話しを聞け、だって?聞く気がないのなら話し合うことが
できないなんて、そんなことをいえる訳がない。
いいか、君がしているのはこういうことだ。考えてみてくれ。
今ここに銃やナイフを持った興奮した男がいる。そいつに
向って、君は同じことを言えるだろうか。ねぇ、聞いてくれよ。
今僕は自分自身の怒りについて、クールに解説してるんだ。
こんなことはあまりにも馬鹿げていると思わないか?
僕はひどく怒っていて何もわからなくなってしまっている。
混乱して、自分がどんなにちっぽけな主張をしていたかという
ことも忘れて、忘れているにもかかわらずその抜け落ちた主張
の為にいきり立って、今将に君に殴りかかってしまわないとも
構わない状況だ。ねぇ、僕は怒っているのだろうか。怒っている
のなら君に殴りかかるべきなのだろうか。
どうか、話しを聞いてくれよ。「それ」は僕が言ってるんだぜ。
話しを聞いてくれ、なんてことはさ。
天地神明に誓って、この小指にかけて、僕の名にかけて、今僕は
自分の主張が、つまり「話しをきいてくれ」というただそのことが、
さっきまで僕が主張していたそのことを差し置いてさえ、どう
考えても正しいと、無限の自信をもって掲げることができる。
僕はその論拠をほぐして腑分けして明快に説明することはできない
けれど、ここまで僕が、僕自身が情けなく這いつくばり、どうしようも
なく見っともないことになってまで飽くまで断固として君に向う、
そのこと自体によって逆説的に証明しているように思うのだ。
正しいから、自信をもって主張しているのではなく、あまりにも
圧倒的な自信をもって全てを投げ打つこともできる、そんな自分を
感じるからこそ、僕は自分の主張が誤りではないと断言できる。
なるほど、僕はあまりにもチンプでチープ、みじめで情けなく凡庸で
全ては既に語りつくされていて、僕は誰かがもう話したことを、僕に
わかる部分だけを不完全にくり返し、僕自身もまたやがては誰かの
ローカルに溶けていくだけなのだろう。僕は何も言わない、いや、
言えない。せいぜい僕が知ることのできた「ことば」なんて、もちろん、
相手も初めから知っていて、僕が誰かの為に言葉を尽くしたとしても
その人の為に何らの貢献もできないし、その人にとって、僕という
存在はただ、その人でないということ、その人の立つ場所、その人の
靴をはいているのはその人で、僕は僕の場所に立ち、僕の靴をはいて
いる。ただそういうことだけだ。
僕は弱い。僕は何らの意味をも担えない。僕の持つほとんど全ては
同様の諸価値態によって代替可能であり、僕は全然おもしろくない。
しかし、僕が迷惑をかけるのはそれだけじゃない。僕はその上に
さらに「話しをきいてくれ」とあくまでキチガイじみた主張をつづけて、
口を噤まない。
僕は僕の魂、僕の場所を信じ、僕以外の全てに、邪魔だ、非効率だ、
意味不明だ、いや、ナンセンスだ、無価値だ、反進歩的だ、話しを聞け
と主張しているのに排他的な態度は矛盾している、不誠実だ、と、
罵られても、僕は、ゆずらない。
僕は「行為」をやめない。僕はそんな、共有し得ない、打ち捨てられる
べき、非現世肯定的な、僕の中へ屈折して続くカオティックな宇宙を、
ただ認め、ただ信じ、ただ支え、ただ守り、ただただ許す。
そして、僕のこの感情の爆発があまりにも<リアル>であるのと同じ
ように、この魂もリアルであるし、僕の魂がリアルであったように、
同じように誠実な人間が、あるいは未だ実際的に誠実な行為を
振舞っていなくても、当事者の位置に立ったときに周りのことが何も
見えないでただ目前の全てに格闘しないではいられないような、僕に
とっての他者もまた、リアルな魂をもつのだと、そう思う。
だからこそ、僕は話しを続けるのだし、僕は話しを続けるためなら、
僕が話しを始める動機となった自分の主張を何のためらいもなく
捨てることができる。全てを譲歩してでも、responsibilityは手放さない
し、手放すことを許さない。
僕は僕の魂と君の魂と、そしてそれらをつなぐことができる「ことば」を
圧倒的に信仰している。さらに言えばそれは必ずしも魂ではない。
僕は今ここで潜在している「かけがえのないもの」、セパレート・リアル、
マジック/ツァウベル、「帰るべき場所」を、受け取って、そして伝えていく
結節点として存在している。
今ここから零れ落ちていこうとする魂を、僕はあきらめない。
僕こそがキャッチャー・イン・ザ・ライだ。