先日、思いがけないところで思いがけない一言を頂戴することがあって、それは腹が立つのと同時に、心のどこかで悲しくなったことで自分の傲慢さに気付いてしまった。
「わたしはすぐに調子に乗るから、うまくいっている時こそ気を引き締めて謙虚な態勢を崩さないようにせねば」「油断してはならないぞ」と心掛けるようにしていたつもりが知らず知らずのうちに、でもそんな事を言う訳がない、と心の奥隅で思っていたんだなわたしはやっぱりノリノリに調子にノッていたんだなあ、ノリにノッたノリノリガールだったんだなあと思って、悔しいやら、恥ずかしいやら。
こういった媒体でも不特定多数に発信することで更に自分に意識付けをするべくこうして文字にしているワケだけれども、
頭の中でどうにでもこねくりまわしてしまって結局間違えたまま植えつけられていたのかなと思うと、とても虚しくなってしまった。
その一言を発した主はわたしがこんな風に悲しんだり悔しんだりしていることはおくびにも思っていないだろうし、自分が言ったその一言すらきっと覚えていないのだろうけど、現に覚えてはいないのだけども、
戴いた言葉だけの破壊力もさながら、自分の傲慢でそれを何倍にも増やしたようで、
いやコレはまいったな、と。
自分の首を自分で締めていたのだな、と。
まだそれでもほんの僅かに残る怒りだけが救いになるなんて、まだまだ浅い自分を感じながらも、反省に次ぐ反省なのである。
どうせ言葉を発するならば、
瞬時のソレで人の心をどうにかすると言うのならば、
やり場のない非生産的な化合物を予期させる虚しさよりも多少なりとも幸せや含笑いくらいを感じさせるようにしたいものだなと思いました。
言葉は武器だよ、武器になるのだよ。
良くも悪くもサァ。