最近日本語のネットやメディアで、「この人はこういう人だとは思わなかった」とか、「この人の擁護をするということは、あなたはそういう人なんですね」というような表現をよく目にします。 (^^;


人の考え方は人それぞれなので、個人個人それぞれ感じたいことを感じればよいと思います(^^)/

そして私の今日の日記も単なる独り言です。

「その考え方は違う」と思うという人もいるかもしれないけれども、そういう人は違う考え方を信じればよいと思います。
 

 

本題に入ります。

実は私もかなり前の話ですが

Aさんという人に「Bさんはこういう人だ。そしてリカさんがBさんと一緒に何かをすると、リカさんまで"そういう人"と思われるので気を付けたほうが良い」と言われたことがあります。

そして、「CさんもDさんも、みんながBさんのことを批判している」と報告を受けたこともあります。

ですが、皮肉なことに、Aさんのことをみんなが批判しているという話を別の人からきいたことがありました。(^^; 






私は正直、AさんがBさんをどう思おうが私にとってはどうでもよく(^^;
たとえBさんが"そういう人"だったとしても一緒に一回何かをしたからと言って、
私まで"そういう人"にはならないと思います。

伝染病とかじゃないんだし。

参考にはするかもしれませんけど、Bさんのことは私が自分で判断しますから。




で、しかも

"そういう人"とはどういう人?

そして

みんなが批判しているの「みんな」とは誰?


「そういう人」(つまりは人格)は相対的なもの。

Aさんが「賢い」と思う人は、Bさんにとっては「バカ」かもしれません。

Aさんが「優しい」と思う人は、Bさんにとっては「キツイ」かもしれません。

実を言うと私はどれも言われたことがあります。




また、私たちは、常に変化しています。

私も、そして誰しもが昔とは変わってきているはずです。

そして、私たちが「この人はこういう人」とラベルを付けた人も、

今この瞬間「そういう人」ではなくなっている可能性があります。





なので、「そういう人」という批判の仕方よりも特定の行動について話してもらった方がよっぽど響きます。

そして、行動について話したとしても、今どうするという話なら建設的なのですが、



過去にしてしまった間違いを何度も何度も持ち出して批判しても意味がないし、

一回間違えたからと言ってその人の関係ないことに関して人格否定をする必要もないのになあと思います。

誰でも失敗はしますし。

多分、「一度失敗した人はまた同じ失敗をする」という人もいるかもしれませんけど、

でも、多分自分のこととして置き換えると、「あなたは一度失敗したからまたする」とラベル貼られたらどう思います?




行動と人格は別物です。




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