことができるもので、いちいち弁護人にそれを知らせる筋合いはないから、もし弁護人が全ての取調に立ち会おうとすれば、弁護人は毎日朝から晩まで待機しないといけない。それなりの人数の弁護団を組むならともかく、それがままならない実情を思えば、現実問題として「全ての取調に対しては」立会は不可能と言わざるを得ない。
 そこで、せめて事後的にまずい取調があったか否かを確かめるため、取調の録音・録画をしようとなったわけである。少なくとも私はこう理解している。
 
 つまり、被疑者取調の録音・録画による可視化は、本来なら弁護人の立会によって取調をリアルタイムでチェックすべきところ、現実問題としてそれが不可能なので、代わりに実施されるやむなき措置なのである。
 録音・録画が実施されれば、それだけで被疑者取調がきれいさっぱり適正化されるわけではないのである。


 ところで、現在行われており、そして今後も行われるであろう取調の録音・録画(実際は録画だろうが)では、取り調べる側と被疑者の両方が撮影されている。
 これは当然なのだろうか。
 かつてひどい取調をやったことのある私が言うのも気が引けるが、ひどい取調かどうかを後にチェックするために、被疑者の様子を記録する必要はないと思っている。
 なぜなら、取調は取り調べる側の「質問」(とてもこう表現できない発言もあるが)から始まるもので、その質問が違法・不当であれば、これに対して被疑者が何を言ったかを考慮する必要はない。
 例えば「ばか野郎」との怒号があれば、それだけでアウトだろう。「認めれば執行猶予だぞ」と言えば、これまたアウトになるのだ。

 これは法廷での尋問と対比するとわかりやすい。
 刑事訴訟規則で、裁判官が証人や被告人の話の評価を誤るような不適切な尋問が禁止されている。実際にも、法廷で規則違反の尋問がなされたら、証人や被告人が答える前に異議の申立がなされている。答えた後に申し立てても、それはいわば「不適切な尋問によって汚染された供述」が出てしまったという意味で手遅れなのである。

 とすれば、取調でも同じことが言えるはずではないだろうか。
 「違法・不当な質問によって汚染された被疑者供述」の最たるものが虚偽自白である。
 だから、とにもかくにも取り調べる側がどういう質問をしたかをチェックすれば足りるはずだろう。

 ところが、実際にはむしろ被疑者の供述やその態度をチェックするための録画になっていないか。被疑者が何をどう言おうが、そのもとになった質問がまずければ、法廷と同じくアウトになるはずではないのか。(もちろん、自白の任意性という枠組みの問題はあるが)

 ここで「被疑者も録画しておかなければ、生の話と調書の違いをチェックできない」との批判もあると思う。
 だが、検察官の取調では、調書は「面前口授」といって、検察官が一人語りで調書の文章を口にすることで作られる。仮に検察官だけを録画していたとしても、調書をとる前の検察官の発言と口授する文章の違いはわかるはずだ。この違いから、取調が違法か、少なくとも不当な「押しつけ調書」が作られたかはわかるだろう。
 警察の取調では面前口授は行われないが、できあがった調書を朗読する場面はあるだろう。となれば、取調そのものでの捜査官の発言と朗読された調書の違いはこれまた判明する。
 あるいは、被疑者が「私が話したことと調書の中身が違う」とクレームをつけたとすれば、そのクレーム自体が録画されていなくても、例えば取調官の「え?だってお前、さっき言っただろう」(さらにクレーム、この録画はない)「言っただろ!」「なんで署名しないんだ」といった発言が録画されていれば、何かしらまずいことがあっただろうと推測できる。


 いまさら録画方法を変えるのは、それこそ手遅れなのかもしれない。
 だが、そもそも取調の録音・録画が何のために提唱・実施されてきたのかを改めて考えれば、被疑者を録画することが不要なのは明らかだと思う。

 そして、警察や検察が「全面可視化すると被疑者が供述をしぶる」と抵抗する理由もなくなる。自分の話が録画されていなければ、被疑者は供述をしぶることがなくなるか、激減するだろう。
 
 なによりも、もっぱら取り調べる側を録画することにより、検察が推し進めようとしている「被疑者取調録画の実質証拠化」を防ぐことができるのだ。


 そもそも録画は万能ではない。
 このことを十分に再認識し、本来なすべきである弁護人の立会をしっかり実現できるよう、対策を考えていくべきだと思う。
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