暖 | Hideyuki Hashimoto

Hideyuki Hashimoto

Gasoline yunbo




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2014年4月19日 東京大塚で寺岡黙監督のドキュメンタリー映画【バルカンへ】を見た。
この映画の最初の予告編を見たのは、確か2008年だったと思う。

2007年、1997年にレコーディングをした音源(寺岡黙氏も参加)を形にするために動いていた俺は、自身のWEBSITEを彩るために、絵を描いて欲しいと寺岡黙監督にメールで依頼をした。
彼はこの映画のバルカンの旅を終え、イタリアの小さな島で映画の編集作業に追われていた。
遠いイタリアの島から、忙しい中、彼が描いて送ってくれたのが下の絵。
題名は「Slow&Slow」
それから、暫らくして、広島の祖母様の危篤の知らせを受け、彼はイタリアの島から帰国した。






I like to travel.

I like to shooting film.

So I wanna be a professional traveler by making film.



この映画は「プロの旅人になりたい」という一人の日本人(寺岡黙)が、その情熱をインターネットで世界に発信したことから始まる。

彼の情熱に応えたのは、ノルウェーに移住した旧ユーゴスラビア(ユーゴスラビア社会主義連邦共和国)・ボスニア人難民のべキムだった。

ソビエト連邦、東欧諸国とは違った独自の安定した社会主義国家を形成していた旧ユーゴスラビアは、1980年代から燻り続けていた民族問題が、1989年東欧革命、1991年ソビエト連邦崩壊、冷戦の終結という時代の流れとともに、1990年代に民族・独立紛争として勃発する。
第2次世界大戦終結までの45年、東西冷戦の45年、そして、民族・独立紛争の20世紀最後の10年。
その傷跡が残るバルカン半島を、「追われた祖国を旅したい」と願っていたボスニア人難民べキムは、日本人カメラマン・寺岡と旅をする。
通常、ドキュメンタリーは、被写体を「淡々」とクールに捉え、大なり小なり、ある結論に導こうとする。
だが、この映画はべキムと寺岡でさえ、何が起こるか、どこへ行こうとしてるのかさえわからない。
そして、監督の人間性によるものなのか、【暖暖】と被写体を捉え、ややもすれば、こんなにスケールの大きい、20世紀の最後の傷跡が、映画に登場する人間の暖かさで和らいでいる。
それは、かつての敵、セルビアの地に踏み込んだ2人が象徴する。
もし、べキム一人なら、決して、足を踏み入れることはなく、一緒にセルビア人と酒を酌み交わすことはなかったはずだと思う。
そこまで、彼らの懐に入り、【人間】という存在を生で捉えることが出来るのは、寺岡黙監督の人間性によるものが大きい。彼を知っている人なら頷いてくれると思う。
何の偏見もなく、先入観も持たない、また、報道という使命感や職業意識とは違う、ただ、情熱だけをひっさげて日本からやってきた一人のカメラマンをバルカンの彼らはどう思ったのだろうか。
そして、映画のインタビューで、その日本人の問いに、彼らは自らを振り返り、改めて何を思い、何を感じたのだろうか。


タブーとヒューマニズムの混在。


島国、単一民族の我々日本人(実際は少し違う)とバルカンの人々では【国家】というの概念が違うと思う。

昔、寺岡黙監督とバンドを組んでた頃、「俺は25歳の時、この国を信じるのはやめたんだ。」と俺が言ってたと何かの話の中で聞かされたことがある。

だが、バルカンの人々は「国家を信じる。信じない。」という概念を持ちあわせてないと思う。
民族・宗教・利益闘争の下で、国家という存在が脆く、流動的に存在する。
逆に我々日本人は、水や空気のように、国家は普遍的で、だからこそ稀薄である。
世界中の多くの国が建国記念日を、植民地からの解放や独立戦争の終結の日に定めているのに対して、日本は何千年前の神話に基づく希有な国である。
明治維新を建国とは捉えずに、日本の他の祝日にも見え隠れする存在を、国家の上に置こうとする。故に曖昧である。
この国の建国以来、【国家】を民族に実感させたのは、明治維新から敗戦までの70数年間、
現代の日本人は【国家】というものを実感せずに死んでゆく日本人もいると思う。

隣の朝鮮半島では、民族が未だ国家に分断され、逆に中国では、旧ユーゴスラビアように国家が民族を吸収して形成をしている。
この日本の曖昧で稀薄な【国家観】が無駄な対立を避けると同時に、現代の国際社会ではいろんな弊害を生み、個人のマインドではいろんなものが欠落する。
映画で時折、東京の喧騒が映し出される。正にそれが、現代のこの国の【国家観】を象徴する。
バルカンの人々にとって、【国家】は自分達の手で建設できる現実であり、その代償としての強烈な死。だからこそ、【生】を強烈に実感できるのかもしれない。
【殺す】という言葉を簡単に使う現代の日本人と、【殺す】ということが、どういうことなのかを本当に知っているバルカンの人々。

映画のラストシーン。
この国の【国家】による戦争を体験した女性の深い皺の手と、岡山でも山口でもない【HIROSHIMA】の空が映る。

この映画を日本だけでなく、世界の一人でも多くの人に見てもらいたいと思います。
特に若いクリエイターの方々に。
たった一人の情熱がこんなにスケールの大きい、そして、意味のある素晴らしい作品を創作できるということ。
そして、今、ゆっくりゆっくりと、その情熱は世界を歩いているということ。



一人の日本人が【暖暖】と鋭く世界に問いかける。



想像してみなよ。国境なんかないと。イマジン。



日本からスロべニアにいる友へ                  
                                                  橋本英之