こんにちは
少しでも不幸な動物をなくしたい
マスターメンターの花蓮です。
今日は、
私がアニマルメンター事業を始めたきっかけをお話しますね。
長くなりそうなのですが、興味を持っていただいた方は
どうぞお付き合いくださいませ。
私が事務局長をつとめる社団法人国際どうぶつ映画協会は
その名の通り国際どうぶつ映画祭を実施する協会として
2010年に発足し定期的なイベントを実施してきました。
とはいえ、当然のことながらイベントだけでは動物愛護は進みません。
毎日毎日届けられる悲惨な実態を憂いながら
しつけ教室、ホリスティックケア講座など
団体だからこそできることはないかと模索しておりました。
そんな時、19年寄り添ってくれた愛描「にゃじゃ丸」が
余命宣告を受けたのです。
それより半年前に、10歳のチャイ郎を
腎不全で失ったばかりでした。
ネコは後追いをするから気を付けてね。
と友人に言われていたのですが、
まさか本当になるとは夢にも思っていなかったのでした。
当時は、
映画祭の企画運営で多忙を極めると同時に
チャイ郎の闘病生活でクタクタで
にゃじゃ丸の異変に気づいてやることが
出来なかったのが悔やまれます。
映画祭が2012年10月27、28日
チャイが亡くなったのが一か月後の11月24日
チャイの埋葬を済ませたころから
にゃじゃが「ニャオニャオ」と鳴き続けていたのですが
自分の異変を訴えていたとは気づかず
チャイがいないことを知らせようとしていると思って
彼に話しかけていました。
「チャイはいなくなったんだよ。
だからもう二人だけになったの」と・・・。
甘えん坊で、いつもにゃじゃにくっついていたチャイが先に逝ったけど、
にゃじゃ丸は18年も元気で生きてくれたのだから、
老衰で逝ってくれるものとばかり思っていました。
年が明けたころから、
なんとなく顔の形が違ってきたように思い
いつもは出さないよだれに気づいて病院に行ったところ、
腫瘍が出来ていますねと診断されました。
先生は気を使ってくれてガンだとはおっしゃらなかったのですが
発病後半年もつかどうかと・・・・。
彼の誕生日が5月23日なので、
19歳の誕生日を迎えられるかどうかの瀬戸際でした。
にゃじゃが発病しているとは知らず、
その年の6月にはまた映画イベントを企画していたので
またまた、イベント準備と闘病生活のはじまりです。
日頃から、にゃじゃがなくなったら
ひどいペットロスになる、
にゃじゃがいなければ生きていけない!
と豪語していた私です。
「だって、親よりも長く一緒に過ごした存在ですもの。」と・・・・。
でもそれは私の傲慢さゆえのあやまりでした。
にゃじゃの発病のおかげで、私のあやまりを
諭してくれた方との出会いがあったのです。
アニマルコミュニケーターのRicoさんとおっしゃる方でした。
今、こうしてアニマルメンター事業を推進できたのは
にゃじゃ丸が命をかけて教えてくれた生きることの大切さと
Ricoさんの動物に対する愛情深い考えのおかげだと思っています。
そして感謝することの大切さもRicoさんが教えてくれました。
次の機会に、その出会いのことをお話させて頂きますね。
最後までお読みいただいてありがとうございました。
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