2010年4月3日、春のやさしい日差しを背に受けながら、飯田橋から市ヶ谷に続くお堀沿いの道を歩いていました。

お堀側の土手の桜は満開の時を迎え、空を覆いつくし、反対側には法政大学の新入生をサークルに勧誘する大学生達の声がこだましていました。

私は、学生達が造る人の輪を避けるようにして一口坂に向かう道を進んで行きます、もし、人との出会いが無ければ私は法政大学のIM(経営学)研究科大学院生としてこの道を歩くことはなかったな、という感慨にとらわれた時、私が何十年も前に本当の大学生だった頃愛してやまなかった、ある詩人の書簡の冒頭の部分を思い出していました・・・。





立原道造 書簡 昭和11年4月22日 田中一三宛 「東京発」





東京では、大学の銀杏の美しい新緑です。

このアーチを胸に金釦つけてくぐって行くのもこの一年かぎりかと思うと、その下をいくたびも歩きながら嫁ぐ日を待つ少女ほどの心のときめきをおぼえます。

煤煙ににじむ大都会の窓にも、春の雲が、ながれております。

「花が雲のように」というのがもしあなたの世界なら「雲が花のように」というのが僕の世界なのでしょう。

花びらのように、ながれて行くものや、灰色の羊のように黙って蟠(わだかま)っているのもあります。

そして今日僕の眺めている雲は、おそらく物語の中の少年少女、オオカッサンとニコレットの眺めていた雲とちがっていないのでしょう。

12世紀のその青空にはげしいあこがれを感じております。





・・・この手紙は東京帝国大学の建築科の学生であり、またその時代を代表する叙情派詩人でもあった立原道造が京都の友人宛に送ったものです。

4月の22日では東京は桜が散って、空には雲しか見えないのですが、東京より開花の遅い京都では、桜が空を覆ってその桜が雲のように見えるのでしょう、という書き出しです。

この24歳で夭折した詩人の見ていた東京の雲と、私が、今、眺めている東京の雲は詩人の言葉を借りれば、「ちがっていない」のでしょうか。





もし、人との出会いが無ければ、このように私は現役の経営者としての半身と大学院生の半身をもつことはできなかったと思います。

私は17年前に父親が他界し、会社の経営者となりました。

「幸福と不幸の間で」その2で書かせていただきましたが、商事活動を生業とする中小企業にとって、経済環境は平坦なものではありませんでした。

21世紀、前と後、そんな表現を使わせていただきますが、産業構造の変化はまさにパラダイムシフトでした。

1990年代の失われた10年で日本企業は体質改善をせまられました。  企業間格差はあるものの多くの上場企業はグローバルなマーケットでどうしたら生き残れるか、そのためにはどのように企業をイノベーションすべきかが最大のテーマでした。

国内のマーケットは伸張しない、さらに内外でも「護送船団」方式による海外企業との競争は許されない。

このことを真摯に受け止めて経営革新を推進しなかった企業は生き残ることが難しくなるのはある意味必然でした。

今の日本航空はその典型です。

マーケットが伸張している間はまじめに努力すれば、ある程度の成果は残せたのですが、それだけでは通用しなくなった事に気づかないと経営革新などできません。

なぜならば過去の成功体験が大きければ大きいほどリーダーは変化をすることに躊躇するからです。

それ以前に、世の中の変化に気づきさえもしない中小企業の経営者が私でした。

変化を観念的に理解してもそれが実体験としてわが身に降りかからない限り、あえて経営革新など取り組まないものです。

なぜならば経営革新には多くのエネルギーを必要とするからです。

うまく経営ができていればあえて労の多い事をしなくとも「現状で良い」としてしまうのです。

世の中の変化に対応せず現状に留まっていることは、置き去りにされることを意味しているのです、従って経営革新は現状のためにあるのではなく、企業の未来創造のためにあるのです。



世の中の変化を実体験として感じ始めていた頃、株式会社武蔵野 小山社長との出会いがありました。

私がいかに自己認識が甘かったかという事を小山社長から教えていただきました。

そもそも、小山社長を紹介してくれたのは、弊社のお客様の社長です。

自分の興味ある経営関係の講演会やセミナーに行くのは嫌いではありませんでしたが、人から勧められるのはあまり気乗りがしなかったというのが本音です。

しかしながら、お客様の熱心なお誘いを無碍に断ることもできなく、後ろ向きに小山さんのセミナーに出席したのです。

多くのセミナーや著名な経営者の講演に出席した経験と比べても、小山さんのセミナーは一味違いました。

それまでの常識が非常識である事や、固定観念を覆されるような目からウロコのようなお話を聞かせていただきました。

また、セミナーに参加している他の多くの中小企業の経営者の皆様の会社経営に取り組む姿勢には、圧倒され、いかに自分が経営者として怠け者であったかという事を認識させていただきました。

ほどなく、株式会社 武蔵野が主催する小山社長の「実践経営塾」に参加させていただいて、小山社長から多くのことを学ばせていただくようになります。




多少なりとも経営に興味がある方は「小山昇」の著書を一度は読んだことがあると思います。

小山さんの本は「儲かる・・」というタイトルが目に飛び込むような仕組みになっているので、小山さんに教えていただくと、何もせず儲かる会社になるような勘違いをする方がいるかもしれません。

あまり詳しく述べる事は営業妨害になるといけませんので控えますが、小山社長の本質は「正しい方向で汗をかけ、しかも中小企業は経営者が一番汗をかかなければ会社は絶対に良くならない」というものです。

その正しい方向とは何かという原理・原則と会社の特性に応じた処方箋を小山社長は示してくれます。

私が小山さんから学んだ一番重要なことは「絶対につぶれない会社」にすること、P/Lに一喜一憂するのではなく会社の設計図であるB/Sをいかに磨くかということです。

それまで危機意識が無く会社がつぶれるはずが無い、という観念にとらわれていた私に、小山社長は中小企業がいかに脆弱なものか、という事を教えてくれました。

もし、小山社長との出会いが無ければ、今、会社が健全に存在できたかどうか自信がありません。




会社を革新に導くのはリーダー(経営者)の決断であり、使命です。

しかしリーダーだけが変わろうと思っても、その意思がうまく伝えられず、メンバーの意識が変わらなければ組織を革新へと導くことはできません。

メンバーの意識改革も人との出会いから始まります。・・・(2)へ続く