「交渉人・籠城」読了しました。
読み終わった直後の感想と、時間をおいた感想が微妙に違ってきています。
まず直後の感想から。
交渉人遠野麻衣子と犯人との息詰まるようなやりとりは、このシリーズの読みどころで、今回もはらはらドキドキしながら読み進めました。警察内部でもいろいろきしみがあり、組織というもののもどかしさなんかも感じました。
少年法の意味、意義、あり方、問題点なんかも考えさせられましたし、犯人の悲痛な叫びは胸をうつものがありました。
もちろん正解のない問題であり、すっきりと解決するようなことでもないので、読み終わってももやもやしたものが残ったわけですが。
少年法ってどうなのかなあ、なんて思ったり、被害者救済というのは難しいものだと思ったりしました。
以前にも書いたことがあるんですが、贖罪とは何を指すのか、どうしたら罪を償ったと言えるのかというのは、大変難しい問題です。
建前では、刑務所に入って、それなりの刑をうければ、一応罪を償ったということになっています。
でも、感情的な面や本音の部分では決してそうではないのでしょうね。
いったいに、罪を犯してしまった人の更生については、実はたいていの人が望んではいないのではないかと思うことがよくあります。
どこでしたか、出所した人たちの再出発のための施設を作ろうとして近隣住民から反対されている、という事例がありました。
これなんかも、つまりは、建前としては罪を償った人を更生させて再び社会に受け入れるべきとされてはいるものの、現実問題として自分の住む街にそういった施設ができる(=元犯罪者が常にそこにいる)というのは嫌だといっているわけですよね。
まあ、犯罪の種類にもよるのでしょうが、ぶっちゃけ傷害や殺人などの事件の犯人に対しては「死ねばいいのに」と実は思っているのじゃないかと、愚考する次第です。そんなことおおっぴらには言えることではありませんから誰も公には言いませんけど、その後の対応や行動を見るにつけ、本音ではそう思っているだろうなと思わずにはいられません。
これが、読み終わってしばらくしてから私の心に浮かんできた感想です。
贖罪といい、罪を償うといいつつ、結局は「殺したヤツは死ね」という身も蓋もない報復感情しかないんだな、と。いい悪いではなく、それが結局自然な感情なんだろうと思います。
そして、法律というものは、そういった「自然な感情」とはまったく別の地平に立っているものなのだということを改めて思いました。
普段なんとなく、法律って一般市民を守ってくれるものだと思い込んでいますが、実は別に守るためにだけあるのではないのです。法律とは、さまざまな揉め事を公平に判断するための道具にすぎない。だから片方の感情を思いっきり逆撫でするような事態も十分起こりうるのです。
そんな法律なら守らなくてもいい、と思いがちですけど、ルールというのは、得をするから守るとか損だから守らないというものではないんですね。
そこのところが、なんとももどかしい気持ちにさせるわけです。
そして、ふっと思ったのは、結局警察と犯人の間には信頼関係なんか存在するわけない、ということでした。当たり前のことかもしれませんが、小説の中で遠野さんは何度も犯人に「信じています。信じてください」といいます。犯人との信頼関係が成立しないと交渉ができないからなんですけど、これって必ず最後にはその信頼関係を裏切るという結末が待っていますよね。そうしないと犯人が逮捕できませんから。
私には犯罪計画なんてありませんけど、もしこの小説の犯人のような状態になっても、警察の言うことを信じるのだけはやめようと思いました(笑)。
そんな反社会的な感想をもっちゃいけないんですけどね
最初、この物語は少年法に対する異議申し立てがテーマなのかと思ったんですけど、ちょっと違ってました。もちろんそういう部分もあるんですけどね。
それよりも、「交渉人って、警察って、こえ~~~」という読後感の方が強かったです。
面白かったので、オススメですがね。