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手のひらの中のアジア
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July 22, 2005

キャンドル・フェスティバル~蝋燭祭り~

テーマ:(7)タイ

きゃんどる


スコータイのロイカトン、スリンの象祭りとともにタイ3大祭りの一つといわれるウボンラチャターニーのキャンドル・フェスティバル(蝋燭祭り)。


そもそも祭りの存在は知れど、今年の開催日情報やその他詳細についてはまったく知らなかった。


ウボンの街に到着した時から妙に街全体の賑やかさを不思議に思っていたのだが、よくよく調べたり、まわりに訊いてみれば、21日三宝節、22日入安居の祝日であり、毎年この日に合わせて伝統の「蝋燭祭り」が開催されるのだという。祭り自体は数日前から始まっており、どうりで賑やかなわけだ。


そしてすでにその数日前からウボン入りして宿に泊まっている僕は、祭り当日の宿泊ホテル全満室という状態に陥ることもなく、さらにはウボンの市役所のようなところでダメもとできいたところ、親切に観覧席のVIPに近い席まで手配してもらうことができたのだからまったくラッキー者だ(観覧席は200Bで外国人も事前に購入可)。
                                  
2日間に渡って行われるこの祭り、もとは雨季への移行時期に安居として寺院に入る僧侶たちにむけて蝋燭を寄進する、それに関連して催される行事だという。この日を境に僧侶たちは一切外出禁止にもなるそうな。それが今では観光客のその数計り知れないほどの賑わいをみせる大きなお祭りとして拡大したようだ。


キャンドル       

                
1日目の昼間、ウボンの街に点在する各寺院で蝋職人はじめ多くのスタッフたちが集まり、一つ一つ精密に模った蝋を母体に貼り付けていく作業の様子を見学することができる。また希望とあらば観光客も貼り付ける蝋の切り抜き(型取り)を体験できるコーナーなどもあり、ちょっとした参加気分にもなれるのだ。


日本でもお祭りの出店であったような昔懐かしい「かたぬき」のようなもの。針を使って壊さないように薄っぺらい板チョコのような砂糖の塊を鳥やら動物やらの形に削っていく、あれである。その他、各寺院ごとに宗教的な儀式が執り行われたり、街の一番大きな祭り会場では様々なイベントが行われ一日中賑やかなウボンの街。


そして夜に合わせて昼間作られて完成した見事な蝋燭造りの山車の数々がそれぞれの寺院から運び出され、街の中心に集結する。その巨大な山車の数は約30体にも及ぶ。煌々と照らす明かりでライトアップされたその芸術的作品の数々を取り囲み、ずらりと並ぶ出店と溢れんばかりの観光客で街はさらにヒートアップする。2、3歩進むのにも苦労するほどの混雑となる。


きゃんどる


2日目の午前8時。


意外だったのはこの祭りのメインイベントが2日目の早朝から始まるということだった。前日の夜にライトアップされていた30体近い山車が順番にメインストリートのコースを華やかにパレードする。そこへさらなる彩りを添えるのは、山車以上に輝きを放つタイの女性たちの姿と踊り。


きゃんどる


日本の祭りと同様、団体ごとに煌びやかな衣装を纏い、独特の民族舞踊に合わせて華麗な踊りを披露しながら観客を魅了する。タイの小、中学校から大学生をメインに、その他アダルトな女性の団体やバンド演奏なども繰り広げられる。ミス・キャンドルの選出もあるこのお祭り、タイの女性の美貌と華やかさにただただ見惚れるばかりである。
                                  
一つ一つの大きな山車が街を縦横無尽にゆくさまや夜のライトアップされた幻想的な姿、精密かつ繊細な飾りつけ、その芸術的な作品としての完成度、そこに彩りを添えるタイの女性たちの華やかな踊り。


タイ人でも一度は見たいという祭り、ウボンラチャターニーの蝋燭祭り、キャンドル・フェスティバル。


どこをとっても一級品だった。


これは一見の価値あり、である。 

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July 18, 2005

幻の遺跡 カオ・プラ・ヴィハーン

テーマ:(7)タイ

かおぷらヴぃはーん


「あたし、あれ見て泣きそうになった・・」


僕の好奇心をくすぐったのは、旅の途中で出会った女性の何気ない一言だった。


タイからアクセスするにもかかわらず、カンボジア領に属し、断崖絶壁の上に建つその遺跡はこれもまたクメール文化の遺産。


一人の女性がこの絶壁から見下ろす遥かカンボジアの大地を目にして「泣きそうになった」。少しばかりのエロチシズムさえ見え隠れするその一言に触発された僕にとって、この遺跡がクメールの代表格であるアンコールワットと比べてどうなのか、などということはもはや愚問にすぎない。


その遺跡を、その大地を、見に行くのだ。


ウボンラチャターニーのバスターミナルからローカルバスに乗りカンターララックの町まで約2時間(35B)。そこからソンテウに乗り換えクッサロンまで約45分(30B)。道路沿いの売店があるだけの広場のようなスペースで降ろされ、今度はそこで待機していたバイクタクシーとの交渉となる。ここと遺跡との往復を200Bで手をうった僕は、少し離れたやはり道路沿いのレストランで食事をとった後、いよいよ遺跡へと向かう。


タイ側の国立公園入り口で入場料200B(タイ人は20B・・)支払い、山頂まで20分ほど。山頂の駐車場に到着後、ドライバーには待っていてもらい、ここからは一人徒歩。


タイ側の絶壁に立つ。


この日、到着前まで時折降っていた雨により、既にあがってはいたものの霧が立ち込め、視界は良好とはいえない。少し遠くにうっすらと覗き見えている日の光がもっと深く差し込み、大地を照らしてくれることを期待しつつ、カンボジア側へと歩く。


道の途中に設置された小さな小屋のようなところでパスポートチェック(コピー代5B)を受け、さらに500メートルほど進む。金網で仕切られた入り口をぬけ、ゲートで今度は遺跡入場料として200Bを支払い、敷地へと入っていく。


丘の上へと登っていくような形で一本道の石畳が続き、崩れかけの神殿や遺跡の数々が姿を現す。頂上の本殿に辿り着くまでに2~30分かかるその参道を一歩、また一歩と踏みしめながら登りゆく過程は、まだ見ぬ神の世界へと続く道のようで神秘を感じさせる。ようやく辿り着いた本殿、規模はさほど大きくはないが崩れ落ちて修復の手が入っていないその姿は逆に300年もの年月をかけて造られたこの遺跡の重みを感じることができる。


本殿を抜けて裏手へと進んだ僕は、そこで思わず息をのみ、立ちどまる。


目の前には視界全土に渡って、壮大な大地が広がっていたのだ。


かおぷらヴぃはーん


タイ側では不良だったその視界は霧が解け、僕の望むようにして日の光が眼下の大地に差し込んでいた。晴れた日には遥かカンボジアのトンレサップ湖まで見渡せるというこの場所は今日、そこまでとは言えないまでも十分にその広大無辺な姿を見てとることができたのだった。


村や町は一つもない。ただひたすらにジャングルのような緑の木々が大地を埋め尽くし、その合間を縫うようにしていくつかの赤土の道路がただ果てしなく続いているだけだった。そして僕はそれらを見下ろす山頂の絶壁に立ち、神々しくも長きにわたりこの地に存在する「山の上の聖なる寺院」にいるのだ。


ここはカンボジア。参道を歩いている時からずっとついてくる物売りの子供たちがいる。彼らもタイではなくカンボジアの子供。その中にいた一人の少女、売り物を持っていない彼女は最後まで僕についてくる。絶壁の突端に立った僕の隣にまで並んだ少女は、遥か向こうの大地を指差した。そのすぐそばにいた多少英語を解す僧侶が少女の言葉を訳すように添えて言った。


「こちらがカンボジア。あちらに見えるのがタイ。向こうはラオスです」


全てが見渡せるこの立地条件から軍事拠点としても重要視されたこの場所は、タイ・カンボジアの国境上に位置するため、両国がずっと領有権を争い続けてきた。国際司法裁判によって現在はカンボジア領とされているこの遺跡。様々な事情により閉鎖の期間も長く、また昨今でも度々そうなることもあることなどから「幻の遺跡」とも言われていたときく。一般に公開されてからも年月はそれほど経っていないのだ。


絶壁の上に立ち、ただ黙ってその空間に身を置いていると、自分の心体が神々しい何かに覆われているような感覚を覚える。それはここを訪れる前に抱いたちょっとしたエロチシズムを越えてアニマティズムともいえる超自然的、不思議な生命力の存在さえ感じとれる気がするのだ。


幻の遺跡。


タイ名「カオ・プラ・ヴィハーン」。


カンボジア名「プレア・ヴィヒア」。


あらためて息をのみ、その遥か大地を見つめた僕。


「すごいねぇ・・」


そんな意味を込めて笑った僕の隣で、少女も少し笑った。

カオプラヴィハーン6

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July 17, 2005

微笑みの国 タイ

テーマ:(7)タイ

国境越えを含めてのウボンラチャターニーまでの走行は、やはりその分到着が遅くなった。


もう既に辺りは暗くなり始め、夕食時。


すぐにでも宿に入ってゆっくりしたかったのだが、そうはいかなかった。タイ・イサーン地方へ入ってからの情報が何もないことに気づく。ガイドブックも地図もない。どちらが北かもわからない。そしてウボンの街は大都会だった。実際にはそこまで大きくもないはずのその街は、ラオスから来た僕にとって「巨大」以外の何物でもなかった。ここへきて今更ながらラオス首都ビエンチャンが「静かなる首都」であったことを無意味に思い直させられる。


何軒か見つけたホテルは予算に合わず、妥協にも至らない。レストランで休憩しつつ聞き込みをしようと周辺にあった家族で経営する小さな食堂へ。10バーツのコーラを飲みながらとりあえず聞いてみる。


「この辺に100バーツくらいの宿、ないですか」


いくつかのホテルの名をあげてもらうが、すべて予算の倍以上のところばかり。困った顔を見せる僕を見て、何とかしようと家族全員会議が始まった。


「うちじゃぁ、部屋ないしねぇ・・」


「あそこは?何とかホテル」


「だめだ、あそこも高いだろぉ」


皆で困ってしまったようなところへ、友人だという男性がやってきた。近所に住む彼はグンさんという名で、たまたま今通りかかり、荷物を積み込んだたいそうな自転車が置いてあるのを見つけてやってきたのだと話す。


そんな彼に食堂のママがこれまでの事情を話している。


するとグンさんは即答した。


「うちへくればいい。使ってない部屋があるから」


何とも予想外の展開になってきた。ただ宿の情報を聞きたかっただけなのに・・。タイに入って初日のあまりにも親切な行為との出会いに驚きつつも、ここはその言葉に甘えることにした。


グンさんの家は普通の一軒家。特に大きなわけでもなく、どこにでもあるようなありふれた民家。


「ここ、使ってくれ。シャワーとトイレは外にあるから」


最初の言葉どおり、しばらく使っていなかったのであろうその部屋は、荷物をどすんと下ろしてまき上がった埃が電球の明かりに照らされてもやもやと見え、くもの巣もあちらこちらにあった。しかし今の僕にはこれほど温かく、ありがたいものはないのだ。


荷物を置いてシャワーを浴び、さっぱりとした僕はあらためてタイ人の温かさに感動しつつ、ほっとした気持ちでもいた。そんなところへ、グンさんがやってきて言う。


「ビール飲みにいくか」


「いきます!!」


喜んで答えた。


そしてグンさんは僕を近所の屋台へと連れ出し、案内してくれた。


たらふくのビールとたらふくの飯。


グンさんの妹がやっているというその店で、僕は腹十二分にごちそうをいただいた。


旅のいきさつなんかを話しながら、ちょっとビールでほろ酔いになった僕は上機嫌だった。


夜寝る時間、部屋に戻る前にグンさんが微笑みながら僕に言った。


「ゆっくり休みなさい。。」


最後まで温かい、その一言。


微笑みの国タイへ入った僕。


そこで最初に出会ったものは、その名の通り「ほほえみ」だった。。

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July 16, 2005

ワンタオ(ラオス)-チョンメック(タイ)国境越え

テーマ:(7)タイ

いみぐれ


午前10時。


自転車でダオフアン市場へと向かう。この市場の周辺に待機しているソンテウから国境行きのものを探し出し、乗せてもらう。タイへ入国後、チョンメックからウボンラチャターニーまで一気に行きたい僕は、国境まで約45分、自転車代も含めて15,000kip(通常7~8000)で乗せてもらうことにした。


到着した駐車場のような広場から500メートルほど、また自転車で走る。


「ここを出たらラオス終わりだよ。買うなら今だよ。」


道の両脇にはそう言わんばかりに商店が立ち並び、市場の出店が軒を連ねている。


一本道をもう少し進むとイミグレーションの建物が現れた。


これまで「国境越えは戦い」だったにも関わらず、もうだいぶラオスの穏やかな雰囲気に慣れきってしまっていた僕は、以前のように荷物を自転車にぐるぐると縛りつけるわけでもなく、まったく無防備の状態でイミグレーションへと乗りこんでいった。


たいていこのような時には面白いように足元をすくわれるのが常なのだが、そんな心配をよそに、ラオスは最後の最後までのんびり、穏やかだった。


「ラオスは満喫できたかい?気をつけてタイに」


そんな様子の優しい対応で、わずか2、3分で出国手続きを終えた(土曜のため10,000kip支払い)。


また300メートルほど真っ直ぐに進むとタイのイミグレーションが現れる。


ラオスより若干の緊張はあったものの、さすがに元祖「ほほえみの国」タイ。自転車で訪れた僕に微笑みながら、親切に別の通路からさらりと通してくれる。こちらも微笑まずにはいられない。


イミグレーションとは思えない工事現場のような敷地内を進んでいくと、何やら賑やかな音が聞こえてきた。


惹きこまれるようにしてそちらの方へ行ってみると、やはりここがイミグレーションとは思えないほどのどんちゃん騒ぎ。タイのアイドルグループのパフォーマンスや、煌く衣装を身にまとった女性たちの踊り、おばさんたちがお茶をしながらそこら中でくつろいでいる。この日がお祭りなのかどうかよくわからないが、とにかくもう大騒ぎの状態なのだ。


いみぐれ


「す、すみません。ここはイミグレーションでいいんですよね・・・・・・?」


再度そう聞き返してしまうような雰囲気。


しばらく目を点にして呆然と見とれつつ、それらを横目に見ながら先へと進む。


大きな通りに出て、両脇には売店や出店が立ち並び、さらに進むとバスターミナル、道路の看板には「Welcome to Thailand 」の文字。


やっとタイに入ったのだ、としみじみ思う。


しかし、ここで何かがおかしいことに気づく。


そういえば、入国スタンプをまだパスポートに押していない。それなのに僕はもうタイへ入国を果たしてしまっているのだ。完全に町の大通りに出てバスターミナルもあるのに、この先がイミグレーションのはずもない。


慌てて僕は元来た道を戻り、道路脇に立っていたポリスに聞いてみる。彼らの間では流行りなのか、横にいかついチョッパーバイクを置き、ピーター・フォンダ扮するキャプテン・アメリカでもしないであろう巨大なサングラスを付けたその「らしくない」ポリス。


スタンプをまだ押していないのだが、と僕が告げると、彼はおそらくその顔半分が埋まったサングラスの奥で、一瞬驚いて目を見開いたであろうジェスチャーで後ろを指差した。あくまで渋さを装ったそのポリスによると、やはりイミグレーションを通り過ぎていたらしい。


通り過ぎても入国できるというのは、果たしていいのだろうか。あまりにもアバウトな入国審査システムに僕は思わず苦笑した。一方でそんな「ゆるい」タイが好きだなぁ、とも思う。


別にわかりにくいわけではなかった。きちんと歩けば入国審査用の建物があった。ただ自転車でその少し離れた別の通路を通された上に、イミグレ周辺が異様なお祭り騒ぎだったこともあり、あやふやなうちに通り過ぎてしまったのだ。


再度入国審査(タイ側は週末追加支払いなし)を終えた後、僕は約90キロの道、ひたすら走り続け、その日のうちに一気にウボンラチャターニーへと到着したのだった。

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